少女の苦悩(1)

 イオンハブス軍がエレステルに来訪して六日目。合同訓練は五日目となる。

 一日目の乱打戦でイオンハブス軍の実力を知ったエレステル軍は当初こそイオンハブス兵を舐めていたが、この数日でその印象も変わりつつあった。

「意外と基礎体力はあるよな」

「あいつら、時代遅れの全身甲冑着けてるらしいぜ。そりゃ重装備も苦にせんわ」

「それで行進の練習ばっかしてるんだろ? 俺だったら気が滅入るな~」

「でもそのせいか集団行動は統制取れてるんだよ。まあそれだけだけど」

「あーわかる。でも中にはそこそこやるヤツもいるじゃん」

「あと全体的に妙に気合い入ってるよな、何か。特にあの……騎士団?の団長とか」

「弱いけど」

「弱いけどな」

 そんな様子で互いに徐々に馴染んできているのは、カリアがいた点が大きい。以前訓練に参加していて慣れていたこともあるが、それよりも持ち前の人当たりの良さが理由だ。イオンハブス軍の中核を成す騎士団の人員構成は九割九分貴族である。それゆえにどうしても気位の高さが目につくときがあるのだが、地方の下級貴族であり、周囲の人々に助けられながら育ったカリアは、生まれの身分で人を判断しない。さらに元来人懐っこい性格で気が利くため、女王の側近と知って戸惑った既知のエレステル兵も、すぐにそのことを忘れたようにカリアに接したのだった。



「…くそ、まだ本調子じゃないな」

 リンゴの皮を剥こうとしてナイフを止めるエイナ。

「カリアにやられた腕、まだ調子戻んないの? 弱いなー、エイナは」

 隣に座っていたギャランが茶化すと「うっさい」といつも通りエイナが蹴りを出す。

「ちょっとやめろよぅ食事中に。埃が立つだろ」

 そしていつも通りノーマンが仲裁に入る。ギャランはエイナより一つ年下、ノーマンは二つ上である。この三人、所属する小隊は別だが、食事時などはよくこうして集まる仲である。

「あ、カリアだ」

 ギャランはカリアを見つけると、エイナにニッといやらしい笑みを浮かべた。

「なぁ、カリアにアレやってみようよ。俺、ナイフ落とす方に賭ける」

「はあ? ……まあいいか、この腕もアイツにやられたんだし。私はリンゴ」

「おいおぃ、やめとけよ…」

 口では注意するがノーマンは止めない。

「おーい、カリア!」

「ん? ああ…」

 エイナの呼び声に気付いたカリアが振り返る。

「リンゴやるよ」

 そう言ってエイナはリンゴとナイフを見えるように持ち―――リンゴを高々と放り投げた。

「お、と…」

 ――と、投げられたリンゴを追って上を向いた直後、今度は低い山なり軌道でナイフが投げられる。

「え、わっ、あぶなっ!?」

 急に飛んできたナイフを慌ててキャッチした瞬間、

「たっ!?」

 降ってきたリンゴがカリアの頭を直撃する。

「あははは! 期待を裏切らないよねー、カリアは!」

 ギャランは腹を抱えて大笑いする。

「お前らっ……危ないだろ!!」

 カリアがつむじを曲げるが、ニヤニヤ笑みをこぼすエイナが手で制す。

「まあそう起こるな、これは状況判断訓練の一つだ。今、リンゴに釣られて上を見ただろ? それで私はお前の視界から外れ、意識からも消えてしまう。だからナイフが飛んできても反応が遅れた。こういう時にどう対応できるか、瞬時の判断力が求められるわけ」

 もっともらしい言い回しにカリアも振り上げた手を下ろして耳を貸してしまう。ギャランがクスクス笑っているが気付いていない。

「今みたいに同時に着弾する飛来物があった場合、より危険な方をどうするかがポイントだ。大抵のヤツはリンゴをキャッチしてナイフを避けるかな。両方受け取れなかったりナイフを避けられないのは論外」

