第32話 閑話 ペリーヌとシュクル

「勇くん、遅すぎでしょ」

「せっかく外出を許可されたのですから、もっと喜ぶべきでしょう」

 現在、辰巳勇はドラゴンの姿に変身させられて、帝国の上空を超音速で飛行していた。背中には『宝石の魔女』ペリーヌのメイドであるルビーとサファイアが乗っている。


「そうそう。美少女に乗ってもらえるなんて本来なら涙を流して喜ぶべきでしょ」

「ドラゴンの体では涙は出ませんよ、ルビー」

 ルビーとサファイアは、勇に対して言いがかりに近い文句を言いながら、のんびりとくつろいでいる。


(誰がお前らなんかの言いなりになって喜ぶかよ)

 勇は、毎日のように理不尽な仕打ちを受けながらも、驚くべきことに反抗心を保っていた。宝石がじゃらじゃら入った皿を地面に置かれて、それがエサだ言われたり、金の鎖でつなぎ留められてメイドたちに近づけなくされたり、まるで犬のように扱われて、屈辱的な思いをしつつも、臥薪嘗胆の思いで生きてきたのだ。


「帝都、半壊しちゃってるよ。何かあったの?」

「ご主人様はご存じでしょう。わたくしたちはご主人様の命令を最優先にするべきですから、寄り道しようなどと考えてはなりませんよ、ルビー」

「えー、ちょっとくらいいいでしょ」

 ルビーとサファイアは半壊した帝都が見えているようだが、勇の目にはまだ被害を受けた町は見えない。そのことが彼女たちと勇との実力差を如実に表しているのだが、考え事に夢中の勇は気づかない。


(なんとかこのメイドたちから逃れて自由になれないか……)

 勇は、この機会に監視のメイドをうまくまいて、ペリーヌの魔の手から逃れる方法を考えていた。かわいそうだが、メイドたちを振り落とすべきか、などと思っていると、前方に鳥の魔物の群れがいるのに気がついた。そしてうまく魔物に襲われたふうに装って、メイドたちから離れることを画策する。手始めに、勇はやや仰角上向きにして、背中から魔物が見えないようにした。


 勇の目論見通り、ルビーとサファイアは魔物に気づかぬまま距離が縮まっていく。そして真っ白な鷹の魔物たちのとても鋭い爪が、彼女たちに襲い掛かった。勇の色付きの鱗を割る威力のその攻撃が、ルビーたちの無防備な首元に突き刺さろうとする。


 しかし、その爪はルビーたちの首に傷一つつけることはできなかった。何度切り裂こうとしても、彼女たちはダメージを受けることもない。しばらく自由に攻撃させていたあと、サファイアが青色のレーザーの雨を周囲に出現させて、鷹たちを一瞬で消滅させた。


「勇くん、ご主人様は近づいてきた魔物は消し飛ばせって言ったでしょ?」

 ルビーが勇を叱りながら、指を勇の体に突きさす。あの非常に硬いはずの透明な鱗が、あっさりと割れた。勇に激痛が走る。とても空を飛んでいられる状態じゃない。

「あがっ!」

 墜落していく勇の肉体を、サファイアが上からつかむ。気づけばルビーとサファイアは宙に浮いていて、勇を見下ろしていた。


「魔女様の命令は絶対です。飛行をやめることは許されていません」

 そういいながらサファイアも勇の体に指で穴をあける。痛みに意識が飛んでしまいそうになる。勇は、このときはじめてルビーたちの実力を理解した。遅すぎるだろう。


「メイドですら人の皮をかぶった化け物かよ……」

 勇は、ペリーヌのあまりに強大な力の片鱗を見せつけられて、絶望しそうになる。しかし、ここで折れてしまってはダメだと気を引き締めなおした。諦めてしまえば楽になれるのだが、勇は自分の信念を曲げないで苦しむほうを選んだのだ。


