第2話 鬱交

「ミューリのことが好きだから」


 そんなことを言われたのは初めてで。

 私はその夜、眠ることもできず、寝床の中でぐるぐるとしていた。


 薄い仕切りを2枚挟んだ向こうには、リナが寝ている。

 私を寝れなくさせた張本人が。


 彼女は何も気にしていないのだろうか。こんなにも気にしているのは私だけなのだろうか。そう思えば、少し恨めしい。


 でも。

 ちょっと嬉しいと思う自分がいることも事実ではある。


 けれど、それ以上の困惑で、彼女を拒絶してしまった。

 少し冷たくしすぎたかもしれない。正直、彼女の熱量が大きすぎるということもあるのだけれど。


 でも、せめて明日はもう少し。

 もう少しだけでも、彼女と話してみよう。

 私と話してくれる人なんて久しぶりなのだし、大切にするべきだと思うし。仲良くしたいという気持ちだってもちろんある。


 元々、同室になる誰かとは仲良くできればいいと思っていたのだから、そうなるためにできるかぎりの努力はするべきだろう。前に同室であった先輩のように、険悪になって終わりたくはない。


 同室の人と仲良くしようという目的は、正直なところ簡単に達成しそうではある。リナという知っている人というのも大きいのだけれど、それ以上に彼女のが大きく歩み寄ってくれているから。


 でも、困惑があるというのも事実で。

 正直、訳が分からない。


 どうして彼女は私を好きだと言ったのだろう。

 会ってすぐなのに。いや、正確には7年ぶりなのだけれど。


 でも、そんな昔のことを覚えているものだろうか。

 3年ほど、同じ研究所にいたと言っても、毎日話したわけでもない。


 彼女は別棟にいて、会えるのは5日に1回程度であった気がする。

 当時はそれぐらいしか楽しみはなかったから、それだけを楽しみにしていた。あの頃は、彼女だけが友達だった。


 昔の彼女はもう少し引っ込み事案な子で、口数も少なかった気がする。それが今は、あんなにも自らの心を口にできる人になっているなんて。


「変わった」


 小さく呟く。


 髪の色だけではない。心も成長していっているのだろう。


 そう、みんな変わっていくのだろう。

 私は何も変わっていないのに。

 何も変わっていないのに、時だけが過ぎる。


 結局、その夜はほとんど眠れなかった。

 眠い目をこすり、寝床から這い出ると、彼女はもう支度を終えていた。


「随分と、早起きだね。どこか行くの?」


 昨日案内した場所のどこかに行くのだろうかと思いながら、私も軽く朝食でも食べようかと、棚を開く。

 そんな私を彼女は不思議そうに見て。


「だって、今日からでしょ? 授業」


 そう言った。

 その言葉に、私は頭の片隅で今日が何日かを探る。


「え、あ。そうだった!」


 完全に忘れていた。

 今は何時だろう。

 間に合うのだろうか。


 そう思いながら、私は急いで準備する。

 今日は学期初めの軽い感じだろうから、そんな大したものはいらないのが幸いではある。


「先に行ってて。あっ、でも場所、わかる? 教室、どこだっけ」


 リナはまだ馴れていないのだから、どこが自分の教室かもわからないだろう。こういうのは、同室の私がしっかりしていないといけないのに。


 どうしてこういう日に限って、寝坊してしまうのだろう。もしもこれで彼女が最初から浮いてしまうようなことになれば、私のせいだ。私が遅刻して浮くぶんには、今更すぎてどうでもいいのだけれど。


「待っておくよ。まだ時間はあるし……それに、ミューリと一緒に行きたいし」


 彼女がそう言うので、私は急いで支度して、2人で部屋を飛び出した。 

 急いだ甲斐もあり、走らなくても間に合いそうではあったけれど、それでもゆっくりとはできないほどに時間に余裕はなかった。


「教室はどこ?」

「えっと、203教室だったかな」

「それなら、私の隣だね。こっち」


 彼女を教室まで連れてきて、もう閑散としている廊下で別れる。

 軽く手を振る彼女の笑顔は相も変わらず眩しいもので、目が眩みそうになるけれど、私は昨日の思考を思い出して、手を振る。


 教室に入れば、ちらりと数人がこちらを見て、嫌なものを見たかのように視線を外す。それから声が小さくなったのは、気のせいではないだろう。


 きっと私の悪口でも言っているのだろう。それぐらいのことはわかる。被害妄想の可能性も残されているけれど、その可能性が著しく低いことを私は知っている。


 席に座り、切らした息を整える。胸に手を当てれば、魔力は大きく揺れている。最近は運動などしていなかったからだろうか。


 そんなことをしていれば、時期に鐘が鳴り、先生が来て、長い話が始まった。

 最初だから、新学年になってどうだとか、新しい学級ではどうのこうのと話をしていた。


 今日から私達も後校生的な扱いになるのだから、何かが変わるのかと思ったけれど、特に何も変わりはしないようだった。この学校は前中後までの一貫校なのだから、当然なのかもしれないけれど。


