アルタナディア姫が十七歳になり、その四日後――。(5)



 作戦が始まったのを確認したカリアは、比較的動きやすいシンプルなドレスに着替えたアルタナディアの手を引いて城から脱出した。

 計画通り…と言いたいところだが、姫様の部屋にバレーナがいたというまさかのアクシデントがあったため、十分な準備ができなかった。今になって思えば、あそこでバレーナを討てば決着がついたのではないか? 頭に血が上ってしまった自分が忌々しいが、それ以上に姫様に恥辱を与えたバレーナは許せない。姫様さえ取り戻せば正面切って戦ってやる! そう考えていたのだが――……。

「カリア、作戦指揮をしているのは誰ですか」

「はっ、グラード親衛隊長です」

「すぐに彼の元へ案内しなさい」

 元よりそのつもりだった。隊長と合流し、隠居されているサングスト大老を頼る。そういう段取りなのだ。

 隊を指揮するグラード班は、襲撃した三つの門の中間地点であるメインストリートの一角に待機していた。そこに到着したアルタナディアは、騎士が歓喜の声を上げる前に命令する。

「今すぐ攻撃を止めさせ、兵を引き上げなさい」

「ですが姫様……」

「私を逃がすためと聞きましたが、そのようなことは無用です。私の意に反して騎士団を動かす事は反逆罪に当たります。即時解散しなさい」

 このアルタナディアの言葉にいよいよ騎士たちはうろたえた。姫のための決死の作戦を反逆行為と断じられれば当然だ。グラードが説得しようと口を開きかけるが、駆け込んできた兵の報告に割り込まれた。

「隊長、各班とも半数以上が戦闘不能! その上、攻撃を止めなければ城内の人間を殺すと……!」

「何!?」

 カリアは唇を噛む。あの女、どこまでも卑劣な真似を……!

「すぐに戦闘を中止しなさい! そのような通達をしてきたのはどこです? すぐに向かいます!」

「――その必要はありません、アルタナディア王女殿下」

 兵士に代わって答えたのは、影から抜き出るように現れたミオだった。そしてそのミオの後ろにはさらに三人の影。軽装でありながら隙のない身のこなしの彼女らは、バレーナの懐刀である直属部隊「ブラックダガー」。構成員が全て若い女なのは、表の顔がバレーナの侍女だからだと言われている。しかし真の役割は多岐に渡るバレーナのサポート。あらゆる分野に精通した才女たちである。場合によってはバレーナとともに戦線に立つことも想定されているため、実力は高い。

 そのリーダーであるミオが一歩前に出て、アルタナディアに一礼した。

「通達をしたのは私であり、バレーナ陛下のご命令です」

「兵たちは武装解除の上、投降させます。ですからどうか、寛大なお取り計らいを願います」

 ミオの前に膝を着き、頭を垂れるアルタナディア。騎士たちは声を失い、ミオは顔を強張らせて見下ろす。

「生殺与奪の権限はバレーナ様にあります。私の一存ではどうにもできません」

「ではバレーナ王女にお目通りをお願いします」

「お断りします。今宵はもう、お会いになることはできません。特に貴女は」

 ミオの返答には個人的な感情が多分に含まれていた。それはミオの後ろに控える部下も感じ取ったが、原因まで知るのはアルタナディアとカリアだけだ。

「全ての結論は明日に出されることでしょう。それまで暴徒は身柄を拘束し、投獄します」

「わかりました。グラード」

「は……」

 アルタナディアの意向を受け取ったグラードは無念の表情で武器を捨て、投降する指令を伝えるために、各分隊に部下を走らせた。

「貴様……なぜ剣を捨てない」

 ミオの冷たい視線の先をアルタナディアが追う。カリアだ。腰の剣に手をかけてはいるが、手放す気配はない。

「カリア、剣を捨てなさい」

 やや咎めるようなアルタナディアに対し、

「……できません」

 拒否の返答をする。ブラックダガーの面々は身体を緊張させ、ミオは舌打ちした。

「空気の読めぬ馬鹿だとは思っていたが、己の主君にまで逆らうとはな」

「黙れっ! 姫様に危害を加えるものは誰であろうと許さない! 貴様らのような鬼畜どもに、姫様を好きにされてたまるか―――っ!!」

 カリアは隠し持っていた玉にマッチで火を点す。導火線に火が走り、漂ってくる火薬の匂い…。

 爆弾か!?

