決戦(1)
イオンハブスとエレステルを結ぶ中央街道はいつも通り、何の変化もない。特にイオンハブス側は平常そのものであり、ここ数日の出来事といえば、疲弊した顔の騎士団と兵士がフィノマニア城に向かって通過したくらいである。
…時を遡ること六日前、バレーナとミオは機を見計らってフィノマニア城から脱出し、国境の町であるマカナまで辿りついていた。ロナからの連絡の間隔が長くなったこと、そして刺客が現れたことが決め手だった。最短距離である中央街道を抜けてもグロニアからフィノマニア城までは歩いて片道七日。つまり非常事態の報を受けて馬で駆けつけても、事態発生から十日はかかる距離なのである。その点を考慮し、バレーナはギリギリ馬に乗れる体力まで回復したところですぐさま行動を起こしたのである。
そうして訪れたマカナの町での深夜、宿のベッドに一人腰掛けるバレーナは、左手を握ったり開いたりする運動を繰り返す。そして自身の愛剣である黒剣を左手で掴み、持ち上げてみる――…
「…く…!」
肩の高さまで持ち上げられず、ゆっくり下ろす。意識が戻るまで一週間、それから動けるようになるまで一週間―――受けた傷からすれば驚異の回復力だが、二週間も寝たきりでは筋力の低下は著しく、一週間リハビリした程度では元に戻らない。そして深手を受けた左腕にはまだ痺れがある。感覚がないわけではないので麻痺したままということはないだろうというのが医師の見解だったが、回復には時間が掛かるとも言っていた。通常の剣の1.7倍の重量を誇る黒剣を片腕で扱ってきたバレーナだが、今は……。
しばらく見つめていた愛剣を鞘に納めたとき、部屋がノックされる。
「ただいま戻りました。よろしいでしょうか?」
「入れ」
ドアが開いて入ってきたのはミオだ。
「どうだった?」
「はい。数日前にここを通り過ぎた騎士団は滞在可能日数を経過したため帰還したようです。いくらか覇気がなかったのは訓練で疲労困憊していたからだと」
「フ、イオンハブスの兵たちには差を知るいい機会になったことだろう。それで、肝心のアルタナディアについては?」
「まだエレステルに残っておられるとのことですが、その理由を知っている者はいないようです。おそらく上級士官しか知らないのではないかと思われます」
「体調が優れないのか、あるいは他に何かしようとしているのか…」
「接触すれば何か情報を得られると思いますが……」
「誓約書があるといっても、その効力は限りなくグレーだ。実際のところ私は半分捕虜の身であったし、城にいる限り客分として扱われるに過ぎない。アルタナディアから私についての明確な指示がないからこそ危うい立場だと理解しておかなければならない。誓約書は最後の手段だが、『その時』に有効だと思わない方がいい。中央街道を迂回したのもそのためだ」
「では、早々に城を脱出した方が良かったのでしょうか」
「いや、城の中で大人しくしているのが一番安全だった。ウラノがいるからな」
ウラノの名前が出た途端、ミオの顔が歪む。散々な目に遭わされた反面、優秀であることも認めざるを得ない……だからこそ無条件に嫌いになる。そんなミオの内情を察してバレーナは苦笑した。
「そう邪険にするな。ちゃんとアルタナディアの命令通りに私を守ってくれたではないか。あれほど自分の使命に忠実で誇りを持つ者も珍しい」
「ですが歪んでいます! バレーナ様に手を出したこと……私は許せません!」
「大きな声を出すな。夜中だぞ」
はっと口を手で塞ぎ、「申し訳ありません…」と小声で謝罪するミオの頭をバレーナの手が撫でる。
「ミオ、お前は優秀だがまだ子供だ。しかし必ずいい女になる。私もブラックダガーもそれがわかっているからお前を大事に思っているんだ。外野が何をしようが気にするな」
「……私も、姉のようになると?」
「! …ッフフ、驚いたな、ミオにとってアケミはそんなに偉大だったか」
「違っ…そういう意味ではありません! 誰があんな破戒剣士…!」
「あと五年もすれば、お前には嫌でも求婚の申し出が殺到するだろう。牙を剥くより己を磨け。私がお前に甘えられる時間もそうあるわけではないしな」
「え…?」
逆なのでは?と思ったが、バレーナがベッドに潜り始めたため何も言えず、ミオも隣のベッドに入った。
翌早朝。まだ空が白む前にバレーナとミオは人目を忍ぶようにマカナの町を発った。検問所までは馬なら二時間で辿りつける。ただしそこをどう突破するかが問題なのだが……。
「? バレーナ様、前方より何か…」
ミオに言われてバレーナも目を凝らす。空が白み始めたと同時に現れたそれは……
「なっ…なに!?」
全く想像もしていない軍勢だったのだ―――!
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