女王の襲来(2)

 八日前、アルタナディアとバレーナの決闘直後―――。

 斬り合い、血みどろの戦いの末に勝利したアルタナディアだったが、その差は膝をついていなかったかどうかでしかなかった。両者とも出血量は凄まじく、すぐさま緊急手術となる。しかし瀕死の状態でありながら、アルタナディアは鬼気迫るほどに目をギラつかせ、指示を出す。

「バレーナを、優先してください…」

「し、しかし…」

「必ず助けなさい! 身命を賭して!!」

「は、はっ…!!」

 集まった医師団は、血の気が引いて青ざめる姫の気迫に圧倒される。とても檄を飛ばせるような状態ではないはずなのに、恐るべき精神力―――。

 さらにアルタナディアは剣で刺された胸を押さえながら、数人の人間を招集するように命じる。

 親衛隊長グラード。

 騎士団長カエノフ。

 カカ総務大臣。

 侍従長マデティーノとメイドのウラノ。

 バレーナの部下である「ブラックダガー」隊長のミオと副長のマユラ、ロナ。

 そしてアルタナディア以上に蒼白の面持ちの近衛兵カリアである。

 アルタナディアは呼吸も絶え絶え、もはや満身創痍である……。しかし手術台の上、すぐさま治療しようとする医師長を制止し、集合した一同を一人ずつ見据えてから声を絞り出した。

「これから出す命令は、誰一人として異論・反論を認めません。速やかに命令を遂行してください…」

 誰も口に出して返事をしない…。この状況で、一体何をしようというのか。その疑問だけがただただ膨れ上がる。

「私はこれから兵を率い、エレステルへ向かいます…」

「ええっ!?? 姫さ――」

 アルタナディアの瞳がぎろりとカリアを捉える。カリアはそのまま言葉を呑みこむとともに、アルタナディアが未だに命懸けで何かを成そうとしていることを直感的に理解した。

「ミオさん…我が国の兵士がエレステル軍の養成所などに寄宿する場合、最大収容人数は…?」

「え、と…」

 答えられないミオはロナに目線を送る。意図がはっきりしないまま兵士を入国させるとなれば大問題だ。アルタナディア姫は戦争をするつもりなのか? そもそもバレーナの直属部隊であるミオたちに軍の施設をどうこうできる権限はない。

「交渉と準備次第ですが、二週間後にグロニアに到着するとして………二千程度が限度かと」

 ミオに代わり、ロナが答える。さすがロナだとミオは内心安堵した。ロナはブラックダガーの中で唯一剣を持たないメンバーで、部隊の参謀役である。事、交渉術にかけてはエレステルの大臣が一目置くほどなのである。おそらく不可能な数ではなく、かつ有事に対処できる数を提示したのだろう。第一、イオンハブスの総兵数は非常勤の者を含めても三千に満たないはず。現実的には千も連れて行けるかどうかだろう―――。

「ではカエノフ騎士団長、今すぐ騎士五百、兵二千を招集し、出立の準備をさせなさい」

「にっ…二千、ですか…!?」

「グラード親衛隊長は残りの兵を指揮し、第二級の警戒態勢を維持してください」

「はっ…!」

「カカ総務大臣、三千人の二週間分の食糧を用意してください。予算に歯止めはかけません、備蓄が尽きても構いません。市民からも無理のない限り協力を要請してください。同時に略式で私を女王に承認する議決を一両日中に取ってください」

「おっ…仰せのままに…」

「マデティーノは兵と私の世話係を選抜してください。人手が足りなければ外から雇っても構いません」

「はい、アルタナディア様」

「ウラノはバレーナ殿下の御世話を命じます」

「……かしこまりました」

「ではそれぞれかかりなさい。出立は明日の午後一時とします。これは国家存亡に関わる重大な局面であると心得なさい……―――解散!!!」

 アルタナディアの重みのある声が部屋中に響き渡る。手術室は決して広くはないが、今のアルタナディアが出せる声量ではない。そこに王の威厳があった。命じられた各々は弾きだされたように部屋を出ていく。それらを見送った直後、アルタナディアは苦悶の表情を浮かべ、体制を崩す。

「姫様…!」

 慌ててカリアが支え、そのまま寝かせた。アルタナディアは血と汗で濡れ、身体は冷たくなってきている気がする…。

「心配、いりません……。ミオさん、お願いがあります…」

「はい…」

「アケミ=シロモリと、連絡が取れますか…?」

 途端、ミオは言葉を詰まらせた。唇を噛んだ後、苦々しく返答する。

「姉です…」

「え!? お前、アイツの妹だったのか…!?」

 ミオはカリアを睨むように一瞥し、すぐにアルタナディアに視線を戻す。

「…わかりました。私が連絡役になります」

 手を上げたのはロナだ。

「ブラックダガー、並びにエレステル軍もアルタナディア様に従事いたします。ただ、ミオはバレーナ様のお側に置くことをお許しいただけますでしょうか」

「お願いします…」

 マユラも頭を下げる。

「…わかりました」

 アルタナディアは小さく頷く。

 そうしてブラックダガーも去り……医師を除けば、カリアだけが残った。

「姫様、私は何を…」

「…もはや悠長に麻酔をしている余裕はありません、このまま治療をしてもらいます」

 側で聞いていた医師団だけでなく、カリアもぞっとした。どれほどの縫合をしなければならないか、見当もつかない。消毒薬は焼けつくような痛みだし、自身の身にメスや針が刺さるのを目の当たりにするのは、兵士であっても冷や汗が止まらないと聞く。それをこの細身の姫様が……!!?

