第7話 夢躁
リナは私を好きだと言って。
私は彼女を好きだと言って。
彼女は私に……その。
口付けを、して。
あの夜のことは思い出すだけで熱を帯びるけれど。
でも、だから何なのだろう。
あの夜から3日。
そう考えてみるけれど、答えはでない。
あれから、別に何もない。
あの日は一緒に寝たけれど、それ以降は別々だし。
いや、それが普通なのだけれど……
でも、それなら私達は何だというのだろう。
彼女との関係は良好……と言っていいと思う。
彼女と話す時に無理して取り繕うことはなくなったのだから。
でも。
どうなのだろう。
彼女との関係は未だ友達に過ぎないのだろうか。
それとも彼女は、私が夢見た誰かなのだろうか。
「ミューリ?」
どういう関係なのだろう。
ただの友達?
友達にあんなことをするのだろうか。
私はきっと友達には命を捧げられないだろう。
でも、もしもそれが唯一の親友なら? もしもそうだったら。
そうなら私は命を捧げられるだろうか。
彼女は私が夢見た誰かになってくれるだろうか。
でも、多分、私が真に命を捧げたいのは、親友にではなくて。
「ミューリってば」
思考に耽る私は、リナの言葉で現実に戻ってくる。
そこでは彼女が少し不安そうに私を見つめていた。
「ミューリの番だよ? 大丈夫?」
「あ、う、うん。大丈夫……」
目の前の盤上遊戯と向き合っているうちに、私の思考は明後日の方向へと言っていたらしい。そのせいか、盤面は非常に劣勢で大方私の負けであることは考えるまでもない。
「どうしよう……こう、かな」
とりあえず軽く考えて、それっぽい手を打つ。
そうすればリナはいたずらっぽく笑う。
「かかったね? それはこっちの天使で……」
「あっ。あー、これは……負け、だね」
「やったー!」
リナはとても嬉しそうに眩しい笑顔を浮かべる。
それを見れば、負けて良かったとも思える。正直、私はこの遊戯の勝敗にはあまり興味がないのだし。
でも、彼女と共に遊ぶのは少し……いや、かなり楽しい。
まるで過去へと戻ったかのよう。あの時は外で遊んでいたけれど。でも、あの頃のように遊んでいる。あの白い部屋で遊んでいたように。
「リナって強いんだね。どこかでやったことあるの?」
私はこの盤上遊戯は初めてで、遊戯規則も今知ったばかりだけれど、それでも彼女が経験者であることぐらいはすぐにわかった。それぐらい、彼女はこの遊戯に慣れている。
「まぁ、うん。探索者だった時に少しね」
そう語るリナの目は過去へと回帰していた。
それを見ると、少し胸がちくりとする。どうしてだろう。
けれど、それを考えるよりもすぐに彼女の目がこちらを捉える。
「それより大丈夫? 最後、少しぼおっとしていたみたいだったけれど。体調でも悪いの?」
ゆらりとリナの身体が動いて、私の額に手を当てる。
彼女の身体がすごく近くて、私は飛び跳ねてしまうぐらい心が揺れていた。
「うーん、やっぱり少し熱でもあるんじゃない? 薬、もらってこようか?」
「い、いや……うん。大丈夫。別に、そんな」
心配そうな彼女に、私は手を振って答える。
どちらかといえば、こうなっている原因は彼女にあるのだけれど。
「それなら、いいけれど。辛くなったらすぐ言ってね?」
「う、うん。ありがとう」
でも、リナはあの時のことを思い出したりはしないのだろうか。
気にしているのは私だけなのだろうか。
片づけをしながら、ちらりと彼女を覗けば、彼女に変わった様子は見られない。顔を赤くしたりはしないのだろうか。私に近づいても、何も感じないのだろうか。
あの夜のことを意識しているのは私だけなのかな。
もしかして彼女にとっては口付けなど、ほんの挨拶程度のものでしかないのだろうか。それこそ慣れているんじゃないのかもしれない。
例えば探索者時代にそういう経験があるとか……
やっぱり……この前のあれも、ただの友人としてのものでしかないのかもしれない。でも、それならやっぱり。
「ん? どうしたの?」
「あぁいや。なんでも、ないよ」
やっぱり、彼女は私の夢見る誰かではないということになる。
私が命を捧げる誰かではない……でも、それは。
「そ、それより、よくやったの? さっきの遊戯」
誤魔化すように私は早口で話題を巻き戻す。
「うん。あの頃はあんまりお金もなくて、ずっとこればかりやってたよ。その時一緒にやってた友達、カーナっていうんだけれどね。その子がすごい上手くて。ほとんど勝てなかったな……でも、楽しかったよ」
自分で戻した話題だったけれど、その話題は私には毒でしかない。
聞いているだけで、不思議と辛くなってくる。どうしてだろう。いや、その理由は既に分かっている。きっと。私にはもうすでにわかっていることなのだろう。
あれだけ早鐘のようになっていた心は、どんよりと沈んでいるような。そんな気がする。
「そのっ」
私はぱっと思い浮かんだ疑問を口にするべきか迷う。
でも、その迷いはふわふわとした思考の中で、微睡みのように消えていく。
「ん?」
「その、人……とは。その人とも、したの?」
何を? とばかりにリナは首を傾げる。
これだけで伝わらないことにもどかしさを感じながらも、恥ずかしさを振り切って、私は疑問を完全なものとする。
「口付け、したの? そのカーナって人とも……」
自分でもわかるほどに、私は顔を赤くしていた。
熱が溢れ出るのではないかと思った。
「え……えぇ!? し、しないよ、そんなの」
言葉にすれば、リナも途端に恥ずかしそうに頬を赤らめる。
そして私はそれに少しほっとする。
「私、この前のが初めてだったし……それに、あんなことミューリ以外にはしたくないし……」
「そ、そうなの?」
私は自らの疑問が否定されたことに、途方もない喜びを感じていた。
やっぱり私は、彼女が他の誰かを見ていることが嫌なのだろう。私はただ、それだけなんだとおもう。だから、こんなことで喜んでしまう。
「そうだよ! だって、あんなこと好きな恋人にしか、しないでしょ?」
「そう、なんだ……」
ん?
