第14話 鬱罪

「みゅー、ちゃん……?」


 微かなリナの声がする。

 私の手は彼女の首にかかっていて。

 私の手にはありったけの力が籠っていて。


 焦って、力を緩めるけれど。

 でも、目の前で顔を歪めて、私を当惑した目で見つめる彼女は、私の手で苦しんでいて。


 私はリナの首を絞めた。

 その程度のことを理解するのに、数秒かかった。


 でも、それは確かに私の意思で。

 暗がりの中でも彼女の首には痣が見えて。

 それは私の殺意の証拠で。


 私はリナを殺そうとしたのだ。

 わけもわからず、ただ彼女を。


「ぁ……」


 それが分かれば。

 そうだと分かれば。


 苦しそうに顔を歪め、弱々しく手を私の腹にあてる彼女を殺そうとしたのが私だと分かれば。

 簡単に振り払えるはずなのに、私を気遣い受け入れる彼女に苦痛を与えたのが私だと分かれば。


 視界が揺れる。

 ぐらりと歪んで。


 上手く前が見えない。

 自分がどこにいるのかわからない。


「ミューリ……? だ、大丈夫?」


 私はただ。

 私は。

 わたし。


 わたしは。

 ふらりと立ち上がり。

 刃物を手に取る。


「ミューリ! 何してるの!?」


 手が止まる。 

 彼女の手で。

 私の刃物を持つ手が止まる。

 私の首に差し向けられた刃が。

 自刃しようとしたら腕が、リナによって止められる。


「止めないで、死ななきゃ、私、私、死なないと、だって、じゃないと、許してくれない、許してくれない、死なないと、だから、殺させて、こんなやつ、殺してやる、こしてやる。ころして、ころしてやるんだから! はやく、殺さないと、ころ、殺してあげないと、死なないと……許してくれない、誰も、だれもゆるしてくれないんだから!」


 何かを叫んで。

 私は、わからない。

 何を言って。

 でも、リナが何かを言う。


「ミューリ! 大丈夫、大丈夫だから! ね? 誰も責めてないよ?」


 そして私の手を止める。

 力勝負なれば、私が彼女に勝てる通りはなくて。

 手に持った刃物を取り上げられて。

 私は崩れて。

 視界が倒れて。

 そして、あふれて。


「やだ、やだやだやだ! なんで、よ。ころしてよ。ころして。はやく。しなないと。だって、だって。アオイは死んだのに。アオイが死んだなら、アオイが罪を被るのなら。私の。私の罪のほうが大きいんだから。はやく、死なないと。許されないのに、なんで! なんでぇ……!」


 涙が出ているのをやっと理解する。

 私が何かを言っている。

 何を言っているのだろう。


「大丈夫。大丈夫だよ。ミューリは何も悪くない。悪くないから」


 リナが私に覆いかぶさって。

 背中をさする。


 けれど、それを突き飛ばす。

 私が。


「やめてやめてやめて。私に、私に近づいちゃ」


 なんで。

 どうして。


 そんな気持ちが駆け巡る。

 わからない。

 罪まみれの私に、贖罪の済んでいない私に、どうしてそんな。

 そんな顔ができるの?


 ぐちゃぐちゃする。

 私の。

 私は。

 一体なにを。

 いや、そうだ。ころさなきゃ。

 わたし。

 しなないと。

 きえないと。


「ころさないと。しにたい」


 あぁ。


「死にたい。消えたい。還りたい。死にたい。消えたい。殺したい。死にたい。死にたい。死にたい。しにたい。しにたいしにたいしにたいしにたいしにたいしにたい。しなせて。お願い。そうしないとだれもゆるしてくれない」


 私の心は壊れてしまったのだろうか。

 何を思っているのかわからない。

 自分がなにかわからない。


「だ、誰も、誰もミューリのこと、責めてないよ……?」

「嘘だよ! だって、そうじゃないとおかしい! なら、なんなんでアオイは死んだの!? 自分で自分の罪が許せないから! 私が私を責めてきて、あぁ。やだ。やだよぉ」


 なにをしているのだろう。

 何が起きているのだろう。

 私は何なのだろう。

 意味が分からない。

 私の行動が理解できない。


「死にたい、本当に死にたい早く死にたい。早く死んでしまいたい。お願い。お願い。殺して。お願い。ころして。早く私を殺して。私は。私の首を絞めて。私の腹を切って。私の喉をつぶして。私の頭をつぶして。私の体を壊して。私の。私を、早く殺して。死にたい。死にたいよ。死にたい。死にたいよ。お願い。死にたい。やだ、やだ、もうやだ。もうして。許してしちゃだめ。許しちゃだめだよ。私なんか許しちゃだめ。私は、誰からも許されない。だから早く私を殺して……」

