修練。そして、修練

 返答期限とされた日から二日。

 アルタナディア女王は少しずつ回復の兆しを見せているが、これまでの無理が祟ったのか極端に体力が落ち、会見に臨めるほどではない。イオンハブス兵はその大半が帰還することとなり、軍団を引率するカエノフ騎士団長は泣く泣くアルタナディアの元を去っていった。残ったのは騎士三十名、兵士百五十名、医師と世話係と近衛兵のカリアを合わせた二十名―――総勢二百名である。

 アルタナディア自身も一時帰国する必要があるが、移動できるようになるまではまだ時間がかかる。残った護衛役の騎士と兵士は基本的に待機だが、申請すればエレステルの訓練に参加することは認められた。ただし行動には一定の制限があり、あてがわれた寮には門限も設けられた。詰まる所、飲みに誘われて朝帰りしたり、まして花街に繰り出したりすることは許されないのである。中々に厳しい規律に縛られているものの、残った百八十名の軍属は忠誠心が高く、精神的にも強い者が多いため、さして問題ではない。むしろ引き続き訓練に参加できることに意義を感じる、将来有望な兵士ばかりだった。

 近衛兵のカリアもまた、その一人である。剣士として平均を超えた実力を備えつつあるカリアはエレステル兵たちの間で一目置かれつつも、実力上位の戦士には手も足も出ず、まだエイナにさえ一度も勝っていない…。試行錯誤するも、この際思い切って教えを請うのが一番ではないかと考え至り―――

「……それでワシに稽古をつけてほしいと」

 夕食後、シロモリ邸内の道場にて、正座するアケミの父・ガンジョウと向かい合う。

 目の前の御仁はアケミと血の繋がりがあるとは思えないほど質実剛健な、岩のような存在感の武人である。戦士としてはいささか小兵ではあるが、底知れない実力の持ち主であることがひしひしと伝わってくる。下手な嘘や誤魔化しは通じそうもない。かなり迷ったが、意を決して口を開く―――。

「えと……以前、妹の方の……ミオさんと対決したことがありまして、三回やって一回は勝ったんですけど、内容はほとんど負けで…」

「…………」

「あの、すみませんでした! もう治ってるとは思うんですけど、ケガさせちゃって……」

「それはよいから続けなさい。ただし……そのことは家内には言わぬように」

 「はい」とカリアは答えたが、ガンジョウ師範の表情は少しだけ歪んだままだ。

「えー…それでですね、私は妹さんと同じで両手に剣を持って戦うのが切り札なんですけど、強い人たちには通用しなくて、妹さんの動きを真似てみたのですがやはり結果は同じで……。でも頭の中でイメージしたら妹さんが私のように負けるとは思えないのです。私と妹さんはどこに差があるのでしょうか?」

「…………」

 ガンジョウ師範は目を閉じて黙する。白髪白髭だが、それが初老の厳めしい面構えにとても似合っている。人生を刻み込んだようなシワはとても渋いのだが、ともすれば機嫌が悪いようにも見えてしまう。

「……アケミの剣を見たことは?」

「あります。木剣で、ですけど……ちょっと見た技をすぐ自分のものにして驚きました」

「あやつはあらゆる武具を扱え、あらゆる武術を習得し、そしてその腕はとうにワシを超えておる。なぜあやつに教えを請わん?」

「それは……上手く言えないんですけど、アイツと私の剣は何か違うような……真剣を抜いたところは見たことがないんですけど、なんとなく……うーん、あの殺気でしょうか。ああいうのってどうやったらいいかわからないですし………私の剣はどちらかというと妹さんの方に近いと思います。役回りも被ってますから」

 …これで答えになったのだろうか?

