バレーナ王女によるイオンハブス王都襲撃、その二十七日後―――。
執務室に遅めに入ったバレーナの前に報告書が積まれる。数は多いが、最初に比べれば随分厚みが減った。
王都のシステムはほぼ掌握。関係各所は汚職にまみれた重役・官僚を牢に放り込んだ事が支持されたので問題ない。あとは王都占拠の報を受けて出てくる反抗勢力にどう対処するかということだけだ。もっとも、今のところ一般市民にそのような動きはみられない。ガルノス王の支持は未だ高く、崩御した直後を狙ったことが国民の反感を買っていたのだが、生活に直接手を入れなかったことが功を奏したらしい。生活環境はむしろ改善されたし、国民にとって王室の事件など自分たちの二の次だ。この分なら、実際に物申すのはイオンハブス王家と親しかった貴族層の一部に過ぎないだろう。寄り集まって軍としての体裁を保てるかどうかもあやしい。
つまり―――イオンハブスの占拠は、ほぼ完了したのだが。
あと一つ残っている。アルタナディアの処理が………。
「どうかされましたか?」
最後の書類の束を置いたロナが、少し不安そうな眼差しをバレーナに向ける。
「いや。何故だ?」
「最近お顔の色が優れないようですから……ミオも何だか本調子でないようですし」
「「そんなことはない」」
バレーナとその隣に立つミオは声を合わせてしまい、居合わせた者が笑う。全く、失笑ものだ。
「特別何もなければ、さっさと任務に就け。公式に宣言するまでここは敵国だということを忘れるな」
バレーナはブラックダガーやその他の面々に檄を飛ばして、部屋から追い出した。
残ったのは、ミオのみ。
ミオとはアルタナディアの部屋でのことがあってから、事務連絡以外はほとんど言葉を交わしていない。恨んでいるだろうし、一緒に居るのが辛いだろう……。
「……バレーナ様」
「ん、何だ?」
声を掛けられ、バレーナは声が上ずった。バレないように小さく深呼吸する…。
「今、よろしいですか?」
「構わんが」
「この間の、アルタナディア姫の部屋でのことなのですが……」
「……ああ…」
思わずペンを置き、額に手をやった。
「正直に申し上げれば、しばらくは気持ちがグチャグチャでした。ですが…私は―――」
ミオがぐっと拳を握り締めたとき、ドアを激しく叩く音が部屋に響く。
「バレーナ様、バレーナ様!」
ミオは開きかけた口を閉じ、黙ってしまう。間の悪さに複雑な気分だが、とりあえず何事もなかったように、ドアの向こうの兵士に入るよう命じた。
「どうした、騒々しい」
「アルタナディア王女が、突然現れて…!」
「何!?」
「陛下を呼び出せと。ただいま謁見の間で、取り押さえる手筈を整えている最中ですが――」
「待て、誰にも手出しさせるな! 私が出るまで逃げるような真似はせん! すぐに向かう……いや、しばらく準備に時間がかかる。現れたのはアルタナだけか?」
「いえ、女の従者がもう一人」
「そうか。奴らに椅子と紅茶を用意してやれ」
「は?」
「陛下のご命令だ。すぐに遂行しろ」
ミオが号令することで、兵士は腑に落ちない顔をしながらも執務室を後にする。
「とうとう帰ってきたか……」
バレーナの呟きには、喜びも怖れもない。まるで他人事のようで、ミオはむしろ不安になる。
「グロニアではブラックダガーは面が割れかねないので一旦監視を解きましたが、国境からここまで、どのようにしてたどり着いたのでしょう…」
「さて、な……我々も油断していたということだ。ミオ、捕らえていた重臣どもを謁見の間まで引っ張り出せ。それと、私の剣を持ってこい」
「あの、バレーナ様――」
「話は後だ」
執務室を出て行くバレーナの後姿を見送り、ミオは腰の短剣を握り締めた―――。
黒のドレスに着替え、謁見の間に入ったバレーナは目を剥いた。渡す事がないと思っていたドレスをアルタナディアが纏っていたからだ。
短くなった髪に良く似合う……。一ヶ月程しか経っていないのに、アルタナディアはまるで別人のようだ。いや、実際変わった。雰囲気に重みがある。以前になかったプレッシャーを感じる。
バレーナは椅子に座るアルタナディアとカリアの正面、一段高い玉座に腰掛けた。カリアは眉をピクリと動かすが、アルタナディアはカップに口をつけ、見向きもしない。その佇まいを、バレーナはじっと見詰める。
城の象徴の一つである謁見の間は、王家の権威を示すために広く、天井も高い。その壁際には投獄されていた大臣たちがアルタナディアたちを取り囲むように配置され、さらにその外側をエレステルの兵が囲む。二人の姫君の動向を固唾を呑んで見守る周囲の面々だが、アルタナディアにとってもバレーナにとっても、単なる景色に過ぎなかった。
「……覚悟を決めたのか、アルタナ」
静かな声。だが、はっきり聞こえた。
「………覚悟、ですか」
カップを皿に置いて脇にやると、メイドが下げにくる。ウラノだ。バレーナの後ろに控えるミオが小さく舌打ちする。
「頂いた時間で、しばらく自分を見詰め直していました」
「それで……?」
「私は王族として自らの認識が甘かったようです。国を預かる者ならば、自ら命を捨てて責任を放棄することなど、あってはならなかったのです……」
ドレスの衣擦れの音が聞こえるほど静かに立ち上がり…アルタナディアは白い指先をバレーナに向けて宣戦する!
