2-5

 向暑の候、今年も白山高校、略してはくたかの体育祭が始まった。それはもう、雨が降って中止になってくれれば、それ以上何も言うことはないんだけど、現実はそう甘くない。誠に残念ながら、私に天候を操る力など宿ってない。


 で、縁佳は最後まで出番たっぷり引っ張りだこなのに対し、私は二人三脚以外に用もないので、だいぶ長い間ぼっちでテントに籠ることになる。しかも私に暇を与えたら、スマホで美味しいご飯の画像を検索してしまう。そして、お腹が空く。


「豆大福~、豆大福はいかがですか~」


 やる気がなさそうな、寝起きみたいな声ではあったが、豆大福には抗えない。振り返ると、こんなに暑いのに、長袖ロングスカートのメイド服を着た人が、立ち売り箱にありったけの豆大福を積んで巡回していた。これが和洋折衷というやつかー。無論、迷わず駆け寄った。


「すっすいません!豆大福50個ください!」

「えぇ、50個?ほんとですか!?」


 あまり表情を変えなさそうな人だったのに、たぶん優曇華ぐらい珍しく咲いた。って、違う冗談じゃないって、本当に食べるって!いやでも、冷静に考えて50個も大福を食べる女子って、冗談にしか聞こえないよね……。現に笑われたし。


「ああああ冗談です、日本語習いたてでっ。5個でいいです、5個5個」

「そっそうですか……。5個ですか……?」

「はい!5個!」

「1500円になります……。ノルマ達成は遠いなぁ……」


 こんな感じで、この白高の体育祭には、個性的な人たちが面白いことをやっている。観覧しているだけなら悪くないかもしれない。それにしても、やっぱり50個にしておけば良かった。あと1個だけど……そうだ、縁佳に差し入れしよう。


 縁佳は別のテントで、応援合戦まで待機していた。練習の時とは違って、スカートなら校則違反にならない長さの学ランに袖を通し、髪はしっかり結い上げていた。普段と雰囲気が全然違う。私ごときの旗を背負うには、あまりにも整いすぎている。


 私が距離を取って、縁佳の立ち姿を静観していると、ハチマキを巻いてあげる人、水を差しだす人、うちわで縁佳を扇ぐ人、ただ冷やかしに来ただけの人、一緒に写真を撮る人、男女問わず色んな人が私の視界を遮る。


 私はあの集団に近付けなかった。二人三脚の練習をしている時は、お互いに肩を借りて、汗と喜びを共有していたのに、くっつくほど近くにいたのに、今はあまりにも触れがたい。100段、いや1000段ぐらい上にいる感じで、私とは生きている世界が違う。


 取り巻きの一人が私を怪訝そうに見てくる。つい、豆大福を両手で圧縮していた。まあどうせ、自分で食べるんだから問題ない。味にムラがあるわけないけど、何だかさっきよりしょっぱく感じた。


 豆大福を食べ終わって顔を上げると、校庭の真ん中で、今度はちゃんとしたお立ち台、いや晴れ舞台に立って、応援団長を務める縁佳が目に飛び込んできた。


 練習の時からは想像できない、ハリのある動きとチームを統率する掛け声に、私は釘付けになっていた。私のような慮外者をも熱気の渦に巻き込む、圧倒的な吸引力が縁佳にはある。現に応援合戦が始まった途端、万籟はひれ伏し、私の視線の先以外から音が消えた。そして誰にも邪魔されることなく、何も間違えることなく、淡々と事が運んでいく。


 あの時もそうだった。時雨に対して何も言い出せない私の隣で、毅然とした態度を貫き、私と持論を守り通した。私は人の心が足りてないから、他人を簡単に好きになることはあっても、かっこいいとか推したいとか、そんな概念をいだいたことが無い。でも今は、自分から距離を置かせていただくような、驕慢極まりない感情が、爆発しそうなことを自覚していた。


 縁佳は私にとってみれば、天の玉座で構えている神のような存在だ。手が届くはずない。自分が幾分勘違いをしていたことに、私はようやく気付いた。……事実を直視するのって、とても嫌なことだ。突拍子のないことで、自分を慰めたくなる。あの人は、縁佳に血相を変えて叱られるほど変な人じゃなかったんだなぁ……。


 最後まで応援団長を務めた縁佳は、反対側のテントに吸い込まれていき、また沢山の人に囲まれて、華やかに談笑していた。そう言えば、私はあんな縁佳と、後で二人三脚に出場しなければならないんだった。とりあえず、賑やかな場所はもうこりごりだ……。


 体育館のギャラリーに繋がる外通路の下は、基本的に静かでひんやりしている。私はそのコンクリートに寄りかかって、ほっぺたも押し付けて涼んでみた。


「なぁーにしてるのぉー?」

「う、うおわっ」

「鏡花、驚きすぎぃー。私だよぉ、常葉お姉ちゃんっ」

「ん……、なんで分かったの……」

「さぁ、ないしょっ」


 眠気が吹き飛んだ感触で、さっきまで寝ていたことを実感した。えっと、この赤いふちの眼鏡をかけたお姉さんは、児玉こだま常葉とこはである。家庭の事情で顔見知りになっただけで、そうでも無ければ2個上の人と関わる機会があるわけない。


