アルタナディア姫がエレステルに入国、その六日後――。(2)

 日も沈み、静寂と暗闇が支配する帰りの馬車の中、アルタナディアがポツリと呟く。

「貴女が以前、国同士の争いでないと言っていたのは、こういうことだったのですね…」

「そうだな。バレーナの行動は国に対する決意表明だ。自分の手勢だけで攻め込んだのも、己の実力を見せるためだな」

「それでイオンハブスを奪う事で反対派を抑え、国を纏める。だからあなたはこうして協力してくれるのですね」

「あん?」

「バレーナの方針に賛同できないと言っていました。貴女も反対派なのでしょう?」

「ハッ、それは違う」

 アケミは大仰に肩を竦めてみせる。冗談じゃない。気分の悪いカン違いだ。

「言ったろ? あたしは政治には頓着していない。それにあたしが剣を振るのは自分の国を守るため、イオンハブスはついでだ。利益や立場云々を求めるヤツは自分の剣に誇りも自信もないザコだ、一緒にされちゃ困る。あたしが賛同できないのはな、無理してやりたくもないイオンハブス襲撃をやってることだ……っ!」

 言い切った後、思わず舌打ちした。そこまで喋ってはいけなかった。バレーナが本意ではなかったと知られれば、付け入る隙を与えてしまう。国益に関わる事情を漏らしてしまったのだ。

 もう一度舌打ちし、アルタナディアから顔を背けた。

「言っちゃったモンはしょうがないが……ここからはあくまで独り言だ。おそらくバレーナはイオンハブスの中央を一気に占拠し、争う暇なく降伏させるつもりだった。国を丸ごと入手できればこれ以上ない戦果だが、それだけじゃない。女王としての地位を得る事で、お前を生かすことに文句をつけさせないつもりだったんだろう。命は救えるがお前に恨まれる、苦肉の策だ。そういうバカに、あたしは協力できなかった。確かに反対派の中でも頭のイカれたタカ派連中は、クーデターを起こすか、さもなくば勝手にイオンハブスを襲撃するかって騒いでバレーナを脅すバカ野郎どもだ。バレーナは先に行動を起こすことでそいつらからアンタを守る算段だったのだろうが、あたしに言わせりゃ、そんな奴らこそ斬ってしまえばいいんだよ」

 吐き捨てると、アルタナディアは冷たい目を向けてきた。

「意見が異なるとはいえ、同胞ではないのですか? そのように簡単に切り捨てていいのですか」

「王に従わないのなら反逆者だろう。つーかそういうことでなしに、何が一番大事かってことだ! あたしはバレーナからアンタの事を、耳にタコが出来るほど聞かされ続けてきた。アルタナが、アルタナがってな」

「……………」

 アルタナディアは押し黙った。表情こそほとんど変えないが、スカートの裾をぎゅっと握っている。それを見て、荒っぽく息を吐いた。

 くそっ、ヤキが回ったな……。

「……実は、反対派を扇動しているヤツらがいる」

「そうなのですか?」

「そいつらはタカ派を利用して、本当にクーデターを起こそうとしている。アンタたちを追い回した兵士もそうだ。調べを進めているが、おそらくはバレーナとアンタをまとめて暗殺することが本来の目的だったんだろう。バレーナに付き従っていると見せかければ、エレステルの兵士がイオンハブス領内にいても違和感のない、絶好のタイミングだからな」

「では貴女はそれらの動向を探るために……バレーナのために?」

 アルタナディアを無視した。余計な勘ぐりだ。

「準備が整い次第ヤツらを叩くが、その前にアンタたちには強制的に出て行ってもらう。これは内々でケリをつける話だ。さっさと国に帰れ」

「帰る……」

「そうさ。気付いていたか? バレーナはずっとお前を監視している。それでも急ぎ捕らえる気配がないってのは、殺すつもりなんてないってことだ。いや、アイツにお前をどうこうできるはずはない……堂々と帰ればいい」

「……果たしてそうでしょうか」

「あ…?」

「バレーナに剣を突きつけられたとき、私は降伏勧告を受け入れませんでした。大臣たちは捕らえられ、騎士団は抑えられ、私は逃亡しました。イオンハブスにとっては戦争なのです。私一人が身の振り方を選べるはずはありません」

「お前……!?」

 思わず身を乗り出す。何を言い出すんだ、この女は!

