7-5

 言わなきゃ良かった、縁佳はそう言い放った。私の本音なんて知りたくないと、私に好きになってほしくないと、あまりに分かりやすく教えてくれた。索然とした眼は、磨きが掛かっていた。観測会が終わってから今までで見聞きしたものは、それくらいしか無く、何度も再生されて、その度に暗澹たる気分に沈む。そして、次の上映まで感想文を考えて待機する。


 私は自分のしたことが、間違ってるとは思えなかった。縁佳だって、この関係を不安定だって認識してるのに、それを強靭にしようとした途端、なぜか反発する。じゃあ私のことが嫌いで仕方ないのかと思えば、そうでも無さそうに、笑顔らしい形相で向かってくる。


「おーいっ、んと、鏡花ー」

「ん……?」

「今日の物理は実験?」

「あぁ、うん、そうらしい……」

「教室移動の時、いつも一人なの?ねことかと行けばいいのに」

「いや、別にすぐそこだし。大して話すことないし」

「私とはあるのにね」

「それは……よっ縁佳だし……」


 教科書で両手が塞がってるから、それを強く抱いて心を鎮める。私が縁佳のことを名前で呼ぶなんて忍びない。告白に際して縁佳に合わせてみたけど、やっぱり口に合わない。けど、一度そうしてしまった矢先、なかなか元に戻せないもので……。


「話を合わせられてる私に、感謝しなきゃダメだぞっ」

「あの、縁佳」

「はい、どうした?」

「ど、どうしてそんなに、平気でいられるの……あぁ!特に深い意味はないけど……ね」


 やけに悲観的で、まるで終末みたいな台詞まで欠かさなかったのに。綺麗さっぱりあんなことは無かったかのように、目の前の縁佳は振る舞っている。他人はどうでもいいにしても、自分自身がその温度差に苦しまないのだろうか。気高き人は、それを結べる論理で動いているのだろうか。


「勘違いしないでね。鏡花と仲違いしたいわけじゃ無いんだから。今まで通りで居たいだけなんだから」

「私の気持ちなんて、全然考えないんだね」

「そっくりそのまま返してもいい?お互いにお互いの事情があるんだから、触れないでおこうよ。どちらかに寄り添って、壊さないために。それよりもっと楽しい話しよう?今度、また何か食べに行きたいな。甘い物でも遠慮しなくていいよ、まー私はコーヒーしか飲めないけどねっ」


 縁佳はまた、等身大な仮面を着けて、私の食いつきそうなことを提案する。平常に戻すことを強いる。強烈な圧力の変化に、心臓が変形してしまいそうだった。……刑部のことを思い出した。あの時も、縁佳はこうやってはぐらかし続けて、そのくせ友達では意地でも居続けようとして。そりゃあ怒るよ、縁も切りたくなるよ……、私はそうしないけど。


 心の中の靄を晴らしてくれるその笑顔、でもその裏に、何か秘めているものがあって。私は曲解した。その秘めているものまで好きになれれば、私は自分の想いに忠実になれるし、それこそが本当に好きだってことなんだろうと。知らない縁佳があるということは、縁佳に逃げ道を与えている、私の足りない所を補うことは希望になり得る、そう思い込むことにした。



 諸々の一歩として、まずは縁佳に指摘された通り、教室移動を一人でこなすのを辞めようと決意し、授業終わりに永田の姿でも探した。けど、廊下に近い場所に座っていたために、捕獲に失敗、「じゃあ」という失礼な優先順位で明世の元に向かった。


「おや、しまちゃん。ちょうど良かった」

「え、もしかして一緒に戻る人が居なくて困ってた?」

「いや、確かに居なかったけど。別に困りはしないかな……」


 共感を得るのって、難しい。


 明世はノートを開いたまま、その上に突っ伏して嘆いた。


「ねーしまちゃんー、物理基礎難しくないー?」

「難しくなるほども勉強してないから、分かんない」

「あの先生わかりにくいしさー。これなら黎夢に習ったほうがまだマシだよー」

「諸熊さんは、いつもあの人に教わってるの?」

「いいや、自分でやらなきゃ血肉にならないって言い張って、全然教えてくれないし、そんなに教えるの上手くない。めっちゃはしょるから」


 そんな会話をしていたら、実験室から人が捌けて電気も消された。まあもう昼休みだし、私たちも早く教室に戻らんとばかりに、足を前に踏み出すと、明世に呼び止められた。


「えぇーっと?」

「副会長の話、どうなった……?」


 そう言えば、明世はそのことを気に掛けていたんだった。というか、そのことしか気に掛けてなかった。変な方向に事を運ばせてしまって、何ならお墨付きも破壊してしまって、私は許されなくてはならなくなった。


