6-2
「おやおや、狭い新潟、そんなに急いでどこへ行く?」
「それだと逆に広いだろ。縦に長いし」
ちょっと急いでたら、廊下で明世に話しかけられた。校内どこにいてもよく話しかけられる気がする。なぜだ?見かけたら絶対に重箱の隅を突きに近寄ってくるから、そう思いやすいのかもしれない。
「で、本当にどこに行くの?そっちはハデスの宮殿しかありませんが」
「生徒会室とか会議室とか妖しい部室とか、色々あるよっ」
「それでは一ついいことを教えてやろう。生徒会室の鍵は開いてないぞ。なぜなら私が閉めたから」
そう言いながら、後ろ手に持っていた鍵を投げてくる。なんか鼻につく。やっぱり副会長になんかしなきゃ良かったかもしれない。
「あぁ、ありがと」
「なんか仕事残ってたっけ?それとも、学ランでも取りに?」
「なんでだよ」
「そりゃあ、会長の正装ですから」
「会長権限で副会長の正装にするね」
「私には似合わんよ」
「別に、私も似合わないんだけどなぁ」
普段と違う格好、というのがミソなんだろう、知らんけど。
「だいぶ急いでたみたいだけど、しまちゃんでも待たせてるの?」
「えぇ、なんで分かった」
「いつもそうだから?」
ギラギラと笑っている。今日の明世はテンションが高い気がする。黎夢にご褒美でも貰ったのだろうか。とか、まじまじとうるさい顔面を見定めていたら、追い打ちをかけてきた。
「たはー、好かれてるねー」
「好かれすぎというか、それ以外の人に興味がないというか。あと何だよ、たはーって」
お茶した時にかーむだうーんって言ったが、その効力は全くなく。私は容易く切れる友情じゃないって訴えたかったんだけど、鏡花は自分がその逆の想いを秘めてること吐き出せて、こっちがそれに流されたって思ってるようだった。それで今まで通り、いや、今まで以上に肝が据わるようになった……と思い僻めている。
「なんて言ってるけど、がすよが望んで慕われるように立ち振る舞ったんでしょ。普通はそこまでできない。だから好かれない。ただそれだけ」
「んじゃー、モロックマも頑張ったの?」
「私は……ぜんっぜん好かれてないよ。しまちゃんから私へ行動を起こしたことなんて、一度もないんだから」
明世は組んだ腕を解いて、手を横に振って否定した。
「煎餅の件は?」
「あれも、私が誘ったからだよ。踏み台にされに行ってるのさ」
そう勘付いてるのに、相手に仲良くなろうという意志がないのに、それでも絡むのを辞めないのはなぜなのだろうか。下心でもなければ、ぎこちなくて辛くなるだろうに。まあ、それが明世のいい所なのかもしれない。困ってる人を放っておかず、それでいて常におちゃらけている。何より、私よりも清らかな心を持っている。
「踏まれたいならねこに頼めばいいのに。まあいいや、じゃーねー」
「ちょいちょいお待ち」
無視してもどうせ振り切れないので、立ち止まって振り返らざるを得ない。距離は置いてくれる。それだけが救いか。
「言っちゃえばいいじゃん。他に友達を作ってほしいって」
「泣きそうになりながら、嫌だって言われた」
単純化された鏡花モデルでは、の話であって、現実ではそうでも無かったけど、でも結論は同じである。それに私は、持てる者が陥る視野狭窄に陥らないことを至上命題にして生きてるから、やっぱり気が引けるのである。と、少々あきれた雰囲気で反駁すると、明世は普段の、主人公が失敗する前触れみたいなしたり顔でもなく、無自覚パワハラ上司の灯台下を刺すような、なんてない形相で淡々と返してきた。
「友達作りを手伝ってあげればいいだけでは」
「そういうものかねぇ」
「自分を上のステップに押し上げてくれる。そんな役割をしまちゃんはがすよに求めてるんだから。というか、今までもそうだったでしょ」
