第36話 塔を登ったんだけど!
「ゆい、さっきのは一体どういう意味だったのかな」
暗くなりかけている街を歩きながらゆいに尋ねる灯里。先ほど宿屋でスパイに尋ねた言葉は意味不明だったし、なぜかスパイのほうも変な回答をしていた。
「あの人、多分自分でも気づいてないんですけど、嘘をついていました。本当はもう共和国への忠誠心なんか残ってないんだけど、使者を派遣された以上はなんとか取り繕わないとって思ったんでしょう」
「ゆいちゃん、もっと意味わからなくなったっしょ」
どうした、ゆい。頭痛で頭がおかしくなったのか?
「結論から言うと、わたしは工作員さんたちが引き返せる状態か確かめるためにああいうことを言ったんですけど、無理っぽかったので共和国のほうには寝返ったと報告するのがいいと思います」
「三神さん、それでは説明になっていません。回答は簡潔にわかりやすく」
「どこから説明するのがいいんでしょうか……」
道子にダメ出しされて、ちょっと不機嫌になったゆい。しかしいつもは結構かみ砕いて説明するのに、ゆいらしくない。
「千晶ちゃんはどれくらいわかってます?」
「え~?わたし難しいことはよくわかんない~」
千晶に聞いても大した答えが返ってこないのはいつものことだが、ゆいはため息をつく。どういう答えを想定していたのか、灯里たちにはさっぱりわからない。
「もうそろそろ着きそうなので、詳しい話は戻ってからでいいですか」
ゆいがそう言い捨てたところで、ゆいたちは広めの場所に到着した。その広間の中心には例の巨大な塔がそびえたっていた。それ以外には何もないというのが、少し不気味に思える。
ゆいは、何のためらいもなくその塔へと近づいていく。いつもはもっと慎重に行動していたはずなのに、明らかに様子がおかしい。当然、星奈や灯里はゆいを止めようとする。
「ゆいちゃん、どうしたし!ゆいちゃんらしくないじゃん!」
「ゆい、正気に戻ってよ!ねえ!」
体を揺さぶられてはっとしたゆいは、しかしやっぱり変なことを言うだけだった。
「確かにいきなり黒幕のところに向かうのは得策じゃないかもしれませんけど、一応大丈夫みたいですし、今回は最短で行かせてもらいます」
そういってゆいが塔のほうへと歩き出すと、突然塔が光って、灯里の意識は明転した。
***
「……ここは?」
灯里は、塔の内側と思われる場所で目を覚ました。どこまでも上に続く巨大な壁が、ぼんやりと光っていて、全体としては明るい印象である。巨大な螺旋階段が壁に沿って上に際限なく伸びており、天井は見えなかった。ただ階段の途中に足場がいくつか見当たるだけであった。
「塔を登ってさっさと彼女に会いに行きましょう」
あいかわらず心ここにあらずという感じで螺旋階段を上り始めるゆい。そんなゆいを、灯里ははっきりと問い詰めた。
「ゆい、何があったの?今のゆいは変だよ。落ち着いて、僕にわかるように説明してよ」
「わたしはひどく冷静ですけど……いたっ」
頭痛を抑えるようにゆいは頭に手をやるが、階段を上る足は止めない。灯里はゆいの隣を歩きながらゆいの言葉を待つ。
「なんとなくわかっちゃうんですよ。この国が一体何であるのかとか、共和国の工作員たちがたどるであろう運命だとかが」
ゆいが話していると、壁に文字が刻まれているのを発見した。ゆいはそれを一瞥しただけで興味をなくしたように階段を上り始めたが、灯里はそこに書かれていた内容を読んで驚いてしまった。
それは天空教の教義であった。人を殺すなとか、ものを盗むなとか、普通の道徳的な戒律がいくつかあった後、最後にこんなことが書かれていた。曰く、女神の教えを広めるな、と。
灯里はゆいに追いついて問うた。
「広めるな、なんてずいぶんとへんてこな宗教だと思うんだけど、ゆいは興味ないのかな」
「理由がだいたいわかるからへーそうだくらいで終わっただけですよ。天空教なんて広まったら人類はあっという間に危機的な状況になるでしょうから」
灯里は、ゆいのそのすべてお見通しだといわんばかりの態度に、すこし嫉妬した。天才にはやっぱりかなわないのか、と。
伊藤灯里という人物は、普通の優等生と表現するのがふさわしいような人間だった。学校の成績はいつも5段階評価の4や5をとり、テストの点数でもゆいに負けているわけではない。教師たちからは、将来が楽しみな秀才としてゆいよりも期待されていた。
しかし、灯里本人は、自分が何者でもないのだというコンプレックスを抱えていた。運動は苦手ではないが、スポーツで結果を残せるほどではない。勉学でも、せいぜい有名大学に進学できるくらいだ。勇や星奈のように、リーダーシップがあるわけでもない。将来の夢も、特にない。ただ社会の歯車になるのだと漠然と思っているだけだ。なんでもそつなくこなせても、とびぬけた才能に恵まれたわけではないのだ。
それは異世界に来ても同じだった。勇や星奈、ゆいと違って、自分はただ与えられた役割をこなすだけだ。ほかの人でも似たような役割はこなせるだろうと、灯里は思っていた。実際は縁の下の力持ちとして非常に心強い存在だったが。
だからこそ、灯里にはゆいがまぶしかった。ゆいの物事の本質を見抜く能力は、灯里にはないものだった。ゆい本人は自分が役立たずだとよく言っているけれど、灯里にとっては、三神ゆいという存在は代替不能なものであるように思われたのだ。
そして今、ゆいは一を聞いて十を知るがごとく、その天才性を露出させているように灯里には思えた。凡人たる灯里には、十を聞いて十を知ることしかできないのだ。
