第15話 魔女と遭遇したんだけど!

 ゆいが目を開けると、360度全方位に色鮮やかな花畑が広がっていた。赤、白、黄色、青、紫、オレンジの花々が咲き乱れ、ひどく開放的な空間が、地平線まで続いていた。花々の海の中でちょうちょがひらひらと舞い、たくさんの小鳥がさえずり、おだやかな風が吹いていた。


「助かったのか、あたしたち?」

「そうだといいんですけど」

 ゆいたちがこの壮大な花の平原をきょろきょろと見渡しながらふらついていると、ファイスが声を上げた。


「サクリお姉ちゃん!」

 ファイスの走っていった先には、ファイスに似た黄緑の髪の、ファイスよりすこし小さい少女が座っていた。その少女は、ファイスのほうを向いてぱあっと笑った。


「やっぱり無事だったんだ!よかった、またサクリお姉ちゃんに会えて!」

「うん!おねえちゃんもファイスとまたあそべてうれしかった!」

「とにかく一緒に逃げよう!森の魔女につかまっちゃう前に!また一緒に暮らそう!」

 そう言ったあとでファイスは気づく。姉のサクリの姿が、ことに。10年前、生贄として最後に見た姿から、寸分も違わないのだ。髪の長さも、背丈も、衣装でさえも。まるで時が経っていないかのように。


 サクリはほんとうに不思議そうに言った。

「にげる?どうして?せっかくファイスもいけにえになったのに。まじょさまのものになれるのに」

 村のヤバい人たちと同じようなことを言い出すサクリに、ファイスは恐怖を覚える。

「なんで、なんで!サクリお姉ちゃん、言ってたよね!『死ぬのはいやだ、魔女なんか大っ嫌い』って!どうしたの!?まさか森の魔女になにかされたの!?」

「まじょさまはとってもやさしいんだよ!わたしのすべてをもらってくれたし、わたしをようせいさんにしてくれたんだよ!」

 そう言ったサクリの背中に半透明の妖精の羽が現れた。そのまま立ち上がったサクリは、羽をはばたかせてすこし宙に浮いた。


(やっぱり、あの妖精はサクリさんだったんだ……)

 ファイスとサクリのやり取りを少し遠いところから見ていたゆいはそう思った。サクリこそ、あの森で何度も死線をくぐることになった元凶なのだ。10年でよくもこんな悪ガキに育ったものである。


「あはは!そうだ!おねえちゃんがファイスをあんしんさせてあげる!」

 サクリがそう言った瞬間、地面から何本もの蔓が伸びてきてファイスの体を拘束する。

「ファイアボール!」

 灯里が炎で蔓を焼き切ろうとするが、蔓には焦げ目一つつかない。そのままゆいたち4人も生えてきた蔓に捕まってしまった。


「サクリお姉ちゃん!なにするの!」

 ゆっくりと飛んできたサクリに頭をなでられたファイス。はじめは抵抗するファイスであったが、しだいにファイスの心は落ち着いていき、恐怖が薄れていく。子供の頃そうだったように。

 蔓の拘束が緩んでも、ファイスは逃げ出さない。むしろ、姉に甘える妹として、もっとなでてほしそうに見える。ほほえましい光景だ。姉のほうが幼い姿で、背中に羽を生やしていなければ、だが。


「サクリ、そのあたりでやめなさい」

 突然、ゆいたちの後ろから声が聞こえた。その瞬間、ゆいたちを拘束していた蔓が消えた。


 ゆいが後ろへ振り向くと、緑色の髪の女性が立っていた。深緑色の丈の長いワンピースの上に黒いコートを羽織り、そして三角帽子をかぶったその姿は、まさに「魔女」という感じだった。見た目の年齢は20歳くらいだが、どう考えてももっと年を取っているのは間違いない。


「まじょさま!」

 サクリがいつの間にかその魔女の隣に移動している。全員の目が集まったところで、魔女が口を開いた。

「私はテヴァ。『森の魔女』なんかと呼ばれているわ。どうかよろしくね。

 立ち話もなんだから、私の住処に招待するわね」


 そう言ってテヴァが腕をさっと振ると、周囲の景色にモザイクがかかったようにぼやけ、視界が晴れたときにはゆいたちは木組みの家の中にいた。


 その家は素朴ながら気品がある、どこか落ち着いた感じの空間だった。観葉植物や花が程よく飾られており、光源もないのに明るかった。部屋には二つの窓がついていて、外にはさっきまでゆいたちがいたような花畑が広がっていた。じつにおしゃれである。どこぞの成金趣味の魔女とは大違いだ。

