第7段:フラッシオーバー
7-1
縁佳という灯火が、夕焼けに沈んで消えていく。横を向く度に彼女の顔は朧げになって、輪郭も曖昧になる。まあ、はっきり見えたとしても、その天然な表情というのは私が歩幅を合わせようと崩せないから、たった一度でいい。一度脳に焼き付ければ、一生後悔できるから。
風は無く、聞こえるのはコンクリートを蹴散らす僅かな足音だけ。淡々と、でも堂々と、そう曲解していた。影が薄らいだ今、それだけが縁佳を感じる術だった。
十分ぐらい外の空気を吸いながら歩いていたら、自分の心の靄が少し晴れて、まくし立てるように脳内で独り言を詠唱できるようになった。
私は怒りを抑えられなかった。縁佳を幼稚な侮辱から守るため、それはどこまでも建前に過ぎない。だって私は、縁佳の制止を振り切ったんだし。まあ、どれだけ強く押さえ付けられようと、私は彼女を擁護していたとは思う。あんなくだらない攻撃に反駁して、身を挺して縁佳を守ろうとしたことは、間違ってなかったとも確信している。だけど私は、縁佳の意志を尊重できなかった。もっと反省するなら、……私は縁佳を信用できなかった。だから物珍しい感情に、容易く自分を乗っ取られた、従順でいられなかった。
こうやって、いちいち縁佳の足を引っ張っているようじゃ、副会長になんて就くべきじゃないんだろうな。という事を、身の程を弁えろって事を、縁佳はそれらを遠回しに主張したくて、こんな会合に参加させた……買い被りすぎだろうか。分からない、あの神子島とかいう人が言っていたことも、今現在の縁佳の心情さえも。怒っている、呆れている、動揺している、その振る舞いには色々な感情が当てはめられる。今まで以上に何も分からない。そして、今まで以上に分からなくてはならない。
「それじゃあ、私は家こっちだから。バス停はすぐそこ。大丈夫だよね」
私から解放されたように、縁佳は華麗なステップで距離を取り、そしてどこか突き放したような声色でそう言った。いや、普段は楽しそうに着飾ってるだけで、好かれたくない相手には、これだけ無色透明な声で応対する、それが縁佳の本質なのかもしれない。
「どうかした?」
十八番な頷くこともなあなあにしていたら、縁佳に勘繰られた。完全ではないけど、限りなくいつも通りに近い二人になれた気がした。さすがに、出会ってそろそろ一年も経つんだから、いつも通りぐらい、存在して然るべきだ。
「別に……」
「んとー、どうして、あんなことを?」
「そ、そんなの……!」
縁佳のため、なんてやっぱり言えない。縁佳のためになってないから。まして名前で呼ぶなんて、そんな資格はない。喉に詰まった彼女の名前を飲み込んで、半分目を閉じたままバス停のすぐそばまで逃げた。
でも、縁佳なら分かっていそうなのに、わざわざ包み隠さず聞くなんて。揶揄うにも程度があるだろって逆恨みみたいな可愛い感情を潜めながら、住宅街に吸い込まれていく縁佳の後ろ姿を、結局無心で見送った。
私たちは暑くも寒くもない春の終わりに、痛くてもどかしいすれ違いをした。
なぜ我を忘れて、キャラを忘れて、無礼を忘れて、見知らぬ高校生に吠えたのか。あの時はそれが縁佳にとって最善だと、体中を電撃が走ったから。交流会がめちゃくちゃになっても、縁佳の名誉は保たれるべきだから。なんだかんだ御託はいくつも並べてみたけれど、縁佳に謝罪のメッセージは送ってみたけど、他の人ならもっと器用に切り抜けられたんだろうけど、でも自分が間違った行動をしたとは、どうしても思えない。
何より、私が失敗したぐらいで、縁佳があんなに拒絶したような目をするだろうか。簡単な雑談も仕掛けないで、ただ、どんよりしてじめじめして、お互いの精神をすり減らすような、そういう空気を維持するだろうか。縁佳だって間違えるのかもしれない、私だって正しいのかもしれない。当たり前かもしれないけど、縁佳だけに寄り掛かりっぱなしで、判断も縁佳に委ねていた私は、お互いの致命的な間違いに気付くことはできないんだろう。
「きょうかー、ご飯できたよー」
「あ、うん」
家に帰ってきてから、ベッドに制服のまま突っ伏していたら、母親から夕飯に呼ばれた。大事に握っていたスマホで、時刻と縁佳からの返信がないことを確認して、意を決して起き上がった。