そう言われても、素直に受け取れないお年頃だからって自分を冷笑するお年頃だから、真面目くさった明世に対して、やらない言い訳をぶつけてみる。まあ実際、深刻な問題ではあるんだけど。
「でもぉ、あの人、私の友達みんなに敵意と敵愾心剥き出しでぇ……」
「たはー、好かれてるねー」
「あのね、私はモロックマと違って、島袋さんの気持ちをよく理解してるの。私に言われても、嫌なことぐらいあるんだから。気の進まないことをやらせるのは大変なんだよ?あとたはー辞めろ」
「とは言ってもさ、みんなと和解してもらうのが、今後のことを考慮すると、誰にとっても一番幸せだと思うけどな。私も、本当の意味での友達になれるよう、当たって砕けてくるから。そっちも誰かに協力を仰いでみたら」
ふぅーむ、どこか捻くれた返しをしてしまったけど、明世の発言にも一考の余地がある。事実、鑓水は安栗が紹介してくれて知り合ったわけだし。比較できるものでもないけど、何かが噛み合って首尾よく事が運ぶ可能性も皆無ではない。それで解決するなら大団円だし。
しかし、ちゃんと自分事として積極的に動こうとするところ、明世って人格者だなーって瞠目した。
「ところで、急がなくていいの?」
「あ、あっ」
向こうからそれを言われた時点で、こっちの負けは確定している。ペルソナを素早く入れ替えて、明世は幼稚に陽気に歯を見せながら嘲笑った。どこか驕慢で、知ったような口を利くところと、たはーっていうフィラーは癇に障る。
「まんまと遅滞戦術にはまったな」
「実りはあったから、社会的な死は免除してあげるけど、次はないよ」
「熱的死でもするのかな」
世界は誰かの指パッチン一つで変わるほど危ういのかもしれない。だとしたら、多神教より一神教のほうが、ほんの少し信憑性があるように思える。
つまり何が言いたいかというと、明世の様子がおかしくなった。それに合理的な説明を与えるなら、そういう事だろう。
「今度、一杯ひっかけなーい?」
「ひぃっ」
「そんなに怯えんなよぉー」
「え、やめっ、はうっ」
昼休み、今日もいつものように待ち人の元へ……、縁佳が待ってるかと問われたら違うと答えるしかないけど、しかし毎日通っているので、忽然とそれが途絶えたら、向こうに不要な心配をかけるわけで、だから何が何でも縁佳のクラスまで行きたかったんだけど、席を立ち上がった途端、見計らったかのように明世に捕まった。授業中から虎視眈々と手ぐすねを引いているのには気付いてたんだから、もっとしなやかに動くべきだった。
しかもその言動が、まるで昼間から酒をあおって酔っ払った面倒なおっさんみたいで。抵抗はしてみたけど、最終的に初めてこの教室でご飯を食べる羽目になってしまった。しかもそれだけでは飽き足らず、なんか肩まで組んできて、ぐっと体を寄せられた。
「がすよはこーいうこと、してこないの?」
「はっ、するわけないない。肩を寄せ合うとか、そーいうのとは無縁っていうかっ」
まずどーいうことを指してるのさ。肩をくっつけてくること?面倒な奴に成り下がること?嫌だって言っても辞めないこと?どうでもいいやってなっていると、明世は口を微かに尖らせて、私の疑問に実直に解答した。
「身体接触というかグルーミングというか、あぁ、なんか違う……」
「スキンシップ?」
「そうそれ」
喉のつかえが取れた明世は私から離れると、二本の人差し指をこちらに差し向ける。スキンシップなんて縁遠い言葉、よくもすらすらと浮かんだなぁと思ったけど、私が常葉お姉ちゃんから受けていた仕打ちはそれに該当するんじゃなかろうか。はへ、ということは、つまりどんな物でも失うとちょっぴり悲しくなるから、少なからず縁佳にもそれを求めてたり……。
「スキンシップが飛び交う関係じゃない……から。っでも、されたら幸甚の至り……かもっ」
「したら?」
「受け専門ですっ」
