だが、終わりではない―――。(1)



 反乱は終結した。

 サジアート、並びにオーギンが首謀の反乱軍は鎮圧され、秘密裏に参戦していたジャファルス兵は逃亡、大半が行方をくらませた。後日、越境ルートと思われる抜け道が発見され、警備を固めるとともに砦の設置を決定する。他、反乱軍に協力していた人間の洗い出しはこれからであるが、バレーナが帰還したこともあり、これ以上の混乱は起きないとみられる。部分的には危ない状況があったものの、全体でみれば圧倒的な勝利と言えた。

 バレーナはエレステルの新王としての威厳を示すことができ、形としてイオンハブスも勝利に貢献し、二国の協調関係は広く認知されることとなった。同時にバレーナとアルタナディアの決闘も明るみに出たが、うやむやではあるものの、世間的には禍根を残さずに落ち着いた。二人が女王になるための障害は取り除かれ、万事上手くいったと誰もが思っていた。

 しかし、アルタナディアは救出されてから三週間経ってもベッドの上だった。

 救出された直後は衰弱が激しかった。攫われた時点ですでに弱り切っていたが、何より連れていた臣下がほぼ全滅した(サジアート軍との戦いに参戦していたカリアを含む七人は無事だった)精神的なショックが大きかった。さらに感染症の疑いが強まり、五日間重篤状態が続いた。峠を越え、意識を取り戻したのは十日後だ。一命を取り留めたものの、アルタナディアはやせ細り、目の焦点が合わず、虚ろな瞳はぼうっと虚空を見上げていた…。





 グロニア城の廊下を歩くバレーナの足取りはどこか落ち着かない。以前はもう少し悠然としていた。一歩後ろに付くミオはその原因がわかっている。

「…お見舞いに行かれてはどうですか?」

 さりげなく、しかしもう何度目かわからない。一度行った時は治療中でタイミングが悪く、その後は事後処理に追われて、かなり危険な状態だったと知ったのは、容体が安定して二日後という始末……バレーナは未だにアルタナディアの顔を見ていない。

「………」

「バレーナ様? スケジュールを調整するようにロナに申し伝えますが…」

「……そういうわけにもいかん。それに、な……」

「…?」

 言葉を濁すバレーナに、ミオは眉を寄せる

 バレーナは先日の出来事を思い出していた―――…。



「アルタナディア様が自らお会いになる意志を示されるまで、お見舞いには来ないで頂きたいのです」

 公務の合間なんとか二十分ほど都合をつけられ、ミオ達に声をかける時間も惜しんで馬を飛ばしてきたというのに、バレーナは屋敷の玄関前でカリアにそう告げられた。

 カリアとはフィノマニア城で睨み合って以来だ。アケミやブラックダガーの面々からカリアについては好印象との報告を受けていたが、やはり個人的には嫌われているのか。だが、それとこれとは別だ。

「…何故だ? 理由を聞かせてもらおう」

 苛立ちがつい声に乗ってしまったが、カリアは目線がぶれることなく回答する。

「アルタナディア様は心身ともに弱っておられます。今、バレーナ様に、お会いすれば元気を取り戻されるかもしれませんが、同時に、その………甘えてしまわれるのではと思うのです。いや、甘えるのとも違うというか……」

「何が言いたい? はっきり話せ」

「アルタナディア様は…! あなたを王にするために、あなたのために身体を張ってこられたんです! それが成されようという今、部下を死なせて罪の意識に苛まれているアルタナディア様は……自ら王座から退かれるのではないかと不安になるのです……」

