決戦(8)
四階に駆けあがれば、もう迷う事はない。兵もおらず、ドアを開けて突き進めば目的の場所に出た。
談話室か、会議室か……いずれにせよ広い。中央に置いてある机は左右に十二脚ずつ並べられる縦長の大きなものだが、それもこの部屋の中ではぽつんと置いてあるようにしか見えない。最上階だからなのか天井も一際高く、どうすればぶら下がっているシャンデリアを掃除できるのか見当もつかない。
そのだだっ広い空間の向こう側に目的の男はいた。サジアート=ドレトナ。野心溢れる男だったはずだが、追い詰められた今は怯えた猫のように肩を縮こまらせて身構えている。そしてその部下か、仲間の貴族らしい若い男が数人……その一人に抱えられているのが―――
「姫様っ!!」
カリアが咄嗟に叫ぶ。対し、サジアートは「姫?」と首を傾げる……それで幾分か落ち着きを取り戻したらしい。
「姫とはどういうことだ? まあいいが……とりあえずシロモリはいないようだな。ん? ということは、ガドランはこの女二人に負けたのか! なんと情けないヤツだ……! それにダカンはどこへ行った!」
サジアートが騒ぎ立てるが、周りは誰も答えない。一人だけ喚いているようにも見えるが、サジアートはそれなりに図太い神経の持ち主のようだ。口調は慌てているが混乱してはいない。おそらく普段からこうなのだろう。
しかしそんなことはどうでもいい。問題はアルタナディアだ。男の一人に半ば引きずられるように抱えられたアルタナディアはぐったりとしていて、遠目に見ても血相が悪い。意識があるのかどうかもわからない。
「アルタナディア様! 大丈夫ですか!?」
「………」
アルタナディアはわずかに首を上げるが…またガクンと崩れる。
「くそっ…貴様!」
「おっと! そこを動くなよ! 見ての通り、女王様は人質だ。奇襲とはいえ、よくも貴様ら人質がいるとわかっていて乗り込んできたな……アケミ=シロモリの発案か? ヤツは得体がしれん…まあいい、とにかくだ! 武器を捨てろ! とくにそこの弓の女! お前がどれほどの腕前か知らんが、構えた瞬間に女王の腕を落とすぞ。その程度には剣を使えるからな、肝に銘じておけ」
「チッ…」
エイナは弓を捨て、空の矢筒も放り投げる。もちろんそれでサジアートが納得するわけもなく、腰のナイフも外した。
「おい、お前もだ! 貴様、アルタナディアの従者だろう。さっさと武装解除しなければ本当に腕を斬り落とすぞ!」
サジアートはくいっと顎で合図し、男達が怖々剣を抜く。敵が迫ってきて震えているのか、はたまた普段剣を使い慣れていないのか知らないが、手つきが危なっかしい。いつアルタナディアを傷つけてしまうかわからない。
「…おい! お前、何をやってる! これ以上向こうを刺激するな! 今は剣を捨てろ…!」
エイナが声をかけるが、カリアは固まったように動かない。
その視線の先には――――アルタナディアがある。
(なんだ……?)
カリアの目はアルタナディア一点に注がれる。今、一瞬、アルタナディアが何かを言ったような……訴えかけたような気がしたのだ。口が動いたか、目が合ったか……何か意志を感じた。
またアルタナディアの首が動く。今度ははっきりと視線を捉えた。アルタナディアの顔は衰弱して虚ろだが………その瞳には暗い光が見える。
(……??)
ただ弱っているわけではない。具体的な何かを示す目配せでもない。何か、何かを訴えかけている。
なんだろう……心がざわつく……。
「――キサマっ…聞いているのか! 剣を捨てろと言っているだろ!!」
「カリア! いいからまず剣を離せ! 奴を許せないのはわかるが、一旦剣を置け!」
許せない? なぜ?