「それでも」


 何処からか声が聞こえる。

 私の雑音のような崩れた声ではない。


 光り輝く綺麗な声が。

 リナが私に声をかけている。


「私は許すよ」

「どうして!」

「ミューリが好きだから」


 そんな風に私を見つめて、熱と共に包み込んでくれたなら。

 なんだか私は。

 私も、私でも、生きていてもいいかもって。


「ぁ」


 そして。

 叫んで。

 泣いて。

 泣いて。

 ないて。

 泣き続けて。


 わからなくて。

 ぐちゃぐちゃで。

 あばれて。

 ゆれて。

 みえなくて。

 こえがかれ。

 ふかくいきをして。

 あたまをなでられ。


 目覚めたら。


「おはよう。ミューリ」


 リナの膝の上だった。

 膝枕をしていてくれたらしい。


 私をのぞき込む彼女の顔は穏やかに微笑んでいて、それになんだか心が跳ねる。こんなにも直線に私を見てくれる目があるという事実に私は高揚を隠せそうにない。


 ゆっくりと起き上がる。

 そして思い出す。

 昨日の惨状を。


「あ、その。昨日は……ごめんなさい」


 思い返してみれば。

 ……酷い。

 私は一体、なんだったのだろう。

 自分でも、自分が恐ろしい。


「全然大丈夫だよ。それより、落ち着いた?」


 そう平気そうに語る彼女の首には赤い痣がついていて。

 私が付けた痣がついていて。

 否応にも、昨日の私の罪を認識させる。

 

 また。


「本当にごめんなさい。私、やだ。もうやだ」


 なんで。

 なんでなのだろう。

 どうしてこうもいつも失敗してしまうのだろう。

 なんでこんな風になってしまうのだろう。


 彼女は優しいのに。

 私に色々くれるのに。

 私も様々な物を返したいのに。

 でも。


「もうわかんない。ごめんね。ごめんなさい。リナ、ごめんなさい」


 私は奪うだけ。

 何もできない。

 もう自分が自分でないようで。


 また死にたくなってくる。

 消えたくなってくる。

 けれど。


「大丈夫だよ。大丈夫。ここにいるからね。そばに居るから」


 けれど、リナがそう言ってくれるから。

 また泣きじゃくる。

 そうしていれば、リナは私をまた抱きしめてくれる。

 ほのかな熱が、なんだか。


 その熱なら、私も呼吸が。

 息が戻ってくる。

 ここにいてもいいのかなって。


 思っていいのか。

 私はそんなことを想っていいのか。


 私は。

 私はなんだ。

 なんなのだろう。

 何をしていたのだろう。


「ミューリ。ここにいるよ。大丈夫だからね」

「……うん」


 正直、自分でもよくわからない。

 なにをしていたのか。

 なにをしでかしたのか。


「本当にごめんなさい……」

「気にしないで? 色々あったし、ちょっと、疲れちゃったよね」


 彼女は私の形ばかりの謝罪を簡単に受け入れて、優しく包んでくれる。

 そんな簡単に受け入れられていいものなのか。


 私はリナを殺そうとしたのに。

 殺そうとしてしまったのに。

 こんなことで許してもらっていいのだろうか。


 その許しを、そのまま受け取っていいのだろうか。

 私はそんなものを受け取る資格なんて。


「……色々あったけれど、でも。私はやっぱり。ミューリが生きて、こうして傍にいてくれて、嬉しいよ。本当にそれだけで、嬉しい。だからね。今はゆっくり休んでいいから。何も怖いことなんてないよ。大丈夫だよ」


 錯覚。錯覚だろう。

 それはわかっている。

 わかっているけれど、でも。


 だめだ。

 やっぱり私はだめな人なのだろう。


 私はリナのくれたこの甘い熱に溺れるだけ。

 私は弱い。

 弱くて、何もできないから。 


 自らの許しも、罰もなにもできない。

 アオイのように自ら道を決めることはできない。

 みんな特別なのに。


 私は。

 私は、多分。

 リナが許してくれてないと、なんだか息することも難しい気がする。

 呼吸とはここまで難しいものだったのだろうか。


 こんなのでいいのか。

 いいのかわからない。


「大丈夫だよ。全部、これでいいから」


 良いはずがない。

 こんな一歩的な搾取するだけの関係。


 でも、もう前が見えない。

 今は目を閉じることしか。

 もう何も考えられない。


 私は眩しいままに目を閉じて。

 甘い熱に溶かされてゆくだけ。

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