決戦(5)
挑発に乗る形になってもオーギンの戦術は冷静だった。五百余名の兵の内三百を後方に現れたバラリウス軍に充てる。オーギンはバラリウスを侮ってはいない。むしろ一番脅威に感じている。バラリウスが第一大隊の隊長に就いているのはベルマンによる実質的な後継指名である。そしてその実力は誰しもが認めるところだ。齢四十のバラリウスは戦士としても将軍としても今が成熟期と言える。そして連なる配下も実力・経験値において圧倒的なベテラン揃い。バラリウスが連れてきた百二十三名は間に合わせではない。どんな状況に即しても自信のあるメンバーなのである。そこに三倍の兵をぶつけたオーギンの判断は正しい。撃退できると思ってはいないが、要はいくらか時間が稼げればよいのである。肝心なのは前方の二十数名―――バレーナの集団だ。こちらは十倍の兵をぶつけることになる。蹂躙し、バレーナを連れ去るのは造作もないこと……のはずだった。
「何をやっている……なぜ崩せんのだ! 女たちが寄り集まっただけではないか!!」
バレーナ達を攻撃するオーギン兵はもたついているというより、はっきり打ち負かされていた。
まず前衛の二人、ミオとマユラが立ちふさがる。マユラは元盾兵である経験を存分に生かし、騎兵相手でも引けを取らない。一方、ミオは―――
「くそっ、どこへ行った!?」
「今左に―――うおっ!!?」
ミオは身長百五十センチそこそこ、戦士としても小柄であり、さらに武器が短剣である。馬上の兵からすれば虫を潰すような小ささだが、誰一人としてその姿をまともに捉えられない。そして見失った瞬間、死角から必殺のナイフが飛んでくる―――頭や胸にナイフを突き立てられ、また三人が馬から落ちる。
「ガキが―――!!」
ミオを捉えた一人が槍で突くが、紙一重で回避し、一気に馬に飛び乗ると、その勢いのままにミオの愛剣が喉を切り裂く。電光石火とはこのことである。
獅子奮迅の戦いぶりを見せる二人だが、当然攻め込む全員を防ぎきれるものではない。二人を抜けた多くの兵が次々とバレーナを襲う。だが、バレーナは剣を抜いてもそれを振り上げることはなかった。周囲のブラックダガーの前にオーギン兵は次々と倒されていったのである。
ブラックダガーは一人がラージシールド、残り二人が長槍を持つ三人一組六班に分かれ、バレーナの周囲を守る。さらにバレーナの脇を騎乗した弓兵のソウカと槍兵のミストリアが固め、その後ろに控えるロナは全員のサポートを務める―――これがブラックダガーの最も得意とする防御陣だった。
三人一組の小隊は一人が壁役に徹し、槍を持つ二人で敵一人を攻撃する。もちろんそれを突破する実力の強者もいるが、それらはミオとマユラに狙い撃ちされるか、ソウカとミストリアに始末されるか、あるいはバレーナ自ら迎え撃つ。ただし現状、防御陣の中心にいる三人の出番はほぼない。圧倒的な兵数で攻められているはずのバレーナたちには十分に余裕がある。
「弓で狙え! 遠距離から射かけろ! 多少味方に当たっても構わん!」
焦り始めたオーギンがチープな命令を出すが、部下は肯定的な返事をしない。
「駄目です! 横風が強く、矢が真っ直ぐ飛びません!」
しかしまさにその瞬間、オーギンの視界で兵士が射ぬかれた。
「敵の矢は当たっているではないか! どうなっているのだ!!?」
「わ、わかりません、偶々では…」
――また二人射抜かれる。ブラックダガーで弓を構えているのは馬上のソウカだけだ。矢を受けた者を見れば、ソウカがオーギン側の上級戦士や弓兵を狙い撃ちしているのは明らかだった。
「言い訳はいい! 後ろにはバラリウスがいるのだぞ! 狙うのが難しければ数で押せ! あの弓兵を黙らせなければ前に出られん……早々に撃ち殺すのだ!」
オーギンの命に従い弓隊二十人が一斉に矢を放つものの、やはり風に流されて逸れてしまう―――が、束になって放たれた影響か、一本だけが矢を番えるソウカの元へ――…!
「あぶな――!」
バシッ――!
