アケミ=シロモリとの邂逅、それから三日後――――。(2)



「シャーリー、悪いけど――……」

 ミオは口を閉じ、顔を歪めた。覗き込んだ厨房から顔を出したのが仲間の顔でなく、ウラノだったからだ。

「どうされましたか?」

「…シャーリーはどうした」

「食材の調達に出られましたよ。シェフも休憩中です」

「お前は何をしている」

「食事の後片付けですが」

 流しに置いてある食器は皿が二枚、スプーンとフォークが一式。一人分しかないところを見れば、時間の遅れた昼食だとわかる。メイドが主の後に食事をすることは当たり前だし、なんら不自然な点はない。むしろ労いたいところだが、この女だけは別だ。

「御用はなんですか? 小腹が空いたのでしたら、何かご用意しますが」

「いらない。お前が出すものは怖くて喉を通らない」

「ハリネズミみたいに気が立ってらっしゃいますね。やっぱりお腹が空いてイライラしてるんじゃないですか? 育ち盛りでしょうから」

 クスクスと笑うウラノ。真似出来ない可愛らしい仕草だが、こちらからすれば悪意があるようにしか見えない。が、無視する。

「最近のバレーナ様は少しお加減が優れないようだ。今晩はあっさりしたメニューにするよう、シェフに伝えておけ」

「かしこまりました。心配ですね、バレーナ様……激務でさすがにお疲れのご様子です。先程もお休みのためにアルタナディア様のお部屋に入られましたし」

「!? どうしてアルタナディア姫の………」

 思考が停止した隙に、ウラノが耳元でそっと囁く―――。

「ミオ様もご無理をされませんように。アルタナディア様の代わりにバレーナ様をお慰めするのは大変でしょう?」

「…何だと……」

 自分で顔が引きつったのがわかった。ウラノの襟首を右手で掴むが………何もできない。

「くっ……いいか、くれぐれも伝え忘れるなよ!」

 突き飛ばすようにして放し、足早に去っていく。

その後姿を眺めながらウラノは目を細め、冷笑した。

「そんなに慌てて……姫様のお部屋を勧めたのは私なのに、勘違いなされなければいいですけど。フフフ……」



「くそっ……くそっ……!」

 早くなる歩調に合わせるように、ミオは繰り返し呟く。

 私があの王女の代わり? そんなバカなことがあってたまるか! バレーナ様は私が傷を負ったからお心遣い下さったのだ。そのお気持ちは私だけに向けられたものであって、どうしてアルタナディア姫が出てくる!

 しかし――。

 あの夜以来、アルタナディア姫がいなくなって以来、バレーナがどこか変わってしまったのは確かだった。ミオはそれが作戦成功による一時の高揚感なのだと思っていた。

 いや………そう納得しようと、していた。





 

 アルタナディアの部屋のベッドは、バレーナが使っている部屋のものとさして変わらない。違いといえば、天蓋とカーテンが付いているだけだ。その大きな天蓋を、バレーナは寝そべりながらぼうっと見上げていた。

 あの夜、自分はどうしてアルタナを傷つけてしまったのだろうか。独占欲を満たすために自分の痕をつけた……それは間違いないが、あんな乱暴をする必要はなかったのではないか。あの時はアルタナの「抵抗なき抵抗」に動揺していたし、カリアの闖入に頭にきていたし、何より自分自身、どうすればいいのか迷っていた。

 電撃作戦でイオンハブスの中枢を制圧して属国とし、その功績でエレステルの王位を正式に獲得する。同時に、アルタナを捕虜として一生自分の手元に置いておく―――本来はそのつもりだった。

 誤算は、アルタナのほうが自分より王としての覚悟を持っていたことだ。作戦遂行に当たって、全面戦争という事態は当然予想された。ともすれば、守るべきアルタナの命を自分が奪ってしまうかもしれないと。だがそれはエレステルの王として覚悟していた……はずだったのだが……。

「ふう…」

 虚しく溜息を漏らす。

 あの夜……アルタナを傷つけてしまったあの夜、優しく抱いてやればよかった。一週間でも一ヶ月でも一年でも抱き、愛を囁き続ければ、アルタナの心は変わっていたのではないか? 

 ………無理だ。無意味だ。そんなことでアルタナが折れるはずもない。アルタナを抱きしめたのも、ドレスを裂いたのも、ベッドに押し倒して胸に歯を立てて傷つけたのも、状況に身を任せたフリをして、私の卑しい感情を吐き出しただけ……私はどこまでも中途半端だ……。

 寝返りを打ち、目を閉じるかどうか迷う。仮眠をとるつもりだったのだが、今眠るとアルタナの………ものすごく淫らな夢を見そうな気がする。そんな寝覚めの悪いのはゴメンだ………

「―――バレーナさまっ!!」

 部屋に飛び込んできた気配に意識が覚めた。どうやら船を漕いでいたらしい。

 身を起こし、何かあったのかと尋ねる前に、ミオは異様に顔を険しくしていた。

「……どうしてそんなところで眠っていらっしゃるのです」

「ん………」

 自室に戻って一眠りしようとしたら、ベッドのクッションを干している最中だから空いているアルタナディアの部屋をと、ウラノが勧めてきたのだ。主が不在の部屋に入るのは気が引けたのだが、


 ―――城主の物すべてを奪ってこそ、初めて占領したと言えるのでは?