 そう判断した瞬間、ミオはナイフを素早く抜き放ったが、カリアは紙一重でかわして……爆発する―――!?

「ちっ――」

 ミオとその部下たちは後ろに大きく跳躍するが、そこでミオは不自然さに気付いた。カリアがまだ爆弾を手放さない。そして周囲の騎士たちも逃げる気配がない。

「しまった…!」

 再度の舌打ちを飲み込むように、夜の闇すら覆い隠す煙幕が広がる。煙の向こうに走り去る二人の影が、おぼろげながら見えた。

「くそっ…!」

 すかさず追いかけようとすると、投降したはずの兵たちが阻む。頭にきた…!

「貴様らは主君が平伏してまで救われたその命を無残に散らすつもりかっ! か細い姫に庇われる分際で、恥を知れ!」

 グラードたちの動きが止まる。ミオに言い返すこともできないのである。

「この者たちを拘束し、各地点を完全制圧! これ以上、馬鹿げた騒ぎでバレーナ様の夜を乱すな! 私はあのふざけた女と姫を追う!」

 ミオは怒鳴って指示を出す。苛立つ感情を抑えようにも、騎士どもがあまりにも弱く、愚か過ぎる。どうしてこの国の兵どもは主君の意を汲めぬ者ばかりなのか。理解に苦しむ……!



 静まり返った街並みを縫うようにして駆け抜けるカリアだったが、

「止まりなさい――――止まりなさいカリア!」

 アルタナディアに手を引かれて足を止めた。

「申し訳ありません姫様、少し速すぎました! 足を痛められましたか!?」

「そうではありません」

 アルタナディアは全くといっていいほど息を乱していない。それどころか真っ直ぐに立ち、厳しい瞳をカリアに向けた。

「なぜこんな行動をとるのです!?」

「は? 逃亡計画はお部屋でご説明させていただきましたが…」

「状況を見なさい! 私が逃亡すれば、作戦に加担した兵士は処刑されるのですよ」

「死は覚悟の上です。集いし有志一同は決意の元に行動を起こしたのです!」

「それは詭弁です。私は誰一人として死なせるつもりはありません。すぐに戻り、兵に酌量していただくよう嘆願します」

「いけません!」

 今度はカリアが腕を引く。

「戻れば姫様のお命が危険です! バレーナがどうするつもりかは知りませんが、少なくとも議会は姫様を差し出して保身を図るつもりです! 明日になれば姫様が売り渡される………黙認できるものではありません!」

「…それでよいのです」

 アルタナディアはさらりと言い切った。

「国を守るのが頂点に立つ者の務めです。国とは民。民を守るために命を投げ出す事は、私の使命なのです」

「でしたら私の使命は姫様をお守りする事です! 死ぬとわかっていながら見過ごすわけにはいきません!」

「私に仕える身ならば、私に従いなさい!」

「姫様は勝手です! 後に残された者はどうするのです!? 助けられなかった己を呪いながら、黙って敵に膝を折れと!? 首を刎ねられてもできません!」

 カリアの震える言葉に、アルタナディアは黙って歯噛みする。

「姫様を守るなと仰るのなら、どうして私を召抱えて下さったのです? それとも私の実力不足ゆえに死を選ばれるのですか? なら私はバレーナと刺し違えます!」

「――貴様がバレーナ様と刺し違える事などできるものか」

 建物の陰から唸りが上がる。ミオだ。

 足音も立てずに追いついてきた。脅威の隠密性だが、先程とはまるで逆だ。姿は夜の闇に融け込んでいるというのに、はっきりとそこにいるのが気配でわかる。暗がりの中で、激しい敵意を隠しきれずにいるのだ。

「愚かしさも度を越えると罪になる。貴様は姫に侍るに値しない。私のほうが余程アルタナディア姫のお気持ちを理解できる……ゆえに貴様を誅殺する」

 ミオが腰から二振りの短剣を抜く。逆手で構えた刃は、握る者を鼓舞するように閃く。相当な業物であるのだろう。

 カリアも腰の剣に手をかける―――が、抜きはしない。構えるだけだ。

 臆したか――ミオはカリアに斬りかかる。三度目の立ち合いだが、これまでで一番速い! 理由は簡単だ、今回はバレーナから許可が下りている。躊躇することなくこの馬鹿者を刈っていいのだ。

 対し、カリアは絶対的に劣勢。ミオの一撃目を避け、鋭い二撃目が頬を掠める。サーベルを抜き、一太刀切り返す……それで限界だった。当てずっぽうなカリアの剣は手の怪我の影響で明らかに波を打っている。あくびが出るような攻撃―――

「フン…」

 ミオは右からの横なぎの一撃を余裕でかわす………しかし、その剣の軌跡を追うように黒い影が奔った! 