今日も父と母、そして私の家族三人で囲むダイニングテーブルには、普通に揚げ物が大皿の上に独立峰をなしていた。気が滅入った分だけお腹も空くから、食欲が湧き出てくる。まあ、満腹になったところで、今の状況だと心まで満たされない矛盾に苛まれるだけなのだけど、食指は止められない。茶碗を片手に、その山を上から切り崩していく。
「鏡花……。どうしたの?今日なんか学校であったの?」
「えっ、いや別に何も……」
母親の問い掛けに、私は口では否定しながらも、手元と母親を交互に見て食べる手を止めていた。手首にずっしりとしたメンチカツの重みがかかる。ご理解いただけないようなので、首を傾けながらわざとらしく微笑んでみる。べちゃっ、という音とともに、メンチカツが取り皿に敷いた中濃ソースの中に落ちていった。
「何もなく悲しい顔はしないだろう。どんな事でも、父さんたちに相談していいんだからな」
ここで隣の父親も便乗してくる。親、というか家族の勘は常に鋭く、そしてあまりにもまっすぐだ。伏せがちな視線とか、普段より浅く座っているのとか、後は部屋着にならないで制服のままなところとか、そういうので全部ばれてしまう。詮索されたくないから隠そうともしてみるけど、上手くいった試しがない。詮索されてもいいかなと思って隠さないでみたけど、所詮は親のポジショントークしか返ってこなかった。
「何にもないよ。あと、中濃ソースはブルドックのが食べ慣れてるから、そっちに戻して」
「いじめとか、そういうんじゃないよな。父さんずっと心配で……」
「しょうがないじゃない。なぜか常葉ちゃんからソースが贈られてきたんだから。あ!そうそう、この間朱鷺葉ちゃんに会ったけど、鏡花のこと心配してたよ」
朱鷺葉とは常葉お姉ちゃんのお姉ちゃんの名前だっけ。相変わらず、うちの家族と友達みたいに仲が良いようで。
「心配って。何も問題は起きてないけど」
「鏡花が自分のこと何も話さないからぁ。鬱陶しく思うのもわかるけど、親として、心配になるのは当然でしょ?」
「そうですかそうですか。白米のお代わり取ってくる」
親というのは揚げ物にかけるソースみたいなもので、切っても切り離せない存在……。うん、手元の食べ物に例えるのは無理があった。けれど良い親というのは、どれだけ反抗されようとも、ねちっこくうざったい程に子供を気にかけて、そして等しい時間と空間の中で暮らしてあげるものだと思う。そういうわけで、私の親は満点が取れるほど立派だけど、私自身がかなり不甲斐ない。
まあ、親に聞いたところで縁佳の本心が引き出せるわけもなく、追及をかわしながら……無視しながらご飯を食べ終わったら、お風呂に入ってからまた自分の部屋に戻る。
自分で点けたわけで、因果応報な眩しい白い光を掻い潜りながら、再びベッドに飛び込んでスマホを手に取る。さすがに縁佳から返事が来ていた。縁佳からの返信はいつだって心が躍る、顔の筋肉が言うことを聞かなくなる。あんな事があっても、例外ではなく。むしろ、あんな事があったからこそ、ちゃんと私に向き合ってくれたのが嬉しいのかもしれない。
で、返信はいたってシンプルだった。
「気にしないで」
「でも世間体は気にしてね」
あと奇々怪々な白くてもふもふしたキャラクターのスタンプが添えられていた。こういうのが流行っているのだろうか。インターネットには私の知らない世界が広がっているんだなぁ。
それはそうと、こちらから何を返信するか……。無難に今後は気を付けますって送るか。でも本心じゃなくて励ましの冗談な可能性もあるわけで、それにムキになったら、縁佳の笑い種にされるかもしれない。んあーっ、一度想像を膨らませてしまうと止まらないっ。長くなりそうだから、仰向けから枕に顎をうずめる態勢に切り替えた。
私の陰に隠れて、カートゥーンの小動物のように大げさに震え上がっていたのに、血相を変えて、集中線を放つように叫ぶ。あの時の鏡花は、何を思ってあんなに声を張り上げたのだろうか。無遠慮に言葉を紡ぐほど、差し迫った感情の波に追われたのだろうか。
いやまあ、正直で意固地で一生懸命だから。それに尽きるか。私が無実であることを固く信じて、それを一から百まで伝えないと気が済まなくて、伝えるのならどんな手段を使ってでも。私の知らない鏡花なんて虚構だ。