「この期に及んでバレーナと戦うつもりなのか!? バレーナに、お前を殺させるつもりなのか!」

「私が負けるとは限りません」

「やりたくもない殺し合いなんてやめろ! 巻き込まれるほうが迷惑だ!」

「私はイオンハブスの王女です。アルタナディア=イオンハブスなのです。私には主権者としての責務があります!」

「お前はっ……二年前の王様の葬儀の日、バレーナとキスしてたんじゃないのか!?」

「え…」

 そう、あの日見ていた。口元を拭いながら足早に通り過ぎていくバレーナと、頬を赤く染め、指先で唇を抑えて立ち尽くすアルタナディアを……。

「姉なんかじゃないだろう、お前とバレーナは、お互いにっ…!」

「……関係ありません」

「…なんだと…!!」

 あくまで頑なな返答に燃え上がるような怒りが沸き立った。

 真っ直ぐ睨み合い………アルタナディアの頬を加減なしに引っ叩いた。華奢な身体がドアにぶつかって狭い車内を揺らすが、身を起こすアルタナディアの瞳はぶれない。こちらを真っ直ぐ、睨み返す―――。

「ちっ……」

 アケミは椅子に腰を下ろし直し、窓のカーテンを開けて夜空を眺めた。

「己の役割……宿命があることはわかっている。だが、もう少しワガママになってもいいんじゃないのか」

「貴女は本当に、情に厚いのですね」

「ふざけんな……強烈なビンタだったろう? 脳が揺れてるから、正しい思考ができてないんだよ」

 適当な事を喋りつつ、横目でアルタナディアを見る。

 正常な判断力を失っているのは自分のほうだ。

 これほど惹かれる女もそういない。見た目が美しいだけではない。この愚直なまでの純粋さと折れることのない強い意志が、私には眩しい。

 そもそも初めて見た二年前のあの時、どうして一目でアルタナだとわかった? バレーナに話を聞いて、私が頭の中で想像したそのままだったからだ。想像通りであり―――予想以上だった。バレーナが夢中になるのも、カリアが必死になるのもわかる。嫉妬も羨望も超越する存在………そんな真白の女神なのだ。

「アケミ=シロモリ」

 フルネームで呼んでくるアルタナディアの声音は先程までと違う。

「私にとって貴女は恩人であり、親友です」

 そっと―――うす明かりの中で、ほんのわずかに微笑んで見えた。

「……あたしは『アルタナディア王女』は好きになれない。多分この先、ずっとな……」

 再び目を逸らし、アケミは刀を握り締めた。

 いくら信念を積み重ねようが、正義を振りかざそうが、愛する人を殺した罪の意識は、人間を壊す……アケミにはそれがわかる。よくわかっている……。

(それを、互いにやろうっていうのか…)

 刀が重みを増していく……。

 己の役割を……自分ができることを全うするしかない。それだけが、姫たちに払える最大の敬意なのだ――――。








 カリアが浴場から宿舎の部屋に戻ると、アルタナディアが帰ってきていた。

「あ……」 

 久しぶりに拝見するドレス姿は圧倒的に綺麗だ。髪を拭くのも忘れて姫様に見惚れてしまう。

 口をぱくぱくさせながらなんとか「お帰りなさい」と声を掛けるものの、ベッドに座っていた姫様は目元だけで返事して、また黙ってしまう。何かをお考えのようだ。大分帰りが遅かったが、どこまで行っていたのだろう。

「あ……食事の用意をしようか」

「済ませてきました」

「じゃあお風呂のほうは。風呂は私が最後だったから、今は誰もいないはず。あ……残り湯だけど」

「それも結構です。他で頂いてきました」

「そう……」

 アケミと共に、どこかで美味しいものでも食べてきたのだろうか……。正直言えばチョッピリ羨ましいが、姫様に不遇を強いているのだ。そのくらいあって当然だし、そのくらいないと申し訳ない。それにご様子から察するに、それらは全てついでの事らしい。深く考え込んでしまう何かがあったようで、言葉を掛けづらい雰囲気だ。

 邪魔しないよう、静かに服の整理などをしていると、

「カリア……ちょっとこちらへ」

 「姉さま」ではなかった。私は先ほど「ナディア」として姫様と会話していたつもりだったが、もしかしていけなかったのだろうか?