まって?
あれ?
「私達って……その、恋人なんだっけ?」
そう問えば、今度は彼女が固まる。
たしかに私は好きだと言って。
リナも私を好きだと言ってくれたけれど。
でも、それだけと言えばそれだけで。
「あっ、えっと。ま、まだだっけ。あれ、でも。あ、そ、そっか」
彼女はどこかが壊れた魔動機のように不自然な挙動になってしまう。
それを見ていると、どこか可笑しくて。そしてそれが可愛くて。
だから素直になろうと思う。
素直になれば、もっとその笑顔を見れると思って。
だから私は、小さな勇気と共に口を開く。
「そう、だね。私達、恋人……で、いいんだよね?」
そう言えば、彼女は首を縦にぶんぶんと振る。
素直になって良かったと、嬉しそうにしている彼女を見れば思う。
でも、ふと不安になる。
「ぁ、でも、私でいいの、かな。だって……何もあげられない……」
私なんかよりも良い人はたくさんいるはずなのに。
それに私は早く死んでしまうのに。それでも良いのだろうか。
「たくさん! たくさん……貰ってるから。もう。ミューリこそ、私で、いいの?」
リナはいつもの彼女からは想像できないほどに、不安そうに私に問う。思ったよりも、私達は似た者同士なのかもしれない。
だからその答えは多分こうだろう。きっと、私の心はこう言っている。ただ素直になるだけで良いのだから。
「リナがいい」
「私もだよ。私も、ミューちゃんがずっと好き」
見つめ合い。
そしてまたあの夜のように。
軽く私達の唇が触れ合う。
そして抱き合う。
彼女の熱がとても暖かい。
彼女の光が暗い私の世界を照らしてくれる。
「あぁ、夢みたい。私、ずっとこの日を夢に見ていた気がする」
そんなことを彼女は嬉しそうに語る。
私も嬉しい。
嬉しくて。
だから思う。
きっとリナが私にとって唯一の人なのだと。
だから思い出す。
「あっ。私でもあげられるもの、あったよ」
私にもあげられるものが1つあったことを。
私はこれを誰かに捧げるために生きてきたのだから。そのためだけの人生だったのだから。これは、私にとって唯一なリナに渡すべきだろう。
「だから、もう十分貰ってるけれど……なぁに?」
私は晴れ晴れとした気分で言った。
眩しい笑顔の彼女に、特上の贈り物を渡すように。
「もしリナが死んでも、私が蘇らせてあげる」
私は喜んでくれると思った。
私にはこれぐらいしか与えられるものはなくて。
そして、それは万人が望むものだと思っていたから。
でも。
「なに、それ……」
彼女の甘い声は消え、ふいに冷え切った声が鳴る。
私は焦り、説明を加えようとするけれど。
「え、だ、だから蘇生魔法で」
「違うよ! みゅ、ミューちゃんの馬鹿! そんなの……そんなの、嬉しくない! 嬉しく……ないよ……」
わからない。
彼女が何を言っているのか、私にはわからない。
だから、声を出そうとして。
でも、なんといえばいいのかわからなくて。
命を失っても蘇ることのできる。
それは誰も望むものじゃないのだろうか。
そうじゃないと、そうでないとおかしい。
そうじゃないなら、私は何を。
「で、でもリナが……こ、恋人なら。それなら私は……」
そう。
そんな夢を見ていたはずだ。
私を認めてくれる誰かと心通じ合って、そして、この命を捧げるという夢を。
「そんな……それなら」
リナの顔がくしゃりと歪む。
それは私の涙のせいだろうか。それとも。
「それなら、私はミューリと恋人にはならない」
そしてリナは私を拒絶した。
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