それを裏付けるように、交流会が終わった後の鏡花は、私に対して決まりが悪そうにしつつも、どこか清々しくもあった。前を向いて歩いているだけの私の横顔を、痛いほど凝視して、ご褒美を待つような太々しさもあった。どれも見覚えのある鏡花の表情だった。
帰路に就きながら、視界の端に辛うじて鏡花を残して、初めて気付かされる。この違和感は、この沈黙を作り出しているのは私なのだと。基本的に鏡花から話しかけてくる事ってないし、そもそもそれ自体が鏡花にとって一つの重大な挑戦なのである。まして、天然少女武装を解除した、真顔に限りなく近い今の私に、鏡花が気圧されないはずがない。だから全部、私のせいだった。
畢竟私はさっきから、いや前々から、鏡花の心情しか解きほぐそうとしなかった。友達の望むものを考察するのは、私にとって、呼吸に等しいと表現してもさすがに過言ではないぐらいで、その呼吸が滞るようでは焦りも感じる。ますます呼吸を安定させようと躍起になる。
でも、そうやって基本原則に従ってても、相手の基本原則しか浮かんでこない。本当に目を向けるべきは、揺曳する自分の心情だから。この友情に何か違和感があって、目を背けたくなる耐えがたさが存在する。それは、毅然と神子島に立ち向かった、英雄である鏡花の顔を直視できてない事とか、物理的な距離と精神的な距離を混同して、鏡花のブレザーの袖に、自分の手の甲をかすめて距離を測ってみてる事とか、そういう所作のせいで言い逃れできなくなっていた。
こんな不和は、ずっと前から認識していたけど、メスを入れるのは初めてだし、それが態度に出るのも初めてだった。他人に悟る隙を与えるほど、私の中で膨れ上がった問題だということに、恐怖を禁じ得なかった。おぞましくて、今は問題の表面に切り傷を入れるだけにしておこうと決めた……。
このまま夕刻の住宅街で一人になれば、良からぬ千思万考が捗りそうで、それに元々の、安心して行える他人についての議論に寄り戻したかったから、別れ際に無理やり鏡花に尋ねた。どうして、あんなことをしたのか、と。あなたの言動は私の常識からずれているって糾弾するように。そして、鏡花が逃げた。
鏡花が残した名残惜しさの風に背を向けて、カバンの持ち手を脇で厳重に締めて、過剰に前かがみになりながら、横断歩道を足早に渡る。鏡花はいつものように、どこまでも見送っているのだろうか。それすらも、直接目で確かめないと分からなくなってきた。
鏡花から届いた長文の謝罪。それは私を安堵させつつも、試練を与えていた。無視しても冷たくあしらってもダメだけど、だからと言って今日の行動を肯定したら、同じことが繰り返される。その度に距離感を惨めなほど気にするんだろう。あーあ、恐れているってだけなんだろうな、ぶつかってしまう事を、距離を測れなくなる事を。
気遣ってることをアピールしつつも、淡白で当たり障りない返信が書けたところで、体の力が抜けてきて、そのまま上半身が横になっていた。どこまでも純粋に近付いてきて、着実に私の基準を狂わせる。一番遠くから振り仰いでいる時は最高だけど、最近は純粋にそうしてくれる機会も減ってて、総じて結論付ければ、私と鏡花の相性は最悪だ。好みじゃない結論が、こうやって少しずつ実体となっていくけれど、私はそれを止めることができない。嘆息を繰り返して、それを真に受けていないふりをして、自分を誤魔化すことが精一杯だった。
照明が点けっぱなしだけど、卑劣な緊張を神子島に煽られて疲れたせいで、瞼を落としたら、そのまま朝までぐっすり眠ってしまった。朝の六時のスマホのアラームが、腹ごと震わせて目が覚める。
寝ている間に脳が整理されるというのは本当で、今日何をすべきか、昨日の後始末タスクが、きちんと一番上に浮かんでいた。とりあえず、シャワーを浴びよう……浴びなければ、鏡花と距離が広がる……?何を馬鹿なこと考えてるんだろ。自分の頬を両手で叩いて音を鳴らして、一日分の気合いを入れた。
「しぃーまちゃんっ」
「あー!よっ……来たんだ……」
別に最初から昼休みになったら、鏡花の元に向かうつもりだったのだが、教室移動で通りかかった明世に呼ばれて、一緒に鏡花の教室に行くことになった。まあ、本来だったら鏡花の意向を汲んで、嫌な顔の一つはするべきなのかもしれないけど、正直明世の茶々が飛んでくるぐらいの距離感のほうが、この状況だと助かる。