(……ああ、そうか。そういうことなのか…)
カリアの中で答えがはっきりと形になる。そして迷った。
本当は気付いていたのかもしれない。アルタナディア様が何を求めているのか……何を望んでいるのか…。ただ、アルタナディア様がそんな感情を表したことを自分自身認めたくなかったのかもしれない…。
どうする? どうする!? 私の考え過ぎなのか!? それとも―――…
「――もう待たん!! ふざけやがって……血を見んと理解できんようだな!!」
「――! ま、待て! わかった、剣を捨てるっ………」
一か八かだ……自分の想像が杞憂であればいい……!
腰からサーベルを鞘ごと外し、抜く。先の折れたサーベルをクルクル回し、ぽーんと高く……天井すれすれまで投げる。それは山なりの放物線を描き、アルタナディアを捕らえている男に向かう。
「…!?」
男が――男だけでなく、その場の全ての人間がサーベルを追って天を見上げ、ゆらりと落ちてくる剣に注視したその時、視界の外から物体が飛来する。カリアの鞘だ。サーベルの後に、サーベルより低い軌道で投げられたそれは、アルタナディアを捕らえている男の元へ―――
「うおぁっ――!!?」
男はとっさに鞘を避けて転げ回り、刹那遅くやってきた剣は、その場に残された少女の手に……
「……あ!!」
サジアートが声を上げた時はもう遅い。先程まで死に体だったはずのアルタナディアの瞳に光りが点った瞬間、つむじ風のような剣閃が男達を襲った。たった三歩…足運びこそダンスのステップように優雅な動きだったが、太刀筋はまるでわからなかった。それほど無駄のない、完成された剣技だったのである。
残ったサジアートはようやく最大の過ちに気付く。この女は単なるバレーナの妹分ではない。アケミと同じ類の人間だ。天性の才能を持ち、行動は得体が知れない。か細い少女に見えようが、弱って今にも死にそうであろうが、決して気を許してはいけない存在だったのだ…!
アルタナディアが迫る……わずか一呼吸の動きだったが、息は切れ切れ、足取りは引きずるように重い。だが、それでも……!!
サジアートは迷わず全力で剣を振り下ろす。これでも父親が存命の時は兵役に就かされ、格好が付く様に腕を鍛えた。動機こそ不純だが、積み重ねた実績は本物で、至極真っ当な実力を持っている。
しかしその努力も露と消えるほどにアルタナディアは圧倒的だった。滑らかに前進、回転しながら避け、すれ違い様にサジアートの腕に二撃! それだけでも神業だというのに、自らのダメージを認識してサジアートは驚愕した。腱と肘を正確に切り裂かれている…!
「ぐあああ……っ!」
もはや右腕は動かない……辛うじて肩からぶら下がっているだけだ、剣など握れるはずもない。決着がついたのは誰の目にも明らかだった―――ただ、一人を除いて。
「ま、まて!? うおおっ!?」
利き腕から出血が止まらないサジアートをさらに斬りつけるアルタナディア。髪は乱れ、服も着崩れ、白百合の如き凛とした美しさは見る影もない。ただ、暗く虚ろな瞳ははっきりとサジアートを捉えている…。
死ね…
言葉になったかもわからないかすれた小声ははっきりとカリアの耳に届き、はっと我に返る―――
「待ってっ……お止めくださいアルタナディア様! そんな男の血で手を汚してはなりません!」
駆け付けたカリアが後ろから抱きとめるが、アルタナディアは剣をガムシャラに振って、殺意のままになおも斬りかかろうとする。それは、誰も知らないアルタナディアだった。
「離しなさい! この男は死ななければならない! この男は、この男だけは…この男だけはッ――…!!!」
「―――だとしても、それはお前の役割じゃない。そう言ったのはお前自身だぞ」
アルタナディアの前にぐっと赤い手が伸びてくる。アケミだ。ギャランとノーマンもいる。大勢のサジアート兵を葬り、駆けつけたのだ。
