アルタナディア姫がエレステルに入国、その六日後――。(1)

 もうすっごいんですよ! イオンハブスの騎士団より強い人ばっかりだし、女戦士もたくさんいて、力もスピードも男勝りなんです! しかもエレステルって兵役に就くには基本の剣技の他にもう一つ技を体得しないといけなくって、戦法に幅がありますし、弓兵と剣士が勝負することもあったりして、単純に腕力だけじゃ勝てないし、なんというかもう、戦いの奥深さを思い知らされて、私の剣もどんどん冴え渡っていく感じです―――!




「ふふ、カリアはそんなことを言ってたのか」

「ええ。初日は勇んで出て行き、ヘトヘトになって帰ってきましたが、三日目になると目を輝かせていました」

「ハハハ、無邪気だな」

 アケミは笑うが、アルタナディアは特に面白そうではない。その理由はわかる。

「カリアはわかってるのかな? その実力差が国レベルの軍事力の差だということを」

「正しく理解していないでしょう。しかしそれで構いません。カリアの役目は私の護衛です。それ以上は必要ありません」

「とはいっても、自覚が足りないな。いや、実力が足りないというべきか。少々……足手まといじゃないか?」

 アルタナディアに少し探りを入れてみる。アルタナディアは思った以上の器。年若い姫君でありながら王としての基礎はすでに完成されていて、なお底知れない才覚を感じる…。だからこそ、なぜカリアのような未熟者を側近にしたのか気になる。

「カリアは未熟ですが、役目に対する一途さと、立場に甘んじない謙虚さを持っています」

「なるほど。姫様大事だし、姫の側近でありながら偉そうな雰囲気は微塵もないしな。でもそんなのは、これからヨイショされれば変わるんじゃないのか」

「そうなれば役目を解きます。ですが……今の私にはカリアが必要です」

「ふん?」

「バレーナが現れたとき、私は自分の命一つで事を収められないかと考えていました。しかし是が非でも私を守ろうとするカリアがいたからこそ、ここまでこられたのです。私に足りないものを……カリアは持っています」

「足りないもの、ねぇ?」

 ちょっと驚いた。そして興味深かった。今のはアルタナディアらしくない。国のトップであれば、民衆はおろか、他国の要人に隙を見せる事はありえない。それを知らぬアルタナディアでもないだろう。

 まだ少女だからか? それとも、何か意図があってのことか?

「それよりも、クマイル卿のところにはまだ着かないのですか。昼前に出発してから大分陽が傾いているようですが」

 アルタナディアがちらりと目を向けるも、馬車の窓はカーテンで遮られていて、陽の光が透けて入ってくるだけで外の様子は伺えない。

 アルタナディアの要請でアケミはエレステルの実力者の一人・クマイル卿との会談をセッティングし、今はその道中・馬車の中である。

「心配せずともちゃんと向かっているさ。あたしが嘘をつくと思うのか?」

「どうでしょう。しかし、釘を刺しておかなければならない気はします」

「イマイチ信用がないな。まあいいけど」

 鋭い――。今のところアケミにアルタナディアをどうこうしようという気はないが、絶対ではない。これからのクマイル卿との会談次第ではどうなるかわからない。だから「釘を刺して」くるのだ。

 状況を読んでいるのだろうが、それ以上にエレステルの内情を察しているような気がする。この辺りはバレーナに似て直感的なのだろうが、タチの悪い事に妙なポーカーフェイスを持っていて、中々心情が掴めないという厄介さ……。

 実際のところ、アルタナディアに大したことはできないはずだ。実績はなく、前評判といえばこの神懸った美貌くらいだ。しかしアケミの第六感が、何かあるかもと訴えてくる。何一つ、根拠らしい根拠はないのだが………いや、一つあった。今こうして自分が動かされていることだ。この国で自分を使おうとする人間も、使える人間もそういない。現に、自分はバレーナには迎合しなかったではないか―――。

「大物だな……」

「はい?」

 微かな自嘲だったはずだが、アルタナディアは聞き拾っていたらしい。

「何でもないさ。ほら、着いたぞ」

 到着したのは湖畔の屋敷。クマイル卿の別荘だ。アルタナディアがアケミを通じて卿との会談を希望したのだが、卿の邸宅では他の貴族たちにあらぬ嫌疑を掛けられかねないため、この場所をセッティングした。

