女王の襲来(3)
「さて。では問おう、アルタナディア殿下…いや陛下」
アルタナディアが四枚目のステーキに手をつけ始めたところでアケミが始めた。健啖を通り越して暴食というべき食べっぶりに不安を感じているのか、カリアは肉を細切れにして少しずつアルタナディアの口に運んでいる。
「貴女が我が国へ兵を率いて赴かれる理由は何かな?」
「バレーナを王位に就かせること、並びに王座を狙う者たちを掃討することです」
「無理だ。帰れ」
アケミは表情も変えずに即答する。
「お前がそのザマで、たった二千五百のイオンハブス兵じゃ話にならない。脅しにすらならない」
「そうでしょうか…。貴女が前に話していたバレーナの反勢力はどれほどいるのでしょう?」
「……最終的には全軍の五分の一程度まで膨れ上がる可能性はある。数にすれば五千ほどか。これは大きな数だ。エレステルは五つの大隊のうち三つを国境警備に当てている。残り二つの大隊は準待機扱いだが、たとえばその内片方が離反したらどうなる? 国境警備の大隊が離れられない場合、五千対五千が首都決戦だ」
「逆に国境警備の大隊が離反した場合、砦を取られる上に、隣国との国境が変わる可能性もありますね」
「そうだ。だからこそエレステルの戦士は肉体も精神も屈強でなければならないし、統率する王は最も強くなければならない」
「そして戦わずして守られているだけのイオンハブスを快く思っていない者も多い。こういう構図ですね?」
「そうなのか…」
うっかり声に出したカリアにアルタナディアの視線が刺さる。
「カリア……その認識の甘さがエレステルを苛立たせている一因なのです」
「あっ…!」
ぱっと口を手で押さえるカリアをアケミが笑う。ロナも少々呆れ気味だ。
「実際に大隊が丸ごと反旗を翻すわけではないでしょう。一部の有力者と、なびくかもしれない者たちの総数が最大五千というところでしょうか。大隊単位で反乱を起こすなら、先程あなたが言った通りの理由で、すでに実行していてもおかしくないはずです」
「いい読みだ。実際には中核となるのが二千足らず、それに群がる有象無象が二千。ただし、私兵や傭兵、あるいは第三勢力も考えなくてはならない…」
「……そこまでになると、国を二分することにもなりかねないですね」
「まあな。だから国のお偉方は奴らの思惑を知りながらあえて触れないようにしていた。先王のヴァルメア様は病弱だったが確かな王で在らせられたし、バレーナには天性のカリスマがある。バレーナが育てば野心ごと飲みこめると思ったんだ。だが奴らは王座から矛先を変えた。アルタナディア、お前にだ」
「…………」
「エレステルでは王位継承のために一定の評価が必要だ。それにこれはお前にも言えることだが……王の椅子、つまり女王の隣のポジションの問題がある。誰がバレーナと結婚するか―――それが決まって初めて王位を継承すべきだという意見もある。バレーナは天涯孤独の身だ、国民に安心感を与えるという意味では真っ当な考え方ではある。だが、バレーナは結婚については拒否している。一人で玉座に着くために強行姿勢を取るバレーナと最高評議院との間には溝ができ、それゆえに評価が上がらず王になれないという悪循環……ブロッケン盗賊団のときも、議会の方針を無視して飛び出したから説得は難しいだろうな」
「え、そうだったのか…!?」
カリアが目を丸くし、ロナが「喋りすぎでは?」と訴えるが、アケミは大丈夫だと手を振る。
「ブロッケン盗賊団の撃退には成功し、結果的に民衆の支持を得たことでバレーナの意見を曲げることが難しくなった。そして反勢力の中で、本当の意味での反勢力……王家の滅亡を考える者たちは、バレーナの行動の先にいるお前の存在を狙う方針に変えた。まあバレーナの心情までは知らないだろうが……」
心情――それを知るものは当人たちとシロモリ以外は誰も知らない……いや、カリアはなんとなくわかってきた。あれほど斬り合いながらアルタナディア様が今こうしてここにいるのは、すべてバレーナのためだ。浮ついた気持ちでドキドキしていた自分とは違う。文字通り命をかけて想い合っているのだ。
「ともかく全てのタイミングが一致したということだ。ブロッケン盗賊団の襲撃によって軍の拡張が行われ、民衆はそれに納得しながらも税の徴収で負担がくる。そんなときに兄弟国であるイオンハブスとの不平等を訴えることでイオンハブスに対する潜在的な敵対イメージを植え付ける。そしてガルノス王が没し、一人になったお前に暗殺の矛先を向けることで、見事バレーナを釣ることに成功したわけだ。あとはご覧の有様だな。お前を守るためにバレーナはまた独断で動いた。しかも今回のことは取り返しがつかない……唯一の王族が長い歴史を持つ同盟国にケンカを売ってしまったのだからな」
「…結果、私闘でありながら私はバレーナに勝利しました。エレステルにとって王が敗れたというのは由々しき事態では?」
