アルタナディア姫が十七歳になり、その四日後――。(4)


 バレーナが部屋を去ってから二十分ほど経った頃だろうか。ドアをノックする音がする。ベッドのカーテンの向こうのアルタナディアの影を一度確認し、カリアは慎重にドアを開けた。隙間から顔を覗かせたのは、アルタナディア付きのメイドの一人であるウラノだった。ウラノはまだ勤め始めて一年未満の若い娘だが、歳が近い事もあって、カリアと話をする機会も多かった。

「あの、姫様のお召し物をお持ちしましたが…」

 ウラノが腑に落ちない顔をするのは当然だった。寝巻きではなく、外出用のドレスを持ってくるように指示を受けたのだ。

「こんな夜分に呼び出して悪かった、助かる。助かるついでに、姫様のお召し替えを手伝ってほしい」

「それは私の役目です、もちろん承りますけれど…」

「事情は話せない。ごめん」

「いえ…わかりました」

 メイドは主のお世話をすることが仕事。主の意向に口出しする事などあってはならないと普段から言いつけられているウラノは、カリアの一言で黙した。

「姫様、ウラノでございます。よろしいでしょうか」

「入りなさい」

 ベッドのカーテンをくぐったウラノは「あっ」と息を呑んだ。ドレスは背中が破かれていて、アルタナディアの胸元には大きな絆創膏が貼り付けられている。

「他言は無用です」

 疑問を持つ間もなく言い含められるが、ウラノにはアルタナディアが憔悴しているように見える。

「………少々お待ちを」

 ベッド脇に置いてあるデキャンタの水をハンカチに含ませて、ウラノはアルタナディアの顔を拭った。

「ウラノ……私の顔は汚れていましたか」

「姫様のお顔はこの暗がりの中でもまぶしいくらいです。ただ、少しお疲れのようです。今日はいろんなことがありましたから………肌が潤えば、よくお休みになることができると思います」

「そう」

 ウラノに身を任せ、アルタナは静かに微笑んだ。

「優しいのですね…」

 小さなつぶやきははっきりと言葉にならない。目をやりながらも、ウラノは聞き流した。

「ではお召し替えいたします。姫様、お手を」

「いえ、今日はもう結構です。後は自分でやります。下がって休みなさい」

「ですが……」

「よいのです。貴女のおかげで少し気分が落ち着きました。ありがとう」

「いえ…差し出がましい真似をいたしました。それでは姫様、おやすみなさいませ」

 一歩下がったウラノが一礼する。

「おやすみなさい、ウラノ」

 ドアが静かに閉まったのが聞こえる。アルタナディアはカーテンの中で一人、目を細めた。





 ミオはテーブルに突っ伏しているバレーナに苦言を呈していた。

「どうしてアルタナディア姫の部屋に見張りを置かないのですか!?」

 部屋に戻ったバレーナはずっと気だるそうだがミオは我慢できない。多少の  口利きが許されているとはいえ、主君に対してここまでヒステリックに意見するのは不敬であるし、何より意見することなどなかったのだが、今回のアルタナディアの処置に対しては口を噤むことができない。それが何故だかミオ自身もわかっていなかったが、感情を抑えることができないでいた。

「あの従者の女も相当怒っているはずです。今夜中に陛下の暗殺を試みることも十分に考えられます!」

「それはないな。アルタナが許さない」

「なぜです!? アルタナディア姫だってあんな恥辱を受けたら……」

 バレーナの黒い瞳がじろりと動いて、ミオは顔を青くした。今の発言は間接的にバレーナを蔑んでいる。

 深く溜息を吐いてバレーナは身を起こし、居住まいを正した。

「『あんな恥辱』を甘んじて受けたのは、誰も巻き込ませないためだ。アルタナの敗北宣言は、私に反発する意思を持つ者を押さえ、余計な被害を出さないようにするのが狙いだ」

「ならば、なぜ降伏しないというのです?」

「王が自ら主権を譲るようであれば国は滅びる。それに……王家のメンツに関わるのだ。長い伝統もあるからな。負けたが国は渡さない―――つまりアルタナは、自身一人が処刑されることで事を済まそうとしているのだ」

「そんなことを……まさか…」

 ミオは絶句する。温室で育てられたか弱い蝶のようなあの少女が、それほどの気骨を持っていたというのか?