 ガンジョウはまた黙し、ややあって静かに立ち上がった。

「剣を取るがよい」

「は、はい!」

 カリアは壁に掛けられた木剣を二本取り、右手と左手にそれぞれ握り、構える。対し、ガンジョウは一本を両手持ち。穏やかに、正眼に構える。さすがに隙がない……が、打ち込んでくる気配はない。あくまでカリアに胸を貸すということだ。

 並でないのは間違いないが、エレステルの現役戦士に比べれば闘争心が足りない気がする。技術を教えるのだから別に問題ないのだが……どうにもカリアは攻めにくい。まさかとは思うのだが、勢いよく振り抜いたら大ケガさせてしまうんじゃないかと不安になってしまう。

 それを察したのかはわからないが―――ガンジョウの気配が急に変わった。

「う…っ!?」

 肌が痛い―――。骨の髄に冷水を流し込まれたような、内臓がかき回されるようなこの感覚は、前に一度感じたことがある! そう、初めてアケミと出会った時に……!!

 これはアケミと同じ類の殺気だ!

「教えを受ける立場であろう。いつまで待たせる?」

「はっ…はい!! お願いします!!」

 カリアは一度大きく深呼吸し……集中力を高めていく。

「……ふぅ! であーッ!!」

 気合とともに突進し、右の剣を振り下ろす! 

 軸足を一歩下げるだけで避けたガンジョウは、スムーズな動きですぐさま反撃、横薙ぎに一閃。左方向から迫ってくる何の変哲もない一撃を―――カリアはとっさに身を捩り、かわしてしまった!? カリア自身なぜだかわからなかった。本来なら左の剣で受け止め、右の剣をもう一度繰り出すのがセオリー……なのになぜ!?

 体勢を立て直せずに尻もちをついたカリアの首元に木剣が添えられる。

「怖れるだけでは戦えぬ。怖れを抱いて挑むがよい」

「はい…」

 立ち上がり、再び構える……脂汗が止まらない。

(今のは…)

 まさか、とは思わない。だが信じ難い…。

(先手必勝―――もっと早く、細かく、手数で押す…!)

 低姿勢で構え、カリアは再び仕掛ける!!

 カリアの初撃の突きをガンジョウはわずかな動きで弾いて避ける。次の右の横薙ぎは一歩下がってかわし……そして上段からの袈裟斬りで反撃する。

 カリアの肌が一気に泡立つ。この攻撃だ。この一閃は真っ直ぐ首筋を狙っている。先程の胴切りもそう、確実に急所を狙っている! しかもこの振り方は「打つ」のではなく「斬っている」―――斬り殺す動きなのだ。得物が木剣だということも忘れて避けてしまったのは本能的に死を感じたからである。

 強烈な殺気と驚異的な殺人技術の組み合わせは、失礼ではあるが、武人というより死神のそれだ。きっとアケミも同じことができる……いや、もしかしたらこれ以上かもしれない。あのトレードマークのようにいつも担いでいる「刀」を抜く所をまだ見たことがないが……「長刀斬鬼」という異名がカッコだけではないであろうことは、今はっきりと思い知った。

 しかし、それでも一剣士である。同じ人間である。今後同等の強さを持つ敵が現れないとは言えない。これを乗り越えなければ、女王陛下を守護する役目を果たすことはできないのだ…!

 勇気を持って左の木剣で受けて立つ。ガンジョウの一撃は重さこそ並だが、とてつもなく鋭い。かち合った瞬間、こちらの木剣が削り取られたのではないかと錯覚するほどに―――。

(でも……いける…!)

 元々左利きのカリアは、今では腕力・器用さとも左右に差はない。もっとも威力のある上段からの攻撃を片腕で凌げたのだから、この高名な武人とも対等に渡り合えるはず―――!

 だが―――三十分後、カリアの功名心は消え去ろうとしていた。

「はぁ、はぁっ、く……なんで!」

 両手を地につき、視界には滴り落ちる汗で濡れた床板……。

 勝敗零対二十。一本も取れない。後半は体力の落ちてきたガンジョウに食い下がったものの、それでも届かなかった。二本の剣で倍以上の攻撃を繰り出したはずが、着物の袖を掠めるのがやっとだった。しかも絶望的だったのは、ガンジョウが基本的な動作しかしていないことである。エレステル軍の兵士は中級者以上になれば必殺の攻撃パターンを持っている戦士が少なくない。だが、ガンジョウはそのような秘義は一切見せていない。対し、カリアは考え得ることを全てやった。ミオの動きをイメージしてやってもみたが、勝負にはならなかった。

