第18話 火傷に触れる

「何か、話したの……?」


 部屋への帰り道、リナは心底不安そうに私に問う。


「特には。仲良くしたい、とは言ってたけれど……」

「そう、なんだ……」


 そうほっとしたような、けれど不安は残ったような顔をしている彼女を見れば、私でも様子がおかしいことはわかる。


 リナはなにか秘密を抱えていて。

 それは同時にエレラは知っていることなんだと思う。


 それだけではなさそうだけれど。

 少なくとも、リナの過去に何かがある。

 過去にリナとエレラの間で何かがあって、それがリナを苦しめている。


 もしもそれが誤解だというのなら。

 エレラの言う通り誤解だというのなら。

 それを晴らすためにエレラに協力しても良いけれど。


 でも、もしもそうではないのなら、動かないほうがいい。

 リナの傍にいてあげないと。


 どうすればいいかわからない

 やっぱりエレラについて聞かなくてはいけない。

 それがわからないと、どう判断するべきか答えがわからない。


 いくら考えてもそれはわからなくて。

 また夜がくる。


「その、何があったのかって聞いてもいい? 私、リナの話を聞かないと、そのよくわからなくて。エレラと何があったの?」


 私は再度、寝る前にそう問うてみるけれど。

 リナは力弱く首を横に振るだけ。


「こ、怖いことがあるなら話してみて? 私じゃ……役には立たないかもだけれど……でも! 私だって」


 どうしてこんなに必死に声を出しているのだろう。

 いや、その理由は簡単なことなはずだ。

 だって、私はリナの。


「恋人、でしょ?」


 素直に言葉を発してみる。

 これで無理なら私に手はない。

 けれど。


「ごめん……これは多分、私の問題だから……」


 そんな風に彼女は言うものだから。

 私に打つ手はなくなる。


 やっぱり私は役に立たないのだろうか。

 リナを助けたかったのだけれど。

 結局私がしたことは、言葉を発してリナに苦しそうな顔をさせただけ。


 部屋に戻っても、リナの辛そうな顔は晴れない。

 いつまでたっても私の前では苦しそうな顔をしてばかり。


 同じ学級の誰かには笑いかけていたのに。


 そう思えば。

 私は少しずつ息が苦しくて。


 ここで生きている意味がわからなくなってくる。

 リナの笑顔も引き出せない。

 リナの助けにもなれない。


 なら私の手の中に残るものは。

 罪悪のみ。

 一切の許しはなく。

 私は。

 生きていてはいけないものに。


「ミューリ?」


 はっと、意識が浮上する。

 リナが心配そうに私をのぞき込んでいた。


 リナだって、苦しいくせに。

 私ばかり心配して。


 私はそんなに。

 そんなにも。


「そんなに……信頼されてないの?」


 気づけばそんな言葉を吐いていた。


「ぇ?」

「だって……だって、リナ、何も……何も言ってくれない。私も、助けたいのに……」


 一度吐き出した言葉は止まらず。

 ぼやけた視界の中で、言葉を突き刺す。


「やっぱり、私のことなんか嫌い? 好きじゃない? そりゃそうだよね。こんな私なんかには何も話したくないよね」


 真剣にそんなことを呟く私を、少し笑ってしまいそうな自分がいた。

 随分と面倒くさくてずるいことを言っている。そしてそうまでして、彼女のことを知りたがる自分が意外でもある。


 そんなにも私はリナのことが好きになっているのだろうか。

 それは彼女が与えてくれる純真な恋心とは違うことは私でもわかっているけれど、でも正確にどんなものかはわからない。


 今も肥大を続けるこの感情の正体が、私はとても恐ろしい。

 けれどこの感情に従わないという選択肢は存在しない。


「そんな、そんなことないよ。私、ミューリのことが好きで」

「なら!」


 想像よりも大きな声がでる。

 自分でも驚くほど大きな声は、リナの言葉を遮り、部屋に沈黙が舞い降りる。


 同時にそれを私は遠くで見ているような気がした。間違いなく私が叫んだことなのだけれど、どこか遠くの出来事のような。

 そして私はまた何事かを言い始める。


「なら……どうして、笑ってくれないの? 私といても楽しくないから? 私なんかといても、笑えないから?」

「ちが、ちがうよ。だって、私は」


 あからさまに狼狽える彼女を見て。

 私は多分、にらみつけるようなことしかできない。


 それはリナを助けるとは真逆の行動であるのだけれど。

 でも、止まってはくれない。


「みんなといた方が楽しいから? いつも楽しそうに友達と話してて、いいよね。私は独りなのに。私にはリナしかいないのに。結局、リナもそうなの? 私なんかどうでもいいってこと? 私より大切な誰かができたの? ならいいよ。もういいから。もう私は死ぬから。これでいいでしょ?」


 ただ言葉を並べる。

 もう何を言っているのかわからない。

 けれど、それがきっとリナを傷つけるような言葉だとわかっていても。

 私の口は止まることを知らない。


「だって私じゃリナを助けられないもの。私なんかには何も話せないよね。せめて、何かの助けになればと思ったけれど、それもできないし。なら負担でしかないでしょ? なら、もういい。もう私なんか。私なんか生きてても仕方ないから」

「そんなことない!」


 彼女が言葉を遮る。

 私は一瞬びくりとして、言葉が途切れる。


「ミューリはたくさん私を助けてくれてるよ。私と一緒にいてくれるだけで、すごい幸せで。私だから」


 でも。


「なら! なら……なんで、話せないの?」


 そう問えば、リナは目を伏せて。


「だ、だって。言ったらきっと」


 言葉が留まる。

 数秒の沈黙の後に。


「きっとミューリは私を、嫌いになっちゃう」


 そんなことを不安そうに言うものだから。

 私は何も言えない。

 ただ絶句していた。


 そんな。

 そんなことを。

 恐れていただなんて。


「そんなの」


 辛うじて言葉を絞り出す。


「あるわけない……私にはリナしかいないのに……そんなの、あるわけない!」


 勝手な事だ。

 勝手なことを言っている。


 私はこんなにもリナに嫌われるのを恐れているというのに。

 彼女が同様の恐れを抱いていることを認めない。


 でも、私は叫ばずにはいられない。

 私には、リナだけなのだから。

 彼女しかいないのだから。


「私には……私にはリナしかいないんだよ……?」


 私の周りにいる人は、リナしかいない。

 私と共にいてくれる人で、私を見てくれる人で。

 私を好きだと言ってくれる人はリナしかいない。

 

 あぁ、だからか。

 だから私はこんなにも動揺しているんだ。

 彼女の心が他の誰かを向いていることに。


 だから私はこんな卑劣な言葉で彼女の言葉を引き出そうとしている。それでどうにかなるわけではないのに。


「おねがい……私には全部話して……せめて、何か。なにかさせて欲しい……力になりたい。嫌いになんて、ならないから……なるわけないから……」


 私の懇願というか、嘆願というか、情願が聞き入れられたのか。

 それとも、何故か泣いている私を不憫に思ったのか。


「……わかった。話すよ」


 リナは小さな声でそう言った。

 涙を腕で擦り、顔をあげて、彼女を見れば、私はなんだかほっとする。


 彼女が小さくも優しく、そして綺麗に輝いて、笑っていたから。

 私はどこか安心して、つられてちょっと笑ってしまう。


 それを見れば、私は彼女に言えない想いを抱えてしまう。

 いつかリナに命を捧げたいだなんて。そんなことを思ってしまうのだから。

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