「精神的なショックという意味ではな。今回のバレーナの顛末を知っているのは上層部だけで、一般兵までは知れていない。いきなり国を飛び出しただけでもアレなのに、まして負けたなんて言ったら、『奴ら』にとってもバレーナを引きずり下ろすチャンスだが、イオンハブスと仇打ち戦なんてことになったら都合が悪いだろう。イオンハブスの有力な貴族たちと繋がっているのも多いだろうからな。根回しには時間が足りない」
「私との決闘のことは上層部……最高評議院には伝わっているのですね?」
「十中八九な。バレーナの周りにも当然スパイはいる。決闘に立ち会ったのがブラックダガーだけでないのなら間違いないだろう。事実、こちらに向かっているお前の対応策を練り始めている」
「どのように?」
「兵は集めている。だが、あくまで戦える準備をしておくといった感じだな。まあ正直……イオンハブスと戦って負けるとは思っていないからな。あっちはまだ私とお前が接触していることに気付いていないようだし、お前がここまで内情を把握しているとも思っていないだろう。出方を窺っているってところか」
「…なら、切り札はこちらにありますね」
眉根を寄せたのはアケミだけではなかった。
アルタナディアはふう、と息を吐いて続ける。
「あちらの方々は、私が兵を率いているのはバレーナとのことが原因であると考えているでしょう。実際、今は私がバレーナを人質にしている状態にあります。それが明るみに出ればエレステル内で反乱が起こりかねない。最高評議院としては避けたいところでしょう。つまり、こちらが持ち出さない限りはあちらも踏み込めず、こちらの要求を聞かざるを得ません」
「そう上手くいくかぁ?」
「そのための誓約書です」
「誓約書?」
「ロナさん」
ロナが黒い革の筒から一枚の紙を取り出し、テーブルに広げた。その誓約書を見たアケミは失笑するしかなかった。
「ひどいイタズラ書きだな」
「しかし有効です。この誓約書は国の権利というより、バレーナ敗北の証となります。最高評議院はこれを一般大衆に対して公表されるのは避けたいところでしょうし……」
「………?」
アルタナディアの声が急速に萎む。フォークに刺した肉をいつアルタナディアの口に運ぼうかタイミングを窺っていたカリアが覗きこもうとする前に、アルタナディアがふうっと息を吐きだした。
「…ともかく、この誓約書を持っていればある程度有利に話を進められるはずです」
「だからといって兵を引きつれてきたお前を手放しで受け入れるわけないだろ」
「もちろん表向きの理由は違います……私たちが初めて会ったときのことを覚えていますか」
「うん? ……ああ、ふらふら彷徨っていた女王が不法滞在している他国の兵士に襲われたと、難癖つけるわけか」
「アケミ隊長、言い方…」
ロナが思わず口を挟んでしまう。
「女王となった私が抗議すれば、あちらも相応の立場の人間を出さねばなりません。そこからバレーナを王座に就かせるように促し、同時に反勢力を引きずり出します」
「引きずり出しますってお前なぁ……段取りもあるだろうが」
「こちらも余裕のある状況ではありません。フィノマニア城から動けないバレーナは、エレステルがイオンハブスを攻める大義名分に成りえます」
「……それはそうか……。一つ確認だが、バレーナはイオンハブスでどういう扱いになっている?」
「隣国の王女、客人です。回復すれば、私が不在のイオンハブスの管理代行を始めるでしょうが」
「なぜそうなる?」
「バレーナも誓約書を持っているからです」
「??」
「あ……!!」
ロナが声を上げた。そう、誓約書は二枚あった! アルタナディアとバレーナがそれぞれに対して国の権利を譲ると書いた誓約書が!
あの誓約書でどこまで通用するかは疑問だが、もしバレーナがアルタナディアの思惑通りに動くならば、それは強固な協力関係を見せつけることになる上、イオンハブスに剣を向けることがバレーナに叛意を持つこととイコールとなり、牽制することもできる……。
(なんという人だ…!!)
普通に考えれば一枚に連署すればよかったはず。別々に書いたのは、まさか今回のことを見越してのことだったのだろうか? ロナはアルタナディアが自分の目利きより上をいっていたことに驚きを隠せない。
アケミはしばらく考え―――膝を叩いた。
「いいだろう、手を貸してやる。ただし金は出せんぞ。元より持ってないしな」
「構いません」
「ロナ、協力してやれ」
ロナが頷く。商人として顔の利くロナなら兵士の食糧を安く揃えることもできるだろう。
「協力するにあたって、一つ条件がある。エレステル到着までに自分の足で歩けるようになることだ。もっとも、それどころじゃないようだが」
アケミのセリフにカリアははっと勘づき、アルタナディアの額に手を当てる――すごい熱だ!
