第11話 躁像

 そこは医務室だろうか。

 薬の匂いが漂っている。

 窓からは夕暮れ時のほのかな光が差し込む。


「あれ……私、どうなって」


 記憶が朧気だ。

 なぜこんなところに。

 たしか。


 アオイに連れられて、どこかに向かって。

 あれ……どうなったんだっけ。

 

 その後の記憶が上手く定まらない。

 辛うじてある断面的な記憶を探る。


 赤に染まって、冷たくて。

 あと少し、暖かくて。


 何が起きたのだろう。

 何が起きたのかはわからないけれど、確実に何かが起きた。

 だから私はこの場所にいるのだろう。


 まるで夢の世界のよう。

 泡沫の時のような。


「ぅん……」


 小さな息がする。

 その方向を見れば、リナが椅子に座り、眠っていた。


 見舞いにでも来てくれていたのだろうか。

 けれど彼女は私を拒絶していたはずなのに。


「ん……」


 起こした方が良いのだろうかと悩んでいるうちに彼女はゆっくりと目を開ける。

 そして半眼のまま、私と目が合い、そして驚きと共に目が開いていく。


「……ミューちゃん!」

「わっ」


 いつかの時と同じように、彼女は私に勢いよく抱き着いて、私の上に半分ぐらい乗っかる。体重が私にかかり、ここが夢ではなく現実であると知らせる。


「り、リナ……」


 退いてと言おうかと思ったけれど、私の胸の中に顔を沈めた彼女は、とても安心したように微笑んでいて、それを見れば何かを言う気も失せる。


 やっぱり私は彼女のことが好きなのだろう。

 それを再認識させられる。


 途端にひと月前の記憶を思い出す。

 彼女が誰かに笑いかけていことを。

 それを思えば、やっぱりこんな感情は捨て去るべきかとも思うのだけれど。


「ごめ、ごめんなさい……! 私、守れなかった……ミューリを守らなくちゃいけなかったのに……私、何もできなくて」


 顔をくしゃりと歪めて泣き出した彼女に私は何も言えない。

 彼女の言ってることがよくわからなかった。


 守れなかったというのなら、私は何か傷つけられたのだろうか。

 だから、医務室にいるのかもしれない。


「あ、あの時、ミューちゃんがし、死んじゃったかと思って、怖くて……やっぱり、ミューちゃんと一緒にいられないの、やだ、やだよぉ……あんな終わり方なんて……せっかくまた会えたのに……何も話さずに終わっちゃうのは、嫌だから……でも、けれど……」


 リナにしては珍しく、口ごもりながら言葉を紡ぐ。

 半分ぐらいは言葉になっていなかったけれど、でも意志は通じる。


 けれど、私は死んでしまうような状態だったのだろうか。

 それならどうして私は生きているのだろう。

 彼女が助けてくれたのだろうか。


「えっと、その」


 どこから考えればいいのだろう。

 何を言えばいいのだろう。

 一体、私は何なのだろう。


 急にそんなことを言われても。

 私は別に謝られても嬉しくない。

 だって、私は彼女に怒ってなどいないのだから。


 リナがまだ私を見てくれていることが嬉しい。

 もう私など見てくれなくなったのかと思っていたから。


「よくわからないけれど……心配、かけたね」


 私は彼女の頭を撫でる。きっとそれぐらいのことは許してもらえる。前に彼女は私を拒絶したけれど、それはきっと私を嫌いになったからじゃないだろうから。


 いや、こんなふうに抱きついて貰えば、私でもわかる。

 彼女はまだ私のことを好いてくれているのだと。


「リナ、その。私もごめんなさい。私、わかってなかった」


 彼女が私を拒絶した理由が昨日まではわからなかったけれど。

 何故だか、その理由が今の私にはわかっている。


「リナは私に死んでほしくない……そうでしょ? だから、蘇生魔法を使ってほしくなくて、その……」


 きっと彼女は私が死んだら、悲しんでしまう。

 生き返った喜びよりも、私の死に心を痛めてくれるのだろう。

 だから、リナは私を拒絶した。


「……うん……蘇生魔法なんか使ってほしくない。ずっと生きてて欲しい。ミューリのいない世界なんて、やだ……」


 彼女は小さな声で私の推測を肯定する。

 それでも私と話さなくなるなんて、やりすぎだと思うけれど。


 蘇生魔法を使わない。

 そんな選択肢があるのだろうか。考えたこともなかった。

 使わなくていいのなら……こんな魔法を使いたいと思いはしない。


「なら使わないよ。だから、」


 一瞬これ以上言葉を続けて良いか迷う。

 素直になって良いのだろうかと。


 でも多分ここで素直にならなくては、私はずっと孤独なままだと思う。

 ずっと寒いままなのはもう嫌だから、私は素直にならなくちゃ。


 けれど、怖い。

 また素直に言って、彼女に拒絶されたらどうしよう。

 今回は見限られまではしなかったけれど、でも次は見限られるかもしれない。


「わ、私、ミューちゃんとずっと一緒にいたい」


 言葉を詰まらせた私に、彼女は呟くようにそう言った。

 私の上に乗ったまま。

 私が言えなかったことを言った。


 その顔には一筋の緊張が見えた。

 その小さな言葉を吐くのにも、大きな勇気が必要だったのだろう。

 私にはできないことだったけれど。


 静寂がつつむ。

 一瞬のような、永遠のような時の後に。

 私も彼女に倣うように勇気を出す。


「私もリナと一緒にいたいよ」


 そう言えば、なんだか心がすっとした気がする。

 最近悩んでいたことがなんだったのかわからなくなっていって、全ての悩みから解放されたような。そんな気がした。


 ずっと私は気にしてた。

 恐れてた。

 結局、私は諦めたふりをしていただけだったのだろう。


 リナとまたって。

 毎夜、思ってた。

 思っても、結局私には無理だって、毎回思っていたけれど。


 でも、結局リナは私の傍に戻ってきてくれた。

 私も気付くことができた。

 どうしてかはわからないけれど。


 何かがあって、それで彼女は私の隣に来てくれたのだ。

 思えば、最初からそうだった。


 彼女が私に近づいてきてくれて、私はただそれに流されるだけだった。

 幾度か、私がその流れを断ち切ってしまいそうになっていたけれど、でも、彼女の強い意思がまた私を。


 孤独な私に。

 冷たい私に。


 彼女は熱をくれる。

 いろんなものをくれる。

 孤独じゃないかもなって、そんな風に思ってしまう。


 きっとこれが錯覚であることを私は知っている。

 でも、リナがいればずっと錯覚したままで居れる気がする。


 この現実でも、夢見心地で。


 思考が穏やかになっていく。

 あの時と同じ。

 夢が現実に降りてきたあの時と。


 今ぐらいはきっと。

 夢のような現実を見ることを許してくれる。

 全てが私達を許してくれる。

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