バレーナ王女によるイオンハブス襲撃、その翌日――。(4)

 夕刻。バレーナが部屋に戻ると、控えていたミオが心配そうな顔をした。

「どうした?」

「バレーナ様がお疲れのようですから。昼間は大立ち回りを演じられたとか…」

「フッ……ロナとマユラは青ざめていなかったか? あんな怒り方をしたのは久しぶりだったからな」

 バレーナは椅子の背もたれに寄りかかりながら冗談交じりに笑うが、ロナとマユラのほうは冗談では済まなかったらしい。ブラックダガーはある意味近衛兵よりバレーナの傍に侍る部隊だから、誰しもバレーナとは近しい。特にロナとマユラは部隊の初期メンバーだ。その彼女らが真っ青になって部屋に戻ったとき、ミオはバレーナの身に何かあったのでは疑ったほどだ。

 「あんな怒り方」とは、おそらく今まで誰も見たことのないバレーナ様だったに違いない。そしてその原因は無能な大臣ども……の向こうにいる、アルタナディア姫か…。

「…バレーナ様、食事の用意をさせましょうか」

「いや、先に気分を落ち着けたい………風呂の用意をさせてくれ」

「お風呂でしたら、すでに準備できております」

「ほう…」

 身体を起こし、ミオを斜に見るバレーナはニヤリと笑む。

「手回しがいいな。私と入浴するのが余程待ち遠しかったのか」

「は!? 何を、仰います…」

「よし、風呂に行くぞ」

 飛び出すように立ち上がったバレーナは嬉々としてミオの小さな左手を掴み、ぐいぐい引っ張ろうとする。

「バ、バレーナ様、困ります!」

「何が困る? ロナたちとは一緒に入っているだろう?」

 それはそうだが、それはあくまで同僚だからであって、目上の、まして国のトップであるバレーナ陛下の肌を拝むなど………違う、陛下の前で汚い肌を晒すなど、あってはならないことであって……!

「……いえ、やはりいけません。骨を折ってますから、お風呂は」

「だからだろう? 風呂に入れなくても身体を拭わねばなるまい。一人片手では無理だ」

「ですが…」

「ミオ」

 すっと雰囲気が重く変わる。機嫌を損ねたのかとミオが固まると、バレーナは真正面から覗き込んでくる。

「お前の当面の役割は、私のオモチャになることだ。手傷を負わされたことを恥じるのなら、せいぜい私の機嫌をとるように努めろ」

 ずいぶんな物言いだが、ミオに反論の余地はなかった……。

 そして風呂場での四十分間―――。ミオにとってはトラウマになりそうなくらい恥ずかしいことの連続だった。あっさりと裸になったバレーナから目を逸らすのも必死だったが、それよりなにより、服を丁寧に脱がされたのが最大の恥事だった。しかも一糸纏わぬ姿を凝視される。気絶しそう……いや、いっそ気絶してしまいたかった。

 しかし、爪先まで舐めるように眺めたバレーナから出た言葉は、沸き立ったミオの頭を冷やすものだった。

「ふむ……傷はないな。兵士とはいえ、女のお前たちの体に傷をつけるわけにはいかん。ミオも自身を大事に扱え」

 バレーナがコツンと額を合わせてくる。

 愛されていると、感じてしまった。お側に置いていただいているとはいえ、幼いころからの仲とはいえ、一兵卒にこれほど気を遣って頂けるとは……いや、もしかして私が子供として扱われているだけなのか? ミオには判別できない。

 風呂場でのバレーナはまるで隙だらけだ。しかしそれだけリラックスしているのかと思えば、時折りにわかに表情を曇らせる。美しく強靭な肉体と魂を持ち合わせていても、流れる王の血は大きな負担となる。苦悩から解き放たれる事は決してないのだろう……。

