第12話 鬱罰
「覚えてないの?」
記憶が朧げであると伝えれば、リナは心配そうに私を覗き込む。
「えっと……まぁ、うん」
「だって、あんなことになってたのに……」
そう語る彼女はとても辛そうだった。
そんな大変なことになっていたのだろうか。気になる。聞いて良いのかな。
「ど、どんな感じ?」
「どうって……血がいっぱいでてて、3日も目を覚まさなくて、私、ほんとに心配で……ミューリがもう2度と起きないかもって……」
おずおずと問うてみれば、彼女は泣きそうに語るものだから、私も聞くべきじゃなかったと申し訳ない気持ちになってくる。
「ご、ごめん……」
「ミューリが謝ることじゃないけれど……でも、そっか。それなら、わからないよね……ミューリなら犯人の顔も見えたかもって思ったんだけれど……」
リナはすぐに落ち着きを取り戻して言葉を紡ぐけれど、その中に私は疑問を見つける。
「犯人?」
そこでようやく、私が事故ではなく事件に巻き込まれたことを悟る。
なんだか勘違いしていた。
てっきり事故か何かと思っていたけれど。
まさか事件だったとは。
確かに守るという表現は襲撃者ありきではあるかもしれない。
私は再度彼女に問わずにはいられなかった。
「えっと、その。私に、何があったの?」
「その、落ち着いて聴いて欲しんだけれど、多分……命を狙われたんじゃないかな……ほんとは私がそういうのは守らないといけなかったんだけれど……ごめんなさい」
彼女はまた悲しそうに俯く。
そんな顔をしてほしくなくて、そんな顔がしてほしくて、こんな話をしたわけではないから、急いで言葉を探す。
「あ、いや。それは、うん。それこそ別にリナが悪いわけじゃ……」
「ううん。あれは私が悪い。最初からもっとちゃんと話すべきだった。そうしてたら」
それは……そうかもしれない。
私も話してくれなくてしんどかったし。
1カ月も無言のままだったのだし。
元を辿れば、私の無神経な言葉が原因でもあるのだけれど。
そう思えば。
「それは、多分私も悪いから。お互い様だね」
私のせいでもある。
私がリナの気持ちを考えないことを言わなければ、そうはならなかったのだから。
「そんなことないよ!」
はっとして、彼女は私の言葉を否定するけれど。
でも、なんだかそれがおかしくて、少し笑ってしまう。
「お互い様だね」
リナは私の言葉の意味が分からないという風に首を傾げる。
流石に言葉足らずだったかと、言葉を重ねる。
「私も、リナは悪いとは思わないけれど、だから、お互い様。それでいいでしょ?」
「それなら……うん。ミューリがそれでいいなら、いいけれど」
それでようやく彼女も自らを責めるのをやめてくれた。
それにすこしほっとする。
それが彼女自身の選択だとしても。
私の好きな人をあまり悪くは言わないで欲しい。
「えっと、それで。犯人はわかってないんだよね?」
一息吐いて、話を戻す。
「うん。事件からもう3日ぐらいだけれど、まだわかってないよ。今のところは他に被害にあった人はいないみたいだから……多分、ミューリだけを狙った犯行じゃないかな……でも、安心して! 私が守るから」
そう力強く言ってくれる彼女は、とても頼もしい。
本当はリナのことも助けてあげられたらいいのだけれど、この場合は狙われているのは私だし、彼女の方が強いのだから何も言えない。
「うん。ありがと。それなら、ずっと傍にいてくれるの?」
私の言葉にリナは少し頬を染めて。
「そう、だね。うん。そうしたいもの」
「私もそれなら。それが、とても嬉しいよ」
なんて2人で照れ笑いして。
小さくても、確かな熱を私達の間で共有して。
やっぱりここは夢なんじゃないかなんて。
そんな朧げな暖かい世界に一筋の黒が走る。
わかっていた。
記憶がいくら朧気だろうと、それしかないのだ。
そうじゃないと信じていたかったけれど。
そんなわけはないと目を逸らしていたかったけれど。
でも。
だって最後まで私といたのは彼女なのだから。
彼女と別れた後に襲われた可能性もあれど、それでも一番犯人の可能性が高いのは彼女なのだし。
それに記憶の淵にある深い黒と、その中の不気味な笑顔。
「ち」
気づけばアオイが目の前にいた。
指先が私の喉元に迫っていた。
私に認識できない速度で行われたその攻撃を止めたのは、隣に座っていたはずのリナであることは考えるまでもない。
リナが腕を掴み、攻撃を止めてくれていた。それがなければ、私の首はどうなってしまっていたのだろう。いや、それを既に私は知っている。
リナもいつのまにか立ち上がり、反撃とばかりにアオイを投げ飛ばす。
「邪魔。退いて」
「退かない。ミューリは私が守る」
軽く言葉をぶつけ、お互いの魔力が大きく動く。
無数の小さな紙がアオイの周りでふわりと浮く。