「じゃあ私は合格?」

「及第点だな。及第点だけど……ククク…!」

「リンゴ当たった時の間抜けな顔は合格だよー!」

 また笑いだす二人…いや、ノーマンも少し離れてこっそり笑っている。カリアはブスっと頬を膨らませたが、すぐに肩を落とし、エイナの隣に腰を下ろしてリンゴを剥き始めた。

「…どうした? 元気ないな?」

「もう三日もアルタナディア様にお会いしていない…」

「はあ? あちゃ~、ついにクビかぁ。カリアって王様のガードって感じしないもんねー、ははは―――あだっ!!?」

 強く蹴られたギャランはエイナを睨むが、逆にエイナに睨み返され、文句を口の隙間からこぼしながら黙った。

「で? 女王様がどうした?」

「エレステルの有力者を訪ねていらっしゃるんだけど、なぜか私は留守番……しかもあんなお身体で…」

「あんな?」

「あ!? ああ、うん、まあ…」

 カリアは誤魔化そうとするが、明らかに不自然だ。本当は聞いてほしいのか、本当に聞かれたらマズいのか、いまいちわからない。

 そこへアケミがやってきた。

「よう。カリアは――……案の定か。アルタナから様子見てくれって頼まれてたが」

「それだよ! 私がダメでなんでお前が付いていくんだよ!」

「パイプ役だ。いくら一国の女王って言ったって、誰でもいきなりポンと会えるわけないだろ。あたしだって政治の世界じゃ門前払いなんだ、これでも根回し大変なんだぞ? 部下でもないのに骨折ってるし、マユラとロナも付けてやってるんだ。あいつらはブラックダガーの顔であり頭脳であり両腕なんだぞ? どんだけビップ待遇なんだよ」

 マユラとロナがアルタナディアに付き従って行動しているのは護衛・交渉のためであるが、バレーナの信任を得ていることを示す意味合いもある。バレーナの最も信頼する部下を引き連れることで、バレーナとアルタナディアの間柄がいかに親密かを見せつけるのだ。が、カリアはそこまで理解できず、別のことが気になった。

「…いや? 頭脳や両腕はともかく、ブラックダガーの顔は隊長じゃないのか? お前の妹の…」

「ミオか? アイツはマスコットだよ」

 自分で言っておいて「ブフッ」と噴き出すアケミ。カリアは顔を顰める。

「お前、自分の妹にその言い草はないだろう……私が言うのもなんだけど、真面目にやってると思うよ」

「そうですね。アケミ隊長は戦場では頼りになるけど変人だし、上官なら妹さんがいい」

「俺もー」

「自分も」

 なぜかエイナたち三人まで便乗してアケミを批判する。

「変人ってお前ら……ちょっと傷つくな。でもまぁ、そういう事だよ」

「結局……どういうことだ…?」

 カリアが聞き返すが、アケミはなぜか満足そうな表情でそれ以上答えなかった。

「…そういえばどうしてお前だけ戻って来たんだ?」

「ん? ああ……どうもきな臭い状況になってきてな。ラドガドーンズが国境で兵を集めているらしい」

「らどがどーん…? 誰だ?」

「国だよ。ギャラン、地図を描いてくれ」

「えー、面倒くさい…」

「描いたらキスしてやるぞ」

「マジっすか!!?」

 ギャランが今まで見たことのない、驚いたような照れたような純朴な顔を見せたが、

「――エイナがな」

「いらねぇ…」

 一転、苦虫を噛み潰したような表情になった。そして反比例するようにエイナが憤慨する。

 ともあれ、ギャランは地面に棒で地図を描いていった。カリアの目にもその精度の高さがわかる。

「すごいな……沿岸の地形なんか地図で見たままだ」

「地図で見たのに何で描けないのかなぁ。ほら、ここがエレステル、こっちがイオンハブスで、ここがラドガドーンズ」

 ギャランの棒がエレステルの北側を指す。エレステルの領土が間にあるが、直線距離ならイオンハブスに最も近い第三国だ。

「この国と直接的に戦闘になったことはないみたいだけど、何かと密偵が潜入してくるんだよね」

「明らかに何かを狙ってるって噂だけど……具体的に何かはわかっていない」

 ギャランとエイナが首を捻る。と、カリアが指をさす。

「山じゃないか……?」

「山?」

「聖山『キノソス山』」

 地図上でカリアの指す先―――キノソス山はイオンハブスとエレステルの国境線に跨る位置にそびえる、標高二千メートルを超えるとも言われる高山である。両国からは比較的北側にあり、ラドガドーンズの射程距離と言えなくもないが……。

