「それ」は静かに動き出す(1)

「バラリウス将軍―――!!」

 早朝、グロニア城の門をくぐったところで、馬上のバラリウスの背中に声を浴びせる者がいる。刀を担いで走ってきたアケミだ。

 バラリウスは下馬し、馬を従者に預けてアケミを待った。すぐに追いついたアケミだったが、珍しく息を切らせている。

「どうした、そんなに慌ておって。正装ではないではないか。それに…」

 唐突にバラリウスがアケミに顔を寄せ、スンスンと鼻を鳴らす。

「お主、臭うぞ? ―――ぐほぁっ!?」

 アケミの本気の拳がバラリウスの分厚い腹筋に刺さる。見事に鳩尾に入っていた。

「貴様ぁっ…ふざけんな!!」

「違う、そうではない、そうではない…!」

 納刀したままの長刀を大上段に振りかぶるアケミにバラリウスが待ったと手をかざす。アケミはバラリウスを殺しかねない形相だがそれも仕方がない。アケミとて年頃の娘である。

 バラリウスはアケミの理性が弾け飛ぶギリギリまで近づき、小声で指摘する。

「お主、血の匂いがしておる」

「…!」

 アケミは気まずそうに舌打ちし、刀を下ろした。

「どうにしろ、その格好で登城はまずかろう。着替えてまいれ」

「わかった……だがその前に頼みがある。待機中の兵に非常招集をかけてくれ」

「ほう? 何故に?」

「バレーナとアルタナのことが漏れている。伝聞している情報はあやふやだが、アルタナが原因でバレーナがいないという事実は変わりない。兵士たちに動揺が広がる前に情報の統制を図るべきだ」

「なるほど。だがどのように説明する? そもそも非常招集をかける名目はどうする? 説明するだけなら、公式声明という形で問題あるまい」

「…………」

 バラリウスの言う通りだ。しかし招集する真の目的はこの先に起こるかもしれない「敵」の動きを封じるためで―――それが予測の域を出ない限りは何もできないのだが……。

 アケミが眉間に皺を寄せて苦汁を滲ませていると、アケミとバラリウスの通ってきた道の後からオーギン議長が珍しく慌ただしく駆けこんできた。

「バラリウス殿! 第一大隊と第二大隊が集結する動きがあるがどういうことか!?」

 アケミが振り返ると、バラリウスはしてやったりと悪ガキのような顔で口元を歪ませていた。

「ラドガドーンズが動きを見せたとの報があり、早急に対処できるよう準備にかかる次第。バレーナ様が女王になると決まってからベルマン御大は滅法やる気でしてな、春を迎えたクマのように腰が軽い……おっと、口が滑りましたな。ワハハハ!」

「こいつ…」

 こちらが苦慮することなぞ、とうにお見通しということか。やはり油断のならない男だとアケミはバラリウスを睨むが、それは負け惜しみにしかならない。

「シロモリの。アルタナディア様にはラドガドーンズに対する妙案があると申しておったが、陛下は会議にご参加できそうか?」

「? …無理だ」

「ならば仲介役である貴様が参加し、その方針を伝えるのが筋であろう。さっさと着替えて参れ」

「!」

 口から出まかせであっという間にアケミの席を用意してしまった。くそ、コイツにお膳立てされるままか―――最早からかわれているようにしかアケミには思えない。

「わかった……馬を貸せ」

「ふむ……」

 顎に手をやるバラリウスは首を縦に振らない。

「…なんだ、今度は…⁉」

「先程殴りかかっておいてその態度は……さすがに礼儀がなっとらんのではないか?」

 バラリウスが自身の腹をさすり、いやらしく笑う。喉元まで込み上げてきた苛立ちを何とか飲みこみ、アケミは頭を下げた。

「……馬をお借りしたい」

「うむ、よかろう。…しかしお主もこうして粛々としておると、やはり貴族の娘よな。とても色街に入り浸っているようには見えん―――がはぁっ!!?」

 アケミの左拳がバラリウスの頬骨を叩き、続く右拳が顎を打ち上げた。

「死ね! 死ね!! 死ね!!!」

 顎にモロに衝撃を受けて倒れるバラリウスの上から存分に罵声を浴びせたアケミは、固まっていた従者から手綱をひったくり、馬に乗ってさっさとその場を後にする……。

「……バラリウス殿、大事ないですか」

 蚊帳の外だったオーギンが声をかけると、バラリウスは何事もなかったようにむくりと起き上がる。

「ふむ……いささか殺気が籠っておりましたな。いやはや、顎が砕けるかと思いましたぞ。ハハハ!」

「さすがにこれは問題にしたほうがよいのでは?」

「なに…軽いじゃれ合い、スキンシップですぞ。それに、こちらからけしかけておいてやられたから訴えますというのは男として格好が付きますまい」

「ご自分が原因という自覚はあるのですな…」

「いやしかし、さすがにシロモリを受け継ぐだけのことはありますな。迷わず急所を狙ってくるとは……エレステルの武力は安泰ですな! ワハハハハ!!」

 バラリウスが高笑いして城内に入っていくのをオーギンは怪訝な顔で見ていた。





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