それが魔符と呼ばれるものであることぐらいは私も知っている。そして、それがこの国の魔法使いが使うものではなく、海の向こうの陽光国の者が使う技術であることも。
呼応するようにリナの周囲の空間が高魔力で少し歪む。
魔力に鈍感な私でも、それが複数の仮起動状態の術式であることはわかる。そして、リナが簡単そうに行ったその技術が、とても難しいことぐらいは私も知っている。
そこまでだった。私が認識できるのは。
それ以降はもう、身体強化すら使えない私に認識できる領域ではなかった。
鮮やかな光が医務室の中を飛び交う。
それを見ながら私は今だに現実を受け止めきれずにいた。
アオイがどうしてって。
彼女と過ごしたのは、ほんの数日の間でしかなかったけれど、そんなことをする人は見えなかった。
いや、それが演技だったのだろう。そんなことはわかってる。私を殺すために、私の油断を誘うためにそんなことをしたのだろう。
でも、無表情の内に見えた喜びは嘘だったのだろうか。
あの図書館で2人でいた時間は嘘だというのだろうか。
私が感想を話せば、楽しそうにしていたのに。
あれも全部嘘だと言うのだろうか。
嘘なのだろう。
嘘だと言うのだろう。
「ぁ……」
気づけば勝負はついていた。
私の前に立つリナの頬には薄い切り傷がついている。それがアオイの右手に握られた小剣によるものであるのは、見ればわかる。
リナを挟んで、私を無表情で見据えるアオイは。
アオイは、立ってすらいない。
脚を折られたのか、左足があらぬ方向へと向いている。よく見れば左腕も血だらけで。
足元には小さな紙が散乱している。
「投降を、勧めるけれど」
リナは冷たい声で勧告をする。
けれど、アオイは無表情のまま私を見据えるだけ。
「そう」
再度、リナの魔力の動く。
嫌な予感がして、私は声をあげる。
「こ、殺すの?」
「……うん。危険すぎる」
そうなのだろう。
リナの言ってることは正論で、それがもっとも正解に近いのだろう。
でも、そんなの。
そんなわけはない。
私は、アオイに死んでほしくはない。
それにリナが人を殺すところなど見たくはない。
「で、でも。もうこんなだし……それにほら、私も無事に生きてるわけだし……」
「それは……そうかもだけれど……」
私は重い身体を起こして、立ち上がらせる。
「少し話をしても、良いかな」
リナは少し悩むような素振りを見せる。
「お願い」
けれど、私もこのままアオイと別れとなるのは嫌だから。
リナとまた心を通わせたからこそわかる。
一度できた繋がりを手放すということがどれだけ恐ろしいことなのか。
リナは渋々といった様子で軽く道を開けてくれる。
「……うん。危なそうならすぐ終わらせるからね」
リナはなんだか物騒なことを言ってる。
それは私を守るためなのだろうけれど。
でも、私を守るために人を殺すなんて。
それは、あまり嬉しくない。
「アオイ、その……全部嘘だったの?」
アオイは答えない。
ただ無表情なまま私を見つめるだけ。
「どうして私を狙うのかはわからないけれど……でも、そのためだったの?」
けれど、無表情の中にも揺れる何かがあるのが見える。
彼女と出会ってほんの1ヶ月程度だけれど、それぐらいのことはわかるようになってきた。
「私は……嬉しかった。嘘だとしても、話しかけてくれて。その、私も最近気づいたんだけれど、孤独ってすごい寒くて、だから……」
何を言えば良いのだろう。
何を言えば、アオイは凶行を終えるだろうか。
「だから、また。また私と、本でも」
どう言えば良いかわからない。
ただ私はアオイに死んでほしくはないし、リナに人殺しなどさせたくなくて。ただ言葉を繋ぐ。
「嘘じゃない」
アオイが声をあげる。
「騙したけれど。言ったことは嘘じゃない」
そう語る彼女はいつになく無表情であったけれど。
同時に今まで見た彼女の中で最も柔らかい表情に見えた。
「そう。嘘じゃない。こんな場所初めてで。わからなくなっていた。自分が何者か。錯覚していた」
アオイが遠くを見つめる。
そこに殺意などは見えなくて、私は安心して一歩近づこうとするけれど。
「ミューリ、あなたと話したのは失敗だった」
アオイは首を切り裂く。
自らの首を。
止める暇もなかった。
赤い何かが溢れ出し、床を血に染める。
「アオイ! な、なんで……」
「殺そうとした」
アオイが息を切らしながら呟く。
「あなたを殺そうとした。ともだ、ちを」
視界がどんどん赤く染まっていく。
彼女の命が消えていく。
「そんな私が。今更、だれ、かに……なんて……」
私はどうすればいいかわからず。
「ごめんなさい。これは私の。贖罪」
そして言葉が途切れる。
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