 恐縮して目の前に立つが、やっぱり跪くべきだろう。身を屈めようとしたが姫様の声のほうが早かった。

「手を見せなさい」

「は…?」

「手を見せなさい」

 言われるままそろそろと掌を見せると、手をとった姫様は裏返し、しばらく指先を見た後、小さく嘆息する。

「ここに座りなさい」

「は、はぁ……」

 命ぜられるまま、何のことかわからずに隣に腰を下ろすと、どういうわけか姫様が立ち上がる。棚から爪切りを取ってきたのを見て、意図がわかった。

「あ……爪、伸びてましたね。切っておきます」

「手を出しなさい」

「あの、自分でできますから…」

「駄目です。どうせ貴女はぞんざいに切るだけで、整えようとしないでしょう。ちゃんと爪を磨いた事はありますか?」

「いいえ…」

「やり方は知っていますね?」

「……いいえ」

「はぁ…」

 姫様がまた嘆息…。

 しかし、私は十四の時から男に混じって剣を振ることしかしなかったのだ。学ぶ機会がなかったのは仕方がない……と思う。

「まあいいでしょう。淑女のマナーを勉強させていながら気付かなかった私にも責任があります。貴女を王室で預かっている以上はきちんと教育せねば、貴女のお母様にも申し訳ありません。一度だけ手本を見せますから、しっかり覚えなさい」

 そうして直々のネイルケア講習会が始まった。講習会といっても解説は最初の親指と次の人差し指がメインで、あとは姫様がひたすら爪を切り、ヤスリで先を整えていく。磨くのはすべて切り終えてかららしい。

 兵士宿舎の備え付けのものにしては道具が上等だが、姫様の持ち物なのか。逃亡の際にも必需品として持ち歩かれていたことなど、私は全然気付かなかった。淑女の意識が足りないと言われても仕方がないか。

「あの……」

「何か質問でも?」

「手馴れていらっしゃるように見えるのですが、ご自身以外の、他人の爪を切ったりなされたりとか……ん? あ、いえ、他意は全くないのですが……」

 何を言っている、私。他意って何だ。

 姫様は少し間を取ってから、静かに口を開く。

「古来より、権力の頂点に君臨する王の命を狙うものは後を絶ちません。いつ、いかなる時でも暗殺の脅威に晒されているのです。ですから王に刃物を持って近づけるのは限られた人間だけ。刃物とは兵士の武器だけではありません。床屋の剃刀にしろ、仕立て屋の針にしろ、この爪切り一つにしたって同じ事です」

「爪切りも……」

「日常生活においても、大きな信頼と疑心暗鬼に囚われぬ度量が必要……それが王と臣下の関係なのです。そしてそれは王族間においても当てはまります。たとえ親子・兄弟でもです。王室の権力争いほど醜く、恐ろしいものはありません」

 ごくりと唾を飲み込む。幸いと言っていいのか、今の姫様には親兄弟はいない………いや? もし姫様がいなくなったらどうなる? その時、国がなくなるわけではないだろう。誰かが王になり、権力を得るはずなのだ。そうなり得る人物は必ずいる。姫様を狙う動機を持つ人物は、必ずいる――――

