第16話 火種を恐れる

「ま、転校してきたのよ。それじゃ、また」


 それだけ言って、赤い髪の女はどこかへと消えていった。

 リナはそれでも、何かに怯えるようにしていたけれど。


「大丈夫? どうしたの?」


 私がそう声をかければ、彼女は笑って。

 あからさまに無理に笑って。


「大丈夫! それより、そろそろ戻ろうか。今日は早めに寝ないとね」


 その姿に何かを言おうとしたけれど。

 何を言えば良いかはわからない。

 だからただ。


「……うん」


 ただ頷くことしかできない。


 それからの彼女は普通だった。

 普通に見えた。


 でも、何かが違う。

 普段通りの会話で、普段通りの様子だけれど。


 それが無理をしているように見えるのは、私が見てしまったからだろう。

 あんなにも狼狽えた彼女は見たことがない。


 何かがある。

 何かとんでもないことが隠れているのだろう。


 彼女は取り繕うのが上手くて、私でなければ、異常だとはきづけなかっただろう。


 私は聞かないほうが良いのかと思った。

 時期に立ち直るのではないかと。

 私も気になることだけれど、でも。


 リナが言いたくないことなら、聞かないほうがいいって。

 ……いや、多分それだけじゃない。


 私はあの時、何も言えなかった。  

 リナが苦しそうにしているのに、私は何も言えなかった。

 助けることができたとは、正直思えないけれど……でも、助けようともしなかった。


 だから、今更何かを言おうとは思えなかったのだけれど。

 でも、夕ご飯を食べても、風呂から上がっても、彼女は時折怯えたように顔を歪めるものだから。


 だから寝る前に私は聞いてしまう。


「あ、あのさ……あの子、誰なの?」

「あの子?」


 私の質問は流石に言葉足らずが過ぎたようで、リナはきょとんと首を傾げる。


「昼間の……赤い髪の、あの子」


 そうはっきりと口に出せば、彼女は見るからに顔を歪める。

 やっぱり触れないほうが良かったかもしれないと後悔が出てくるけれど、ここまで言ってしまえば、止まることはできない。


「何か、あったの? ううん。あったんだよね? その、リナ、すごい……えっと、苦しそうだよ?」


 どうしたらいいのだろう。

 どうすれば、彼女から辛さを取り除けるだろうか。

 何をすれば。


 いや、今更なのだろう。

 もっと早く動いていればよかった。

 私に勇気がないせいで、こんなにも彼女は。


 ……言い訳。

 全部、言い訳なんだ。


 それでも。

 私は本当に彼女を助けたい。


「……ただの、昔の知り合い……」


 リナはそう辛そうに言葉を吐き出す。

 それを見れば、ただの知り合いではないことはわかる。

 でも。


「……ごめん。今は、これで」


 でも、彼女がそう言ってしまうから、私には何も言うことはできない。

 何か言わなくちゃ。

 何かをしなくちゃいけないのはわかっているのに。


「おやすみ。また、明日」


 布団の中へと潜る彼女を止める言葉を私は持たなかった。

 だからただ私も。


「おやすみ」


 そう言うことしかできなかった。

 けれど、身体を横にしても彼女の様子ばかり気になってくる。


 彼女はそれほどにおかしかった。

 本当に待っているだけで、リナは回復するのだろうか。

 私にはわからないけれど、彼女の精神に危機が訪れているのは確かで。


 なら、助けなくちゃ。

 そう再度、決意するのだけれど。

 でも、何をしても意味がないように思えて仕方がない。


 私は何をするべきなのだろう。

 リナを助けたいと思ったところで。


 リナが辛そうにしていた時に動けなかった私に、何かできるのだろうか。

 ……私は結局何も変わっていないのか。


 違う。

 もしも私があんな風に辛そうにしていたらリナは。


 彼女ならきっと。


「リナ、さっきの話だけれど」


 リナなら、もう一度声をかける。

 

 それに今声をかけなくては、もう二度と話せなくなるかもしれない。

 友達だったアオイが、突然急に二度と話せなくなったように。だから、私はリナに声をかける。どう声をかけたらいいかわからずとも。


「私には……わからない、けれど。でも……」


 なんといえば良いのだろうか。

 何をいえば良いのだろうか。


 必死に言葉を探す。

 けれどあるのは虚空のみ。

 空っぽな私の中にあるのは。


「なんでも……話していいからね……? 私、その」


 言い淀む。

 でも、これは口にしておくべきだろう。


 私もリナがただの友達なら、隠していることにもう一歩と触れたりはしない。と、思う。

 でも、リナは友達じゃない。


「リナのこと、好きだから……」


 恋人なのだから。

 これぐらい踏み込んでも、普通なはずだから。

 

「それだけだから……」


 そしてまた寝床へと戻る。

 これで良かったのだろうか。

 やっぱり私の中にある言葉では、リナを助けることはできそうにない。


 もしも私がもっと特別な人だったなら。

 もっと私が強い人だったなら。

 こんなにも脆く、弱い私でなければ。

 私以外の誰かがここにいれば、リナを助けられただろうか。


 結局のところ、私は罪人なのだから。

 リナの許しでかろうじて生き延びているだけの。


 そんな人が誰かを助けることなどできるはずもない。

 せめてもっと早く動くべきだった。

 それこそ最初にあの赤い髪の女が現れた時に。


「……ぁ」


 小さな息を吐く。

 まただ。

 また少し、息が難しい。


 アオイが死んでしまってから、息をすることの難しさを感じることが多い。それとも前からだろうか。あまりわからないけれど。

 リナといれば、そう思うことも少ないのだけれど。


 でも、時折感じる。

 なんだか生きていることが間違いな気がして。

 いや、実際のところ間違いなのだろう。

 

 罪人でしかない私の手は、罪悪で血まみれなのだから。

 リナが肯定してくれるから、息して生きているだけで。


 ……私は……きっと。

 私は多分、リナを心配しているわけではないのだろう。

 いや、確かに心配ではあるけれど、それは彼女の感情が私からの外れていくことへの恐れなんだと思う。彼女の心が私以外の誰かを気にかけていることが恐ろしい。


 私はリナがいなくなれば独りになってしまうのに。

 別にリナは私が消えても孤独じゃないけれど……


 ならやっぱり早く彼女に元気になってほしい。

 また私を許してほしい。

 結局のところ私に何かできることはないのだけれど……


 恋人だなんて言っても。

 結局、私の力じゃ何もできない。

 本当に無力だから。


 だから私ができることは時を待つことだけだった。

 息ができない時間も、リナが苦しむ時間も、ただ息を止めて堪えて、時間が経って。


 4日後、赤い髪の女はまたしても私達の前に姿を現した。

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