バレーナ王女によるイオンハブス襲撃、その翌日――。(1)

 ミオがバレーナの部屋に呼び出されたのは、アルタナディアが消えた翌日午前九時のことである。

 一部の騎士が起こした抵抗は鎮圧させたものの、アルタナディアは逃亡してしまった。

 それ自体は問題ない。バレーナとミオの間では折込済みであり、指示通りアルタナディアには監視をつけている。さらに去り際のアルタナディアの必ず帰還するという宣誓の言質をとってきたのは、バレーナにとって上々の結果だった。いくら意図的に泳がせているとはいえ、意思を把握しておく必要はあった。例えば……アルタナディアが他国に亡命した場合、大軍を引き連れて戻ってくる可能性も、手段としてなくはない。いやそれならまだしも、要請を受けた国が大義名分を利用し、イオンハブスとエレステルの両国を一気に奪い取ろうと画策することもあるだろう。考え始めれば最悪の状況は予測しようもない。そういう意味ではミオはいい働きをした。

 捕らえた騎士たちはアルタナディアに対して十分な人質となる。牢屋に放り込んでおけば要望を呑んだことになる上、アルタナディアは必ず一人で戻ってくるだろう。そういう娘だ。

 結果は実に思惑通りだったのだが―――バレーナには一つだけ不満があった。報告にきたのがミオでなく、ブラックダガーの一人であるロナだったのだ。不自然に思って問い質すと、ミオはアルタナディアに追っ手を差し向けるための指示をしているという。そこがバレーナには引っかかった。ミオなら全てが完了してから報告に来るはずだ。人任せに途中経過を報告させることはしない……。しかし何かしらの理由があるのだろうと思い、そのまま休むことにしたのだ。

 だが翌朝、現れなかった本当の理由をこうして目の当たりにして……バレーナは少しの間、かける言葉が浮かばなかった。

「……重傷者の報告は聞いていなかったがな」

 ミオは縮こまる。白い包帯で吊った右腕を胸元に隠すようにして、

「不覚でした…」

 それだけ言うのが精一杯だった。

「あのアルタナの従者か……」

 何かと噛み付いてきた女剣士を思い出す。カリアといったか。まさかミオに手傷を負わせるだけの実力があるとは思わなかった。それとも偶然か? いや、つまりはそれが油断なのだが。

「折れたのか?」

 ミオの怪我を裂傷などでなく骨折と診たのは、包帯の下に添え木がしてあったからだ。

「腕が曲がるほどではありません。指は動かせますし、おそらくヒビが入った程度です」

「ふむ」

 バレーナは目を伏せるミオに近づくと、顎に手を添えて上向かせ、額と額をくっつけた。

「ぁ…」

 突然のバレーナの行動にミオは固まる。バレーナとミオは二〇センチほど身長差がある。普段、こんな風に顔が近づく事は……身長に関係なく、無い。

「そんなに見つめるな、照れる。正確な体温がわからなくなるだろう」

 額を合わせたまま、こんな至近距離で照れると言われても。バレーナの美貌がミオを魅入らせるのだ。

「……微熱があるな。これから熱が上がるだろう。個室を割り当てる。しばらく休め」

「そんな…大丈夫です! 問題ありません! 支障ありません!」

「支障ないことないだろう、その腕で。エレステルへ帰還するほうがいいか?」

「嫌です!」

「嫌と言われてもな……」 

 頑として首を立てに振らないミオにバレーナは苦笑しながらも少し戸惑う。いつもならもっと大人しいはずだが…。

 と、気付いた。カリアに対抗心を燃やしているのか。百人組手を何度も突破した実績を持つミオが猪みたいな従者に傷を負わされれば、さすがに黙ってはいられないか。まだ少女であるミオを支えているのはバレーナの側近であるというプライドであり、コケにされれば我慢もならないのだろう。悪い傾向ではないが、影響されすぎるのも困る。

「その腕で私の隣に立たせるわけにはいかんな。今日から連日、この国のカカシどもと対峙せねばならないのだ。その時にお前が傷ついた姿を見せれば、奴らに付け入る隙を与えてしまう」

「………」

「そこで、だ」

 バレーナが最近ではあまりしない、悪戯っぽい笑みを浮かべる。

「ミオの怪我は私の命令を履行したゆえの、いわば名誉の負傷だ。私もわがままを言った責任を感じている。だから腕が治るまでこの部屋で静養しろ」

「え…?」

 どういうことだろう……?  