「勇くんのせいで遅れちゃったよ。ご主人様に怒られちゃうでしょ」

「ゆっくりと飛んでいたからでしょう。観光にしても遅すぎましたから」

 ルビーとサファイアが愚痴を言っている間に、勇はドラゴンの超人的な回復力で傷を治していく。そのまま勇はメイドたちに向かって宣言する。

「確かにお前らは強い。俺は、今はお前らの言いなりになるしかないだろうな。だけど、いつか必ずお前たちの絶対的な自信を打ち砕いてやる。魔女を倒し、人類を解放してみせる。俺をもてあそんだことを後悔させてやるからな!」


 勇の演説に、ルビーとサファイアはすこし感心したふうになり、そしてくすくすと笑った。それはとても人間っぽい表情であった。

「それなら、今は魔女様の命令を遂行しましょう」

「勇くんはこのルビーが連れて行ってあげるよ。どうせ怒られるんなら、ご主人様の手を煩わせないほうがいいでしょ」

 そう言って勇の体にルビーが触れると、勇は人間の姿に変わる。そのまま勇はルビーに抱きかかえられて、エレーン砂漠へと空の上で運ばれていくのだった。下に見える真っ白だった雲が、夕日の光で紫色に変わって見えた。




 ***




 一分もしないうちに目的地に到着した勇。そこはお菓子でできた巨大な城であった。こんなおかしな建造物をつくるような存在との遭遇に備えて気を引き締める勇の前に、彼の主がたたずんでいた。その人物の前には、ルビーもサファイアも跪く。


「ご主人様、申し訳ありませんでした。調教がうまくいかなかったので、独断でご命令を無視いたしました。その罰は甘んじて受けさせていただきます」

「愚かなわたくしたちに、どうかご慈悲をくださいませ」

 勇も、目の前の人物、ペリーヌを怒らせないことを最優先した。内心ではその傲慢さにはらわたが煮えくり返っていても、今はこいつの機嫌を取るのが得策だと思ったのだ。

「ペリーヌ、俺はお前に逆らおうとした。それが悪いことだっていうんなら、犬扱いでもなんでも、好きにしろ」


 ペリーヌは、勇の言葉を聞いて、うっすらと笑みを浮かべた。

「今回は気分がいいので許して差し上げますわ!あなたもすこしは自分の立場が理解できたのですわね。ルビー、サファイア、勇くんのしつけを頼みますわ」

 そう言って、軽い足取りで城へと入っていくペリーヌ。そのすぐ後ろに、ルビーとサファイアがついていく。あわててそのあとについた勇に、サファイアが忠告する。

「わたくしたちは魔女様のしもべ。魔女様の命令なしに勝手な行動をとることは許されません」

「まったくふざけた話だ。けど今は我慢しなきゃ、か」

「わたくしもサポートしますから、魔女様にとって見苦しい姿を晒さないように」

「お前らの真似をするのは癪だが、それくらいならやってやるよ」

 ペリーヌは、勇たちを連れてウェハースの廊下をゆっくり歩いていった。




 ***




「久しぶりっすね、ペリーヌ。今日は何の用っすか?」

 天井の高い小広間で、『砂漠の魔女』シュクルがペリーヌを出迎える。部屋には二人掛けのテーブルに、7段も積み重ねられた豪華なケーキが用意されていた。あいかわらずというか、シュクルはペリーヌ以外のことには目もくれない。


「あんなことをしておいて、わかってないとは言わせませんわ!あの子はわたくしが先に目をつけていたのですわ!」

 気分がいいとはなんだったのか、ペリーヌがシュクルに怒りをあらわにする。対するシュクルは悪びれもせずに答える。

「ゆいちゃんとの勝負の戦利品だからっすよ。そんなに欲しかったんなら力技で奪えばよかったんすよ。それでゆいちゃんの心証を悪くしても知らないっすけどね」

「その勝負を仕掛けるのにゆいを脅迫した人が何を言っているのかしら?現にゆいはあなたをすこし嫌っているのではなくて?」


 魔女二人が口論を繰り広げている間に、ルビーとサファイアは巨大ケーキを切り分けて小さな皿に盛りつける。そのケーキを味わいながら、魔女の喧嘩は続く。

「ペリーヌには言われたくないっすね。一人を手に入れただけでは飽き足らず、20人の同胞を固めてオブジェにして手元に置いてるんすから。悪趣味にもここに連れてきておいて何を言ってるんすか?」