 口をぽかんと半開きにして喉を詰まらせていると、明世が何かを察して、すごく気まずい空気が漂う。


「あぁ……、もしかして、がすよを怒らせちゃった……?」

「んんー、それ以前の問題になっちゃった……」

「それ以前?」

「あっ、ななっななんでしょうねー、おかしくなって、こっ告白してしまった……」

「えぇっ!?あーうん、……それは、いいことだよ、きっと」

「あっけなく散ったけど」

「はあえぇっ!?」


 またおかしくなって、明世に対して、縁佳に告白したことを告白してしまったけど、思い出すだけで地団駄でも踏みたいけど、空き教室から聞こえちゃいけない声で、椅子がカタッと音を立てるほどのけぞって驚嘆されたけど、うむむむ、明世には遅かれ早かれ勘繰られただろうし、あまり隠していて欲しくないだろうし、結果的には良かったと安堵しろ自分。


 息がぴったりなおかげで、自然と落ち着き合う時間が設けられた。しばらくすると、明世が椅子から立ち上がった。その顔は、堅苦しく罪の意識すら感じ取れて、これはこれで気圧されそうになった。


「ごめんなさいっ」


 明世が深々と頭を下げて謝ると、窓の外の木々が、風に揺られて波のような音を立てて、新緑の爽やかな風が、この物理室を駆け巡る。行き場を失ったとも形容できるけど。


「こういうのは、ちゃんと謝らないといけないなって思って……」

「どういう、ことですか……?別にー諸熊さんのことは、悪く思ってないっていうか、誰のことも恨んでないっていうか……」

「まあ、人を恨むって、想像以上に大変なことだからね。だからって、間違ったことをしたのに、謝らなくていいってことは無いでしょ?」

「何が間違ってたって?」

「いや……、しまちゃんに余計な圧をかけてしまったなーと……」

「んあ、そう、体育の授業の時に言ったこと、後悔でもしてるの?」


 明世は居た堪れないほど、食い気味に頷いた。私がそれを思い当たるに至ったのは、曲解したとは言っても、その言葉に恩義があるからであって、まあ、少なくとも気負わないでいてほしい。と、思うだけでは意味がなくて、実際口に出したら、縁佳が思わぬ反応を示したわけで。


「そうでも言ってくれなかったら、私は縁佳の言葉通りにして、自分の気持ちを我慢してた。それどころか、本当の気持ちなんて気付きもしなかった。だから、これで良かった、必要なことだった」


 それが私の結論であることは間違いないけど、明世の屈託の晴れない顔を見て思い直しそうになる。当たり前だけど、私は物語の主人公ではないわけで、こんなことに成長を見出すのは言葉の綾に過ぎないし、このまま相思相愛になれるのが一番幸せに決まっている。だから、本当は何も正当化したくない。けど、そうなっちゃった以上は、二番目の幸せを手に入れるために、涙をのむしかない。


「しまちゃんがそう言うなら、いいのかなぁ……。でも、どうするの?気持ちに整理ついてる?」

「とりあえず、頑張って普通に生きる。できるだけ普通に接して、普通に遊ぶ……」

「む、無理してない……?」

「刑部の時もさっ、友達としての立場に最後まで固執してたじゃん。だから、それを逆手に取れば、何度だって好機はあると思う。……って信じてる」


 さっき話しかけてきたので確信したけど、やっぱり私のことを完全に拒む気が、縁佳にはさらさら無くて、そして友達という曖昧模糊な関係に身を隠そうとするのも同じで。でも、私は刑部じゃないから、それも踏み台にする。この関係を、特別で一言で言い表せるものにして見せる。


「お釈迦べも、そんな一度や二度で諦めたわけじゃないと思うけどね……」


 明世が影に目を落としながら、ぼそっとそんなことを呟く。不安に覆われた明世とは対照的に、今度こそ、身を引かなくて済むのだから、諦めるわけないって、現時点ではそんな啖呵に囚われている私は、たぶん無表情でいるんだろう。


「あの、だから、協力してほしいことがあるんだけど……。いいですか?」

「ん?もちろんもちろん!できる事なら何でも協力するよ!」


 こうやって単純な善意で、助け舟を出してくれたり、相談に乗ってくれたりする人が、身の回りに沢山いる。それはどれほど幸せなことなのか、ちゃんと分かってなかった。けれど、縁佳への想いの正体が晴れていく中で、少しばかりそっちにも考えが及ぶようになった。


