告白(2)
……前言を撤回したい。
カリアは是が非でも辞退するべきだったと後悔していた。
アケミのベッドは長身のアケミに合わせて男性用のサイズで少し大きい。しかし一人用であることは変わらないわけで、女二人でも同衾すると……かなり手狭というか、近い。
もう夜も更けた。灯りを消し、天窓から差し込む青白い月明かりが照らす静寂の中、誘われるがままにベッドに入っていく自分……一体何をやっているのだろうか。
「……そんなに端で縮こまられては、私が悪いことをしているみたいじゃないですか……それとも、私が嫌いですか…?」
なんという言い様か…! そう言われては逆らうことなどできはしない。
頭から足の先まで一本の棒のようにまっすぐ固まったまま、ちょっとだけ左へ…アルタナディア様に寄る。呼吸する音が物凄く近くに感じる……。
身体は天を向いたまま不動。寝返りを打ってアルタナディア様に向けばとてもじゃないが眠れないし、かといって背中を向けては失礼というもの。鉄の意思で今夜は微動だにしないことを誓う…。
「もっと楽にしなさい……私から持ちかけたのですから、寝ぼけて抱きついてきても文句は言いません…」
「だ、抱きつくなど……そもそもこれではゆっくりお休みになれないのでは――…」
五秒前の誓いもどこへやら、反射的に振り向くと、アルタナディア様の額に細い髪が張り付いている……。
「………」
ダッシュボードに手を伸ばし、タオルで額を拭うが、顔だけでなく全身に汗を掻いているご様子だ。
「あの…お召し変えいたしませんか。身体も拭いた方がよろしいでしょうし…」
「……そうですね…」
ベッドの上で服を脱がせると、汗で濡れた包帯が顕わになる。決闘直後に比べたら撒く分量はずっと減ったが、完治には遠い。ずっと熱が出たままで、ついに先日お出かけの際に倒れてしまわれた。だが、もしその場に自分がいたとしても、アルタナディア様を止めることができたかどうか自分でも怪しかったと思う。一カ月半前の逃避行の時はただエレステルを目指すだけだったが、今回は明確な目的がアルタナディア様の中にある。だから最悪の体調を抑え込む気力に溢れていたし、周りに有無を言わせない威圧感もあった。これが「姫様」から「女王陛下」になったということなのだろうか…?
包帯を解くと白い背中が現れる。背中側に傷はなく、雪原のような肌は相変わらず……むしろ……発熱でほんのり赤く染まり、月光が反射する濡れたうなじが生々しく、息を呑んで見入ってしまった。
(いやいや、今さらこの程度で……お風呂で背中流したこともあるし!)
水に浸していたタオルを絞り、目の前の背中に当てると、「あっ…」と鼻から抜けるような声を漏らして女王様が震えた。
「え、あっ…冷たかったですか…?」
「ん……気持ちいい……」
……なんだろう、妙に艶めかしい気が。熱を出しているせいか? 今は特に色っぽい。撫でる度にきゅっと背筋が収縮するのがわかる。
気恥ずかしいのを堪えながら腕、脇を拭うと、細い身体がカクンと折れて慌てて支える。
「大丈夫ですか…!」
「少し、水を…」
テーブルの上に置いていたデキャンタの水をグラスに注ぎ、差し出すと、アルタナディア様はぐっと飲み干し、おかわりを要求。またグラスを渡すと勢いよく傾ける。三杯目を半分ほど飲んだところでようやく一息つき、グラスを私に押し付けた。
「…あなたも」
「え?」
飲め、ということか? だがグラスは一つ、まだ飲みかけで……これを飲めと!?
アルタナディア様は戸惑う私をじっと見つめる。その表情は硬い……いつも通りにも見えるが、どこか逆らえないプレッシャーを感じる。手の中にはアルタナディア様が口をつけたグラス……
(ええい、乙女か! いや乙女だけど!)
一気に飲み込む! 緊張で熱くなっていた身体に水が沁み渡っていく。最後の一滴まで喉を通し、深く息を吐きだしたとき―――
「カリア……前もお願いできますか」
グラスを落としてしまった。ベッドの上で割れずに済んだが、私の胸の中はあまりの衝撃に掻き回され、て―――……
「………ひょっとして、からかっていらっしゃいます?」
根拠はない。ただ、いつもより声に、言葉に重みが足りない。そう感じたのだ。
果たしてアルタナディア様は………静かに、わずかに表情を崩された。
「フ……ごめんなさい。こんな時間は久しぶりだから、いじわるしたくなりました…」
「いじわるって…」
そもそも私と女王様の間でこんなとりとめのない時間を過ごした時があっただろうか?
