第37話 ここ、天国みたいなんだけど!
ゆいと灯里は、数えきれないほどの段数の階段を上り、ついに塔の屋上へとたどり着いた。屋上からは共和国の都市や神国の農地がつぶつぶに見えて、まるで飛行機から見下ろすような景色だった。綿をちぎったような雲がところどころにかかっていて、それがまた風流であった。
屋上にはやっぱりローブ姿の人々がいて、なにやら空に向かって祈りをささげている。この姿だけを見るならば、邪教と言っても過言ではないだろう。そう思えるくらいそのローブ姿の人々は微動だにせず祈りのポーズをとったままだったのだ。
「この人たち、塔の中でも時々見かけたけど、何者なのかな」
「女神の影響を受けすぎて、塔に隔離された人々でしょう。魔女になんでも捧げたくなっちゃって、人間社会で暮らせなくなったんじゃないでしょうか」
前にエニケイ村でも生贄を捧げるのにまったく躊躇しない人たちがいたけれど、それと同じだとゆいは言う。灯里は、目の前の異様さにようやく女神の異常性を理解したようだ。
しばらくゆいたちが屋上を歩いていると、空から何人かの人影と巨大なドラゴンの影が現れた。人影には翼があるように見える。ふつうの日本人が見たら、天使が降臨した神々しい光景だと思うだろう。しかし、それらは魔女の遣いなのだ。
「三神ゆい様、伊藤灯里様。どうぞこちらへ。リュミ様がお待ちです」
天使の一人が抑揚のない声で言う。案内されたゆいたちはドラゴンの背中に乗り、そのまま上空へと連れていかれる。どんどん高度を上げていき、雲の上へと突き進んでいく。そのあまりのスピードに、ゆいも灯里もただしがみついているだけで精一杯であった。
***
雲海を抜けた先は、雲で作られた楽園、天国とよぶにふさわしい場所であった。
そこはいくつかの巨大な雲の足場が、虹の橋でつながれたメルヘンチックな世界であった。たとえば、広大な雲の広間にたくさんの天使が遊んでいる。聞こえてくる極彩色の音楽は、それだけでうっとりとして我を忘れそうなほどだ。しかし、その雲に触れようとしても、霞をつかむように手が通り抜けてしまう。ここは重力から自由になった者だけが住むことを許される桃源郷なのだ。
そしてゆいと灯里は後光に照らされた雲のお城へと向かっていく。真っ白なその城は、やはり光り輝く調度品にあふれていた。白い雲の彫刻、虹のカーペット、ハスの花を模した扉。極楽浄土を体現するかのような城の最奥の広間に、ゆいと灯里は連れていかれる。
虹で編まれたような精密なタペストリーを背後に立っていたのは、真っ白な少女であった。灯里は、彼女の姿を一目見ただけで、その神々しさにこの身を捧げたくなるほどであった。
白い長髪、純白のローブ、何物にも染まらない真っ白な肌を携えたその少女は、かすかに自ら光を放っていた。それがまた彼女の神々しさを引き立て、灯里もゆいも目を離せなかった。少女は雲の上をまるで歩くようにゆいたちに近づき、慈愛に満ちた笑みをたたえる。
「よくきたね。そんなに緊張しないで気楽にしてほしいな」
灯里は、目の前の存在が神ではないということが信じられなかった。魔女には何度も出会ったはずなのに、恐れ多いという感情を抱いたのは初めてであった。ゆいが平然としているのが、灯里には理解できなかった。
「わたしはリュミ。『天空の魔女』って言ったほうがいいかもね」
リュミは自分から魔女だと名乗ったはずなのに、灯里にはいまだ女神に思えた。もし自分が雲の上を歩けたら、ふらふらと歩いて行ってしまいそうだ。
「あんまり神格化しないでくれるとうれしいな。わたし、もともとはただの村娘だったんだしさ」
「リュミ様は生まれた時から女神であらせられたのではないのですか!?」
灯里が意味わかんないくらい敬語表現を使ったのに対して、リュミがくすくすと笑った。それもまた灯里には偉大に思えた。
「14歳のころだったかな。パパとママが今の灯里ちゃんみたいになっちゃったのが、すべての始まりだったんだ」
そして、リュミが自分の過去を語りだした。
「今じゃ考えられないかもだけど、当時のわたしはすごく普通の女の子でさ。それがある日突然神様みたいに扱われちゃう。親戚も、友達も、わたしをいじめていた子たちでさえわたしに恭しい態度をとっててね、とっても気味が悪かったの。それであたふたしちゃっているうちに、あれよこれよと教団ができちゃった。何のとりえもないはずの女の子が神輿の上に担ぎ上げられて、気が付いたら一つの国ができるくらいの土地と人間を従えちゃってたんだよね」
恐ろしい話だ。灯里はもし自分がその状況になったら、正気ではいられないかもしれないと思った。
「それがこのレリジョン神国の始まり?」
「そう。ようやく自分の力を自覚したわたしが、これ以上教団の勢力が広がらないように作ったのがこの国。放っておいたら共和国は確実に滅びていたんだけど、魔女の力で無理やり信者たちを一か所に集めてこれ以上教団が広がらないようにしたってわけ。もちろん、わたしの趣味を反映させた部分はあるんだけどさ」
つまり、リュミは自己収容状態を作っているというわけだ。これほどまでに大規模なことを実行しておいて、それが自らの影響力を削ぐためだというのだから、やはり魔女というのは恐ろしい。人類の日常というのは、魔女の慈悲によって保たれているだけなのだ。