「カリア……私が気を失わないように、手を握っていてくれますか…」

 声が、指先が震えているのは、血を流しすぎたせいだけではないだろう。硬い表情の中で、瞳の奥が不安に震えているのをカリアは感じ取った。

「はっ…はい!」


 そして手術が始まった。

 口に布を詰め、声にならない悲鳴を上げて苦しむ姿を、

 折れそうなほど強く握り返された手の痛みを、

 生に執着するアルタナディアの瞳の光を―――カリアは一生忘れることはないだろう……。





「ん…? あ、姫様!」

「…………」

 アルタナディアが目覚めたのは見知らぬ一室だった。天井は低く、窓もなく、暗い。

「よかった…ほんとうによかった…!」

 目を潤ませながら抱きつこうとして躊躇し、行き場を失った手を宙でおろおろさせるカリアだが、意識が朦朧とするアルタナディアは何も反応できない。

 一頻り手をバタつかせたカリアは、その勢いのまま入口の垂れ幕を上げ、外に向かって医師を呼ぶ。

「姫様、わかりますか? 出発して二日目の夜で、野営しています。キメロンの街を過ぎたところで……もう少しで行程の四分の一です」

 カリアが報告しても、やはりアルタナディアは何も答えない。薄目を開けて、わずかな明かりの中でカリアの影を追うのがやっとだ。

 …いや―――

「…姫様? もしかして起きるんですか?」

 アルタナディアの指先がカリアの袖を掴んでわずかに引っ張る。

「まだ無理です、そんなお身体で…」

 するとアルタナディアは呻きながら自力で身を動かそうとする。しかし瀕死の状態からなんとか一歩踏みとどまった状態のアルタナディアの身体は、まるで筋肉が固まったかのように動かせない。動かすどころか、力を入れようと筋肉を収縮させれば身体が引きつって、縫合だらけの全身の傷口が開く―――。

 芋虫以下の動きを見せようというアルタナディアを見て、やってきたサンジェル医師長は血相を変えた。

「な、何を…!? 落ち着き下されアルタナディア様! おい、鎮静剤を!」

「うぅ…う、う…!」

 医師たちに身を抑えられるアルタナディアの目は、はっきりとカリアを―――カリアだけを見つめている……。

「…サンジェル様、姫様を起こして差し上げて下さい。それと、お粥の用意を」

「なに!? バカを言え、絶対安静なのだぞ!? 助かられたのがすでに奇跡的なのだ、お前も見ているだろう!?」

「違いますサンジェル様、奇跡が起きたから死ななかったのではありません。死ねないから生きていらっしゃるのです」

「?? わけのわからんことを…」

「姫様は自らの使命のために復活されようとなさっています。私たちが阻害してはいけません!」

「私は医者なのだぞ! ここで無理をすればお命が危ないのだ! 一番間近にいるお前こそアルタナディア様をお守りする立場だろう! 万一のことがあったらどう責任を…!」

 と、サンジェル医師長の腕を叩く者がいる。アルタナディアだ。叩く、というには緩慢な動きだが、これが今のアルタナディアの限界である。重篤の身でありながら無理をした結果、その反動がきているのだ。しかし弱り切った身体でなお、その瞳は煌々と輝いて見える。医師長も読み取ったようだ。

「いけませんアルタナディア様……やはり引き返しましょう。このままエレステルに入ったところで何もできませぬ。まずはご自愛くださいませ」

 真っ当な意見だった。医者でなくとも、誰でもそう言う。だがアルタナディアは無視して起き上がろうと身を捩る。カリアが慌てて手助けするが、サンジェル医師長はもう何も言わなかった。縫合してたった二日、傷は塞がるはずもない。身を曲げ伸ばしすれば痛みが奔り、血が滲み、眩暈と吐き気ですぐにベッドに伏すことになる。それがわかれば御身の状態がいかほどのものか、ご理解なさるだろう――――そう、思っていたからだ。

 だが、そのサンジェル医師長の思惑は外れることとなる。起き上がってお粥を口にしたアルタナディアは一口、二口啜り、二杯目、三杯目を要求し、翌朝目覚めるとまた食事を要求し―――……