 ミオが反射的に頭を庇ったのは正解だ。才能と本能が最適な判断を下したのだ。が、最善の結果ではなかった。「影」を受け止めた右腕はバキッと重い音を立てる。歯を食いしばって声を上げるのはなんとか堪えたが、構えを維持し続けることはできなった。腕を下ろしたわずかな間を逃さず、カリアの剣がミオの首に添えられている。

「貴様っ…!」

「借りは返したぞ…!」

 ミオはカリアが左手に持つ武器、自分の腕を折ったそれに目をやった。鞘だ。カリアの鞘は細身でシンプルだが、強固な鉄拵えである。

 通常の場合、鞘には木材か革を使う。加工のしやすさと装備したときの重量を考えれば当然のことだ。全てが金属製の鞘がないわけではないが、一般兵士の実戦用武器では有り得ないだろう。また、イオンハブスの騎士剣技に鞘を用いる技は存在しないはず。戦いを忘れて形骸化した剣は形式美を求めすぎて、エレステルではお座敷剣法と嘲り笑われているほどなのだ。

 考えられる理由は二つ。カリアが鉄の鞘を勝手に持ち歩いていたのか、装備を許可されるほどの腕前だったのか……。しかしどちらにしろ、油断が現状を招いた。ミオは苦々しく顔を歪めることしかできない。

「姫様の気持ちがわかるといったな」

 カリアの左手が鞘を器用に回す。鞘に巻きつけてある皮ベルトは装飾ではなく、滑り止めなのだということがわかる。

「私は姫様のお考えがわからないときの方が多い。しかし己を殺し、常に王族として正しく振舞われていることは肌で感じている。その姫様が私を護衛に選ばれたのだ。ならば私の役目は、いついかなるときでもお守りする事だ! 姫様が死ぬときは私の命はとうに尽きていなければならない―――逆に言えば、私が生きている限り姫様が死ぬ事は許されない!」

 傍で聞いていたアルタナディアが密かに息を呑む。

 カリアの理屈はミオには理解できない。主を立てているようで、ただ自己中心的なだけだ。腹を立てるのを通りこし、頭がどうかしているのかと疑ったほどだ。

「お前のような自分勝手は、いつか国を滅ぼすぞ…!」

「ならばそれまでは貴様らに姫様を殺させるわけにはいかないな!」

「子供じみている…!」

「ガキはお前だ、どうみても!」

「……そこまでです」

 子供のケンカになってきた言い争いにアルタナディアが割って入る。

「カリア、時間がありません」

「はっ、今トドメを…」

「殺してはなりません。これは命令です」

「ですが……」

「剣を収めなさい。もう持っているのは辛いでしょう」

「姫様……!」

 ミオは気付く。折れた腕の激痛に耐えながらどうやって反撃するかということばかり考えていたが、カリアもまた額に脂汗を滲ませていたのだ。カリアの右腕に巻かれた包帯が黒く染みてきていて、それが血だと気付かなかった自分を呪う。すべては感情を押し出してしまった自分のミスだ。

 止む無く剣を引いたカリアを下がらせ、アルタナディアはミオの前に立つ。いくらミオが手負いとはいえ、短剣で一突きできる間合いだ。その領域に堂々と踏み込んでくるアルタナディアに、一瞬バレーナの姿が重なって見えた。

「改めてお願いします。兵に寛大な処置を願うと、バレーナに伝えてください。加えて……身の振り方について考える時間が欲しいとも。考えが固まれば、必ず貴女の前に戻る事を約束すると」

「……聞き入れられません」

「聞き入れてください」

 ミオは返事をしない。黙って、悔しくアルタナディアを見上げるだけだ。

「…行きましょうカリア。追っ手がきます」

「はっ…!」

 喜び勇むカリアを引き連れ、アルタナディアは去っていく。

 生まれ育った城から―――

 守るべき国から―――

 バレーナから―――背を向けて。



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