「バレーナ=エレステル! 私は貴女に、決闘を申し込みます!」
カリア、ミオを始め、謁見の間は驚愕と動揺に包まれる―――バレーナを除いて。
「決闘………フッフッフッ………決闘か。ロナ、ペンと紙を」
剣ではなくペン……? 誰もが疑問符を浮かべる中、バレーナは用意された紙にペンを走らせながら、アルタナディアに問いかける。
「私がこの椅子に着いてからこの国は変わった。周りを見てみろ。利己主義のブタどもだ。国家の存亡という危機意識がないから、ただ富貴であることが己を顕示するものと信じて疑わない。国に巣食う害虫だ。ガルノス王はこれらを上手く押さえ込んでおられたが、こうして駆除した今、この国は正しき方向へ進みつつある。そこにおいてアルタナディア――貴様が存在する意味があるのか?」
「貴女のやり方は間違いではないですが、正しくもありません」
アルタナディアは間髪入れずに即答する。
「貴女はこの国を浄化させたつもりでしょうが、誰も頼んでいない。全て貴女の主観で、貴女の独断で行われた事。真に必要なのは、自らが行動を起こして解決することです。自覚がなければ同じことの繰り返しです。正しく行動を起こせる環境を整えることこそ王の役割であり、正しい国のあり方と考えます」
「ほう………なるほどな」
バレーナはペンを置くと、
「私の剣を出せ」
女性が扱うにはやや大振りな直剣をミオから受け取り、静かに抜くと、黒い刀身が現れる。左手にその刃を滑らせ……血の滲んだ親指を紙に押し付けた。
バレーナは血判の付いた証紙を読み上げるように命じるが、受け取ったロナは目元を歪め、言葉を詰まらせた。
「あの、こ…これは……」
「いいから読み上げろ」
「は……」
ロナは不安げな顔で周囲を一瞥してから、戸惑いを隠せないまま読み出した。
「わ…我、バレーナ=エレステルは、エレステル国の全権を貴君、アルタナディア=イオンハブスに譲り渡す…」
「な、何っ!?」
真っ先に声を上げたのはミオだった。追って、場は騒然となる。
「勝てばお前のものだ」
「……私にも紙とペンをください」
一人動じないアルタナディアの申し出に、バレーナが渡してやれと顎で示す。アルタナディアはバレーナにイオンハブスの全権を渡す旨の誓約書を書き上げ、指を噛み切って自らも血印を捺す。またもや群衆が沸き立つ中、バレーナは目を細める。
「覚悟はできているようだな。ならば始めるか。準備の時間は十分に与えたはずだ。すぐ始めても問題あるまい?」
「結構です。元よりここは私の公開処刑の場なのでしょう」
バレーナが投獄していた元大臣たちをこの場に立ち合わせる理由。それはイオンハブス王家の血筋を絶ち、新たな秩序の誕生と旧来の遺物の排除―――すなわち、元大臣たちの時代の終焉を見せ付けるのだとアルタナディアは読んでいた。
「あの……姫様」
アルタナディアの後ろで、カリアは顔面蒼白になって小さく震えている。
「数日ですがエレステルで腕を上げた事を実感し、自信がないわけではありませんが、私などに国の存亡を賭けてもよろしいのでしょうか…」
「何を言っているのです?」
「え?」
「私が申し込んだのだから、私が戦います。当たり前でしょう」
アルタナディアは呆れて小さく溜息を吐くが、カリアにしてみれば冗談ではなかった。
「い、いけません! バレーナは自ら隊を率いて盗賊団を討伐した、戦姫と呼ばれるほどの実力の持ち主で………エレステルでも五本の指に入らなくもないと!」