「あっ、へぇっ!?うんうん、そっかー。じゃ、じゃあ、私のも受け取ってよっ」
「それは要らな、ぐあっ」
再び寄ってきて体が密着して、明世の温度を刷り込まれる。何なら頭を撫でるというかかすめてくる。これが縁佳だったら失神するほど嬉しいんだろうけど、これは紛れもなく血迷った明世なので、70パーミニッツの揺らぎで凪いでいた。縁佳に抱き締められたことなんてないのに、どうして幸せになれると信じられるのか、その理由を探る余裕があるぐらいには。
「ところで、今度二人で遊びに行こうよ!今週末とか暇?」
「え、うーん……」
「まっまあ、少し強引だったけど。せっかく二年生も同じクラスになったわけだし。もっと親睦を深めたいと思って」
「あっ、その日は平島さんからスキンシップを貰えるよう頑張る予定があるのでっ」
「たはー、私、余計なこと言ったな。まいーか、女の子と二人きりなんて、ばれたら大惨事ですよ」
「そうなの?」
「いや、わざわざ独り言に突っかからなくていいから。聞かなかったことにしてっ」
「わざわざ擦り寄ってきて、耳元で独り言いった分際で」
「しょぉーがないんだよっ。言わないとほら、本当の気持ちって伝わらないでしょ?」
何だか噛み合ってないが、しかし私が我を殺し切って、他人と完全に相和できたことなどほとんど無いわけで、でもそこから拾えた言葉はありがたく受け止めることにした。いい事を言ってる……のだろう、当たり前すぎてベタ過ぎて、口に出すことも憚られることなんだから。
地獄の昼休みを乗り越えたんだから、何かしらの幸運はあるだろうと、放課後ウキウキしながら縁佳のクラスに向かう。
人生には苦と楽の両方があって、楽だけでは満たされない、それが恐らく一般論。ゲームだってスポーツだってそうだろう。私の学校生活に置き換えるなら、明世に絡まれることや授業が苦で、縁佳と共にいられる時間が楽だけど、苦が消えても薄まる気がしない。むしろ濃密でより有意義な学校生活になる気がする。……理想的な系を考察することはいいことだ、うん。数学だって物理だって、そうやって発展してきた。
ウキウキしてるだけだと子供っぽいので、自分だけのスコラ哲学を展開して、大人っぽくはしゃいでいたら、目的地に到着した。いつも私たちが立ち話している、教室と廊下の境界線で、縁佳が先客と談笑しているのが目に入る。先客は私の存在を認識すると、首を動かしてせっせと話しかけてくる。妙に食い付きがいいな……。
「あらー、久しぶりー、元気してたー?」
「あぁはい……、健康診断では特に異常なく……」
「島袋さーん?もしかして、覚えてらっしゃらない?」
「はっ!べべっ別に、人の顔を覚えるのは得意だし、記憶力には自信あるし」
縁佳の、人を小馬鹿にするような、対抗心を直接くすぐるような、階段の上から見下すような口調と目付きが、私を意識してくれているようで優しくて嬉しくて……じゃなくてっ。この人はえっと……生徒会長選挙の時に縁佳を礼賛していた、いやもっとその前に、去年の体育祭の時に私を阻んだ……それは被害妄想かも。とにかく、そういう人。こうやって脳髄を絞ってみたら、案外名前が浮かんだ。
「篠瀬……?」
「おぉ、覚えててくれたのね!」
篠瀬は一歩前進し、私の目前でニコニコしている。芸能人でも配信者でもない私なんかに名前を覚えてもらって、心のどこが共鳴するのだろうか。
「やましさ全開の目で凝視したからでしょ」
「男の人が巨乳を思わず見ちゃうようなものだから」
「えぇ、それと同程度でいいの、本当に」
「鎖骨はそれくらい、万人に受け入れられている性癖ってことで」
当たり前のように、服の下に隠れた鎖骨を透視してやろうと、鋭い眼差しを首元に送ってくる。レーザーでも放たれているのか、そこだけが熱を帯びてきた。……とりあえず、縁佳に視線を送ってみる。