「キノソスぅ? 戦略的価値があるとは思えないけど」

「キノソス山は立ち入ることを許されない聖地で、イオンハブスにもエレステルにも属さない特区だ。ある意味攻めやすい場所ではあるけど、砦なり築くにはかなり手を入れる必要がある」

 ギャランもエイナも否定する。だがカリアは続けた。

「いや、目的は水だろう。キノソス山はイオンハブスとエレステル双方の国土にそれぞれ流れる川の水源地だ。国境線がないのは争いを生まないため、立ち入りできないのは下手に開拓して水質を変えないための古代の取り決めだったんだ………って、何だ?」

 カリアは自分に向けられる奇異な眼差しに気付いて見返す。エイナもギャランも目が点になっている。

「お前……熱でもあるんじゃないか」

「いや、スパイだよきっと。カリアになりすました別人だ。じゃなきゃこんなに頭良さそうな発言しないって」

「何でだよ!」

「――まあまあ、落ち着けお前ら」

 怒るカリアの頭をアケミがポンと叩く。

「これでもコイツは貴族様らしいぞ」

「あ、そうなのか!?」

「へ~、育ちはいいんだ、一応」

 あっさり納得してくれる二人にカリアは感動した。以前はこの話で散々アケミにからかわれたものだが―――

「アケミ隊長が曲がりなりにも貴族なんだから、カリアが貴族でも別に」

「貴さって、何なんだろうね…」

「ようしお前ら、あたしにケンカ売ってんだな?」

 自分が切っ掛けを作ったくせに、今度はアケミが怒る。離れて見ていたノーマン、こっそり爆笑。

「…でもまあ、カリアの見解はあながち間違いじゃない。お偉方もラドガドーンズが水を欲している可能性は高いと見ている。しかしヘタを打てばイオンハブスとエレステルの両方を相手にすることになるからな、ちょこちょこやってくるのはこちらの出方を窺っているんだろう。だが、今回は少し意味合いが違うかもな……タイミングを合わせてきているのかもしれん」

「タイミング? 何の?」

「決まってるだろ、王の代替えだ。具体的には、エレステルがイオンハブスと連携を取れるか見てるのさ」

「あ…じゃあ今回の合同演習は…!」

「もちろん対外的なパフォーマンスという面もある。そこはウチの最高評議院とアルタナディア女王との間での暗黙の了解といったところだな」

 改めてカリアは思い知った。アルタナディア様は一体どこまで先を見て行動されているのか? エレステルとのことだけを考えていた自分にとっては雲の上の話だ。

「しかし、これでいよいよ事態が動き始めることになるだろう。カリア、お前はイオンハブス兵の士気を繋いでおけ。もうすぐ滞在期限で帰れると思って油断しているヤツも多いだろう。ここから先は―――……まだわからないが、いつでも戦いに備えることが兵士の務めだ。団長殿にもそう伝えておけ」

「わかった。お前はどうするんだ?」

「色々さ。軍属じゃない分、身軽に動けるのが自慢でね」

 いつもの長刀を担ぐと、アケミはひらひらと手を振って去っていく――。

「ああは言うけど忙しそうだな……ずっとシロモリの御屋敷にお世話になってるけど、アイツちっとも帰ってこないし」

「あ……それは別に理由があるから…」

「理由?」

 エイナが気まずそうにするのがカリアは気になる。

「いずれお前の耳にも入ってくるだろうけど、誰にも言うなよ。実は―――」

 直後、耳打ちされた事実に仰天し、ある意味納得した。しかしその日は一日中ずっとモヤモヤして、訓練に身が入らないカリアだった……。


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