「あれで生まれながらの王族……幼い頃から国の威信を背負っている。己一人が受ける辱めなど、王の誇りの前には無意味なのだ。あまりに愚かだがな…」

 バレーナは左手で顔半分を覆う。悩んでいるときの癖だった。そして隠れたその瞳には、きっとアルタナディアが映っている……。

「バレーナ様は…」

「ん?」

「……いえ、…」

「構わん。どんな批判でも言ってみろ。それで胸の内のモヤモヤも少しは晴れるかもしれんだろう。私も腹心のお前に不信を抱かれるのは困る」

「不信など…! ただ……」

 迷った末に、ミオは思うままを吐き出すことにした。

「バレーナ様は、本当はアルタナディアをどう思ってらっしゃるのですか? いくら敵とはいえ、あのような……屈辱を与えるバレーナ様を私は知りません。いえ、あれは悪意あってのことだったのでしょうか。私にはバレーナ様が……その……」

「アルタナに特別な感情を抱いていると?」

 ミオは何も言えない。バレーナは鬱陶しそうに漆黒の髪をかきあげた。

「アルタナとは幼少からの付き合いであり、妹のようなものだ。家族を失った私にとって、最も親愛を抱く対象といっていい」

「でしたら、どうして今回のようなことをなされたのです…?」

「私がエレステルの玉座に座る者だからだ」

「……………」

 毅然として言い放つ次期エレステル国王の前には、ミオごときが意見する隙間などない。しかしバレーナとしてはどうなのか? バレーナは、本当は―――……

「今夜の事は忘れろ」

 バレーナは苦々しく言い捨てた。

「今夜の私は……王になれなかった私は忘れてくれ。頼む……」

「……御意」

 ミオは顔を伏せるしかなかった。

 王とは、なんという悲しい存在だろうか。国に最も尽くしているのは税を納める民でもなく、戦場で命を散らす兵士でもない。王だ。王は王と成った瞬間から国そのものになる―――そこに個人の意思があってはならない。才覚に恵まれたバレーナでさえ、これ程苦しまなければならないのか。

 しかし、と思う。このお方がこんなにも人を惹きつけるのは「バレーナ」だからだ。王族だからではない。自らを殺せないことが弱さだと仰るのならば、私が全力で「バレーナ」をお守りしよう。それが側近と認められた私の使命のはずだ――…。

「ん…?」

 急に外が慌しくなり、城内に配置されていた兵の一人がドアを叩いてきた。ミオが取り次ぐ。

「――バレーナ様、三箇所の城門で小規模な襲撃があったようです。おそらく騎士の反攻と思われます」

 報告を受けたミオは冷静にバレーナに伝えた。そしてバレーナも先程の事などなかったように静かに口を開く。

「同時に起こったのなら、それは計画された事だ。目的はわかりきっているがな」

「アルタナディア姫の救出ですか?」

「城門は囮だ。騒ぎに紛れてアルタナを逃亡させるつもりだろう」

「囮?」

「アルタナの側近が部屋に現れたのはそういうことだ。あれは先導する役目だな」

 つらつらと解説するバレーナにミオは目を見開く。そうだ、あの女は式典会場に閉じ込めていたはずだ。この城にいるはずがない。「あんなこと」があって、すっかり失念していた。

「気付いていらっしゃったのならば、なぜ……あ」

 今夜のことは忘れろ、と―――

「……バレーナ様、ご指示を」

 余計な思考は切り捨てる。詮索はバレーナの望むところではない。ゆえにミオはバレーナの剣であることに徹し、指示を仰ぐ。

「城門の暴徒を至急鎮圧し、首謀者を洗い出せ。いや……抵抗を止めねば城内の人間を殺すと通達しろ」

「聞き入れなければ?」

「叩き潰せ。犠牲を出すことはアルタナの望むところではない。その意を汲まぬ戯けなど殺して構わん………これは言うなよ」

「はっ。アルタナディア姫はいかがいたしましょうか」

「すでに逃亡していた場合は、鎮圧完了次第追跡させろ。ただし、拘束する必要はない」

「………」

 ミオはすぐに返事できなかった。

「アルタナが自分の意思で城から出るというのなら、しばらく考える時間を与えたい。これは傷を負わせた事に対する、せめてもの罪滅ぼしだ。甘いと思うか?」

「…私はバレーナ様の命令に従うだけです」

「…すまん」

 ミオは一礼して出て行く。

 一人部屋に残ったバレーナは天井を仰ぎ、そこにアルタナディアの顔を思い描いていた。

「大丈夫だ。アルタナが刃を向けてくれば、私自らが斬る…」

 だからこそ黒を着ている。返り血を浴びる準備はできている……。




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