 …バレーナとか。

「…しかし裏を返せば、相手の爪を切る行為は親愛の証なのです。私も父上の爪をよく切って………カリア、聞いているのですか」

「え? あ、はい、聞いていました…よ?」

「はあ……貴女は本当に手が掛かりますね。年下の私にこうまで言われて平気なのですか?」

「年下でも、姫様は姫様ですから」

「貴女自身が恥を感じないかと聞いているのです…!」

「あっ、はい! もちろん感じています!」

 今のはかなり怒っていらっしゃった! 反射的に答えて生返事同然だったが、姫様はもうそれには言及しなかった………さすがに反省するべきだ。

 爪切りは順調に進むものの、ヤスリで整える分、いつもより時間がかかる。ずっと爪を注視していられずになんとなく視線を泳がせると、ふと気になった。

「……そういえば、胸の傷の具合はいかがですか?」

「……………」

 姫様が一旦手を止め、ドレスの胸元を直す。

「何が『そういえば』なの?」

「え…と…」

 押し黙るしかなかった。そんなつもりはなかったのだが、胸元の隙間をかなり凝視していたらしい。そして姫様もしっかり気付いていたようだ。

「カリア」

「はい…」

 姫様の声が刺々しい…。

「たまにですが、貴女の視線が刺さるときがあります。なぜですか?」

「なぜ、と言われましても……」

 なぜだろう……? そんなつもりは……

「貴女は、私のことをどう見ているのですか?」

「……姫様? だと思います」

 疑問調なのがいけなかったのか、姫様の目が少し険しくなる。なるほど、こうなると爪切りも怖いものかもしれない。

「私を姫と、主とするのならば、今後そのような目で見てはいけません」

「はい、気をつけます……」

 と、カリアは返事したものの……本当になぜだろう。無意識に姫様を見てしまうし、触れたいと衝動に駆られそうになったことがあったのも事実。

 私は、もしかして………

「あの、姫様。少し手を止めていただいてよろしいですか」

「何ですか」

「ええと…………失礼します!!」

「――!?」

 恐る恐る腕を伸ばし、腕を回し、少しずつ……最後にぎゅっと抱きしめる。姫様は驚いたようだが、声は上げなかった。少し呆れたような溜息がすぐ近くで聞こえてくる。

 しばらくそのまま、腕の中で感じていた。抱きしめた姫様は本当に細い。同じ女なのに、別の生き物のようだった。でも暖かくて、柔らかくて、安らぐ………。

「姫様……畏れ多くも告白しますが、やっぱり私、姫様のことをお慕いしているのかもしれません」

「…………」

「いや、好きっていっても……実際にこう抱きしめてみてハッキリわかったんですが、何というんですか……親愛的な、友愛的な、敬愛的な感じでしょうか。ドキドキもしますが、それよりもふんわりします。自分の中にヤらしい感情が芽生えたりってのもあんまりないですし」

「あんまり……?」

 あ、しまった! 余計なことを言ってしまった!

「だ…だって姫様意外と色っぽいところありますから、女同士だからと言われても、緊張するというか、目のやり場に困るときがあります! きっと私の視線が刺さるのはそのときでは…」

「つまり、私が悪いと?」

「あ…! いえ、そういうわけではないんですけれど………申し訳ありません」

「謝ることではありません。私に原因があることはわかっています」

「え?」

 姫様は困ったように息を吐く。今のはどういうことだろう?

「わかりました。親愛ということなら、私も貴女を好ましく思っています」

 なんと姫様のほうから腕を回してくる! 首に、息が掛かって……

「もう少し思慮深い行動ができるともっといいですが」

「う、面目次第もありません……。もっとお役に立てるよう、精進いたします!」

 耳元で姫様が微笑んだようだ。まずい……今、ドキッとした。

 爪切りを再開し、静かな時が流れる。なんだか初めて姉妹っぽい時間を過ごしている気がする。お仕えして二年、これほど姫様と心が近づいた事もないだろう。

「明日、帰国します」

 姫様が爪を磨きながら告げる。

「帰国して、どうなさるおつもりですか」

「バレーナと戦います」

 中指をフィニッシュして、薬指に移る―――。

「この国を訪れてわずか一週間足らずですが、エレステルの内情、バレーナがイオンハブスを攻めざるを得なかった理由を知りました。彼女が王ゆえに敵対するというのなら、私もまた国を預かる者として、真っ向から受け止めねばなりません」

「以前に姉妹同然の間柄と仰っていました。私なんかと違って、本当に姉と慕っている相手ではないのですか? 本当に……戦えるのですか?」

「……もうこうなっては、戦うという以外にありません」

 ヤスリを持つ手は、薬指から小指へ。

「カリア。お願いがあります」

「はい…」

「私に甘えや驕りが生まれないよう、傍にいてください。ここまで付いてきてくれた貴女だからこそ、お願いしたいのです」

「私も姫様に甘えている部分が多々あります。姫様も辛いときは甘えていいのではないでしょうか。その………私のほうが、年上ですし」

 姫様が目をぱちくりさせる。

「……貴女は変な時だけ姉になりますね」

「あ……調子のいいことを言っていると自分でも思います…」 

「いいえ……。はい、終わりです」

 見たこともないくらい丸く、ツヤツヤに光った爪。剣ダコや生傷で女らしさの欠片もない自分の手だったが、爪一つでこんなに変わるものなのか。丁寧な仕上がりが姫様の気持ちの表れなのだと思うと、素直に嬉しかった。

 爪切りは親愛の証か………。

「…姫様」

「何か」

「今度、姫様の爪を切らせてください」

 少し考えて、姫様は爪切りとヤスリを私に手渡してきた。

「貴女が自分のをちゃんと手入れできるようになったら、考えます」




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