で、我ながら私という人間は他人をよく観察していると、称賛したい。鏡花の口の動きが昨日と全く同じ。「よ」の口を作って、それで飴を喉に詰まらせたように狼狽えるのも同じ。
それは悪いことじゃない。そのままで良い。私の名前すらもはっきり呼べないままで良い。できないままで居ることを望むのは、あまりに罪なことだけど、私が見止めたのは、回遊して一点を見詰められない丸くて幼気なその瞳で、時々暴走する活気と自己嫌悪に絆された歪んだ表情で、そこから羽化してしまった鏡花に、私はもう……。
不穏かつ高慢なことを考えながらも、私と明世は鏡花の机を囲む見慣れた配置で座った。
「いやー、昨日はお疲れ様だったねぇ」
「あぁー、参加して実感したけど、あの交流会、ちょっと無理があるよねー。蛙鳴蝉噪ってやつ」
「生徒会に活動をもたらすには、必要な場だからしょうがないよー」
まあ、生徒会室に籠って事務作業に勤しんだところで、それがメインの仕事だとしても、それだけしていれば他の生徒から崇敬を集められるかと言われると、そんなことは無いわけで、華美なことは重要なのである。
「んむむむ?……あぁえーっと、公示しなきゃね」
「何?こうじって」
「生徒会の役員を変更する場合は、変更後のメンバーを学内の掲示板等で、速やかに公示しなければならない。はい!生徒会会則第何条の何項でしょう!」
明世が鏡花を無慈悲に指差す。鏡花は淡々とイカフライでもよく噛みながら、適当な数字を言った。
「第2条の第6項」
「なわけ無いだろー」
「正解は?」
「え?知らないからしまちゃんに聞いたんじゃない」
「じゃ、せめて隣の人に聞いたら?」
鏡花の目が明世を私へ誘導する。そんな文言があったことは間違いないけど、第何条かまで覚えてるわけないだろ……。
「クールで厳しめな生徒会長って、そういうのを淀み無くそらんじれるじゃない?憧れに手は届けど、そのものになるのは無理なんだね……」
「白高の生徒会会則なんて覚えるより、日本国憲法でも暗記したほうが、海外で一芸を披露せねばならなくなった時に役立つよ」
「般若心経でも同じ効能が得られるよ」
でも義務教育で触れられるのは日本国憲法なので、覚えやすさで軍配が上がる。
渾身のボケで明世が勝手に横道逸れていってくれたけど、これは防衛本能からなる先延ばしに過ぎなくて、鏡花の生徒会入りを、私の言葉で断らなくてはならないんだった。
鏡花だって、あんな事をしてしまったら、それがたとえ私のためだったとしても、いや、正義であったとしても、生徒会副会長に就けなくなることは理解しているだろう。だから、鏡花が静かに頷いて、この話は終わる。……はずだけど、この後ろめたさから逃れられなくて言葉に詰まる。具体的に形容すれば、私が距離を置きたいから、無理して初々しさを長続きさせようとしているから。そんな自分勝手な理由で、鏡花にとっての “確約” を反故にするのは、神子島のような悪辣さを持たない私にとって、とても抵抗があった。
そうこうしているうちに、弁当の中が空になっていて、休み時間が終わりかけていた。鏡花がすぐそこに佇んでいるせいで、色々なことを考えてしまったけど、終始明世がペースを握って、適当なことばかり喋っていたから、こなれた愛想笑いで乗り切れた。……まあ、鏡花なら察してくれるでしょ。生徒会の話は無かったことにするって。ずるいけど、何も明言せずに、自分の教室に戻ろうとした。
「これはこれは、何かありましたね?」
廊下を進んでいると、明世が何かを嗅ぎ付けて、後を追ってくる。
「どうしてそう思うの」
「私ががすよの後をつけたら、しまちゃんだって対抗して追跡するでしょ」
そっちか……。確かに、鏡花自身に罪悪感さえ植え付けてそうで、そのおかげで今日の私を見る目は、後輩が磐田先輩を見る目にそっくりだった。なんだかんだ言って、鏡花の貸し借りの帳尻を合わせようとする性質は嫌いじゃないというか、それが正論であること自体は納得できる。だから償いたい気持ちはある。ほとぼりが冷めたら、ちゃんと埋め合わせなければ。
「分かりやすいね、鏡花って」
「まー、……それなりに?」
「副会長は、モロックマに引き続きやってもらうつもりだから。よろしく」
「えぇー、本気で言ってる?」