 特にその筆頭たる明世は、私の期待を裏切らない反応をしてくれた。まあ、少し感傷的すぎるけど……。昨日の家に帰ってからの私より悲嘆に暮れている、鏡を見たからこれは信頼に足る話。


 協力してほしいと告げると、明世は一転して、場違いにも嬉しがってるようにも取れる顔つきに変わった。何となく初夏の瑞々しい空気で一呼吸してから、話始めることにした。


「縁佳の過去、私の知らない縁佳がそこにあるんだと思う。何か知らない?」


 私はあまりにも最終回を急ぎすぎた。何度蘇らせても、酷い振り文句だと思う。でも、私が縁佳のことを何も知らないことは事実だし、それを以って断られたなら全力で知るしかないし。過去のことを意図的に知らせまいとする、その幕の引き方には、むしろ勘が冴えてしまう。


「それは……全く知らないなぁ。一緒になったの、高校からだし。それに、がすよは聞いても、そういうことをあんまり語ってくれない……から聞いたんだよね、ごめんね」

「聞いたことあるの?」

「何となくそういう気がしただけ、かな」

「まあ、かく言う私も、そういう気がしたから、諸熊さんに尋ねてみただけ……」

「しまちゃんも、そう思ってるんだ」

「縁佳は狡猾に好きから目を遠ざけようとするから。頑なに名字呼びを続けてたのも、私に他の友達を作らせようとしたのも、全部その一環で。もし過去のことを聞かれても、同じようにはぐらかすんだろうね。だから、別のルートで風穴を開けなきゃなんない」

「じゃあ尚更、申し訳ないね……。あんなにつるんでたのに、がすよのこと何一つ聞き出せないままだったんだから」

「大丈夫、最初からあんまり期待してない」

「えぇ……、期待は背負わせてもらってもいい?」


 明世は念のため聴取しただけで、私の本当の目的は神子島とかいう、交流会の時に縁佳に楯突いてきた奴と直接話すことなのである。明世に鍵を開けてもらって、交流会での顛末もついでにうっかり語りながら、生徒会室のパソコンを立ち上げ、この間の交流会の名簿を漁る。


「清新女子、そう言えば、こんな高校名だった。神子島佳奈子、名前も押さえた」

「もしかして、直談判に行くつもり?」

「うん。この人に、癪に障る言い方で、過去のこと何も知らないって」

「あぁー……」


 後ろで私の執念に若干引きながら眺めていた明世は、眼球が一回転するんじゃないかってほど露骨に視線を逸らして、これまた若干投げやり気味に宣言した。


「わかった、私も付き添おうっ」

「たぶん平気だよ」

「いいやダメ、私だって心配してるんだよ、しまちゃんのこと。がすよの件は、本人に相談できるわけないだろうから、一人で抱え込もうとしないで」


 協力してって頼んだそばから、それを裏切ろうとしてしまった……。ここまで青天白日な瞳の持ち主も珍しいというのに。私はすぐに思い直して素朴に頷いた。


「まっ、一人で突っ走らせると、交流会の時みたいに大喧嘩になりかねないし、しかもそれを誇らしく思っちゃうから……」

「なんだって?」

「いやいやっ、何でもないよー?」


 縁佳が精神的に優位に立つ時って、こんな気持ちなのだろうか。そりゃあ、友達は辞められないかもしれない。



「そうだ鏡花。明日の放課後、勉強会みたいなことしない?どこか空いてる教室を押さえとくよ」

「縁佳の家とか……」

「本気で言ってる?」

「ほっ本気だよっ。縁佳の家にあがってみたいってのは、本心だし……」

「急だとちょっと難しいなー。ごめんねー」

「……勉強は一人でやったほうが身に付くから。ごめんなさい……」

「鏡花がそう言うなら、この話はなかったことにしよう。今日はバイトだから、この辺で。じゃあまた明日」

「うん、また明日」


 縁佳は手を振りながら、学校前の通りを左に駆けていく。百回は見た光景、縁佳はずっと本調子で、それを私にも強制しようとしてくる。そんな縁佳が動転して、フラストレーションをはっちゃけそうになるような過去、知らなきゃきっと縁佳と向き合えない。好きな人の悪態から目を背けるべきじゃない。まあ、それを知ったところで、判断が覆るような心変わりするような気がしないから、それはそんなに大変なことじゃないのかもしれない。


