決戦(3)

 朝日とともに現れた影に、バレーナは色を失っていた。

 マカナの町から西の地点。エレステル側にかけては緩やかながら連続した丘陵地が続く。木々などの障害物が少なく、一見見晴らしがいいようだが、実は数百メートル先も見えていないことが多い。検問所まではその丘と丘の間を縫うように自然にできた道を通るのが一般的である。フィノマニア城からグロニアへと直線的に続く中央街道もこの辺りはほとんど手が入っていない。

 その丘の向こうから姿を見せたのは、騎乗し、鎧を纏った男達だった。その数は三、七、十二、二十……数えられないほどどんどん増えてくる。しかしその軍勢よりも、先頭集団の中央付近にいる一人の「男」がバレーナの視線を奪っていたのである。

 並走していたミオがバレーナを庇うように馬を前に出す。ミオも「男」を見て、この集団が敵であると認識している。

 蹄の音が響く……夜が明けたばかりの丘はまだ静かだ。声が届く距離で集団は静止し、向き合うバレーナは声を絞り出す―――。

「……ここで何をしている、オーギン」

 呼ばれたオーギン=ヴォンは口角を上げて薄く笑う。最高評議院の議長であるオーギンは、バレーナも見たことのない鎧姿で武装していた。それが意外なほどにしっくりくる。元々戦士志望だったという話は聞いたことがあったが、それも三十年以上前で、父の後を継いで文官になったという。実際兵役に就いていた期間はないと聞いていたが、目の前のオーギンは議長席に座しているときとは異なる風格に満ちている。

 バレーナは少なからず脅威を感じたが、咄嗟に出た第一声は悪くなかった。敵対してどうにかできる現状ではない。それに、グロニアから久しく離れていたが、まだ自分がちゃんと王族であると自認できたことも大きい。

 オーギンは小さく息を吐きだすと、恭しく頭を下げた。

「これはバレーナ様、よくぞご無事で。心配しておりました」

「これはどういうことだ。なぜ貴様が軍を率いている。貴様に指揮権はなく、そもそも軍属の無断侵入は二国間での協定に反する」

「問題ございません。これは私兵にて」

「私兵だと…!?」

 しかしオーギンが引き連れた兵士の装備はどれも一級の戦士が纏う豪奢なものだ。それに自宅警備などの名目で個人が雇える戦士の上限は二十人と決まっている。

「…バレーナ様、目算ですが五百は下りません…」

 ミオが目を合わさずに小声で伝えてくる。個人が雇うには莫大な資金が必要だが、今はいい―――

「…ここにいる目的はなんだ。理由を言え」

「当然、バレーナ様の救出でございます。決闘にて敗れたとの噂を耳にいたしましたが、あのアルタナディアの華奢な体躯を見れば、そのようなことあるはずもございません。バレーナ様が親愛の情を注ぐのを逆手に取り、一方的に斬りつけたに違いないと我々は見ているのです」

 密かに腰の後ろの短剣を握るミオの手が一瞬迷うような動きをしたのをバレーナは見る。さすがオーギン、話術が巧みだ。一々筋が通っているように聞こえる。しかも「我々」という言葉からまだオーギンに有力な味方がいるようにも捉えてしまう…。

「軍を率いて突如現れたアルタナディアはバレーナ様を人質にしていることを暗に臭わせ、不当な要求をしてきたのです。それこそ協定違反である軍の侵入、合同演習という名の軍事技術の収奪、挙げ句の果てにはバレーナ様を王座に就かせることを強要……これはもっとも許されてはならないことです。バレーナ様はエレステルの歴史上でも稀に見る才格をお持ちのお方。いずれ間違いなく、名実ともに王になられるでしょう。しかしアルタナディアは我が国の伝統を無視し、ジレンを買収してまで王室に介入してきました。この結果、アルタナディアとバレーナ様が共謀しているのではないかという誤解まで生じ、バレーナ様への不信感も生まれることとなったのです。これ以上の暴挙は許されませぬ。ゆえにバレーナ様をお救いして国元へお戻りいただき、アルタナディアの蛮行を白日のもとに曝すことが重要であると確信し、参った次第でございます」

「………」

 百パーセント口から出まかせというわけではないだろう。「ともすればそうも取れる」という程度には真実を交えているはずだ。ということは……

「それで? 私は女王として認定されたのだな?」

「……なぜそのように思われるのです?」

「アルタナが生きているからだ。アルタナが死んでいたり囚われたりしているのであれば貴様もこんな無茶はするまい。なるほど、いい情報が手に入った。アルタナはジレンを『説き伏せた』のか……フッフッフ、さぞ慌てたであろう。まさかそんなに暴れ回るとは思っていなかっただろうからな―――ならば女王権限で命ずる。貴様ら、ただちにこの地から撤収せよ」