 やっと風呂から上がると、バレーナの自室に食事が用意されていた。そしてテーブルの脇には一人のメイドが控えている。

「いい湯加減だった」

「恐れ入ります」

 バレーナが軽く声をかけると、メイドは慇懃無礼に頭を下げた。

「席に着け、ミオ。乾杯しよう」

「はい」

 とりあえずメイドのことは置いて、ミオは素直に従った。この期に及んで断るなど野暮極まりない。

 乾杯し、ワインを一口飲み下し、

「で――」

 バレーナはメイド―――ウラノに顔を向けた。

「どうだった、アルタナディアは。思うままで構わん、述べてみよ」

「はい」

 初めて言葉を交わす間柄ではない。ウラノとは、バレーナによって送り込まれた人間なのである。

「アルタナディア様は凛とした美しいお方です。これまで公の場ではお言葉が少なかったですが、その全てが正しく、無駄がありません。ご自分の漏らす一言の重みを理解した、聡明なお方とお見受けします。ご自身に大変厳しく、近しい者にも弱みを見せられることはありません………いえ、最近一度だけありましたね」

 ウラノはそれまで機械的に喋っていた口元にほんの少し意思を滲ませる。ほんの少し、薄ら笑って―――。

「昨晩、深夜です。破かれたドレスの換えをお持ちしたときに」

 バレーナのフォークを持つ手がピタリと止まる。

「貴様、なぜその時に報告しなかった!?」

 ミオが憤るのはドレスを持って行ったことについてだ。深夜に寝巻きではなくドレスとは、逃げる用意をしていたのだ。ウラノもその事はわかっていたはず。

「貴様が報告を怠らなければ、昨晩の件は事前に手を打てたんだぞ!」

「そうですね。その腕も傷を負わずにすんでいたのかもしれません」

「なに…!」

「よせ、ミオ」

 ミオをバレーナが制する。

「それで、評価としてはどうなのだ」

「王として素晴らしい素養をお持ちかと思います。しかし周りに恵まれていません。王は一人では成れません……。ガルノス王が病に伏せられた二年前より大臣をはじめとする重鎮までもが堕落しているこの国。良く治めるには強力なリーダーシップが必要ですが、残念ながらアルタナディア様には一つ、致命的に欠けているものがあります」

「何だ?」

「アルタナディア様を泣かせたバレーナ様ならば、ご存知のはずでは?」

「…………」

「貴様……いい加減にしておけよ」

 ミオがナイフを左手に握り直す。

「およそ主に対する口の利き方ではないぞ。王に対する度重なる無礼、行き着く先がわかっているのだろうな!?」

 怒り以上に殺意を含んでいる。バレーナに対する侮辱は万死に値するのだ。

 しかしウラノはミオの実力を知りながらも平然としていた。

「ミオ様、勘違いされては困ります。私はバレーナ様の部下ではありません」

「何だと……!?」

「座れ、ミオ。しばらく黙っていろ」

 ミオは肩を怒らせながらも着席する。バレーナの命だ、不服でも様子を見守るしかない。

「ウラノ、大体はわかった。あくまで例え話だが、『その時』がきたら、お前は私とアルタナディアのどちらに付く?」

 言を受けたウラノは目を細め、不快感を顕にした。

「強い方に。今はまだ、アルタナディア様付のメイドです」

「……わかった。『その時』まで、身の回りの世話を頼む。下がっていい」

「では失礼いたします、バレーナ王女様」

 一礼して部屋を出て行くウラノを最後まで睨み続け、ミオは口火を切った。

「バレーナ様、どうしてあのような物言いをお許しになるのです!?」

「興奮するなミオ。腕に響くぞ」

「あれでは増長する一方です! しかもあの女、最後にバレーナ様のことを『王女』と……奴は『反対派』に違いありません! 手元に置いておくのは危険です!」

「手が止まっているぞ。折角の料理が冷めてしまう」

「バレーナ様!」

 テーブルを越えて詰め寄ってきそうなミオから目を逸らし、グラスを空にすると、バレーナは小さく息を吐いた。

「ウラノはジレンの者だ」

 その回答にミオは目を丸くする。

「ジレンとは、あのジレンですか? 王の選定者、『絶対中立』のジレン一族……」

 ジレン一族はエレステルの次期王を決定するために、候補者の性格・能力・素行などを常に調査し、評価する役割を持つ。具体的な決定権は王と議会に委ねられるものの、緻密に収集されたデータには多大な影響力があるという。その特異性のためにジレン一族は絶対的に中立であり、徹底的な守秘義務を貫く。一族の者は総じてあらゆる知識に精通し、社会のあらゆる場所に溶け込み、常に王家を監視しているのだ。