「え?うーん、前に会った時からずっと気になってて、息が詰まる毎日って言ってたから、いっそのこと見せてあげたら?」
「いやっ、なんか、あのそのっ、怖い……」
「後輩を怖がらせるなんて。良くないよ、篠瀬」
「ごめんごめん。ウェルカムジョークみたいなものだから、あまり気に病まないで。それに、鎖骨は本当に大切な人に見せなよ」
篠瀬は顔を上げて、営業用のスマイルで講釈を垂れていた。ふーん?うーん。
「……見る?」
「見ない」
もしかしたら私の鎖骨にはとんでもない魅力があるのかとも思ったけど、縁佳に無表情のまま断られ、その線は儚く散った。
自分の鎖骨を撫でてしんみりしていると、縁佳がスマホを取り出した。
「ごめん、呼ばれたからちょっと行ってくる」
「えっ。……あぁ、うん」
昼休みに明世の妨害工作を受けたから、そのせいで足りなくなっているというのに。とまでは口にできなかったけど、間髪入れずに反応してしまった。
「打算的に寂しそうな顔しなくても」
「ふへっ!?そんな顔してた、ねぇ、してた?」
篠瀬が背後に回って、私の頬をふんわり伸ばしてくる。私は心拍数を上げながら、縋るように縁佳に確認した。……そんなぁ、引きつった表情やめてよ……。
「うんー、ほんとにごめんね。えっと、代わりに慰めておいてよ、篠瀬」
「えぇ、それは無理難題不可説不可説転。埋め合わせは自力でどうぞ」
「そう言われても……。島袋さん、何かしてほしいことってある?」
「はっ、……ファンサ?」
何を言ってるんだ私は。もっと、他にあっただろ……そうでもないのか?飽和するほどずっといられれば、縁佳の視界に私が映っていれば、それで満足なのかも。でも日常のありがたみに気付いたところで、とっさにファンサを要求したことはキャンセルされないわけで。表情で拒むなんて、そんな回りくどいことは普段しないだろう縁佳が、鼻の頭を押し付けられたように顔をしかめるんだから、……取り消さなきゃ。
「あっえと、これは冗談……」
「求めるくせに、慰め方は全部他力本願なんだから……」
縁佳は嘆息の後に、投げキッスを飛ばした。片手を開いて麗しい口元をさらけ出すと、光の破片が飛び散ったようで、縁佳の周りが明るく華やぐ。百点満点の作り物の笑顔が眩しい。艶やかで鮮やかな縁佳の、便宜上愛と呼称するエーテルが、私を包んで五感に幻を与えた。……投げキッスだって!?ばばばばばばば。
卒倒はしなかったけど、しゃがみこんで頭隠して「きゅーーーー」と甲高い奇声を発したりもしながら、悶絶した、息を切らした、丸まって身の安全を確保した。まるで、これを拝むために生まれてきたんじゃないかって思う。無駄も迷いもなくて、扇情的でさえあって、どこがどうなのかは知らないけど、黄金比すら満たされていただろう。
縁佳以外が全く同じことをしても、ここまで心をかき乱されない。だけど、縁佳には逆らえない。まあ、私のこの感性は、美しいものに立ち直れないほど感動できるんだって捉えれば、少しは見直してやれるのかもしれないけど。
「よっすー知ってるかい。変性したタンパク質は元に戻らないんだよ」
「あ、うんうん。あのあの、それどころじゃない何か私も恥ずかしくなってきたーっ」
「よっすーからの愛はしかと受け取りましたー」
「独り占めしないで。半分こにするんだよ」
「えぇっ、私のだよ!」
急に立ち上がったらめまいがした。何とか篠瀬に支えてもらって、未だ据わらない首を腕で押さえる。
「いいけど。0を2で割っても1で割っても0よ?」
「つまり、今度本当にキスしてくれるってさ」
「言ってないわ。あーうん、もう行くね?そいじゃ、またあした~」
縁佳が手を振りかざしながら遠ざかっていく。篠瀬が囁いた言葉に妄想が膨張する。宇宙と同じ、なんて趣溢れるメタファー……、あ!これだといつかは見えなくなる……!