 多少なりとも教科数は増えるみたいだけれど、私はあまり関係のないものではある。複雑な魔法理論を学んだところで、私の中の魔力は術式の形をとらないのだから。


「では、以上。今日は解散」


 読み通り、今日は大したことはせず、すぐに授業は終わった。

 本格的に始まるのは明日からだろう。


 先生がいなくなった教室では、同級生達が共同体を形成する。

 それは今までの5年か10年の間で作られた人間関係の流用でしかないのだろうけれど、でも確かに強力なもので、皆は楽しそうに話している。独りなのは私だけらしい。


 まぁ、大抵の人は誰かしら知り合いがいるだろう。それこそ新入生でもない限りは。でも、15歳の今になって、この魔法学校に入ろうという人はほとんどいないだろう。

 それこそ、特別な事情でもなければ。


 リナのように。

 そうだ。彼女に会いに行こう。

 私ももう完全に独りではないのだから。


 鬱屈な教室から廊下に出ると、彼女を見つけた。廊下に出ていてくれて助かった。教室の中に入るのは、かなり緊張するから。


 彼女の顔を見れば昨日の記憶が蘇り、少し顔が熱くなるのを自覚するけれど、それを振り振らい、話しかけようとする。

 昼は一緒に食べようとか、そんなことを言おうとした。

 でも、その足は止まる。


「ね、あの子にあんまり関わんないほうがいいよ」


 彼女は別の誰かと話していた。聞き覚えのある女の声だ。多分、去年までの中学校で同じだった人だろう。見覚えがないわけじゃない。


「あの子、人間じゃないよ。だって、1つも魔法が使えないんだから。そんなのがこの学校にいるって笑ってしまうよね」


 私はどきりとして。落胆して。

 逃げたくなってくる。

 いや、分かってはいた。


 ここは国立魔法使い養成学校、その第後編学校ともなれば、10年ほど魔法の訓練を積んだものも少なくない。

 つまりは、この学校にいるものは魔法が得意な人ばかりで、魔法が苦手な人などいない。まず、そんな人は入学試験を突破できないだろう。


 でも、私は違う。


 私は1つしか魔法を使えない。

 それが特殊で特異だから、この学校にいることを許されているのだけれど。でも、それは先天的なものでしかなくて、盗み聞きした同級生の言葉を借りるなら、ずるいことで。


 だから、私に友達などいない。

 10歳の時に入学してからずっと。


 魔法が使えない私に話しかけてくれる人がいなかったわけじゃないけれど、私は口下手であったし、私と話すことはそれこそ周囲から浮く行為だから、次第に私は完全に孤立した。

 同室の先輩とも、ずっと話すことはなかった。話したのは最初だけで。


 まぁ、だからあまり期待などしていない。

 彼女と仲良くしようなんてものは、私の小さな願いでしかなくて、それが夢物語で終わることも考えていた。過度の期待は辛いから。だから期待などしていないつもりだったけれど。


 でも。

 やっぱり思ってしまう。

 誰か私を見て欲しいと。


 もう独りきりなんて嫌だって。


「そんなの知ってるけれど。だから、なんなの?」


 そう彼女は言った。

 魔法が使えないことなど知っていると。

 そして、それがどうでもいいことかのように言った。

 それが私はとても。


「あ、ミューリ。じゃあ、私は行くから」

「ぁっ」


 リナは小走りで私の元へと駆け寄る。

 ちらりと話していた女の方を見れば、後悔と怒りを含んだ目でこちらを見ていた。あの人も彼女と仲良くなりたかったのだろう。そう思えば、私と同類なのかもしれないけれど。


「どうしたの?」

「あ、いや。昼ごはんとか、一緒にどうかなって」


 私は、ずれていた視線をリナに戻して、言おうと思っていた言葉を投げる。

 すると彼女は嬉しそうに笑って頷く。


「うん。どこで食べる?」

「あ、その。部屋にしようか」


 彼女の笑顔にどきりとしたのを悟られないように私は足早に部屋へと向かう。


 私は不思議だった。

 どうして彼女はこんなことであんなにも嬉しそうにしてくれるのだろう。

 どうして私は彼女の笑顔を見るだけでこんな気持ちになるのだろう。


 そんな疑問を抱えながら、支給された飯を口に流し込む。

 別に美味しくも不味くもないただの食事。何度も食べてきた。ただ栄養をとるための食事。


 でもなぜだろう。


「これ、美味しいね」


 そう笑う彼女を見ていると。


「……うん」


 いつもの食事も、不思議と美味しく感じた。

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