決闘の決着、その数日後―――。

 …目覚めたバレーナが最初に見たのは天井。最初に聞いたのはミオの声だった。

「よかった……っ!」

 ベッドの脇で手を握っているらしい。首を捻ろうとすると、身体が重い。

「うぅ……」

 掠れるようにしか声が出ない。腹に力が入らないのだ。全身の筋肉に神経が行き渡っていないような重い感覚………

 ここはどこだ? 

 疑問を口にする前に、意識は深く沈んでいく……。




 …目覚めたバレーナが見たのは天井。聞いたのは耳鳴りだった。

 身体が石のように硬く、重いが、それよりも頭痛が酷い……。

「お目覚めですか?」

 覗きこんできたのは………ウラノ、か。

「どこだ、ここは……」

「お部屋ですよ、バレーナ様の」

「…………」

 私の部屋………こんなだったか? 思い出そうとしても頭が痛む。いくらか時間が経たなければ駄目だ……。

 しばらく薄く目を開けて、ただぼうっとしていた。考える気力は湧いてこない。やがてミオがやってきたが、しばらく何も話しかけないように言う。するとミオは私のベッドの脇に椅子を置き、ずっと私を見守っていた。

 ひたすらに、起きているのか眠っているのかわからない時間が過ぎていく……。

 ようやく指先にわずかな感覚を取り戻し始めたとき、ある一つの欲求が生まれる。

「ミオ……お腹空いた……」

「! はい、すぐに用意させます!」

 おかゆだったが、一口、二口食べれば胃が動き出し、連動するように身体に血が巡っていくようだ。二食すれば動きたくなって、手を借りながら起き上がる。そしてここにきて、初めて全身の痛みに気が付いた。

「体中傷だらけで、口にするのも憚られるほど縫合されています。抜糸までには今しばらく時間が掛かりますので、無理に動かれてはなりません」

 ホウゴウ? バッシとは何だ? 無理に頭を働かせようとして眩暈がした。食事をとって巡り始めた血に、まだ脳が慣れないらしい。支えられながらまた静かに横になり、自分でもどの瞬間かわからぬうちに、幾度となく訪れた睡魔の襲撃を受けたのだった。



 目覚めれば、ミオがベッド脇に突っ伏していた。時計は見えないが、空気の冷え具合と窓から差し込む淡い光の加減からして、明け方のようだ。そのくらい感じ取れるほどに回復し、意識も大分はっきりしてきた。

 ここはイオンハブスのフィノマニア城………一ヶ月の間、自分が使っていた部屋だ。

「ミオ……私に構わず、部屋で寝たらいいんだぞ」

 呼びかけに目を開けたミオは欠伸を噛み殺し、大丈夫ですと首を横に振った。

「部屋に一人でいても、やる事がありませんから」

「やる事がない……ん? 一人とは…どういうことだ?」

「バレーナ様が敗れた後、兵は本国に引き上げることになり、ブラックダガーのみんなもいません。残っているのは私だけです……」

 敗れた………そうだ、アルタナディアと決闘して…………

 ……アルタナは?

「アルタナはどうなった? アルタナは死んでいないだろうな!?」

「アルタナディア様は……その……」

 ミオにしては珍しく、困り顔で視線を逸らした。

「我が方の兵とともにエレステルに向かわれました……」

 困惑しているのか苦笑いしているのかもいまいちわからない微妙な表情で、ミオがぼそりと漏らす。さて……?

「エレステル……何の目的で……いや、今はいつだ? あの決闘の日から、何日私は眠っていた?」

「決闘の日から今日で一週間です。最初に気が付かれたのが二日前で、その時にはすでに出立なさった後でした」

「……起こしてくれ」

 手を借りてバレーナは上半身を起こす。触覚は大分戻ったが、全快には程遠い。鈍い動きで少し包帯をめくってみると、パッチワークかと自嘲するほど縫合してあるが……。

「アルタナの傷は軽傷だったのか…?」

「いえ、その………かなりの重傷だったのですが、手術を受けながら女王の承認式を執り行い……」

「はあ?」

 何を言っている? 理解するにはまだ頭に血が足りないのか……?