「逃がさんぞー?鏡花ちゃんー」
「うっ、罠だったのかぁー」
私の肩が篠瀬の体重を肩代わりさせられる。縁佳はこの人と仲良くしてろって言いたいんだろうか。思う所はあるけれど、しかし縁佳が望むのならしょうがないって、自然と体が脱力してきた。細く厳選された空気を吸い込んで、吐き出しながらドキドキを不法投棄する。そして、首をねじって篠瀬の顔を見上げてみた。そこには若干困惑した相貌があった。
「んー、よっすーの用事が終わるまで、教室で待ってようかー」
「そうする、するする」
頷いた分も含めて五つ返事ぐらいした。人もまばらになってきた縁佳の教室に入って、窓側の一番前の縁佳の机に向かう。縁佳の私物は綺麗さっぱり何もなくて、日差しが縁佳の温もりを上書きしているけど、それでも私を恍惚させるのに十分だった。縁佳が常に見ている景色、縁佳が座っていた椅子、たまに肘とか頬をつける机、纏わりつく埃っぽい空気。玉座にふんぞり返って自分が偉くなった気分になってる?いや、そういうんじゃなくて、言葉では伝えられない縁佳の一部分を知れた気がして、それがとても嬉しいんだけで。
って、つい当たり前のように縁佳の椅子に座って、足を交互にばたつかせちゃったりしてたけど……。でもでもっ、舐めたり擦り付けたりしてないし、セーフセーフ……だよね?
「ぬんぬん、さっきあんなこと言ったけどさー、もしよっすーにちゅーってされたら、どうするどうする?」
「え?どっどうかな、どうなるかな……」
篠瀬は後ろの机に腰かけて、椅子の足をコンコン蹴飛ばしながらそんなことを聞いてくる。揶揄ってるつもりなんだろうけど、いやまあ、その光景を想像したら自分の髪の毛を握って安心したくもなるけど、期待されるほど取り乱せなかった。それはあまりにも非現実的で、あまりにも献身的で、縁佳がそうする理由を見出せない。
「されたらのぼせちゃうだろうけど、でも、私たちの中に必要ないことだから、平島さんは、そういう事しないと思う」
「じゃあ、鏡花ちゃんはしたいの?」
「それは……。うーん、んー……」
何を望んでいて、縁佳とどういう関係になりたいのか、それが質問の本質だった。……勝手に曲解してるだけかもしれないけど、縁佳の残像と重なっている今だから、ちょっとだけ考えてみる。
ちょうど一年前のような、求め合うような依存しあう関係……つまり恋、これはもっともらしく私の感情を説明しているように見えなくもない。でも、そもそも私が縁佳を意識するようになったのは、生徒会長とか応援団長とかキラキラ輝く姿にあてられたから。故に自分も輝きたいって目標にしている……とも、口が裂けても言えない。本気だったら、自分を磨こうとするはず。今の私は、星の数ほどいる人間の中から、縁佳一人の意識をどうやったら向けられるか、そればっかりだった。
かと言って、元カノと相照らしたがったあの人のような強力な動機を、縁佳は持ってない。通常の方法で必要とされられない私に、やっぱり恋って言い切れる確信はどこにも……。
「見つけたぁー!鏡花ちゃんだー!」
走り回ったら汗ばんできそうな春のうららかな日差しの中、思考を巡らせていると、油断も隙もなく、また誰かが縋り付いてくる。今日は代わりばんこに色々やって来るけど、全ての挑戦者を眼力で跳ね返せばいいんだろうか。……童顔だから無理かも。