「わかっています。ウラノはいますか」
先程紅茶を出したウラノが、すぐさまアルタナディアの元に参じる。
「お呼びですか、姫様」
「私の部屋に剣があるのを知っていますね。あれを持ってきてください」
「かしこまりました」
一礼してウラノが場を後にする。
アルタナディアに剣…? 誰もが想像し得ない絵だ。カリアもそんなものは知らない。
ざわめく群集を掻き分けるようにして、ウラノは予想外の早さで戻ってきた。
「…早かったですね」
「姫様がお戻りになられたと聞いたとき、万一のことを考えて、すぐ手の届くところに用意しておりました」
「そうですか」
ウラノから剣を受け取り、アルタナディアは改めてカリアに向き直った。
「見ていなさいカリア、私の振るう剣を」
剣が静かに抜き放たれる。刃は鋭く、業物であるのは間違いないが、王族の持つ物にしては凝った意匠もなく、実直すぎるシルエット。
「レイピアか。刀身の白い輝きがいかにも貴様らしいな」
アルタナディアに合わせて剣を一振りしたバレーナは、すぐ後ろのミオにチラリと目をやった。
「間違っても手を出すなよ」
「本当によろしいのですか!? 勝っても、バレーナ様は――…」
「アルタナディアはイオンハブスの君主であり、私もまたエレステルの君主なのだ」
鞘を渡すバレーナ。その瞳が一瞬苦悩の色を浮かべたのを知ったミオは、黙って受け取るしかなかった。
王だから――。国の威信のために。国の安寧のために。王家の誇りのために。しかし、そこに自身は含まれない。王は苦しみばかりだ。夢に見るほど愛しい人を殺してまで冠を手に入れる必要がどこにあるのか?
―――王座なんて、捨ててしまえ。
今ならミオはわかる。戯言だと馬鹿にしていた、姉の言葉の意味が。王としての役目を果たす事が選ばれた者の義務だと単純に理解していた、己の無知が。今なら、わかる。
剣を持った二人の姫君が、互いに一歩を踏み出す。床を叩く小さな靴音が場の全員を沈黙させる。聞こえてくるのは遠くの息遣い。高まる緊迫感……。
一足一刀の間合いに入った二人に周りが息を呑む中、アルタナディアもバレーナも未だ構えをとらない。
眠っているのではないかと疑うほど穏やかに目を伏せるアルタナディア―――。
その様子をじっと見詰めるバレーナ―――。
「バレーナ」
「何だ、アルタナ」
「こうなる前に、言葉が欲しかった」
ズキンと、胸が痛む。
「……つくづく因果なものだな、王という運命は!」
うわべだけの失笑を打ち消すように刃が交わり、決闘が始まった……!
「うぉ……」
誰かが…誰もが唸ったことだろう。バレーナは「黒百合の戦姫」の二つ名の通り、俊敏な動きで怒涛の剣を振るう。凄まじき威力はこの場に居合わせる者の多くが体感している。その恐るべき剛剣に、温室育ちのアルタナディアが敵うはずもない。レイピアも華奢なアルタナディアの非力さを象徴するように細い。戦う前から雌雄は決していると、誰もがそう確信していたのだが――――実際は違った。
防御の上からでも相手を切り伏せるバレーナの剣を円を描くようなステップで避け、その勢いのまま攻撃に転じる。疾風のような斬撃は、素人目に見ても手足を斬り飛ばせそうなほど鋭い。およそアルタナディアとは思えぬ体捌きだ! しかしバレーナもその剣閃を力強く弾き返す!