「そんなバカな……アルタナに限ってそんな弱音を吐くものか」

 それはカリアに対する反発から出た言葉で、本心ではなかったのだが、

「失礼ですが、アルタナディア様のことをどのように思っていらっしゃるのですか?」

 カリアが明らかに不機嫌になった。

「アルタナディア様は、バレーナ様を愛していると仰いました」

 真っ向からとんでもないことを明かされ、というかまさかこの女の口から「愛している」などと似合わない単語が飛び出してきて、さすがのバレーナもドギマギしてしまう。

 さらにカリアは一歩詰め寄り、バレーナを睨みながら言った。

「好きな人の前で、弱ってる姿を見せられますか?」



「……腹が立つな」

「は?」

 聞こえなかったのではない。バレーナが拗ねたような態度を見せる理由がミオにはわからなかったのだ。

「いや……ミオなら、私が見舞いに来たら迷惑か?」

「迷惑など! そんなことありえません――……が、……フィノマニア城のときのような扱いは、ちょっと……」

「ああ……」

 バレーナはそれ以上この話題を続けるのを止めた。どうやら自分が一番我慢ができない人間なのだと気付いてしまった…。







 イオンハブスへの帰国準備、事業等の引き継ぎ、新体制での人選、国民への声明、議会での所信表明……

「…などなど、本国からアルタナディア様のご意向を窺いたいと再度申し入れがありました」

 ベッド脇でカリアが手紙の内容を伝えるが、アルタナディアは横になって天井を見詰めたままだ。

 現実から逃避しているわけではない。それはとりあえず安堵するところなのだが、ただ、じっと何かを考え込んでいる。

「アルタナディア様……」

「聞こえています。もう二カ月近く国を離れています……本調子でなくとも、戻らなければなりません」

「………」

「…? なんです?」

 急に黙って硬い表情になったカリア。アルタナディアが不審に思って顔を向けると、ややあって立ち上がる。

「…本日から新しい看護師が入りますので面通しを。入ってください」

 部屋の入り口に向かって呼ぶと、少し間があり、遠慮がちな弱いノックの後、ゆっくりとドアが開く。アルタナディアが双眸を見開いた。

「あっ…あなたは……」

 アルタナディアとともに残っていた二百人の内の一人―――アルタナディアがイオンハブスを発ってからずっと世話をしてくれた、サジアートに殺されたと思っていたあの女性看護師だ! ただし、顔の右半分に包帯を巻いて顔を伏せ、気まずい表情をしている…。

「リーサ・カプエルです。今後、彼女にアルタナディア様のお世話をしていただきます」

「………」

 アルタナディアの無機質な瞳がまっすぐカリアに向けられる。カリアもまたアルタナディアを見返す。ピリッと空気が張り詰める……リーサが知る限り、二人の間でこんな対立するような場面はなかったはず。重苦しい時間が流れる……。

「…カリア。彼女の復帰を誰が決めたのですか。イオンハブスから医療スタッフやメイドは呼びましたが、人事を決定できる人間はいないはずです」

「……私が、独断でお願いしました」

「私が部下を死なせてしまったことを気に病んでいるのをあなたは知っているはずです。怪我をしている彼女を見て、私が手放しで喜ぶと思いましたか? 傷付いた彼女を見て、痛惜の念に苛まれるとは考えなかったのですか?」

 アルタナディアの口調は静かに、しかし徐々に強くなってくる。

「……リーサさんにそう言われました。自分が目の前にいれば気にされてずっと思い悩まれるから、アルタナディア様の前には姿を見せないほうがいいと……。でもそれを聞いたからこそ、リーサさんが必要だと思ったんです。だって思い遣っていなければこんな言葉は出ないですよ! この人こそアルタナディア様の理解者じゃないですか! 皆死んで、皆から恨まれていると思っていたけど、そうじゃなかったって証明してくれる人なんです! 陛下を立ち直らせてくれる唯一の人です―――!!」

「………あなたには、私が落ち込んでいるように見えましたか」

「……はい」

 視線がぶつかり合う。ちぐはぐに見えて通じ合っていた二人がどうしてこうなってしまったのか。やはり原因は自分にある……リーサが意見しようか迷っていたそのとき―――

「リーサが望むのなら復帰は認めます。しかしカリア、あなたの権限を逸脱した行為は許されません。一週間の謹慎処分とします。今日から一週間、この屋敷に立ち入ることを禁じます」

 アルタナディアの声が重く響く。カリアは目を見開き、息を飲んで固まっている。が、さらに冷たい言葉が追い打ちをかける。

「出て行きなさい」

「お、お待ちください陛下――」

 リーサがたまらず口を出すが、

「…失礼します」

「あっ…!」

 カリアは頭を下げて、静かに出ていった…。

 残されたリーサはしばらく思い悩んだ末、決心して切り出した。

「あの、陛下…畏れながら申し上げます。カリア様の行動は陛下のお気持ちを慮ってのことで……今の仕打ちは、あまりかと…」

「私のためなら何をしてもいいわけではありません。何事にもルールがあります。この先、私は様々なものと対峙することになるでしょう。百九十二名という、決して少なくない犠牲者を出してしまった責任を問われることにもなります。私の側に侍るなら、上げ足を取られるような軽率な行動をしてはならないのです。そして私も、私情に駆られてはならない……私にとってもカリアにとっても、自覚しなければならない時期が訪れたという事です」