ロナが声を上げたが、それだけだった。飛んできた矢はソウカの鼻先すれすれでミストリアの槍に弾き落とされる。だというのに、ソウカは構えて狙いを付けたまま微動だにせず、瞬き一つしない。ミストリアが舌打ちしたのをロナは聞き逃さなかった。ミストリアはわざとギリギリで矢を落としたのだ。
「ちょっと! 悪ふざけしてる場合じゃないでしょ!」
「そんなつもりはない。それにこいつ、今だって聞こえてないし」
ミストリアの言う通り、ソウカは前だけを見つめ―――静かに矢を放つ。解き放たれた矢は明後日の方向へ飛び出すも、風に乗って軌道を変え、スピードはさほどでもないのに、低い軌道で驚くほどの距離を飛び………吸い込まれるように敵の眉間に突き刺さる。続けて二射、三射と放った矢は全て命中した。
「ロナ、次。まだ三百三十二人残ってる」
「あ、はい…」
ストックから矢を三本渡す。これで七回目だから、全て急所に命中しているならソウカだけですでに十八人倒していることになる。矢は個人が装備する矢筒ではなく五十本を籠に入れて持ってきているが、ソウカ一人が使って終わるかもしれない……。
と、ミオがバレーナの元へ戻ってくる。ソウカが弓兵に反撃したことで一時的に敵の矢が止まったのだ。
「バレーナ様、ご無事ですか?」
「問題ない。ミオの方こそ大丈夫か」
「まだまだいけます!」
「オレはいつでも代わるぞ」
ミストリアが馬上からミオを見下ろして鼻を鳴らすが、
「ミストがいるから皆戦える。それにミストの出番は後でくる…そうですよね、バレーナ様」
「ああ、その通りだ」
ミオとバレーナの不敵な笑みにミストリアは目を丸くした。この防御陣の要である自分の出番が来るとしたら、攻勢に転じる時だ。つまり――……
「……フフフ、了解」
ミストリアは愉悦を浮かべる。ロナには生粋の戦士であるミストリアの感情の機微は理解できないが、フラストレーションがいくらか解消されたようなので良しとする。
「ロナ、ナイフ―――」
「あ、ゴメン……あと三本」
「三本」とはシースベルトの本数のことだ。つまり投擲用のナイフはあと四十八本ある。
身体に巻かれたシースベルトを手早く交換しながらミオはブラックダガー全員を見回した。
「みんな、まだ力はある!?」
ミオの問いかけに、皆頷く。ミオは泥と汗にまみれているが、その瞳からは闘争心がヒシヒシと伝わってくる。小柄な体躯とは対照的に大きな存在感―――最年少でありながら精神的支柱であるミオの激は、少女たちを戦士に変える。
「我々ブラックダガーは今日、この日のためにいる! 全員揃えば負けるはずがない。それは皆がわかっていることだ! 必ずここを乗り切るぞ!!」
「「「オオー!!!」」」
たった二十人とは思えないほどの気合いは距離の離れたオーギンの背筋をもわずかに震わせた。
「ではバレーナ様、行ってきます!」
「無理はするな」
「ミオ、ちゃんとお姉ちゃんが援護するからね」
右手でロナに次の矢を要求しながらソウカがミオに満面の笑顔を向ける。
「よろしく!」
手を振って駆けていくミオの背中を微笑ましく眺めるソウカを、ミストリアはじとりと睨む。
「毎度だけど、姉じゃないだろ」
「血縁関係があるのだから姉妹と呼び合っても問題ないわ」
「血縁関係って、イトコですらないだろ…」
ミオに向けられたのとは正反対の鋭い眼光を感じてミストリアはぱっと目を逸らす。これは矢を射る時の目だ……。
「二人とも、真面目にやりなさい! 油断していい状況ではないでしょう!」
ピシャリと叱咤を飛ばすのは、普段から口うるさいイザベラだ。しかしそれに続いて周囲を固める他のメンバーは問題児二人に対してブーイング。その中心にいるバレーナは苦笑した。
「バレーナ様…?」
ロナが声を掛けるとバレーナは口元に手を押さえて咳払いする。
「いや、すまん……戦場だというのにここの居心地がよくてな……一カ月は思いのほか、長かったのだな」
皆が静まる……。理解したのだ。先程の一体感を長らく失っていたのだと。そして二度とバレーナから離れてはならないと―――。
「……ソウカ、向かってくるヤツはいいから遠くの将を狙え。オレもそろそろ準備運動に入る」
「出番、なくなるわよ」
「言ってろ」
それぞれ武器を握りしめ、未だ十倍以上の敵兵をまっすぐ見据える…。
ブラックダガーに、火が付いた。
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