「そのまま一両日中に騎士団と兵二千を引き連れてエレステルへと――」

「あ…ちょっと待て、兵二千とはなんだ!? 順を追って話せ」

 ミオによると―――。

 決闘の後、手術を受けたアルタナディアは略式だが王権の移譲を承認させて正式な女王となった。血の滲む傷だらけの身で、休まずにだ。そして決闘の翌日の昼過ぎにはカリアを含むイオンハブス兵と撤収するエレステル兵を引き連れ、エレステルの首都・グロニアに向かった。国としての正式な抗議と賠償請求、そしてバレーナをエレステルの統治者―――つまりは女王と認めさせるために。

「その、申し上げにくいのですが………逃亡中に動向を共にしていた姉にも協力を要請するようです」

「アケミに!?」

 予想外の繋がりだ…! もしかすると、ブラックダガーから全く見つからずに戻れたのもアケミの手引きがあったからか。ドレスを渡したのも……。

「申し訳ございませんバレーナ様、姉が協力していると知られたくなくて、隠していました。お許しください…!」

「いや……それで合点がいった。そうか、私につかなかったアケミを味方にしたのか……」

「まことに、申し訳ございません…!」

 立ち上がって深々と頭を下げるミオの頭を、バレーナは撫でてやる。

「謝る事はない。アケミなりの方法で私を助けてくれたのだろう」

「姉がこのような結果を見越していたというのですか!?」

「まさか…。しかしアケミがアルタナの迷いを断ってくれたから、私も吹っ切れた。私が生きているのはアケミのおかげかもしれんな」

「そうでしょうか……」

「きっとそうだ。お前たち姉妹は私が背中を預けられる無二の存在だからな。アケミがつくのなら、アルタナも安心だ。そしてミオがいてくれるから、私もこうして安らかでいられる」

「……恐縮です」

 ミオがまた頭を下げるが、もういいと肩を叩いて座らせた。

「しかしアルタナ………予想外の行動だな。二年の間にここまで成長していたとは」

「私も、あれほど凄まじい方とは思いませんでした。剣技もそうですが、あの迫力……。バレーナ様が特別に想われるのも、私に代わりが務まらないというのも、納得できました」

「ミオ……」

 決闘の前、ミオが何か言いかけていたことをバレーナは思い出した。

「あの決闘でのお二人を……アルタナディア様を目の当たりにして、圧倒されました。国のために最も大切な人に剣を向け、その覚悟を知るからこそ手加減せずに斬り合う……狂おしく、命がけで……。そして、自分とアルタナディア様との違いがわかりました。憧れからバレーナ様を見上げていた私と違って、アルタナディア様は真っ直ぐに同じ目線でバレーナ様を見ていた。私には……少なくとも今の私には、到底不可能なことです」

「…だからといって、ミオが劣っているわけではない。感情の表れはそれぞれだ。ミオの気持ちだって私の身に余るほどだった。違いがあるとすれば、私がアルタナを選んだということだけだ………私がわがままだっただけだ。すまない……本当にすまない」

「バレーナ様っ………好きです……」

 声を震わせて告白したミオがバレーナの頬にそっとキスをした。バレーナもミオの頭を抱いて頬を摺り寄せると、涙が一筋伝ってきた。

「もう無理なことを言って困らせたりしません、だから………これからもお側に置いてください………!」

「当たり前だ……お前がいなければ、私は何者でもない。当てにさせてくれ、ミオ…」

「はい…!」

 残っていたわずかなわだかまりも解け―――二人は無上の喜びを感じた。

 バレーナはもう少しでミオを失うところだった。その時に自分の心に開く穴の大きさ、深さは計り知れないだろう……。そして同様のことはミオにも言える。バレーナがいたからこそ、自分の道を得た。仲間を得た。心の拠り所を得た。最高の主を得た。もしバレーナがいなければ、鬼才の姉の影で一生息を潜めていたことだろう。