 私はどんな縁佳でも受け入れる。こんな私を受け入れようとしない縁佳でも。


「にゅーっ」

「ん?寧々子?」

「はい、そうです」


 後ろからほっぺたを引っ張られたので、何事かと振り返ると、どこか神妙な面持ちの永田が、手を開いたり閉じたりしながら佇んでいた。


「うーん?」

「うん?何か変?」

「何かは変だよ」

「そうかな」

「鏡花ちゃんが、よっすーと話してる時に、そんな悲しそうな顔するなんて、珍しいから」

「見てたんだ……」

「よく見てるよ。偶然か必然か、頻りに遭遇するもので」


 別にそんなつもりは無いのだけど、縁佳を前にすると、胸が弾んで溺れるほどの感情が、私の世界の色を自由に変えてしまう。つまり好きってことんだけど、その想いは陰る気配もないんだけど、でもそれだけでは足りないという事実が、その陶酔に水を差す。縁佳の世界の色も変えなきゃいけない。


「んーー、少し散歩しようよー」


 誘ってるように見えて、永田はすでに歩き始めていた。付いていかないのは、どう考えても人間としておかしいので、小走りで追いついた。


「猫って散歩するの?」

「私は猫じゃないから、散歩するの大好きー」

「学校終わりに、こうやってよく散歩してるってこと?」

「んー、してない、散歩なんて初めてに等しい」


 好きだからって、やってるわけじゃない。私も縁佳のことは好きだけど、よすったことは一度もない。


「この道って、縁佳のバイト先に向かった時と同じじゃない?」

「今日は茶化しに行かないよ。鏡花ちゃんが望むなら別だけど」

「……今日はいいや。何度も同じことしたって、面白くないし」


 しかし、目的地があったこの間より、私たちの歩くペースは速くなっている。散歩というより、ただの移動に近い。いやまあ、あの時は多分、私がどこかで遅くしていたのだろう。どうしても縁佳は憧れだったから。次の段に上るのも、縁佳の顔を見ながら、縁佳に背中に手を添えてもらいながら、あの時言われた通り、そのままでいられたら、もっと生きやすかったのかもしれないのにね。


 縁佳がたった今もバイトしているであろうスーパーを横目に、私は永田にぴったり付いていく。こんな事をしていても、救われたりなんてしないのに。……いや、それは思い詰めすぎなのかなと、少し自省してみる。


「ここが私の散歩コースの一番の見所ー」


 松林を抜けると、そこには日本海が砂浜の先に豁然と広がっていた。ものの一分前は人里を歩いていたのに、急に現れる静謐でくすんだ青をした海、それでも見てる分には飛び込んでもいいかなって気になる。この時期に飛び込んだら絶対寒いけど。


「綺麗だよねー、海って。心が洗われるー」


 気休めの木の柵に手を置いて、物静かに海を鑑賞する私の後ろで、永田は両手を大きく広げて一回転して、爽快感を三割増しにしている。日頃、自由気ままに振る舞う永田でも、海の蒼茫さに身を委ねたくなることがあるのか。


「なんか、洗いたい心でもあったの?」

「あったらおかしい?」

「申し訳ないけど、あんまり物憂いしなさそうだから」

「確かに、最近はあんまり無いけどねぇ。悩んでなくても海風は気持ちいいものなの」


 永田は風に合わせて目を瞑って、潮の香りを体に取り込んだ。海にまつわる思い出はどれも家族ぐるみで、そんなに思い出したくないけど、でも海自体に非は無いわけで、私も肩の力を抜いた。まあ、手は広げなくていいかな。


 せっかく歩いてきたのだし、学校帰りの海を目に焼き付けておこうと、わずかに前のめりになっていたら、永田が肩を優しく押さえてきて、流し目に訝しげに彼女の顔を見た。


「んー……?」

「叫ぶの?」

「叫ばないよっ」

「いいよ、海に向かって吠えても。今は海水浴場もオフシーズンだから」

「そうじゃあなくて……。叫ぶ文言がない」

「えぇ?吠えるのに人らしい理性はいらないよ。必要なのは獣の本性」


 とか言われても意味わかんないーって困惑を表情で伝えていたら、お手本と言わんばかりに一歩下がってこちらを一瞥して、肺が膨れ上がってるのが浮かんでくるぐらい大きく息を吸って、「うわー」とだらしない声を発した。その声は砂浜にも届いてない。重力に負けて、そこの茂みに墜落した。