「モロックマほど冗談上手くない」
「ふぅーんっ、自己言及型冗談とはまた高度な」
冗談も類型化されてたりするのだろうか、とか考えていたら、すっかり校舎の端に到着していた。別に、そんなに大きい学校じゃないから、私が一人で歩くペースに合わせたら、そんなものである。一旦、私がいつも寄りかかっている壁に身を任せて、明世のほうを向いた。
「これで終わり?聞きたいことでもあったんじゃないの?」
「そっちから言っちゃったから」
「そんな気はしてたけど……。抗議してもいいよ」
「抗議?いっかな、別に」
明世は微かな苦笑を浮かべながらそう答えた。こちらも何となく足を組み替える。
「あぁ、そういう事ならいいけど」
「だって、がすよは相談したくないでしょ、自分で決めたことに関して」
「まあそうだけど……。なんか、ありがとう」
理解が早くて、感謝の言葉が滑り出た。友達は沢山いるけど、背中を預けられるとか、そういう観点から順位をつければ、明世が一番の親友と呼べるのかもしれない。
「ところでさ」
「はい」
「えーっとぉ……。い、今から言うことは、誰にも口外しないでよっ」
「はいはい」
じゃあこんな、教室の入口とかいう、人の往来が激しい場所で話すなよってツッコミを入れそうになった。
「あっ……あの人に……、えとあの、そろそろあの人に告白してみてもいいかなーって、思ったり思わなかったりするんだけど……」
「ずっとそれ言ってない?」
「違う違う、今回は本気なんだって!でっかいライブがあってさ、それが上手くいったら、潮時だと思うんだよ。この機を逃したら、あの人も受験で忙しくなるだろうし……」
「その件に限っては、私は頑張れーしか言わないよ。二人とも、あまりにお互いのことが好きだからさ、そうとしかアドバイスできないんだわ」
こんな恋愛相談ばかりだったら良いのに。付き合うのを引き延ばすことで一番利益を得ているのは、簡単すぎる相談で明世からの信用を勝ち取れている私だろうな。これは愛想笑いじゃない。花畑を駆け回る子犬を眺めているような、そういう笑顔が自然と溢れてくる。
「じゃあ…………がすよが私の立場だったら、どうする……?」
「私がモロックマだったら付き合うかって?」
「というか、同じ境遇にあったら、かな」
「付き合わないよ、絶対」
「手が届くところに、幸せがあるのに」
「ほら、いつか破綻するでしょ?その期間が長ければショックも大きいし、短くても、自分が虜になった運命感は何だったんだろうって、自分が信じられなくなるだろうし、ね」
なんと甘美なもっともらしい言い訳なのだろう。まったくの嘘というわけではないけど、自分が恋愛の当事者になることを忌避しているのは、どう考えてもそれだけじゃない。そもそも、前提として私が明世という設定だ。明世と黎夢の関係が破綻するわけない。詭弁だと悟らせない、完全なしたり顔で明世を牽制した。腕なんて組まないし、大きく動いたものに釘付けになって、目に何も語らせない。
「それでも人には勧めるんだね」
「別れる時に、私のせいにする人はいないからね。というか、こんな話させて元気出た?」
「頑張れって言ってくれたじゃん。意地悪な質問をしたのはね……お節介を焼こうとしちゃう私の悪い癖だから。じゃ、午後の授業も、頑張って?」
「打倒眠気ー」
明世は手のひらを見せながら、彼女を励ました別の時と全く同じように、溜飲が下がったような爽やかな表情をして去っていった。
さて、明世のことは心配しなくても、時間が経てば勝手に解決していることだろう。それより鏡花のことだ。こっちも……時間が解決してくれるんじゃないかって、楽観視していた。
もちろん、そんな算段は見事に崩れたさ。その程度で千切れる関係なんて、と普通だったら落ち込むところだけど、これはある意味で、尋常じゃない関係であることを意味していた。鏡花という、珍しいほど不思議な少女は、血管に溶けた鉛でも流れてるんじゃないかというほど、…………豊かな?感情を?持つ少女だった。本能的に、自分のフィールドに引きずり込んでくるような、そういうしたたかさに、気付いた時にはもう手遅れだったのかもしれない。
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