「気が向けばあなたにも触らせてあげようと思っただけですわ。けれども、千晶を独り占めしておいて勇も愛でようなんて虫のいい話はないですわよ」

「それもそうっすね。いいっすよ。千晶を好きなだけ愛でればいいっす」


 勇は、目の前の魔女が人間をまるで物のように扱っていることに憤慨しつつも、なんとかそれを態度に出さず、ただの置物をやっていた。しかし、次の瞬間、勇は驚愕のあまり大声を出した。

「千晶!?その姿は!?」

「勇くん、久しぶり~」


 勇の目には、はっきりと猫耳を生やした千晶の姿が映っていた。嬉しそうにシュクルにくっついてしっぽを振るその姿に、勇はシュクルへの怒りを抑えられなかった。

「てめえ、千晶に何をした!まさか千晶を操って星奈たちを襲わせるつもりか!?」

「そうして欲しいっすか?別にそれでもいいっすよ?」

 シュクルはあざ笑いながら答える。その目は、勇のことを見下している。まるで実験動物か何かを見る人の目だ。

「ならお前の望みはなんだ!」

「今はあんた遊ぶことっすかね!ペリーヌ、ちょっと借りるっすよ。千晶は好きにしてくれて構わないっすから」

「あまり乱暴に扱わないでくださいまし。勇くんは繊細なのですわ」


 ペリーヌの言葉が聞こえたと同時に、勇の時間が飛んだ。突然口の中が甘くなって、勇の心がとろけそうになる。この幸せに浸っていたい。そんな考えが浮かんでくる。目の前には一口食べられたプリンがあった。勇は、あふれ出る食欲に必死にあらがった。

「我慢する勇、かわいいっすね!ペリーヌが気に入るのも納得っす!さあ、勇はいつまで耐えられるっすか?はい、あーん」

 シュクルがスプーンでプリンをすくい、勇の口にそっと入れる。勇の体はまったく動かせない。ただ、シュクルのなすがままだ。


 プリンが勇の口の中に入った瞬間、暴力的な甘さが勇を襲う。ほろりと崩れていくプリンが、全身にその甘さを巻き散らかして、勇の理性を溶かしていく。

 二口、三口、シュクルに食べさせられるたびに、辰巳勇という人間はあっけなく崩されていく。気づけば勇はプリンを犬のようにむさぼっていた。あっという間にプリンを食べつくし、まるで餌を待つ動物のようにシュクルを見る勇。シュクルはいじわるそうに笑って、勇のあごをなでる。


「そろそろ勇くんを返してほしいですわ。わたくし、壊してもいいだなんていってませんわ」

 ペリーヌの言葉に、勇の人格が戻ってくる。そして嬉しそうにシュクルになでられていたことに気づき、血の気が引いた。


「どうだったっすか?千晶、かわいいっすよね」

「やっぱり無理やりにでもわたくしの眷属にしておくべきでしたわ。あなたにかっさらわれたことが悔しくてなりませんもの」

「えへへ~、照れるな~」

 千晶は、ペリーヌに素直に愛でられていた。そこに嫌悪の表情は全くない。

「千晶!ペリーヌは俺たちを引き裂いた敵だぞ!どうしてそんなやつに喜んで近づいているんだ!」

「なんでペリーヌさまを嫌うの~?あっ、でもみんなを解放してくれるんならそうしてほしいかも~」

 勇の問いに、千晶は本当に不思議そうに答える。そして抱き着かれたペリーヌが千晶に優し気な笑みを浮かべて言う。

「もうすこし待ってほしいですわ。今はわたくしが預かっているのが彼らにとっても幸せですわ」

「そうなんだ~」

 何の疑問も抱かずにペリーヌの言葉を受け入れる千晶。勇は、千晶が魔女の都合のいい存在に変えられてしまったことを突き付けられ、悔しさに歯を食いしばった。実際は千晶は結構自由で、ここでは何も考えていないだけなのだが。


「本当にもうちょっとっすよ。殻が割れるのが楽しみっすね」

「目が覚めたらどんな子になっているか楽しみですわ」

 魔女二人は、意味深な言葉を織り交ぜながらお茶会を続けていた。



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