火花が散るような三合……。打ち合う金属音が余韻となって響くほど、皆が言葉を失っていた。
「腕を上げたな、アルタナ」
バレーナはニッと口の端を吊り上げた。
「しかし、アルタナの練習相手が務まる者がイオンハブスにいるのか? もしいるのなら驚きだな」
「……貴女です」
「なに?」
「ずっと、頭に焼き付けた貴女を相手にしていました……!」
再び斬りかかるアルタナディア、返す刀のバレーナ。
ミオは予想だにしなかったアルタナディアの強さに息を呑みつつも、冷静に動きを観察する。
踏み込んだ足を軸に回転することでパワー不足を補っている。回避と同時に攻撃に移るカウンタースタイルはその動きのロスを埋めるため。まるで踊るような動きだが、派手に見えるのはドレスのスカートが翻るからで、ステップは的確かつ最小限。しかしその一歩が脅威なのだ。激しく刃がせめぎあう中で相手の動きを見切る判断力、そして何よりも飛び込む度胸。バレーナの背筋の凍る剣撃に合わせて常に一歩、前に踏み込んでいる。並みの実力ではできないことだ……!
油断していい相手ではない―――本能的にそう感じ取った瞬間、刃がバレーナをかすめる!
「バレーナ様! 侮ってはなりません!」
「フッ……ミオに無用な心配をさせてしまっているな。言うほど劣勢ではないのだが」
鼻で笑うと、アルタナディアが剣を真っ直ぐ突き出した。
「真面目に勝負しなさい、バレーナ」
「私はいたって真面目だ。お前の方こそ、真剣に剣を振るっているのか?」
「…どういうことです」
「お前の剣は己の非力をカバーするためのものだ。よくぞここまで鍛え上げたものだが、急所狙いが見え見えだな。鋭くとも、来ることがわかっていれば防ぐことは難しくない。そして見切ってしまえば、切り結ぶ度に倍動くお前の方が体力を消耗していく。レベルが同等以上の相手では苦しい技だ」
弱点を曝け出されても、アルタナディアは黙って構えるだけだ。ひたすら実直なその様に、バレーナは冷たく嘆息した。
「アルタナディア……お前の剣には決定的に足りないものがある。人を斬り殺した経験がないことだ!」
「―――っ」
唐突に剣を突き出すバレーナ。アルタナディアは避けきれず、剣先が左肩に刺さる。白いドレスに、赤い染みが広がっていく。
「姫さまっ!」
カリアが叫びきる前にアルタナディアは切り返すが、バレーナは避けず、左腕でガードした。バレーナの方がかなりの深手だが、うろたえているのはアルタナディア。バレーナはまるで痛みを感じていないように表情を崩さない。
「怖れるかアルタナ……人を斬るのを。肉を裂き、骨を削る感触を」
「恐れなど、ありません…」
「お前には鬼気迫るものを感じない。お前の剣には恐怖を感じない……!」
バレーナが大上段に振りかぶった。アルタナディアは紙一重で避けるが、反撃に移る前に襟首を掴まれ、頭突きを食らう。額から真っ赤な雫が流れ落ち、足元が覚束無くなる、が―――
「く……ああぁっ!」
雄叫びを上げたアルタナディアの拳がバレーナの顔面を捉え、バレーナは口元に滲んだ血を拭う。
「そうだアルタナ…! 国を背負っているものが目の前の敵を殺せなくてどうする!? そして私の前に立つからには、正々堂々と臨むだけでは足りんのだ!!」
「うあああーっ!」
アルタナディアが斬りかかる。先程までの動きに比べれば雑な動きだが、全力での一撃は当たらずとも胆を冷やす。そして反撃するバレーナも同様の剣を繰り出す。
見ている方が胸を締め付けられる思いだ。しかしそれも当然、先程までのが「立ち合い」なら、今度は「絶ち合い」。この荒れ狂う斬り合いを見れば、先程の熟達した技の応酬など、見栄えのいい剣舞でしかない。二人が繰り広げるのは生々しい命の奪い合い―――純粋な殺し合いなのだ。
剣がぶつかり合い、刃が相手を捕らえる割合が段々高くなってくる。アルタナディアの白いドレスは今や五分の一以上が赤く染まってしまっている。
カリアは飛び出したい衝動に駆られながらも、アルタナディアの獰猛ともいえる威の前に躊躇していた。足が竦んでいたというのが正しいかもしれない。