 二人の人生において、この出会いは最大の僥倖なのだ。

 かけがえのない絆に二人が感じ入っていた、そのとき―――。

 コン、コン……。

 ノックと共に現れたのは、今の二人にとっては好ましくないメイド―――ウラノだった。

「おはようございます」

 闖入者は極上の笑顔で挨拶する。一気に気分が冷める。

「呼んでいないぞ」

 ミオは嫌悪感を露にする。

「呼べるようなお身体ではないでしょうから参上した次第です。もっとも、長々とお話できるようですから、心配無用でしたね」

 そうウラノは、部屋にカートを押し入れながらぬけぬけと言い放ってくる。

「お前、立ち聞きしていたのか…!」

「ミオ様、私は気を遣ったのですよ? でもよかったですね。綺麗な形で失恋して」

 抉る様な一言―――。

 ミオは一瞬目を見開いたが………それだけだ。ウラノを睨むどころか、顔も向けない。

 ―――成長したらしい。

 鼻で笑って、ウラノは嫌味を浴びせるターゲットをバレーナに切り替えた。

「寝てみて初めてわかるといいますが、どうやらバレーナ様は『される側』らしいですね。強引なアプローチまでしたというのに、結局は押し倒した相手から王冠を被せられようとしているわけですから」

「そうだな。だからもう、お前の役目も終わりだ」

「……は?」

 一転、ウラノがピクリと眉根を寄せる。

「アルタナは正式な王となった。ゆえに私が依頼した任務は終了とする。役目を果たせばジレンに戻れるよう、ゴラル殿には話をつけてある。長い間ご苦労だったな」

「………」

 呆然とした後―――……ウラノは歯軋りするほど奥歯を噛んだ。

「勝手なことを……よくもそんな勝手を仰いますね……!」

 ベッド脇のデキャンタとグラスを換えながら、ウラノは怒りを満面にしてバレーナを睨みつけた。

「私がどれほどの屈辱をこの身に受けたのか、まだわからないようですね。あなたが生まれながらの王族であるように、私もまた生まれたときからジレンとして育てられてきました。そのたった一つしかない私のアイデンティティーをあなたは奪った。私の誇りを踏みにじった……!」

「己の慢心がミスを招いたとは考えないのか?」

「何を――!」

 瞬間、ミオがバレーナを庇うように割って入る。ウラノは指先まで震わせながら、振り上げた手を下ろした。

「……ジレンは傷を舐め合えるあなた達とは違うんです。審査の公平性を保つために、一度役目に就けば親兄弟と連絡することさえ許されません。仲間のところに帰してやろうという独善的な配慮でしたら大きなお世話です。一人でいることには慣れていますし、あなたの目が届く場所など死んでもお断りです。同じ空気を吸うのさえ吐き気がします」

「……………」

「ご心配頂かなくても結構ですよ。私は勝者のアルタナディア様についていきますので」

 言い返してこないバレーナに幾分調子を取り戻し、ウラノは嫌味ったらしく哂ってみせた。

「そうか……好きにすればいい」

「ええ。そうさせていただきます」

 これで最後とばかりに文句を吐き捨てながら、ウラノは置き替えたデキャンタに残っていた水を花瓶に移す。と、バレーナが尋ねた。

「その花はなんだ?」

「これですか? お心優しい女王陛下がお見舞いにと、私に御預けになったものです」

 『女王陛下』の部分を強調するウラノだったが、バレーナは構わず問い続ける。

「いつのことだ?」

「出立なさる時です」

「何か言っていたか…?」

「エレステルの方々に、と……」

 事細かに聞かれて、何かあるのかとウラノも感づいたらしい。バレーナは憐れむ視線をウラノに投げかける。

「その三本のバラは、一人に一輪ずつだ。お前の正体…アルタナにバレているぞ」

 ゴトリと、花瓶が音をたてて倒れた………。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る