 リーサは具申したことを即座に後悔した。アルタナディアは本物の女王になろうとしているのに、つまらない情動で妨げてしまうところだったのだ。

「大変申し訳ございませんでした。陛下の深いお考えも知らず、出しゃばったことを致しました」

「構いません。時間を作るいい機会でしたし………ですが、それよりもまずは…」

 アルタナディアはベッドから降り、離れて立つリーサの元へ歩み寄る。線の細い華奢な身体はやつれて足取りもおぼつかない。ふらりとよろめいてリーサは咄嗟に手を伸ばすが、アルタナディアはその手を強く握り返してきた。その瞳は先程までの冷たく感じた表情とは一変し、溢れる感情で潤んでいた。

「よくぞ……よくぞ生きていてくれました……」

 ぽろぽろと流れる涙……その熱さがリーサの胸を打つ。

「サンジェル様が逃がして下さいました……。その途中で私は崖下に滑り落ち、気を失っていたのですが、エレステルの方々に助けられました」

「……よければ、その包帯を取ってくれますか」

 リーサはわずかに戸惑ったが、顔の右半分を覆っていた包帯を解く。美しい彫刻にヒビが入ったように、リーサの額から目尻にかけて傷が現れる。傷そのものは治りかけているが、痕が残るであろうことは間違いない。

「………ごめんなさい」

 アルタナディアは申し訳なさそうに顔を伏せる。

「いえ、陛下がお身体に受けた傷に比べれば、このようなものは…」

「メイドのジェーンはあなたととても仲がよかったと聞きました。彼女もまた、私のために、私の目の前で殺されました。私はあなたからたくさんのものを奪ってしまったのです」

「それは違います、陛下! 全てはサジアート軍が非劣だったからで、陛下の責任ではありません」

「………本当に?」

「え…?」

「本心から、そう思っていますか」

 口調に気押されるような重みを感じ、リーサは即答できなかった。アルタナディアの瞳は、また強く鋭い光を放っている。悲しみに沈む少女ではなく、先を見据え、前を見続ける王のそれに代わっている。この前で下手な嘘は通じない……。

「……エレステルに行くことさえなければ、こんなことにはならなかった……私だけでなく、遺族の多くはそう思っていることでしょう。ですが、立った一人、ガムシャラに進む陛下を見ていた私は、悔しかったのです。いえ、エレステルに残った二百名は全員同じ気持ちでした。どうしてお力になれないのかと。少しでも支えになれないのかと。だって……天涯孤独の少女一人に国の命運を背負わせるなんて酷だと………ジェーンも言っていました……」

 リーサの眦からも涙が零れ落ちる。震える肩を、アルタナディアの腕がそっと抱いた。

「私のために、そこまで……。あなたさえよければ、また私の側にいてほしいと思います」

「ですが……」

「また危険な目に遭うかもしれません。いえ……私の側にいる限り、その危険は常にあることでしょう。それでも……カリア流に言えば、あなたは私の良き理解者です。これからもどうか、私を支えて頂きたいのです……」

 アルタナディアは離れて一歩下がり、まっすぐに立つ。命令ではなく、女王としてではなく、対等な目線で懇願している……それはリーサの主観で、思い違いかもしれないが、単に自分を不憫に思っているだけでないことは伝わった。

「……畏まりました。サンジェル様や皆の遺志を継ぎ、女王様にお仕えいたします。これからもよろしくお願いいたします、アルタナディア様」

 膝を着き、傅くリーサの前にアルタナディアは右手を伸ばす。手の甲にキスをして忠誠の証とするのは、本来騎士や大臣にしか許されない行為だ。さすがにこれには躊躇したリーサだが…

「私の方こそお願いします。リーサ」

 柔らかな眼差しを受けたリーサは、アルタナディアの白い手を取り、厳かに口づけた。

「…では早速ですが、一つお願いできますか」

「はい、何なりと」

「一週間で復調するために、私の体調管理をしてください」

「一週間…ですか?」

「そうです。イオンハブスに戻れば私は眠るのも困難なほど忙殺されることでしょう。私に取り入って利権・復権を得ようとする連中とも向き合わねばなりません。それに一週間経てばカリアが戻ってきます……カリアはきっと何かしら強くなって戻ってくるでしょう。私もみっともない顔はできません」

「………」

 言葉が出なかった。あんな風にぶつかり合っていて、アルタナディアはカリアに絶大な信頼を寄せているのだ。それが羨ましくもあり……ひょっとしたら自分とジェーンも同じだったのかもしれないと、リーサは思い耽ったのだった。




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