 ウラノめ、上手い事言う……。何かあるかと思っていたが、こういうことだったか。

「…部屋のベッドメイクがまだだというからな。代わりにここで休んでいただけだ」

「他にも部屋はたくさんあるではないですか! 私には、バレーナ様がっ……」

「想い人の匂いを嗅いで、妄想に耽っているようにでも見えたか?」

「なっ……そ、そのようなことは……」

 赤くなってうろたえるミオを笑ってやる。下らんことだと言い聞かせるように。

「アルタナのことを考えてはいた。私にとっては妹同然……言葉のあやではない、本当に大切な存在だった。その妹に手をかけようというのだから、感慨にもふける……」

「………本当に、妹なのですか」

「何……?」

 普段のミオとは違う、少し責めるような声。内心、ドキリとした。

「どういうことだ」

「私も昔は、幼い頃は姉と仲が良かったです。でも………あの夜の時のように情動的に抱いたり、ベッドに引き込むようなことは、姉妹でもしませんでした」

 ミオの視線は腰掛けているベッドに刺さっている。

「本当は……本当は、姉妹以上の想いを抱いていらっしゃるのではないですか? もっと深く愛していらっしゃるのではないですか?」

「何を言う、そんな馬鹿なこと…」

「私はアルタナディアの代わりだったのですか!?」

「―――――」

 まずい………否定しろ。すぐに否定しろ。違うと言え。早く違うって言え……!

「私に与えてくださった優しさは、本当はアルタナディアのものだったのでしょう!?」

「そうじゃない……」

「アルタナディアを忘れるために、気を紛らわせるために私に情けをかけてくださったんじゃないんですか!?」

「違うっ……黙れっ!」

 直後、怒鳴った自分に茫然としてしまう。何だ、この有様は……。

 涙目になっているミオをぐっと見詰め、大きく深呼吸する――……。

 ウラノの計略ではあるのだろうが、大元の原因は私だ。私の責任だ。アルタナを、ミオを、自分自身を誤魔化した、私の責任……。

「…私が、アルタナディアの代わりになります」

「何だと?」

「アルタナディアの代わりになり、バレーナ様のお心を満たしてみせます。元より身も心もバレーナ様に奉げています。いかようにしていただいてもかまいません!」

 一大決心したつもりか。しかしミオ、それは茶番だ……。

「いいだろう……試してやる。来い」

 来いと命じられ、ミオはビクリと身を震わせる。

 あの夜、この場にいたミオならば、ベッドに座る私の元へ来る意味を察するだろう。 

 身を縮こまらせ、視点を迷わせながら、ミオは少しずつ歩み寄ってくる。二歩手前で止まったミオに、組んでいた右足を伸ばした。

「口付けろ」

 ミオが目を剥く。靴に口付ける行為は服従を示す。今は靴を脱ぎ、黒いストッキングだが、同じことだ。家臣が主に服従の意思を示すのは当然だが、それでもこれは腹心の部下にやらせるものではない。それなら手の甲だ。そこにおいて足を出す意味………それはまさに、己を捨て、身も心も委ねろという意味だ。

 ややあって……。

 息を呑んだミオは膝を着き、手も床に付けて這い蹲い、震えながら爪先に口を寄せて―――……

「……止めろ」

「え…」

「失格だ」

「! 何故ですか!?」

「アルタナは抵抗しなかったが、屈服もしなかった。言っている意味はわかるな」

「あ…!」

 アルタナディアと同じであるのなら、自ら膝を着いてはいけなかったのだ。

「お前にアルタナの代わりは無理だ。が、お前の代わりもまたいない。確かに私はお前の向こうにアルタナを見ていたのかもしれないが、かけた言葉の一つ一つはミオだけに向けていたつもりだ」

 愕然とするミオを見下ろしながら、都合のいい言い訳を並び立てる自分に反吐が出る思いだった。

「私に与えて下さったお言葉が本当なら………もう一度、抱きしめてください……」

「…………」

 靴を履いて立ち上がり、己を殺してミオの横を通り過ぎる―――が、不意にこぼれた涙がミオの手に落ちてしまった。ミオが顔を上げる前に足早に通り過ぎたが、気付かれてしまっただろう。それでも平常心を保ち、堂々として見せなければならない。

「今日はもういい。明日から通常任務に戻れ。私の勝手に付き合わせてすまなかった………お前にそんな感情を抱かせてしまった私を許してくれ…」

 ミオを残して部屋を出て、自らを呪った。

 王ならば戯れてはいけなかった。王でないのならアルタナを連れて逃げればよかった。どちらにしろ、ミオに甘えてはいけなかったのだ……。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る