「先も長いですし、灯里さんにはゼロから説明したほうがよさそうですね」
「助かるよ。僕はゆいみたいに天才じゃないからね」
すこし毒が入ってしまった灯里の発言を、ゆいは気にしないで説明を始める。
「そうですね、まずはこの塔のことから。この塔、明らかに高すぎるんですよ」
「確かにとても高いけど、高すぎるっていうのはどういうことかな」
「数千mの建物なんて現代日本でも立てられませんよ。だからこの塔は見た目が人間にはわからないほど精巧な幻影であるか、もしくは人知を超えた技術で建てられているかのどっちかしかないんです」
「待って、数千mってどうしてそうなるのかな」
さらっとこの塔の高さを割り出しているゆいに、灯里が根拠を問う。
「ただの三角測量です。最初にあの塔を見た時に、仰角を調べていただけですよ」
「まさか三角関数の表を覚えているの?」
「そこはどうでもいいですよね!?テイラー展開でもなんでも、tanの値を求める方法なんていくらでもありますよ!」
ゆいの突っ込みに、灯里はようやくゆいらしいところが戻ってきたとちょっとだけ安心した。
「とにかく、話を戻すと、重要なのはこんな塔を作れるのは人外しかいないってことです。つまり魔女の影響だってことになります」
「確かに魔女ならこの塔を作れてもおかしくないけど、天空教の女神がもし存在するなら、その女神が奇跡を起こした結果かもしれないよね」
「この世界に神はいませんよ。いるのは魔女だけです。天空教が信仰しているのも女神ということになっているだけの魔女ですから」
またまた断定的なゆいに、灯里が疑問を投げかける。
「なんで断言できるの?もし女神が本物だったら、勇たちを助ける手助けを頼めるかもしれないし、そうであってほしいと僕は思うんだけど」
「魔女なんて神とほとんど変わりはないですよ。少なくともたった200年前に現れたぽっと出の女神なんて魔女と呼んでも大して問題ないでしょう」
「いや、それは問題だよね!?」
ゆいと灯里は、話している間に踊り場のような場所にたどり着いた。ローブを着た人間が何人か祈るような姿勢をとっていて、壁には文字が刻まれていた。
文字は、どうやらこのレリジョン神国の建国神話のようだ。ざっくりいうと、女神の光で目覚めた人々が作り上げた教団を正しく導くため、女神が天使を遣わして一日で国を創り上げたのだそうだ。一日で国を作り上げるとか、めちゃくちゃスピーディーな神様である。
ゆいは、壁の神話を読んだ灯里に説明する。
「ほら、この天使というのは明らかに女神の眷属じゃないですか。魔女と本質的に同じものを魔女と呼んで何がわるいんですか?」
「でも、魔女ってもっと悪いイメージなんだけど。ペリーヌもシュクルも善なる存在とはとても思えないけどね」
「灯里さんが神に絶対善を要求するんなら、ここの女神も神ではありえないですよ。信仰者たちのように盲目的に肯定するのでなければですけどね」
またゆいがよくわからないことを言っている。灯里は当然聞き返す。
「どういうこと?まるで女神がひどいことをしているように聞こえるけど」
「教皇暗殺の計画が不都合なら、工作員たちの思考を誘導して従わせるような神がを妄信できるというなら、それでもいいんですよ。でもある共同体の利益を優先するのが正しいとはわたしは思いませんけどね」
共和国のスパイたちは女神に操られていると主張していることに気づいて、灯里はゆいの主張がようやくつかめた。それでも女神に対する期待を捨てたわけではなかったけれど、やっとゆいの思考に追いついたと思えた。
ゆいとともに階段を上っていく灯里だったが、ふと奇妙なことに気が付く。
「あれ?だったらなんでこの塔にやってきたんだい?いつものゆいなら、気づいた段階で神国を離れようとしてもいいくらいなのに」
あれだけ魔女からは距離を置こうとしていたゆいが、どうしてわざわざ魔女のもとまで行くようなことをするのだろうか。
「いてて……それはわたしにもよくわかんないんですよね。ただ魔女に呼ばれてるって思っただけで」
頭を押さえながら言うゆい。
「呼ばれてる?」
「なんだか最近真実が先にわかる感じなんですよ。後付けで根拠がやってくるみたいな、そんな変な感覚。だから理由があるわけじゃないんですけど、多分正しいんですよね」
いよいよ全然合理的じゃない話が出てきた。灯里が突っ込むのも無理はない。
「そんな勘なんかで危険を冒すの?」
「一応歓迎されているみたいですから、そんなに危険じゃないはずです。別に逃げるのも安全というわけじゃないですしね」
筋が通っているといえば筋が通っているが、ゆいらしくない。灯里がそう口を開こうとしたとき、ゆいが変なことを言い出した。
「自分がおかしくなっている自覚はあるんですよ。人間らしさからどんどん離れていくような、そんな感覚はあるんです」
「まさかゆいも人間じゃなくなっちゃうのかい?僕はそんなの嫌だよ」
「わたしは、別にそれでもいいかなって思うんです。もともと人間であることに価値を感じていたわけじゃないんですよね」
ゆいは人間をやめてもいいと軽々しくいう。それが灯里には不思議でならない。
「人間じゃなくなってもいいなんて、そんな魔女みたいなこと言わないでよ!僕は人間性を失いたくなんてないよ!」
「うーん、そこは考え方次第ですけどね……」
議論は平行線に終わる。そのままゆいと灯里たちは、永遠とも思えるほど長く続く階段を上っていった。
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