ふと思う。姫様が最初に見せた剣技は、確かに体格の不利を補うためのものかもしれない。でも、それだけだろうか? 逃亡中、姫様は護身用のナイフすら持たなかった。私など到底敵わない技を持っているのに、だ。でもそれは、剣を握るのを拒んでいたからではないだろうか? バレーナの言うとおり、姫様は相手を傷つけることを怖がっている。きっと性格が剣を振るうのに向いてないのだ。それなのに今はあんなに殺意を剥き出しにして、姉と慕って止まない人に刃を打ち付けている。その胸中は察して余りある――いや、察する事など私にはできない。ただ……国の重責と期待に押されて剣を持たされているのであれば、あまりにも悲しすぎる……。
段々と二人の動きが鈍くなってきていた。アルタナディアは血で真っ赤で、見るも無残にボロボロになっている。それはバレーナも同じだが、ドレスが黒いせいで見た目はアルタナディアより無事に見える。仮に戦況が五分五分だとして、同じ分だけ血を流していても、先に倒れるのは華奢なアルタナディアだ。体格の分だけ差がある。
「くっ……クックッ……笑えるな。降伏どころか……敗北も認めないか、アルタナ」
「…わたしは………わたしは……!」
「そう…意地だな。結局私たちは、この身に流れる血のために意地を張っているだけだ。たった一つ欲しいものも……手に入らないというのに!」
「………!」
バレーナが最後の猛攻に出る! 極端な大振りだが、アルタナディアには避けて隙を突く力は残っていない。受け止め、受け流すのに精一杯だ。
「アルタナっ…!」
バレーナが大上段から打ち下ろした一撃がアルタナディアの剣を強く弾く。それで力を失ってしまったのか、血に塗れた細身が崩れる。そしてその胸に、バレーナの剣先が、突き立てられて―――………!
「姫さまあぁーっ!!」
カリアが叫喚した瞬間、アルタナディアが左手で刃を掴んで食い止めようとする。その時、バレーナは剣を握っていた手を血で滑らせ、手放した。
一瞬の、二度とない刹那の隙に――――レイピアが閃いた。
「バレーナさまっ!!!」
ミオが絶叫した時には、逆袈裟に斬られたバレーナの胸元から鮮血が散っていた。威力に抗えないままバレーナは膝から崩れ落ち、床に赤く濡れた手を着いた。
「あっ……かッ……!」
「はぁっ、はぁっ、はぁっ…」
決着がついた。勝者はまさかの白百合姫、アルタナディア。足元で膝を着くバレーナの首元に、辛うじて剣を添えている。
「ミオ………兵を……下がらせろ……」
しかし、とは言えなかった。具申しても、バレーナには答えられる力が残っていそうもない。捕らえていた貴族を解放させ、兵を玉座側に集結させる。
「お前の勝ちだ、アルタナ……。私の首を刎ねて……終わりにするがいい………」
顔を上げずに止めを要求するバレーナ。しかしアルタナディアは、身を震わせながら厳しい声を浴びせた。
「終わりではなく、始まりでしょう。私たちの夢見る時間は終わりでも……役目を果たすのは、これからのはずです…」
バレーナの首元から刃を下ろし、ぐっと奥歯を噛み締め、アルタナディアは高らかに声を上げる―――。
「勝者として、アルタナディアが命じます! 我が国に進攻し、混乱に陥れたエレステル国には損害賠償と慰謝料の支払いを命じます! また、我が国は新体制樹立のため、エレステルの領有については無期限で保留とし、代わりにバレーナ=エレステルを統治者とすることを要求します!」
「な……」
場内が困惑し、どよめく。誰より驚いたのは、うずくまったまま朦朧としていたバレーナだ!
「いけません姫様……!」
解放されたばかりの元・重臣たちから次々と文句が飛び始める。
「そのバレーナは盟約を破り、姫様のお命まで狙った重罪人です!」
「そうです! バレーナを統治者にするなど、無罪放免ということではありませんか!」
「王家を愚弄した罪を、死をもって贖わせるべきだ!」
「死罪を要求します!」
「死を!」
荒波のような罵声を――――
「黙れ―――ッ!!」
アルタナディアの怒声が一喝した。
「『女王』の命令が聞けぬというのなら、一人ずつ私の前に出なさい!!」
レイピアをひと振りし、刃から放たれた血液を床が弾く。途端、場が水を打ったように静まった。イオンハブスにも、エレステルにも、血みどろで剣を掲げるアルタナディアに意見する者は、いない。
クイーン・アルタナディアの誕生を、カリアは見たのだった。
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