「それなら、やっぱりリュミ様は神様でしょう」
「たしかに今魔女と呼ばれている存在は本来的には神の一種だってわたしも思うんだけどさ、わたしは崇められるの、あんまり好きじゃないかな。難しいのはわかるんだけど、できれば普通に話してくれると嬉しいな」
灯里は、そこまで聞いてようやく、リュミが今も”ただの村娘”の感性を残しているということに気が付いた。彼女と接する人間はすべて彼女を崇拝しているというのは、どれほど狂気的なことだろうか。神々しさをまとっているからといって、神として扱われることを望んでいるわけではないのだ。だから灯里はリュミに謝る。
「ごめん、僕は勝手にリュミに救いを求めてしまったみたいだね」
「よかった。精神が捻じ曲げられるのを見るのはあんまりいい気がしないもん」
ようやく灯里がリュミの影響から脱したところで、ゆいがようやく口を開いた。
「それで、どうしてわたしたちを呼んだんですか?」
ゆいの問いに対するリュミの返答は意外なものだった。
「ゆいちゃんにはそこまで大した用事はないんだけど。せいぜい魔力を融通するくらいかな?どっちかというと灯里ちゃんに渡したいものがあったんだよね」
「そうなんですか?いつもはわたし以外は目にも入らない感じなんですけど」
「なんだかんだで灯里ちゃんのことはずっと見ていたからさ」
そんなことをいいながらリュミはゆいのペンダントに触れて、水晶の一つを白く染めた。そのままリュミは灯里に近づいて、光が閉じ込められたかのような水晶玉を手渡した。
「これは何?」
その水晶玉は、ビー玉より少し大きいくらいにも関わらず、まばゆいくらいの白い光を四方八方に放ち続けていた。灯里はそこに神のかけらが入っているかのごとく感じたのだ。そこに、リュミが説明を加える。
「灯里ちゃんはまだ人間でいたいみたいだから、これを渡すのはちょっと後ろめたいんだけどね。これにはわたしの魔力が詰まっているから、使えば人知を超えた天使の力を振るえるようになる」
「でも、使えば人間性を失うんだよね」
「別に人間らしい生活ができなくなるってわけじゃないけど、天使になったら人間らしく暮らすのが馬鹿馬鹿しく思えるかもね。精神的な影響はそこまで大きくないはずだから、どうなるかは灯里ちゃん次第かな」
「僕にこんなものを渡して、リュミはどうしてほしいのかな」
「力が欲しくなったらそれに頼ればいい。魔女にはさすがに歯が立たないと思うけど、魔女の眷属とは互角以上にやりあえるようになるはずから」
灯里は、その水晶玉をコートのポケットにしまいながらも、これを使う日が来ないことを願っていた。さすがに死の危険が迫った時に人間として死ぬことを優先できるほど、灯里は思想が強くない。
灯里が難しく考え込んでいるのに気が付いたのか、リュミは思いついたようにひとつつぶやいた。
「人には見えない色が見えるようになったら、景色ってまったく変わるんだ。世界はとても色鮮やかで、これまで見てきた人間の視野がモノクロームに思えるくらい」
「なんとなくわかる気がします。人間の体ってのぞき窓みたいに感じるっていうか」
ゆいはリュミの言葉に共感しているようだが、灯里にはさっぱりわからない。
「千晶ちゃんだって、シュクルのものになったことで人間の不自由な感覚から解放されたってところもあるんだよね。だから根幹が変わっちゃったふうに思えちゃうのかな。でも中身が変わっているわけじゃないよ」
「どういうことを言いたいのかな」
「人間をやめるっていうと忌避したくなるかもしれないけど、人間の不自由さから解放されるって考えればそうでもないよねってこと。魔女の眷属って、とっても自由な存在だからね」
リュミは自由というが、灯里にはそれが虚言に思えてならない。
「魔女にすべてを支配されるのに、自由なの?」
「別に眷属じゃなくても、人間は人間であるというだけで魔女に支配されているようなものだし、そこは気にしなくてもいいんじゃないかな」
灯里は反発しようとしたが、口から出たのは不自然な言葉だった。
「雲がふわふわだね」
灯里は、自分の発言なのに、自分のものだとは到底思えなかった。なぜなら、灯里の発言権はリュミに捧げたものだからだ。灯里はそう信じこまされた。
「こんなふうに、人間の一部または全部を奪い取るなんて、魔女にとってはつまらないくらいに簡単だから。魔女以外のすべては、魔女の意志から逃れることはできないってこと。魔女以外のものから自由になれるのなら、それは最大の自由だよね?」
灯里は、一瞬でリュミの言わんとすることを理解させられた。同時に、人外へと変化することへの恐怖が一気に掻き消えた感覚がした。自分がリュミの加護を受けているということが、たまらなくうれしかったのだ。それがリュミによる思考誘導だと理解していても、逆らう気にはなれなかった。
「そろそろ帰ったほうがいいかもね。もうお昼だからさ」
リュミの言葉とともに、ゆいたちの乗っていたドラゴンはゆっくりと動き出す。
「わたしの手助けが必要なら、いつでも呼んでね。見ているから」
手を振るリュミに見送られて、ドラゴンはゆっくりと雲海を降りていった。
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