 四日目の昼過ぎ、キャンプのテントで――。

「もっと均等に…音を立てない」

「は、はい…!」

「…………」

 早馬で駆けつけたアケミが見たのは、掠れた声で弱々しくも叱咤するアルタナディアと、その前で皿のステーキを切らされているカリアだった。

「…なんだ、思ったより元気そうだな」

「そうでもありません……まだ眩暈が治まらず、ろくに動くこともできません…」

 その言葉にウソはない。地味な部屋着にカーディガンを羽織っているが、頭に包帯を巻き、そして襟元からも全身にきつく包帯が巻いてあるのが見て取れる。椅子の上に座っているというよりは座らされている感じ。声に張りがなく、いつものシャンとした雰囲気もない。まるで萎れかけた花のようであるが、枯れたわけではない。その証拠に、カリアが切り分けたステーキをアルタナディアはどんどん飲み込んでいく…。

(肉汁の滴るぶ厚い肉は病み上がりの人間が食べるものではないが…)

 アケミは苦笑してしまう。たまに、前線で傷を負ったときに食って治そうとするヤツがいる。もちろん食物を血肉に変えて新陳代謝を促すという意味では間違いではないのだが、バカ食いする奴は大抵猪突猛進の脳筋野郎ばかりだ。それと同じことを涼しい顔のアルタナディアがやっているかと思うと、笑える。

「このような状態で失礼します…食事も続けさせていただいてよろしいですか」

「お好きに……ああ、あたしにも何かごちそうしてほしいな」

「カリア、ステーキをあと二枚追加」

「まだ召し上がるんですか!? もう三枚目ですよ!」

「早くしなさい」

「うう…」

 太りますよ、と小声で洩らしながらカリアはテントを出ていく。

「食欲があって何よりだ……顔色は相当悪いがな」

「内臓や腱がやられていなかったのが幸いでした…」

「バレーナは?」

「一命は取り留めましたが、まだ意識は戻っていないようです…」

「そうか……まあ、こういう結果を想像していなかったわけじゃないがな。ただ予想外だったのは、思ったよりやり合ったってところだ」

 席を立ち、テーブルを回ってアルタナディアの脇に立つ。

「アタシに何か依頼するつもりだろうが、出張るのはお前だろ。だが肝心のお前が使い物にならなければ話にならない。確認させてもらうが、いいか?」

「……どうぞ」

 アケミは動けないアルタナディアの服を脱がし、包帯を解いていく。現れたのは、全身に裂傷を負った縫合だらけの痛々しい姿だった。傷は血が滲み、肌は熱を持ち、汗は冷たい。今すでに相当無理をしていることが理解できる。そしてバレーナとの決闘の凄まじさも……。

「なるほど、食事の世話をさせるだけのことはあるな……単にお情けで勝ったわけじゃないのか。おかげで周りはいい迷惑だろうが」

「………」

 クマイル卿との会談の帰り道、馬車の中でのことを思い出す――…。

「お待たせいたし――…ああ!!」

 配膳台におかわりのステーキを乗せたカリアが声を上げる。その後ろにはロナもいた。

「おっまえ…姫様に何してる!!」

「ケガの具合を診ていただけだ。ちゃんと包帯は直しておく」

「触るな、私がやる!」

 ステーキの乗った皿を乱暴にテーブルに置いて、カリアはアケミを押しのける。

「やれやれ……ロナ、久しぶりだな」

「お久しぶりです、アケミ隊長」

「隊長じゃないっての」

「ん? お前ら、知り合いなのか?」

 アルタナディアの包帯を巻き直しながらカリアが訊ねる。その手つきは淀みなく「意外に器用だな」とアケミは感心した。

「元々ブラックダガーはアタシが作った部隊だ」

「なっ…!? ……じゃあ、お前が作った部隊を妹が譲り受けたのか?」

 今度はアケミが目を丸くする。ロナに目線で訊ねると、頷いて答える。どうやらミオと姉妹だと知れたらしい。アケミとしてはカリアとミオが対決したと聞いていたから黙っていたのだが……まあ構わないだろう。

「あの、カリア様……アケミ隊長に対してもう少し敬意を払っていただけませんか。エレステルにおいては将軍と同格のお方です。あまりぞんざいな口利きは士気に関わることになります」

ロナが苦言を呈するがアケミは手を振った。

「よせよせ、格がどうのって、余計にアタシがちっさいヤツみたいだ。それにカリア殿は高潔なアルタナディア殿下の側近。勇猛果敢、実直にして優秀な右腕! あたしごときがお声を掛けて頂くことこそ怖れ多い……」

「え、いや、そんな…さすがにそこまでは……照れるな」

「……すみませんが、カリアをからかうのは後にしていただけますか」

「え!? アタシ、からかわれてたんですか!?」

 顔を赤くするカリアに早くステーキを切れと促すアルタナディア。少し調子が戻ったか、とアケミは息を吐いた。


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