 アルタナディアは卿と顔見知りのようだ。何を話すつもりなのかは知らないが、アケミも仲介役として同席する。もしアルタナディアがバレーナを倒すために戦力の提供を求めたら鼻で笑うだけだし、とんでもないことを提案して国に不利益をもたらすようなら即座に斬る。それは当然、暗黙の了解のはずだ。

「アルタナディア姫」

 あえて呼ぶ。非公式だが、そういう場だ。

「卿にお会いになる前に、こちらの部屋でお召しかえを」

 今のアルタナディアは宿舎での労働着しかなかったから、会談に臨むにあたり、ドレスの用意を頼まれていた。もちろんアケミもいつものロングコート姿ではなく、剣士としての正装だ。

 アケミがドレスをメイドに渡そうとするが、その前にアルタナディアが横から手を伸ばす。一人で着替えるということらしい。

 さすがに見知らぬ人間に肌は見せられないか。そう考えたからこそカリアとの相部屋にしたのだが、しかし……。

 十数分待ち、ドアをノックする。

「構いません」

 部屋に入るとアルタナディアはすでに着替え終えていた。サイズを合わせるために一度試着したドレスだから手間取らなかったのだろうが、これは……。

「どうしたのですか?」

「…立場上、身体検査をさせて頂きますよ。メイドに着替えを手伝わせていれば必要なかったのですが……事前にお知らせしなかったのは申し訳ない」

「いいえ…どうぞ」

 どうぞと言っておきながら、アルタナディアは自分から動こうとしない。目を閉じ、無防備に立ち尽くしている。

 なんだ……この緊張感は? 白い首筋から鎖骨の柔らかな影が妙に生々しく見えて、息を呑む。おかしい……なぜ今、こんな気分になる? 

 一度意識してしまえば、もうダメだった。瞼を閉じ、唇を結んだ静かな面(おもて)すら触れるのを戸惑ってしまう…。

「…どうして後ろに回るのですか」

 アルタナディアの背後から伸ばしかけた手がピタリと止まってしまい……

「どうして、と言われてもな…」

 普段の口調に戻し、とうとう両手を挙げた。

「アルタナ……お前は綺麗過ぎる。正直なところ、魅入られたような気分だ。無礼を承知で言うが、もはや魔性の域だな。このまま顔つき合わせながら触れるのは酷というか、鍛え上げたつもりのあたしの精神が崩れそうで怖い」

「それは錯覚です。もしそう感じるのなら、このドレスのせいでは?」

「あー、そうしておこう。そのほうがあたしとしては楽だし、そのドレスが曰くつきなのも確かだ」

「どういうことですか?」

 アルタナディアが半身振り向き、目元で疑問を投げかけてくる。

「それはバレーナがお前のために作らせていたドレスだ。一回り大きかったのは今の体型がわからなかったからだな。予め詰め直させるつもりだったんだろうさ」

「バレーナが……」

 レース地を組み合わせたドレスはバレーナのものに似ているが、艶やかさよりも清楚さを感じさせる。丁寧な作りから、アルタナディアに対する想いがこれでもかと凝縮されているのがわかる。

「あー、検査はヤメだ。無闇にアンタに触れたらバレーナに呪われそうだ。その代わり部屋には剣を持ち込ませてもらう」

「結構です。行きましょう」

 コツ、と静かにヒールが鳴る。

 敵地で、逃亡中の身で、これほどまでに堂々と背筋を伸ばせるものか? アケミは思う。恐れ知らずといえばそうなのかもしれないが、しかしそれだけで一笑に付していいものだろうか。アルタナディアには何かがある。自分も認める何かが……。

 奥のリビングルームでは、すでにクマイル卿が待っていた。齢七十を越えるご老公。政治の重鎮でもあったが、すでに隠居している。アルタナディアとは祖父と孫ほどの年齢差だ。

「お待たせいたしました。ご無沙汰しております、クマイル卿」

「よくぞ参られた、アルタナディア姫。お父上のこと、まことに残念であった。私も最近あまり体調が優れんでな、葬儀に参列できなんだ。許されよ」

「いえ。そのお心遣いに、旅立った父も喜んでいることでしょう」

 満足げに頷いたクマイル卿はアルタナディアに着席するよう勧め、後ろについていたアケミにチラリと目を向けた。

「意外な交友関係ですな。何時知り合ったのかな?」

 クマイル卿が訝るのは当然だ。シロモリは武家であって、外交に関わる事はまずない。それが他国の王族と繋がっているとなれば、問題である。

「出会ったのは偶然です。賊の手から助けていただいたことがきっかけです。お若いながらもエレステルに知れ渡る名のある武人と伺いましたが、周囲への細かな配慮も怠らない、非常に尊敬できる方です。私もよくしていただき、感謝の念に耐えません」

