第19話 火傷を覗かせる

「はい」

「あ、ありがと……」


 リナが出してくれた湯呑をくるくると回す。

 中に入る水がきらりと揺らめく。

 光の下のはずなのに、魔力光の下ではなんだか暗いままのようで、水底まではよく見えない。


 なんとなく心のようだと思った。

 よく見えない。見えているはずなのに。

 私の心はよくわからない。自分のことなのに。


「それで、昔の話、だよね……」


 リナは言葉を詰まらせながら、言いたくなさそうに言葉を紡ぐ。

 それにふと、言いたくないのなら言わなくて良いなんて、言ってしまいそうになるけれど。

 でも、私はリナの話が聞きたい。


 ずっと気になっていた。

 彼女が気にしている過去がどんなものなのか。


 もしもその過去がリナを苦しめるものなら、それをなんとかしてあげたい。

 助けてあげたい。私がリナに助けられたように。


 多分、私の中にあるのはそれだけというわけではないのだろうけれど。

 けれど、それはまだ心底で、私にもまだよく見えない。

 今の私には、それが暴走しないことを祈ることしかできない。


「えっと、まだちゃんと話したことはなかったけれど、私は昔は探索者をしていたんだ」


 それはどこかで聞いた。

 とても驚いたのを覚えている。


 未開域探索者と呼ばれる仕事は、誰でも成ることはできても、とても危険なものだとされている。

 それは当然と言えば当然の話で、現代魔導技術でも人類未開の地に調査に行くのが仕事なのだから、危険度は計り知れない。


 ここまで発展した魔力文明を持つ人類を拒むのは、大抵の場合、古代魔導兵器と原生魔法生物だと言われている。

 そのどちらもが強力な性質を持ち、現代兵器を用いたところで撃破は困難を極める。


「その、どうして、なの? なんでそんな危ないこと……」


 恐る恐る問うてみる。

 今のリナを見ていれば、なんでもできそうなくらい強力な魔法技術を持っているから、探索者でもおかしくはないというか、成ることはできるのだろうけれど。


 それだけの魔法技術があれば、別のことでも良いんじゃないだろうか。

 別のことでも生きていくことはできていたはずなのに。


「お金がね。たくさんお金が、欲しくてね」


 私の問いに、彼女はなんとも俗物的な回答を返す。

 私はそれだけでは納得できなかった。


 リナがそこまで物欲高い方には見えない。

 お金は手段にすぎず、何か目的があるのではないか。


 そんな疑問があるけれど。

 でも、それを聞くことはできなかった。

 いや、聞きたくなかった。


 リナはなんというか。

 嬉しそうな。照れたような。

 そう。

 何かに焦れたような顔をしていたから。


 そんな顔をさせる何かの話など、聞きたくはない。

 少なくとも、今は。

 聞けば私はまた平静ではいられなくなるだろうから。


「仲間が、いたの。同じ探索者の」


 また彼女の表情が変わる。

 今度は悲しそうに、呟く。

 けれど、確かに懐かしむように。


「カーナ、クライス、リオン。それに私。4人で探索者の仕事をしていたんだ。でも、もう私しか生きてない。私の、せいで」


 生きていない。

 それはつまり、死んでしまったということで。

 

 それで私も察する。

 彼女が過去を語るのを避けたのは、それが大きな要因の一つだったのだろう。


「探索者ってね、たくさん危ないことがあるんだ。だから私達も最初は危険度の低いところから始めたんだよ。小さな魔導機械ばかりのところに行って、ちょっとした古代魔導機を持ち帰って、それを売って……」


 私も詳しくは知らないけれど、そんな簡単なことではないのだろう。

 危険度が低いといっても、そこは未開拓領域で、現代の人の手が入ってこないところで、そこは死の可能性のあるところなのだろう。私には想像もつかない。


「最初は順調でね。でも。いや、だからだろうけれど。私達は、うん。調子に乗ってたんだと思う。だから、危険度の高い場所にも行った」


 懐かしむ声が、次第に悲しみに包まれていく。

 けれど、それを助ける言葉を私は持たない。探しても見つからない。


「意外とね。大丈夫だったよ。危険度が高いって言っても、意外と帰ってこれた。みんなが助けてくれたから。だから、いろんな古代魔導具も持って帰れたし、それはすごいたくさんのお金を産んだ……」