 部屋の真ん中にはまるいテーブルと木製の椅子が6脚おかれており、その一つにテヴァが座っていた。


「どうぞ座って。いろいろあって疲れたでしょう」

 ゆいたちが気づかない間にサクリのに加えて5人の妖精が現れており、一人ずつゆいたちの隣に立っていた。その妖精が椅子を引いてくれたので、ゆいたちは椅子に座った。




 ***




 いつ並べられたかわからないが、テーブルには6人分、紅茶が入れられていた。まだ湯気が立っているカップの紅茶をすこし味わった後、テヴァが優しい声で言った。

サクリがちょっと迷惑をかけちゃってごめんね。お詫びというのもおかしいけれど、なにか私に要望はあるかしら?私の気分次第になっちゃうけど、少しくらいなら聞いてあげられるわ」


 サクリを自分のもの扱いされて怒ったファイスが、声を荒らげて尋ねた。

「サクリお姉ちゃんになにしたの!?魔女さんがなにかしたんでしょ!?」

「10年前、私はサクリを眷属にしたの。それだけよ。眷属は主人に反抗できないように精神的な影響を受けるけど、それ以外にサクリの心を操ったとか、そういうことはないわ」

 なんと、サクリのあの言動は素らしい。趣味が悪すぎだろう。しかし、ファイスは納得できなかったようだ。

「うそだ!魔女さんはわたしが欲しいからサクリお姉ちゃんを操ったんでしょ!?」

「サクリはあなたと一緒にいたいだけよ。私の眷属になれば、私の気が変わらないうちは一緒にいられるものね」

「じゃあ、サクリお姉ちゃんが自分でわたしたちを殺そうとしたっていうの!?」

「サクリのほうはただお姉ちゃんとして遊んであげているつもりだったわ。それが人間にはちょっと厳しかっただけよ」

 テヴァはちょっとと言っているが、それでゆいは何度も死にかけたのだが。しかし、ファイスは言葉に詰まってしまった。


 必死に反論の言葉を考えるファイスの頭が、突然、ぐらりと揺れる。そしてファイスの頭がテーブルに倒れこむ。そのままファイスは寝息を立てて眠ってしまった。

「夢の中ですこし頭を冷やしなさい」

「なにを……したの~」

 星奈、千晶、灯里の3人も同じように突然の睡魔に襲われ、眠ってしまう。眠ってしまった4人は、近くに控えていた妖精たちに抱えられ、そして半透明になって消えてしまった。


 ひとり残ったゆいは、震える手を抑えながら必死に頭を回転させる。どうするのが正解なのか。目の前にいるテヴァはゆいになにを求めているのか。熱っぽくて考えがうまくまとまらない。とりあえず、時間稼ぎに話題をひとつ絞り出す。

「この紅茶、ですよね。見た時に『おいしそう』だと思いましたから」

「そうよ。この紅茶を人間が飲めば、起こされない限り眠り続けてしまうわ。『魔女のものを食べてはいけない』って村では教えられたのに、忘れてしまっていたのね」

「わたしたちを試したんですか?」

「まさか。星奈も千晶も灯里もファイスもこれに気づけるほど警戒心はないわよ」


 ゆいは考える。テヴァは、ゆいと二人きりになることが目的だろう。あの銀色のペンダントの効果で、ゆいだけはもし紅茶を飲んでも吐き出していただろうからだ。

 それなら、ゆいだけが持っているものが重要なのだろうか。それとも、ルルのようにゆい自身に興味があるのだろうか。


「そんなに悩まなくてもいいわ。無意味だもの」

 テヴァの言葉でゆいの思考が止まる。気づけば、ゆいは何もない真っ黒い空間に立っていて、テヴァが目の前にいた。


 魔女の甘い香りと優しい笑みに、ゆいの緊張はとかされていく。思考が霧散して、難しいことが考えられない。ゆいの取り繕った顔がはがれ、こころの奥底にしまったはずの感情がむき出しになっていく。


 テヴァはゆいのペンダントをてのひらにそっと載せた。

「このペンダント、素敵ね。本当に愛されているわね」

 ペンダントについている水晶のひとつが緑色に光った。その光に照らされた魔女の微笑みはとても暖かくて、大自然の無限の包容力を感じさせた。

 ゆいの腕がひとりでに伸びていく。その腕は、テヴァの体を抱きしめた。ゆいの理性の仮面は、流れ出る涙とともに落ちていった。

「うわぁぁん!怖かった、怖かったよ!痛くて、苦しくて、とってもつらかった!ひとりぼっちはほんとうに心細かった!うわぁぁん!」

「そうね、怖かったわね。寂しかったわね。でももう大丈夫よ」

「うん、うん!」

 子供のように泣きじゃくるゆいの頭を、テヴァがそっとなでる。

「おやすみなさい、ゆいちゃん」

 真っ暗な世界の魔女の腕の中で、ひとりの女子高校生が眠っていた。

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