 むず痒くなることをつらつらと…。クマイル卿に目で問われても、アケミは失笑を堪えて会釈を返すしかなかった。

「ふむ。私もアケミについてはある程度評価している。単独行動が過ぎることと、不真面目な点をのぞけばな」

「クマイル卿、私は武術師範でありますが、己自身も修行中の身。独り旅は修行の一環です」

「そうは見えんな。ブロッケン盗賊団の件以降、若い兵士たちはバレーナ王女とお前を英雄視しておる。バレーナ王女は期待に応えようと精進しておるが、お前は負うべき役目から逃げているのではないのか?」

 おっと。ただの仲介人のはずが、とんだとばっちりだ。

「誤解ですよ、クマイル卿。卿が仰る役目というのが何かは存じませんが、その役に就いていないということは、私にはまだふさわしくないのでしょう」

「まったく口がよくまわる。剣を振り回すより先に社交界に出ておれば、もう少し違う人生だったろうに」

「あはは…」

 苦笑いしながら内心舌打ちした。失礼なジジイだ。

「話が逸れたな…。アルタナディア姫、今回参られたのは、何のお話なのかな?」

 アルタナディアは差し出された紅茶を一口啜ってから、口を開いた。

「今の私と、イオンハブスの事情はご存知ですね?」

「……なぜ尋ねるのかね。自国の王女の行動を知らないとでも?」

「私には疑問なのです。戦争の正当性もですが、それ以上にバレーナが行動を起こしたその原因がわかりません。それにヴァルメア王が崩御されて二年……なぜ女王ではなく、未だに王女なのですか? 何か王位を継承できない理由でも?」

「ふむ……」

 クマイル卿は顔を曇らせる。

「……イオンハブスは、今後王座をどうされるかお決まりか」

「王室のことについては結論が出るまでお答えできません………と申し上げるところですが、具体的な議論の前にバレーナが襲来しました」

「そうか……申し訳ないことをした。実は未だに王女であるのは、バレーナが女王になることに賛同しない反対派が多数いるからなのだ」

「反対派? なぜ反対するのです? この二年間で伝え聞くバレーナの噂は、盗賊団の一件を始めとして、目覚しい成果ばかり。悪評は何一つとして聞こえてきませんでした」

「バレーナ自身に落ち度があるわけではない。むしろ力を尽くしておる。しかし反対派はバレーナの方針にケチをつけ……とにかく騒ぐことを止めぬ」

「方針?」

「その一つが、イオンハブスに対する友好姿勢だ」

 さすがのアルタナディアも眉を顰めた。

「それが何か問題なのですか? これまでと変わらないのでは?」

「エレステルは長きに渡りイオンハブスを守護した歴史がある。しかしその功績に見合う関係ではないのではないかという………不満だな。それが長きに渡り、民草にまで鬱積しておる。国家レベルで見ればそれは正しい主張とは言えん。エレステルは敵対勢力から自己防衛する事で、背後のイオンハブスを間接的に守っているに過ぎんし、イオンハブスからも事あるごとに物資などが供給されておる。しかし両国の友好が深まり、相手を知ることで、対等でないことは不平等だという錯覚した認識が生まれてしまっていたのだ」

 思い当たる所があったらしい、アルタナディアがわずかに表情を変えた。

「奇しくもエレステルとイオンハブスでほぼ同時期に王が崩御し、代替わりの期になってしまった。せめてあと五年経っておれば事情は違ったかもしれぬ……」

「どういうことです?」

「うむ………」

「そこからは私が申し上げましょう、クマイル卿」

 言葉を詰まらせたクマイル卿を見かねて助け舟を出す。クマイル卿も老いたのだ。孫娘を見るような眼差しの老人に言わせるのはいささか酷すぎる。

「つまりだ。エレステルの三分の一は、イオンハブスの『小娘』を王として認めないのさ。そしてその小娘と対等の立場をとろうとするバレーナもまた、能力を疑われているってわけだ」

「…………!」

 アルタナディアは少なからず衝撃を受けたようだった。茫然自失の表情で、唸る。

「私のせい、だったのですね……」


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