 少し言葉が途切れる。

 リナの顔が歪む。

 苦しそうに歪む彼女の顔を見れば、話すことを強いたことを少し後悔しそうになる。


「でも、それはきっと幸運だったんだ。でも、上手くいったから。上手くいってしまったから、私達は余計に調子に乗った。だから、あの時も」


 リナが息を吐く。

 水を飲んで。

 俯いて。

 また過去の話を始める。


「簡単な仕事だった……そう思ったんだ。小さくて、そこまで危険度も高くない古代遺産。地下都市だったんじゃないかな。そこで、やつがきた」


 彼女の身体が震える。

 蒼白そうになりながら、次の言葉を吐く。


「強い、魔法生物だったよ。そんなやつはあの場所にはいないはずだったんだけれど、でもあいつは来た。第一指定危険魔法生物の一体、白棘刃」


 それは私でも聞いたことがあるぐらい有名な魔法生物だった。

 現在確認されている第一指定危険魔法生物は9個体。その全てが危険すぎて、国から懸賞金がでているほどの生物。

 何体かは既に倒されたはずだけれど、でも、そのうち数体はまだ生き残っていた。その一体なのだろう。


「最初の奇襲でクライスとリオンがやられた……私はそれで怖くなって……戦えなくて、それで逃げてる途中にカーナもやられて、それでなんとか私は生き延びたけれど……でも、恨まれたよ。どうして私だけって」

「え?」


 私は思わず声をあげてしまった。

 どうしてかわからなくて。

 なんで生き延びて恨まれるの……? 


「な、なんで……?」

「そうしないと……だめだから」


 その言葉ではたと気づく。

 きっと最もリナを恨んでいるのは、リナなのだろう。


「助けられたかもしれない。私がもっと。何かしたら」

「で、でも、リナも必死だったんでしょ? それなのに」


 私は自責するリナを励ましたくて、言葉を並べてみる。

 でも、小さくリナは横に首を振る。


「……みんな、家族がいた。私はでも、家族なんていないから。私以外の誰かが助かった方がきっと、悲しむ人は少なかったんじゃないかな。だから、私は恨まれても仕方ない……」


 そんなことない。

 そう言おうとしたけれど。

 でも、声はでない。


 きっと彼女は、行き場のない怒りの矛先にされてしまったのだ。

 そしてそれは仕方のないことでもある。

 そう思う私も、少しいたから。


「……エレラは、カーナの妹だよ。きっと私に復讐しに来たんだ。私はそれを受け入れる、つもり」


 リナは微笑みながら語る。

 でもそれが諦めからくるものだということは、私でもわかった。


「つもり、だったんだけれど……でも、怖くなっちゃった。ミューリと過ごして、すごく私、幸せで。だから、この幸せを手放すのが怖くなっちゃった。ほんの、夢のつもりだったのに」


 何かを言わなくちゃいけない。

 何か。

 ほんの小さなことでもいいから。


「ぁ、」


 リナを助けたい。

 過去に苦しむリナを。


 でも、どうしたらいいのだろう。

 私が無理にでも暴いた彼女の過去は、私には受け止めきれないほどに大きい。

 そのほつれをとかしほぐすのは、私にはできない。


「……ごめんね。だから私、本当はここにはいないはずだったんだ。カーナがあの時……あの時、私を、助けなければ……今生きているのはカーナなはずだったんだよ……」


 でも。

 それでも。

 そんなの。

 

 私は。

 勝手なことだけれど。


「もう、寝るね。ごめんね、嫌な話、しちゃって」


 違う。

 私がさせたのに。

 そんな風に謝らないで。


「明日、エレラのところに行ってくるよ。何をされるかはわからないけれど、でも、うん。受け入れる。私は、そうしないといけないから


 そんなことない。

 そんなことないのに。

 何かを言いたいのに。

 言葉がでない。


 リナは諦めと後悔が混ざったまま、布団の中へと消えていく。

 私はその背中を眺めて。

  

「わ、私は……! リナが生きててくれて良かったよ」


 言葉をだした。

 絞り出した言葉は。

 ただの私の言葉。

 素直な私の心。


「私はリナが死んじゃってたら悲しかった、と思う。今、生きててくれて良かったと思ってる。ほんとに」


 正直、他の3人のことなんて、私は知らない。

 どうだっていい。

 リナが生きててくれれば。


「だから、私の傍に」


 傍にいて欲しいなんて言わないほうがいいのだろう。

 私は選べる立場にないのだから。

 それは縛る鎖でしかないのだから。

 でも。


「私の傍に、いて……」


 でも、私は言葉にする。

 私の勝手な望みを。


 そう言わないと、彼女が消えていきそうな気がした。

 どこかへ行ってしまうような。

 私の前に現れた時のように、目が覚めればいなくなっているんじゃないかって。


「……私、生きてて良かった、のかな」


 リナの声がする。

 その問いに。


「うん。だって、リナが私を救ってくれたんだから」


 私は肯定を返す。

 沈黙が流れる。

 深い夜の中で。

 そして。


「……そっか」


 リナの何かを知ったような声が聞こえた。

 そして次の日目覚めれば、そこにリナはいなかった。

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