「早く大学生になって、距離感おかしい奴って認定されて痛い目見てくれよ」
「会いたかったんだよ!探してはないけど!」
「あぁすいません、うちのあんま美味しくない茄子が。昔から……多分こうなんです。治んないんで、許してやってください」
誰かと思えば、鑓水って人が早々にペコペコしていた。今からそんなに腰を曲げていたら、おばあちゃんになったとき大変だろうに。
それより、張り付いているこの人。恐らく鑓水の友達。耳を塞いでもはらわたを揺さぶってくる声の主は、鑓水に睨まれてようやく離れてくれた。見覚えはあるけど、名前も素性も隠された正体も知らない。
「二人も鏡花ちゃんと仲いいの?」
「そ、そこまででは……」
「一緒にダーツした仲ですから!」
鑓水の声を遮ってまで捻じ曲げた事実を押し通さなくても……。場の空気が彼女に支配されている。ずぅーっとやかましい。感じ悪いわけではないけど……、と言い訳の準備だけはしておく。
「あんまり適当なこと言ってると、犯罪だぞ」
「まあまあ、これも何かの縁ってことで。わざわざ距離を置く必要もないじゃん?」
「んむぅー、それはそうだけど、お前が正論を語るのが気に入らない」
「じゃっ鏡花ちゃん、連絡先交換しよー」
ほあっ、ぼーっと呆然としてたら、私が次にすることが運命付けられていた。縁佳はもっと物腰柔らかというか、同じ目線に立ってくれるというか……。これが陽キャっていう生き物なのかもしれない。その高い背丈も相まって、脅されてる感じがして、小物らしく頷くしかなかった。陽キャは陽キャの論理で動いている。その論理は遺伝子に刻まれて、彼女は陽キャであることから逃れられない、あっとりーすとじぇーけーのうちは。
なすがまま、されるがまま、多勢に無勢、三人と連絡先を交換した。どうせ高校を卒業する時に消しそうなのに。まあ、それで困るのは友達がいっぱいいる向こうだし、常葉お姉ちゃんのお姉ちゃんに論われなくて済むし、どうでもいっか。
「わたし、安栗って言うの。今日はそれだけでも覚えて帰って!」
元気なライバルみたいな溌溂とした声で自己紹介を浴びた。ふーむ、スマホの画面に目線を落としてみる。気の利いたあだ名とか、無いんだ。
「安い栗みたいな奴だから覚えやすいかもね」
「もちろん、覚えました。今度の選挙は安栗先生に入れまーす」
「しの先輩、よろしく頼みますよー」
「どう足掻いても、二十代後半で市長になって、注目を集めるとか、安栗には無理だろ。正統派な求心力もなければ、耳ざわりのいい極論も立てられないだろうし」
「いいや決めたね、第一志望オックスフォードにするっ」
「オックスフォードだけは辞めとけって、父親がそう言ってた」
「えマジ?じゃあ辞めるー」
「えあっそれは一点の曇りもない嘘だからっ」
「まあ、今から全く遊ばずに、英語の勉強と人間性を磨けば、安栗でも不可能じゃないと思うよ」
「じゃあ遊ぶか!」
他人の会話をラジオ感覚で聞き耳を立てていたら、まず鶴の一声でびっくりして、次に私のへなへなな腕が掴まれて挙げさせられて、思わず彼女をとぼけた顔して見上げてしまった。えぇ?