「しかしどうしてジレンの者がこの国に……そもそも、どうやって正体がわかったのですか?」

 ミオの疑問はもっともだ。基本的に頭目であるゴラル・ジレン以下数名しか面が割れていない。一族の構成は全く不明なのである。

「正体がわかったのは偶然だ。いや、必然かな…。三年前にメイドとして城に入ってきたときから違和感はあった。優秀すぎたからな。この国に送り込んだのはアルタナの評価をさせるためだ。二年前に私の父が亡くなった時の経験から、今回のようなことになるのは目に見えていた。出方を判断するためにウラノには協力してもらったわけだが………まだ不満がありそうだな」

 ミオの表情は硬いままだ。

「いえ、不満というわけではありませんが、あの態度はいかがなものでしょうか? 中立とはいえ、自国の王に対する振る舞いではありません」

「そう目くじらを立てるな。あれは私を恨んでいるのだ。面が割れたジレンは劣等の烙印を押される。ゴラル族長にウラノを使う承諾を得に行った時も、二つ返事でOKだった。ウラノにしてみれば身内に売り飛ばされたようなものだ、これ以上の屈辱はない。私も少々出すぎた真似をしたかと思ってな、一応は協力を要請するという形にしたのだ。このことは他言無用だぞ………さあ、もういいだろう。食事にしよう」

 バレーナが料理を口に運び始めると、ミオも従わざるを得なかった。メニューは魚のオンパレードだ。ミオの腕が早く治るようにバレーナがリクエストした。

 ミオは早速、エレステルでは珍しいカジキのステーキにナイフを入れようとするが、右腕は指先が動くとはいえ、分厚い身を切り分けるには力が足りない。苦戦していると、バレーナが皿を取って切り分け始める。

「全く、ウラノの差し金だな。捻くれているが、本来はかゆい所に手が届く優秀なヤツだ。お前の腕のことがわかっているなら最初から切り分けて持ってくる。ただ、プライドが高いからな。私情で任務を放棄することはないが、可愛い嫌がらせくらいは受け止めてやれ」

「………」

 可愛いとは言うが、ミオはおろか、下手をするとバレーナ様より年上かもしれないあのメイドをどう扱えばいいのだろう…。

「ほら」

 バレーナが切り身を刺したフォークをミオの口元に寄せてくる。

「そ、そこまでは……自分で食べられます」

「怪我人は甘えていいのだぞ? 一回だけだ。ほら、口を開けろ」

 それはバレーナ様がやりたいだけなんじゃ…。口には出せず、代わりに渋々「あーん」と口を開き、切り身を受け入れる。恥ずかしい……ものすごく恥ずかしい。誰かが見ている前だったら切腹ものだ―――

「……風呂場で、ずっと私を盗み見ていたな」

「んぐっ…!!」

 大きな切り身をカタマリのまま飲み込んでしまった!

「げほっ、げほっ…」

「ハハハ、そんなに動揺するな。慌てなくても、お前もちゃんと女らしい身体になる。そのためにはしっかり食べることだ。お前はただでさえカロリーを消費する役目なのだからな」

 やはり子ども扱いなのだろうか……。ミオは少し気が沈んだが、風呂場でのバレーナの浮かない表情を思い出す。

 これで気が紛れるのなら、それでいいのではないか? それが今の自分にできることだし、オモチャにされるのも………悪い気は、しない。




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