とりあえず身体を拭くのを再開する。妙な気分さえ消えてしまえば、多少の抵抗はあっても問題なかった。首から下…肩から下の無残な傷痕を目の当たりにすれば、余計な邪念はすぐに消し飛んでしまう。
「カリア…」
「はい」
「私……きれいですか…」
「…………」
返答に迷う。剣の傷は治りかけてきているが、おそらくいくつも痕が残るだろう。残ったところでアルタナディア様の本質が変わるわけではない。だが女としての美しさの価値を下げてしまったのも事実……。
「少しでも後悔されているのであれば……痛みをずっと抱えてしまうのかもしれません。ですが、私もいますし、その……」
だめだ、上手く言葉にできない。正解があるわけではない……今欲しい言葉があるはずなのだ。でも、それがわからない。
「……すみません、またいじわるを言ってしまいましたね。少し熱が下がってきたせいか……はしゃいでしまって…」
「はしゃいで…いらっしゃるんですか? 姫様が? あっ――失礼しました…」
思わず「姫様」と呼んでしまった。いつもなら叱咤が飛んでくるところだが、今夜はそれがなく、代わりに柔らかい表情で苦笑していた。
「カリアは、いつまでたってもカリアですね」
「は、はぁ…」
つま先まで拭き終わり、新しい寝巻に着替え、ベッドに入っていくアルタナディア様……そしてやはり私も引き込まれた。もうやることをやったし、やってしまったしで、睡魔に負けかけていた私はすぐにウトウトとし始めたのだが―――一気に神経が張りつめる事態が起こった。
アルタナディア様が、その身を擦り寄せるように抱きついてきたのだ!!
「あ――ちょっ…!」
口を手先でそっと塞がれる。その間に脚が絡まり、肩を引かれる。アルタナディア様の身体半分が私に覆いかぶさっていて、頬と頬がぴたりとくっつく位置にアルタナディア様の頭がある…!
「…大事な話があります…」
耳元でヒソヒソ囁かれるのがくすぐったい……じゃなくて! そうか、初めからこうするために……密談するために添い寝をしろと仰ったのか!
「……いいですか」
「あ、はい……どうぞ…」
囁き声で返すと、唇を押さえていた左手が離れ、鎖骨から胸元を滑るように流れて私の右わき腹を掴み、ぐっと腰を抱き寄せる。胸と胸が押し合い、心臓の鼓動が木霊するように重なっているのがわかる。
(え…と?)
意図がわかったのに身体を押し付けてくる…?
そこで思い違いをしていたのではないかと気付く。添い寝は手段だったのではなく――いや、手段ではあるが、同時に目的だったのかもしれないと。先程からの「いじわる」も、ひょっとして「そういう気分」の表れだったのではないか―――。
途端に脈拍が上昇したのを自覚した。跳ね上がった胸の高鳴りはアルタナディア様の心臓に直に感じ取られているだろう。呼吸の乱れは私の唇から数センチと隙間のないアルタナディア様の耳に伝わるだろうし、肌がじんわりと汗ばんできたことなど言わずもがな―――。
声を出すのも、苦しい……。
「あなたももうわかっているとは思いますが……私は、バレーナに特別な感情を持っています……」
「へ!? あ…」
ば、ばれーな!? そういう話!? 全くの勘違い……すぅっと気持ちが冷めていく。
しかしアルタナディア様はなお強く私を抱きしめ、意を決したように言葉を紡ぐ。
「…愛して、いるのです……」
もぞりと、私の胸元に頭を埋め、身体を縮こまらせるアルタナディア様。その表情は……女王でも姫でもない。一人の少女の告白だ。
「……………」
一体何なのだ……。
からかったり。誘ったり。はしゃいだと言えば弱みを見せ、縋るように抱きつきながら秘密を告白する……。一体これは……いや? ああ……ああ―――そうか。そういうことか。
アルタナディア様の背中に腕を回すとごろりと横向き、その小さな頭を包むように抱きしめた。
「カリア…?」
「失礼ながら、甘えたいのかなと…」
それを聞いたアルタナディア様はしばし視線を彷徨わせた後、「ああ…」と小さく驚いて納得した。
「あなたは本当に……ヘンな時だけ姉になりますね」
「そうでしょうか」
「そうです…」
先程とは違う強さで抱きつくアルタナディア様……なんだか本当に妹のように思えてきた。
「応援します……ナディア」
「……調子のいい姉ですね…」
照れたように額を押し付けてくる……。
そうして寄り添ったまま、眠りについた。決闘から続く緊張が安らぐ、穏やかな夜になった……。
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