「もう一度……もう一度お願いします…!」

 木剣を握り直し、立ち上がるカリアだったが、体力は限界間近…。いつもならこのくらい連戦しても平気なのだが、ガンジョウの殺気と、白刃が迫るような斬撃にさらされ、緊張状態の連続。神経はすり減ってしまっていた。

 両腕が重い……。

 先に手を上げたのはガンジョウだった。

「…いや、ここまで。これ以上続けても身にならぬ」

「でもっ…!」

「ワシに勝つのが目的ではあるまい。教えを請いに来たのであろう?」

「………はい…」

 ガンジョウに促されて腰を下ろすも、悔しさは消えない…。だが今はぐっと歯噛みして堪える。

 呼吸を落ち着けるため三分ほど無言で休息した後、正座したガンジョウは腕を組み、深く息を吐きだした。

「……まずは見事と言っておく。二刀を満足に扱える剣士は一握り……左右ともに力強く、器用に扱えておる。次いで、他人の剣を模倣する力。それは基礎能力が高くなければ不可能であるし、さらに脳裏に焼き付け、想像する集中力の高さも窺える。剣士として才能があると言えよう」

「あ、ありがとうございます…。ですが、一本も取れず……」

「…何故だと考える?」

「……わかりません。私には殺気や必殺技はありませんが、剣技だけでみればそれほど差があったようには……いえ、もちろん手加減して下さったのだとは思いますけど…!」

「特別加減してなどおらぬ」

「じゃあ、あとは……経験の差、くらいしか…」

 だが、それは言い訳だ。実際は経験の差など才能の差の前では霞んでしまう、取るに足りないもの―――……

「……うむ。それで正解よ」

「は?」

 思いがけない答えに耳を疑うが、ガンジョウの視線は揺るぎなく、変わらず真剣だ。

「剣は人柄を表す。恐らく……お主は視野が狭いのではないかと思う」

「視野が狭い…?」

「剣を模倣できるのは強者を見ているからであろう。しかしその者がどのように剣を繰り出したのかは見ていても、どのように勝敗が決したのかを見ていないのではないか?」

「………?」

「端的に申そう…先程の手合わせでお主が勝てなかったのは、ワシがお主の動きを制していたからよ。人の動きは無制限ではない……直立した状態から身体を傾ければ足が出るように、どれほど肉体を鍛え上げても物理法則を超えた動きはできぬ。そこには必ず隙があるもの……重心の位置が肝要な武術・体術では尚更よ。たとえばお主が左の突きを出したとして、ワシはそれを左に弾き、押さえながら右前に一歩踏み出す。するとどうなる? ワシの前にはお主の背中が丸見えだが、お主は右腕に持つ剣で防ぐこともままならぬ」

「あっ……なるほど…」

 思い返してみればそうだ。必ず先手で勢いよく打ち込むのに、すぐに手が出せなくなり、いつの間にか切っ先を突きつけられている……これが二十回も繰り返されたのに気付かなかった。だから「視野が狭い」というのか。

「武術に限らず、万事、物事がどのように成されているのかを知らねば人は大成せぬ。良し悪し全てよく知り、よく学ぶことこそ最善よ」

「そうか、私は凄い人ばかり見てたけど、そうじゃなくて、なんで凄いのかがわからないとダメなのか……」

 強くなろうとした。バレーナが現れ、ミオと戦い、剣を抜くアルタナディアを目の当たりにして、ただ強くなろうとした―――だがそれでは駄目だ。何を目的に、誰と戦い、どう勝つのかを理解していなければならない。アルタナディアの剣としてのみでなく、アルタナディアの騎士として……強く、大きくならなければならない!

「ガンジョウ師範………ありがとうございます!」

「うむ…」

「では、今のことを踏まえてもう十本、お願いします!」

「…………その気概は認めよう」

 ガンジョウは立ち上がるも、五本まで、と折衷案を出した。







 そうしてカリアが一回り成長しようとしている頃――――事態が動いた。バレーナがアルタナディアと戦い、行方不明だという噂が一昼夜にしてエレステル全土に広まったのである。

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