 ミオがしばし思考停止していると、バレーナが身体をかがめて目線を合わせ、ポンと肩を叩く。

「利き腕をやられて不便だろう? 食事から着替え、風呂の世話まで、私が全て面倒見てやる」

「え……」

 今度は頭がちゃんと動いていた。猛烈なスピードで―――妄想していた。

「なっ……何を仰って……お戯れが過ぎます。それに無様を晒して特別扱いでは、ブラックダガーの長として面目が立ちません」

 赤面するかと思いきや、ミオは冷静に受け答えする。

 バレーナとしては慌てふためくミオも見たかったのだが、いつの間にかポーカーフェイスができるようになっていたらしい……いや、これが生来の真面目な性格か。しかし落ち着きすぎている不自然さは隠しようもない。

「フッ……まあよい。そこまで言うのなら、食事と風呂に付き合うだけで許そう」

「ですから陛下…」

「陛下と呼ぶのはよせ。プライベートの時間くらい付き合ってはくれんのか? リラックスする時間は狙われやすく、逆に気を張ってしまいがちだからな。お前がいてくれると安心だ」

「……そういうことでしたら……」

 ミオは承諾する。普段の任に就けない代わりに、食事時と入浴時に護衛をするということだ。療養しろといわれるのは仕方がない。自らの至らなさゆえだ。

 そんな風に己を責めるミオを、バレーナは見透かしていた。

「そう肩肘を張るな、治るものも治らんだろう。しばらくは私との食事での話題でも考えていればいい」

 そう言ったバレーナの唇は―――ミオの警戒を何事もなく突破して、柔らかな頬に触れた。

「え…あ、あのっ…今のは……」

「早く怪我がよくなるおまじないだ。昔も一度してやっただろう?」

「子ども扱いは……その……」

「止めて欲しいか? なら、大人しくしていろ」

 もう一度キスされて、ミオはブラックダガーの寝泊りしている大部屋に帰された。



「大丈夫だったでしょ? バレーナ様にお叱りを受けたりは………ミオ?」

 ブラックダガーのメンバーが待機する部屋に戻ってきたミオの顔を、ロナが覗き込む。この作戦が始まって以降、ずっと緊張していたミオが考えられないくらい隙だらけだったからだ。

「バレーナ様に子ども扱いされた……」

「うん?」

 相槌を打つものの、ロナはしっくりこない。ミオが子供扱いされるのはいつものことで、いちいち反発するほど子供ではなかったはずだ。そんなにショックだったのかと様子を伺うが、顔は青いというより赤い。目に涙を含んでいるというか、潤んでいる。どことなく、表情と言動が一致しないのだ。

「ミオ…?」

「あ…ごめん。しばらくは静養するようにと……私が負傷したせいで、皆に迷惑かける。本当にごめん」

 まかせてと胸を叩く者もあれば、やれやれしょうがないなと肩を竦める者もいる。だが誰も責めたりはしない。ミオは同世代が集うブラックダガーの中でも体格が小さく、歳も最年少だが、「生娘部隊」と影で揶揄されるこの隊において、戦闘力・判断能力・忠誠心―――どれをとっても一級の戦士に引けをとらない。だからミオが不覚を取ったならば、それは相手が相当の腕前だったか、不運な事故だったかだ。文句はない。そう、誰しもが認めるミオだったのだが―――

「はふ……」

 変な溜息を吐いてベッドで丸まったのを見て、誰もが首を傾げたのだった。



              


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