「安栗……」
「ん、鑓水?おあー、ダメ?」
安栗は顔をしかめる鑓水から、こっちに視線を動かして首を傾げてくる。しかし、嘘が思い浮かばないので肯定するしかできない。
「だっダメではない、けど……」
「じゃー何したい?」
まるで友達のように振る舞ってくるけど、いやまあ、こういうのに地の文を連ねないで回答するのが普通の人なんだろうけど、でも言い訳するなら、能動的な質問というのはとても難しいのだ。よって、比較的受動的な、かつ人間の根源的な欲求を呟いていて、この場をしのいでいた。
「お腹、空いた……」
「おうおう、じゃっわたしの家、どうっすか!」
「安栗の家、なんか食べられるの?」
「お菓子いっぱいあるから。鑓水のために、あと来たる地震のために」
ワイシャツの裾を摘まむ鑓水を気にかけず、安栗はそう主張しながらピースした。もう断るのは無理そうだった。まあ、断りたいかと言われると、実はそうでもないというか、せっかく何か縁を感じて近付いてきてくれている人を、邪険にする労力を割くほどは嫌じゃない。いやきっと、後悔はするんだろうけど。でも、これを呼び水に友達を作ろうって気概は湧いてこない。なんでだろう、もっと楽しいことに虜だからかな。
とは言え、いくらこっちの胸中で拒絶したところで、それは空振りでしかない。幸い、感情を表に出すのは苦手だ。まあ、楽しんでるようにも見てもらえないけど。ともかく真顔で背中を押してもらって、安栗の家に向かった。
それで、学習データが少ないから胸を張っては言えないけど、安栗の部屋はごく普通な感じだった。味気ない程それなりに綺麗に整頓されて、本棚にはあるのは名の知れた漫画とDVDを除いて全部教科書で。一つ目を引かれるものと言ったら、ベッドの上にうず高く積まれたぬいぐるみぐらいだろうか。うむ、趣味があることは良いことだ。
鑓水はベッドに正座し、他の三人はお菓子が積まれた机を囲むようにして、カーペットの上に座った。見知らぬ人のにおいがまだ鼻を覆ってる中、篠瀬が口を開く。
「ところで鑓水はよく遊びに行ってるらしいけど、二人って普段どんなことしてるの?」
「何もしてない。ただぼーっとしてるだけ。十代の貴重な時間を無駄にする背徳感ときたら、言うまでもなく最悪だよ」
「そう?わたしは楽しいよ。部活より気が休まって」
「休まるだけで、何も生まれてないんだよっ」
鑓水が安栗を睥睨する。篠瀬がぼんやりと打ち笑む。自分と縁佳、そして明世が集まった時に似た感じもする。まあ、今回はそれをただ傍観しているだけなんだけど。
安栗は鑓水の厳めしい表情に特に怯まず、次の思い付きを振りかざす。
「トランプするか!」
「あったんだ」
「そんなことで驚くなし」
安栗は鑓水に反論しながら、机の引き出しをまさぐってトランプを持ってきた。紅の豚のイラスト付きの。
「大貧民とか」
「あっルールわからない……」
「じゃあ辞めるか。ババ抜きでいいや」
「いやいやっ、いいですよいいですよ大貧民でも」
「えー?本日の主役様には阿諛追従せねばー」
「そんな……いいからいいから」
「いいっていいって。適当に話しながら遊べるぐらいが丁度いいんだから」
「わ、わかった……」
「そういうわけだから、やるぞーっ!」
「テンポ悪く意志表示してないで、はよ配れや」
鑓水が安栗からカードを奪い去り、バーテンダーみたいな手さばきで配っていった。この人はせっかちなのかなぁ、なんて所作から性格を想像してみた。はぁ、これが友達候補にする仕打ちなのだろうか……。
それはともかく、本能のままにババ抜きが始まった。そこには駆け引きもなく、誰も勝つ気がない。出鱈目なペアを捨てても笑って済まされそうだった。
「ところで鏡花ちゃん」
「はひ?」
「お菓子食べないの?」
「ああっ頂きますっ、めっちゃお腹すいてるしっ」