「………は?」

 オーギンの表情が歪む。

「どうした? 王が法に則って非常時と判断した場合、最高評議院の承諾なしに軍の運用ができることは知っていよう。そして王が不在の場合、女王にその権限が移ることも」

「それは…」

「ああ、貴様はさっき私兵がから軍属ではないと言っていたな。しかし貴様はエレステルの臣下であり貴様所有の兵はイオンハブスにとってエレステルの軍事力とみなされる。私は現在アルタナディア女王よりイオンハブス国主として代執行する権限を与えられている。その私が貴様らの侵入を違法だと認識している。だからエレステル女王として撤収を命ずるのだ」

「……なんと……」

「さあ、即時撤収しろ。それとも戴冠式の済んでいない女王の言葉は聞けんか? 先程の話からすれば、貴様が一番私が女王になることを望んでいたようだが?」

「………」

 オーギンが沈黙する。が、周りを囲む兵たちは一切動揺していない。これはつまり―――…

「……クッ、敵いませんな。こんなところで遭遇してしまわなければ、説得を試みなくてもよかったのですが、どうやら藪を突いてしまいましたか…」

「咄嗟に思いついたわけではあるまい。そうでなければあれほど立て続けに屁理屈を並べ立てることはできんだろう。もっとも、普段とは違うその饒舌ぶりが疑わしい根拠の一つとなったのだがな。で? 貴様の目的はなんだ? 仮に………目指すのがフィノマニア城の占拠だとして、他国のど真ん中の城を取ったところで、すぐさま補給を断たれて終わるぞ。そのために私を人質にしたとしても効力が期待できるかは五分五分だな。先が続くまい」

「確かにそれだけでは足りませんな。しかしアルタナディアを人質にとればいかがでしょうか?」

「なに…っ!?」

「現在エレステルでは内乱が起こっておりまして、第一大隊と第二大隊がこれの鎮圧にかかっておりますが、どうやら首謀者はジャファルスとも繋がっている様子……潜入していたジャファルス兵が加勢し、大分もたついているようですな。そしてその戦線にアルタナディア女王も、わずか二百弱の手勢とともに参加しておられます。しかし女王陛下は体調が思わしくないようです。初陣同然であろう兵士たちも善戦できればよいのですが…」

「バレーナ様……!」

 ミオが訴えかける。バレーナも気付いている……これは二面作戦だ。

「なるほど……同時に二国の王を攫い、二国とも手に入れる算段か。順序としては人質を取った後、イオンハブスを手に入れるのが先……そうすればジャファルスと連携してエレステルを挟み撃ちにできるからな。アルタナを取られたイオンハブスは脅迫に従い、全兵力で国境を封鎖すればよい。その間にジャファルスが猛攻をかける手はずか…」

「ご慧眼、恐れ入ります。なぜ病弱であったヴァルメア王からバレーナ様のような『戦姫』と呼ばれるほど猛々しお方が生まれたのか、不思議でなりません」

「事を起こす理由はなんだ? 征服欲か? サジアートに比べれば野心家には程遠いな」

「…心外ですな。私をあのような青二才と比べられるのですか」

 わずかにオーギンの声が苛立つ。

「サジアートは阿呆だがギラついている。だから同じ若者が惹かれて集うのだ。それに比べ、貴様は枯れているな」

「何…だと…!」

 それはオーギンの奥底に隠していたプライドを傷つけたのか。オーギンの肩が震え、鎧をカチャカチャと鳴らす。

「私は衰えてなどいない…! 年老いたとはいえ、私は今でも戦士だ! 運命に恵まれず、早々に退役することになったとはいえ、一日たりとも剣を握らなかった日はなかった! 若くして士官になるべき才能と実力に恵まれていた私が、三十年以上も己を鍛え続けてきたのだ! 熟達の域に達しこそすれ、枯れているはずなどない!」

「なるほど、その辺りが動機か…。二国を滅ぼさんとする作戦の立案と手際の良さには確かに才能を感じるが………やはり貴様はサジアート以下だな。人の上に立つ器ではない。貴様には議長席がふさわしい。『収まるべくして収まった』―――それが私の、お前に対する評価だ」

「きさまっ―――!!!」

 オーギンが剣を抜く―――次いで他の兵士が一斉に武器を構える!