 無論、海を越えて大陸まで届いたかのように、ドヤ顔をするまでが様式美だった。


「最近、心が突き動かされることが無くてねー。鏡花ちゃんは?」

「私は……」

「溜め込むと腐ってくよ。叫べる場所で、叫んだほうがいい」

「カラオケで歌ってほしいみたいなノリで、ただ叫んでるところを見たいってだけじゃないの」

「うん。やっちゃえ、ワダツミ様は全てを受け入れる!」


 とばっちりかもしれないけど、二度も神に裏切られてきたし、海神を叩き起こしてやろう。……できるのかは知らない。今までで出した一番大きな声が産声な私が。


 永田の手が肩から離れる。私はあんなへなちょこな憂いじゃなくて、全部夢なほうが良かったって思うぐらい苦しくて、好きなはずなのに憎くもなって、この裏でバイトしてる縁佳に聞かせるつもりで、人間らしい悲鳴を叫んだ。自分の出した声の振動で喉が痛む。体中の空気が音に変換されて、まるで自分がもぬけの殻になったようにも感じる。置くだけだったはずの両手が、いつの間にか柵をぎっしり握りしめていた。


「鏡花ちゃん……」

「ごめん……ごほっ、ちょっとやり過ぎちゃった」


 思いっきり叫んだところで、縁佳が振り向いてくれなきゃ、この気持ちは終わらない。ただ肋骨が軋んだだけ、不条理に胸が苦しくなっただけ。叫ぶことにこれほど意味がないとは、自分でも大驚きだった。


「言っちゃえば、ってモロックマは急かしてこないの?」

「え?」

「よっすーのこと」

「言った」

「あっ……」


 永田は空から獲物が飛んできたかのように、目にも止まらぬ速さで上を向いて目線を逸らした。


「別にいいよ。諸熊さんにも言っちゃったし」

「だからって、私を巻き込んでくれなくていいのに」

「んーん、むしろ、私の気持ちを頑なに受け取ってもらえない悶々を、少し肩代わりしてもらえたら、気が休まるかも……」


 海に向かって吠えても拭えない痛みが、泣いたぐらいで消えるわけじゃないけど、でも、あれだけ叫びたかったように、今度は泣きじゃくりたくなった。私は永田のほうへ、体ごと向きを変えていた。本当は何度だって泣きたい、縁佳の顔を見る度に、悔しいって感じるなんて、どうしてそんな事になったんだろうって。


「ダメだよ、私に泣いたら。諦めるなら別だけど」

「苦しいのっ、こんなに想ってて、近くにもいるのに、気付いてるくせにっ!諦めないけどっ、こんなのって無いよ……」

「涙は大切な人に取っておくべきだと思う。そう、泣くならよっすーに。そんな悲しい顔は、本人に見せてあげて」


 永田は自由気ままだ。距離を詰めるのも遠ざかるのも自由自在。彼女にも彼女なりの友達の在り方があるのだなぁと、溜まっていた感情を無秩序に吐き出しすぎたことを反省する。永田の言い分は至極真っ当で、そもそも公道でどんな顔して立ってるんだって話なわけで。って、縁佳に見せられるわけないでしょうが!……見せても許されるなら、いや縁佳がどうしてもって懇願するなら、見せてやらないこともないけども……。


「まだ、全てが終わったわけじゃなそうだし、ね?」

「わかってる。絶対、見返してやる、好きだって言わせる、そうじゃなきゃ、もう満たされないから」

「その意気だよ。二人は、例えるなら剣と盾みたいなものだからー。あ、ポケモンじゃないよ」


 永田がにやりと笑う。あまり無いことのような気がする。自分のギャグがそんなに気に入ってるのかな。それとも、そんな重苦しい雰囲気こそ、海に流してほしかったのだろうか。それを望んでいたら、いや、それを永田が望んでなくても、とりあえず涙を拭った。


「だからそれは、どういう意味なの?」

「それより、私は期待してるよ、いい報せを、頑張ってなー」

「あっ、うん、ありがと……」

「鏡花ちゃんが無事に海パワーを貰えたみたいだし、そろそろ帰ろうか」


 海パワーというか、永田が超遠回しに励ましてくれただけというか……。どういうパワーでも構わない。確かに決意が深まったのだから。何度だって縁佳に挑戦する、それだけだ。けどその前に、過去のことを探るために、他校に乗り込まなくちゃいけない。あー憂鬱だー……。いやでも、頑張ってる間は結果が出ないから、まだ気持ちが楽かもしれない。

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