アケミの黒く艶やかだった髪は降りかかった血で所々固まり、色あせていたコートは鮮やかな赤で染め上がっている……むせ返るほどの返り血を浴びている。声音こそいつも通りだが、姿を見ればどれほどの敵と戦ったのか一目瞭然。アルタナディアですら、ただただ圧倒された……。
「まあそういうことだから……いいな? サジアート」
腰を抜かすサジアートの前に立つアケミ…。すぅっと息を吸い、吐き出すと、真っ赤な血が滴る長刀を大上段に―――…
「やっ、やめっ―――」
豪快に空気を薙ぐ音を立てて振り下ろされる。だがサジアートは無傷……切れたのは意識だけだった。白目を剥いて気絶している……。
「バカが、こんなところでひっそり殺すか。公開処刑に決まってるだろ。ノーマン、コイツを縛って括りつけとけ。エイナとギャランは屋敷を捜索して残りがいないか確認しろ。投降した者や非戦闘員は連れてこい。それと……水を汲んでこい。桶と樽で一つずつ。あたしはちょっと休む」
「えー…」
ギャランが頬を膨らませるが、エイナが後ろから襟を掴んで引きずり出していく。エイナ達三人(とノーマンに抱えられたサジアート)は部屋を出た。
残ったアケミは長刀をコートの裾で拭いながら(懐紙はなくなった)部屋を見回す。サジアートに協力していた若い貴族たちが斬り倒されている……それも一人一太刀、確実に急所を狙っている。アルタナディアの剣がどのようなものだったのかわからないが……もし完全な状態で、殺意のままに剣を振るえていたら……。
「アルタナディア様、大丈夫ですかっ…お怪我は、熱は……」
立ち尽くすアルタナディアをぺたぺたと触り、確認するカリアの視線はやがて血の付いたサーベルへ移る。
「あの、これは、その……返していただきますね…」
カリアが、握りしめていた剣をやんわりと取り上げる。アルタナディアは特に抵抗しなかった。
「カリア……」
「はい、何でしょう?」
「私がいたイオンハブスの陣営はどうなりましたか」
息を詰まらせるカリア。やはり先程サジアートに向けたのは復讐の怒り…。
「私も、自分で確認したわけではありませんが……陣営は壊滅、全滅したと……聞いています…」
「そうですか……」
項垂れるアルタナディア……いや、カリアもそうだ。ここに来るまで考えないようにしていた。カリアに近い年齢の者ばかりで、これからの女王を支えてくれる仲間ばかりだった。被害は、あまりにも大きい…。
二人の間に会話が無くなる。間近で向き合っているのに、視線が合わない……。
「……私、の」
アルタナディアが絞り出した声は啜りなくような嗚咽を含んでいる……いや―――
「私の、せいですっ……!」
アルタナディアは泣いていた。一筋流れ出た涙、その後は堤防が決壊したかのように涙粒が溢れてくる。
「私が、強引に軍を動かしたから、こんなことに…!」
「それは違います…」
「バレーナを助けたいわがままで、皆を巻き込んでしまった…!」
「違います…」
「私なんて王でもなんでもない!! こんな、こんな無能な私のせいでっ――」
「違います――!!!」
アルタナディアを抱きしめるカリアの腕は、熱を持った細身が軋むほどに強かった。
「みんな…みんな、アルタナディア様を守るために死んだんです! 自分の意志で、女王に命を捧げたんです! だから……そんな風に自分を責めないでください…! アルタナディア様が自分をおとしめたら、彼らの命が、無駄になっちゃうじゃないですか……」
「…! っ……ぅ…ぁ……あああああぁぁああぁ!!!」
絶叫するアルタナディア、その顔を自分の胸元に押しつけるようにカリアは抱く。
カリアは慰める言葉を持っていない……結局、アルタナディアを追いこむことしかできない。ならせめて、声が外に漏れないように包みこんで差し上げるだけだ……。
――そんな二人を離れて見て、アケミは自らの弱さを悔やんでいた。
アルタナディアの命は救った。
だが。
アルタナディアを守ることは、できなかった。
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