6-7

 模試の結果が返ってきた。自分の結果が志望校に対してどうとか、それを気にするほど意識は高くないけど、代わりに他人と比較したくなる低俗さはある。


「どうだったー、あぐりー」

「もうばっちりよ」


 こいつはいつだって自信満々である。そういう奴のほうが社会を渡りやすいのだろうが、しかし代償として一度落ち込めば立ち直れなくなるのだ。それはどうでも良くて、安栗と成績表を交換した。


「さすがに勝てるか」

「一週間ぐらい前から、悪あがいてみたんだけどねー」


 安栗は間抜けな顔で、背もたれに体重を乗せて椅子を後ろに傾ける。それで一週間も私を家に呼ばなかったのか。うーむ、明言はしないけど、実はライバル視されていて、私を見返してやろうと躍起になっているのかな。


「まっ、受験生になったら覚醒するでしょ」

「それもそうか。一緒に泣きを見ようね」

「あーっ、ぐあーっ」


 朝から晩まで予備校に監禁される想像でもしたのか、安栗は知能が半分になった。天を仰いで呻いている。やっぱり気が早いなぁと一笑に付してしまいがちだけど、時間というのは確かに進んでいるもので。私の脳内には、安栗と過ごした一年がみっしり詰まっている。


「久々に、ぱぁーっと歌うかぁ」

「カラオケ?」

「家で歌ってもいいよ」

「親御さんに迷惑だろ」

「これは安栗マル秘情報なんだけど、自室で熱唱して、来たる友達とのカラオケのために練習してる」

「声がデカ過ぎて、このクラスの全員がお前の弱み握ったよ」


 そういうわけで、安栗の日頃の鍛錬の結果を披露してもらうために、放課後カラオケに向かった。こいつと遊ぶのがえらく久しぶりに感じる。毎日か否かというのは、とても大きな差なのだろうな。


 さて、カラオケに着いた安栗は早いところ歌い始めた。まあ、歌いに来てるんだから当然なのだが、落ち着きのない奴だと罵りそうになった。それを横目に、私は腰に悪いらしい座り方で、頭をソファの背もたれの上に乗せて、冷房から流れる冷たい空気の束を追いかけながら、いつも安栗の部屋でしているようにぼーっとした。


「鑓水も、どう?」

「あー?じゃー一曲だけ」


 さっき聞こえてきたのと同じ曲を、ソファにふんぞり返ったまま歌った。


「おぉ、上手いねぇー」


 安栗が楽しそうに拍手してくる。しかし、こいつに持ち上げられたぐらいじゃ、歌手を目指そうとはならないな。


「なんか、わたしより点数高くてウケる~」

「えぇ、練習したんじゃないの」

「したけど。鑓水には勝てんなー」


 安栗は大して悔しくなさそうにしながら、オレンジジュースで喉を潤した。


「お前、何なら私に勝てるんだよ」

「え?勝てないんじゃない?」

「福沢諭吉に謝れ」

「わたしが謝るんかい」


 新札が流通してもうすぐ一年、急がないと謝れなくなるぞ。


「とか言ったけど、馬力が段違いだったな」

「そう?」

「この間の体育祭準備の時、鉄骨を軽々と肩に乗せて運んでたし」

「んー、わたしって力持ちなのかな。ただでっかいだけじゃない?」


 それが決定的な証左というわけではないけど、さりげなく力こぶとかできそうだし、狩猟採集民だったら生きやすい体躯をしているんじゃなかろうか。とか思っていたら、立ち上がってこっちに迫ってくる。


「抱き上げてみてもいい?」

「いいけど……。怪我したら、物凄い険相でうちの親が賠償をせびってくるよ」

「よぉーっと」


 私の諧謔など無視して膝の裏と肩甲骨の辺りに腕を回してくる。こいつ、何があっても誰が人質でも身代金払わなそうだな。


 特に苦労する雰囲気もなく、日常の所作の一環みたいな感じで持ち上げられた。なんか子供をあやすみたいに、ほんのり横波と縦波を入れてくる。


「どうかな、ご気分は」

「お前が筋力あるかを検討してるんじゃなかったの?」

「あぁそうだった。……ちょっと重いね」

「常識的に考えて、二リットルのペットボトルを二十本抱えるなんて、大変だよなぁ」


 その不安定さを認識すると、腕が震えているような気さえしてきて、頭から落っこちたりしないよう安栗の首に手を回していた。


「いつまで続けるの?」

「んー?鑓水が満足するまで」

「人の筋肉を痛め付ける趣味はないから、さっさと下ろせば」

「そろそろ落としそうだったから、ちょうどいいや」

「私を使って無茶するな!」


 安栗は私の恐怖も意に介さず、余裕ありげに最後まで腕を添えて、ふんわり地上に帰してくれた。……悪くない体験だった。相手が誰であろうと、この先こんな体験をする機会なんて無いだろうし。


 一方、安栗はクラゲのように骨抜きにされて、反対の座席にへたり込んでいた。


「逆は……叶わないか……」

「1.5倍は支えられんな」

「わたしも軽くなりたいーっ」

「その身長なら適正なんだから、しょうがないでしょ」

「でもさ、友達とごにょごにょする時って、身長なんて考慮せずに体重しか言わないじゃん。それが嫌なんだよねー」

「BMIで言えば」

「なんか……オタクっぽいな……」

「オタクはもっとよーわからんインデックスを持ち出してくるさ」

「それもそうか。元気出てきた!」

「歌う?」

「歌います!」


 私の分まで歌ってくれー、と思いを乗せてマイクを向こうに転がした。自分の部屋で、副交感神経に縛られてる姿ばかり見ていたから、活動的な瞬間に立ち会えて……元気が貰えたような勘違いをした。まだ浮ついた感覚がしぶとく残っているから、仕方ないな。


 まあ、たとえ場所は変わったとしても、安栗は安栗で、私は私で変わらなくて、子供でいられる時間は漸減していく。少数の人は子供の時間を投資に充てて、多数の人は派手に充てる。そんな中で私は、二人の時間をただ同期させて進めることだけを選んでいる。これが後で噛み締めたくなるタイプの幸せなんだと思う。だから私は、明日も安栗と遊ぶのだろう、誘われれば、の話だけど。あいつが一念発起して、部活に精を出し始める可能性も捨ててない。

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