「どれほど高慢な態度を取っていようと、エレステルとイオンハブスは滅びる! この私の手によって!」

「―――それは、今ここでバレーナ様が囚われればの話だ」

 ミオが馬から降り、立ち塞がる。五百の軍勢の前に、十五歳の少女一人が、だ。

「バレーナ様、ここは私が食い止めます」

「任せる……昨夜の話を忘れるな」

「私の命はバレーナ様のものです。このような場で捨てるほど安くはありません」

「フッ…わかっていればいい」

 このやり取りを見せつけられて、いよいよオーギンは怒りに震えた。

「ふざけるな!! そんな小娘一人で何とかなると思っているのか!! 姉の真似をして、姉以上のことができるとでも思っているのか!? つくづくシロモリのガキどもはっ…!!」

「姉は関係ない。ただ、貴様ら五百は私一人以下―――それがバレーナ様の評価だ」

 明らかな挑発は敵の意識をミオ自身に引き付けるためだ。バレーナが逃走し、タイミングを見計らってミオも逃げる―――それが一番生存率が高い。ただし囲まれて逃げ道を塞がれては元も子もない。

 この丘陵地帯は一度距離さえ取ってしまえば逃げ切れる可能性は高い。丘によって高低差が耐えず変化し、ほとんど木々がないため風もある。弓で狙撃するには相当の腕が必要だ。しかし―――果たしてミオが無事に済むかどうかは、半信半疑であった。

 せめて、彼女たちがいてくれれば―――……

「―――バレーナ様ぁ!!」

 遠くから……後ろからバレーナを呼ぶ声がする。振り返ると、今思い浮かべていた顔ぶれが駆けつけてくる! 幻覚かと一瞬本気で疑ってしまった自分にバレーナは苦笑する。

 マユラ、ロナを始めとし、集まる少女たち。ミオを隊長とし、バレーナの力となる総勢二十三名の親衛隊―――ブラックダガーが集結した!

「はぁ、はぁ……もう! なにしてるんですかバレーナ様! 味方が来るかもしれないから中央街道沿いに行けって仰ったのはバレーナ様じゃないですか! 合流するまで待っててくださいよー!」

 場をわきまえずに喚き散らすのはアレインだ。アレインはロナからの連絡を繋ぐ役割を担っていて、バレーナがフィノマニア城から出る際に味方と入れ違いにならないように中央街道をまっすぐ進んでいたのだ。

「みんな……どうしてここに…」

 ミオは未だに信じられないといった面持ちだが、

「アケミ様が送り出して下さったのよ」

 ――ナイフが十六本収まったシースベルトを手渡すロナの回答に、渋い顔をした。

「じゃあこれも…」

「お姉様から」

 姉からの武器を渋々受け取るミオ。しかもこれだけではなく、全員がフル装備と言っていい出で立ちだ。通常なら検問所を通過することはできないはずだが、これも姉の手によるものか―――。ミオはとにかく気に入らないが、それは二の次である。今は何よりも来てくれたことが嬉しく、心強い!

「…フ、フッフッフ…」

 オーギンが笑いだす…いや、オーギンだけでなく、周囲の兵士もうすら笑いを浮かべている。

「俄然やる気のようだが……小娘が束になったところで勝てると思っているのか?」

「バレーナ様がグロニアに辿りつければこの戦いは勝ちだ。私たちが揃えば、十分に望みはある」

「この兵力差を覆せると本気で考えているのか!?」

「差があるのは兵数だけだ。兵力じゃない」

そう言い放つミオとその後ろに並び立つ少女たちの表情に恐れはなく―――「実戦経験のないお前など相手ではない」と言われているようにオーギンには感じられた。

「――――ッ!!」

 オーギンが剣を振り上げようとしたそのとき、地鳴りのような蹄の音が近づいてくるのが聞こえた。今度はオーギンの後ろから―――!!

「――おお! まさかこのような場所で出会えるとは、我らは運がいい! 探しましたぞオーギン議長! そしてバレーナ様!」

 豪快な声とそれを発する鍛え抜かれた巨躯の持ち主は、バラリウスだ。

「バレーナ様、あれは…!」

「援軍だ。ソウカ、見えるか?」

 バレーナが横に馬を並べる黒髪の美少女に声を掛ける。ソウカは静かに目線を流すと三秒後に返答した。

「…百二十三名。おそらく選りすぐりの精鋭ではないかと」

「ふむ………よし! ミオ、作戦を変更するぞ! これより我らは反旗を翻したオーギン軍と戦う! バラリウス、聞こえるか!! バラリウス軍はその位置から我らを援護せよ! この場にいる全軍をもって、奴らのイオンハブス進行を阻止するのだ!!」

「「「はっ――!!」」」

 ブラックダガーが一糸乱れぬ動きで構える。もはやオーギンのプライドはズタズタだ。

「いくらブラックダガーが駆けつけ、バラリウスが現れたといっても、四倍近い差があるのだぞ……悪ふざけもいいかげんにしろ!! 全軍、目標はあくまでバレーナ王女だ! バレーナ王女を攫い、フィノマニア城へ突入せよ!! それだけで勝負は決まる!! 次なる国家の英雄は我々だ―――!!!」

 オーギン兵が一斉にバレーナに向かって襲いかかる! 相対するバレーナ達はバレーナを除いて騎馬二、歩兵二十一。しかし誰一人として、敵から目を反らす者はいなかった―――。





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