肩に手を伸ばそうとするカリアの手をわずかに身を揺することで拒否し、アルタナディアは額に脂汗を浮かせながらアケミに答える。
「約束します…ハッタリが効かせられる程度には回復してみせます…」
「フン……バレーナへの仕返しがそこまで意固地になることか?」
「この身を切り刻まれたのです……口答えできない程度にはお返ししなければ、ね…」
カリアも初めて見るかもしれない。できれば熱のせいだと思いたい。
とても悪い貌、だ。
「…どうかした?」
テントから出てきたロナに声をかけたのはマユラだ。大柄で猛々しい力を持つ、ブラックダガ―で最年長の女戦士だが、寡黙で、普段の声は拍子抜けするほど細く、可愛らしい。また、皆が認めるほど仲間思いの頼れる副長でもある。
そんなマユラがロナを心配したのは、珍しくロナが苦悶の表情をしていたからだ。皆が感情的になっているときでも常に客観的視点を持って冷静でいるのがロナである。若年の集団であるブラックダガーにとって、紛れもなく精神的支柱の一人なのだ。
「…アケミ隊長が何かした?」
何か、というのは悪いことを指しているのではない。アケミはいつも「何か」凄まじいことをする人間だ。アルタナディア女王に対して何かしでかしてもおかしくない……ブラックダガー創設以前からアケミと付き合いのあるマユラはよく知っている。
しかしロナは首を縦には振らなかった。
「アケミ隊長というか、アルタナディア様がね…」
思わず天を仰ぎ見る―――
「あれはバレーナ様やアケミ隊長と同じ類だわ……傑物か、バケモノよ」
そうしてエレステルに入国したアルタナディアは、バレーナのイオンハブス襲撃を知るエレステル上層部の人間にプレッシャーを与えるも、首都グロニアに入場する際は華々しく現れた。これはロナによる商人への情報の流布と、アケミの下準備の成果でもあるが、何よりアルタナディアの存在が目を引いた。
実際のところ、兵を率いてエレステル首都・グロニアに迫るアルタナディアに対し、エレステル国は徐々に臨戦待機の兵員を増やしていた。これはあくまで不測の事態のための準備段階ではあったが、民衆が不穏な空気を感じ取れば一触即発のムードになることもあり得るわけで、エレステルの宦官たちもその可能性を十分に予見していた。
しかし予想外の事が起きる。それは第一の関門である国境でのことだ。イオンハブスとエレステルは民間人ならば大した審査もなく、ほぼ自由に行き来できるが、軍人は別である。人員に限らず、武器など軍事に関わるものは全て、出入りの際には互いの国の申請・受諾が義務となっている。これは実際にアルタナディアが襲われたときのような、国家間のトラブルを防ぐためである。アルタナディア率いる二千五百の兵もご多分にもれず、ここで足止めされるはずであった。しかしアケミが出迎える形で検問所に現れ、勝手に素通りさせてしまったのである。これにはエレステル上層部は非常に焦った。時間稼ぎと来訪の目的を知る最大のチャンスが、シロモリの裏切りという形で潰されたからである。かといってもう次の対策をする時間はない。なぜなら検問所から首都・グロニアまでは半日の距離だ。もはや目前に迫っている。市民にパニックが起こることも考えられた。
だが、さらに想像もしていない事態に突入する。その市民が中央街道沿い―――アルタナディアの進行ルート沿いに集まり始めたからだ。これはロナが商人たちに働きかけたゆえのことだった。ロナは有力な商人を筆頭に「イオンハブスのアルタナディアが女王になった。その報告に、非公式ながらエレステルを訪れる」と書簡を送った。これを見た商人たちは、グロニアで見物人相手に商売ができるチャンスだと踏んで、すぐさま行動を開始したのだ。まさに商人出身のロナだからこそできる、阿吽の意思疎通によるものだ。アルタナディア一行が検問を通過した瞬間から、中央街道沿いに出店が立ち並んで行く。これによってアルタナディアの到来が隅々まで知れ渡り、それを盛り上げるようにお祭りムードが広がったのだ。
そして満を持して、アルタナディアの登場である。二千五百の兵士は音楽隊の音色に彩られながら規則正しく行進し、まさにパレード然とした様だった。さらに目立ったのがアルタナディアの乗る馬車だ。馬車は急ごしらえではあったものの、最大サイズとされるものの二倍のものを馬六頭に引かせている。これはベッドを乗せるためにウラノが提案したもので、二台の荷台を補強しつつ組み合わせ、小屋を解体して出た壁・屋根を縮小・再構成したものを乗せている。アルタナディアの療養が主目的のため飾り気こそ少ないが、まるで巨大な戦車のような迫力がある。
そしてアルタナディア自身は純白のドレスを身に纏い、車上に立つ。一般市民が初めて目の当たりにする隣国の女王。その想像以上の美しさはたちまち人々を魅了した。
中央街道を行くアルタナディアと、率いる二千五百の兵。その道に沿って群衆が集まり、待ちわびていたように出店が並ぶ―――。唐突なはずのアルタナディアの出現は、まるで正式な歓迎式典のような盛況ぶりでエレステル国民に出迎えられたのだ。
誰も知らぬ間に沸き起こったこのイベントにエレステルの宦官たちは怖れを感じた。そしてアルタナディアは彼らに有無を言わさず、会見に臨むことができたのだった。ロナとアケミの手助けは大きかったものの――――全て、アルタナディアの目論見通りであったのだ。
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