元を辿れば、私が空腹だって言っちゃったから……。だっだけどさ!人の家で遠慮なくお菓子棚を空にするのは、さすがにやばいっていうか、好かれたいわけでもないけど嫌われるのも避けたい。だって、向こうは嫌わないといけないんだから。一応、頬が膨らむのを見せびらかすように、クッキーを一口で食べた。薫るバター。
「んんー、さっき何も生まれてないって怒ってたけどさぁー」
「怒ってはないですよ。望んでこうしてるので」
「受験生になると、そうもしてられないよねぇ」
「そうもしてるけど、いいの?」
「私は意識が低いので。二学期から頑張るつもりー」
そう言いながら、篠瀬は喜色といかさまを噛み殺すように、でも得意げな面持ちで一番に抜けていった。こういう時に自分が目立った成績を収めたことがないよなーとも思いつつ、そもそもパーティーゲームを全くやってこなかったから、試行回数が足りないだけだろと、麦茶に映る私が鑓水のような舌鋒で反論してきた。
なんて、取るに足らない妄想に現を抜かしていたら、安栗ににじり寄られていた。
「ところで鏡花ちゃん」
「はひ?」
「お菓子食べないの?」
「ああっ頂きますっ」
また急かされたので、またクッキーで口の中を満たす。再び顔を上げて向き合ってみると、まだ思う所がありそうだった。
「んんー」
「どうかした……?」
「緊張してる?」
「あっ、えぇーっと……」
「リラックスしようぜっ」
安栗は私に寄りかかって足を延ばした。まあ、自分の部屋は落ち着くものだ。縁佳がいなければ。
「何人の手札見ようとしてんだよっ」
「ケバブッ。待ってよ、そんなつもりは微塵も無かったのにー」
鑓水は腕だけ伸ばして、安栗の頭頂部をはたく。空気の抜ける心地良い音がする。それはごく自然な日常の、誰も取り留めない盛り上がりの一瞬で、様式美すら感じられる。つまるところ、私も縁佳にはたかれたい……なんてね。
いつも通り、開陳する場もない、欲としてもまとまってない思念が玉響のうちに消滅していると、一番に上がって暇という罰を受けている篠瀬が、私を飛び越えた斜め上を指さした。
「んー、ところで安栗さぁー」
「はいはい」
「机の上に飾ってある高そうなチョコレートの箱は何?好きな人から貰ったの?」
「あぁ、鑓水から貰ったやーつ」
「今気付いたわ。なんでそんなもの飾ってんだよ」
「だってさー、食べちゃったら残らないじゃん。人からのプレゼントが消えちゃうのって、もったいないよね」
「消え物のほうが良かれと思って、誕生日も食べ物にしたのに」
「仲睦まじいねぇ」
「でしょ」
「意見が対立してるのに、仲睦まじいか……?」
「違う価値観の人が共にあるから、友情というのは尊いの」
「んな高尚なこと握りしめて人付き合いなんてしませんよ。はい、上がり」
私がババ抜きしている間に、どんどん話が進んでいく。それが居心地悪いという感じでもない。会話に混ざりたいからそういう感情が起動するわけで、どうなってもいいなら、退屈しか降ってこない。何だか、人じゃないみたいだって、肌に染みる感情を言葉にして落ち込んでみたりもする。感情を、捻り出してみる。うむ、この場にいるべき人間ではないことに変わりはないな。
でも、羨ましいなぁーって思う。縁佳も、私があげた髪飾りとか、煎餅の包装とか大切にしてくれているだろうか。私のプレゼントが私の想いが、縁佳の部屋を彩っていたら、……とても嬉しいけど恥ずかしくて遊びに行けないかも。
「おりゃ一騎打ちだ、鏡花ちゃん!」
威勢といさぎよい視線が私の瞳を貫く。縁佳のことで頭がいっぱいで、どうでもいいから右か左、どっちかを取ったら最下位は回避できた。変に揶揄いの口実ができなくて助かった。
そんな風に、普通の人の日常の一端を体験していたら、家に帰らせてもらえた。縁佳以外の人に翻弄された一日だったけど、振り返ってみれば月並みな苦労だけで、十時間寝れば回復するぐらいの疲労で、今日という日はそんなもの。特別な日は、年に二回ぐらいしかない。
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