「いやぁ、びっくりしたよぉー。鏡花からぁ、そんな声が出るなんてぇー」

「んん……、常葉お姉ちゃんと違って、ちゃんと歌、歌えるし」

「あれはあえてだよぉー。わざと音痴に歌うとぉ、みんなのリアクションが面白いじゃーん」

「そうだったんだ……」

「ところでぇ、どうしてこんな所にぃ?あっ、わかったぁ。あれでしょ、出たくないんだぁ!」


 常葉お姉ちゃんは手を叩いてそう言った。そう言われれば、結果として客観的に観測すればそうなんだけど、縁佳様と共にわらわごときが二人三脚するのは不敬であるし、それにこの私が、ささやかでも赤組の足を引っ張るようなことがあってはならないわけで、かく正当な理由により、私はここに座っている。


 常葉お姉ちゃんは私の隣で足を伸ばした。そして日陰に咲く満面の笑みを見せた。


「いいんだよぉ、サボっちゃえっ」

「んー……」

「どうでもよくない?ここに隠れてればぁ、ぜぇーったいバレないしっ。お弁当なら私が鏡花の教室から取ってくるからぁー。つまみ食いするだろってぇ?まっさかぁ。鏡花のお弁当、量が多すぎて食べきれないよぉー」


「ちゃんとやってくる」

「ええええ!?どぉーしちゃったの??」


 私は私自身を制御できない。こういう時は反骨心が出しゃばってしまって、思わず立ち上がっちゃうのである。常葉お姉ちゃんはズボンをつまんで引き留めようとしてきたけど、甘言に乗せられて逃げることは、悪いことだと思うから、私は今だけ日陰者をやめることにした。


 なんて、勇ましいことを胸に秘めていたけど、縁佳を前にしたら全部吹き飛んだ。そう、この縁佳は紛れもなく、さっきの全身全霊応援団長であり、そして時雨に対して手も足も出ない私が、縋り付かいても文句一つ言わないでくれた人。同じ階に並び立っていい存在じゃない。


「あっ、島袋さん、ちょうど良かった。ん?なんか浮かない顔してるけど、どうした?」

「私、やっぱり辞退するっ」

「えっえっ、ちょっと待ってよ!何があったの!?」


 手詰まりになると逃げるし、ねじ切れそうなぐらい矛盾した性格だし、私はどうしようもない愚かな人間だ。自分をもっと嫌いになりながら、常葉お姉ちゃんも居なくなった階段下に、とんぼ返りしていた。私が出場しないほうが、誰にとっても幸せに違いない。そのはずなんだ……。


「島袋さんっ、探したんだよー」

「ん……」

「モロックマ、どこに居たの?」

「あぁ、校舎の東側をうろついてた。体育館のほうから来たんじゃない?」


 どうやら、縁佳は知り合いを総動員して探していたらしく、その一人に捕縛されて教室まで連行された。優柔不断な私は、別の正義に負けて、あの日陰から飛び出していたのだが、そこをぱくっといかれたのである。


 それで私は、反省の色もなく、人目も憚らず、涙目を隠すように謝ることしかできなかった。後で振り返った時に、いたたまれなくなる事もわかっているはずなのに……。縁佳の顔の輪郭だって、視界に入れられない。


「ごめんなさいっ、ごめんなさい……」

「まあまあ、そんなに謝ることもないよー。んー、緊張してるの?」


 思わず適当に頷いてしまった。すると縁佳は励まそうとしているのか、私の両肩に触れて迫ってくる。今度は体が動かない代わりに、葛藤と正義が吹き飛んだ。


「だーいじょうぶだよ、なんとでもなるって。他の人よりは練習したんだし」

「それは……、平島さんが二人いたら、何とかなるかもだけどっ。私じゃ足引っ張るだけだからっ」

「どうして急に、そういうことを考えるようになったの?」

「だって、平島さん、やればできる人だから……」

「なーんも関係ないじゃんっ。島袋さんとの練習は、私、気合い入れて頑張ったし」


 私の言葉なんて縁佳は一笑に付して、ただいっぱい励ましてくれた。


「私、物覚えがいいんで、島袋さんの足のリズム完璧に記憶してるから!むしろ、練習通りにやってくれないと困っちゃうなー」

「ん……」

「元気出して、島袋さん。私はなんか朝から気持ちが昂っちゃって、収まらないぐらいなんだから!」

「んー……」

「私、島袋さんと優勝したい!」

「うん……、わかったよ……」

「本当!?ふあー良かった。やる気になってくれたっ」


「あぁえーっと……。やるよ、もちろん走るけどっ。どうして、こんな私を引き留めようとしてくれたの……?」

「うーん、まあ、島袋さんのため?が大きいかな」

「こっこの間も私のために色々やってくれたし、なんでそんなに優しくするのかなぁーって……。うわぁっ、違うよっ、侮辱してるわけじゃなくてっ」


 まあこんな事、縁佳にとってはちっぽけな話だって、ちゃんと見せつけられたけど、聞いてしまっていた。縁佳は自然な笑顔を作って、整然と回答してくれた。


「私は友達みんなに優しくするよ。その手の質問をすることになるとしたら、どうして冷たくするの?になるんじゃない?逆に、なんの理由もなく冷たく接したりしないから」


「よっすーっ、やばいぃー、一大事ぃーっ」

「どうした露崎、今行くからー。ごめん、行ってくるね。すぐ戻ってくるよ。一緒にご飯食べよ?」


 私はうっかり舌を噛むぐらい頷いてしまった。


「ところでがすよ、いつまでハチマキを着けるつもりだい?朝からずっと着けてるけど」

「え?ちょっとモロックマ!気付いてるなら早く言ってよ!」


 縁佳は珍しく慌てて、ハチマキを脱ぎ捨てた。そしてそのまま、教室からは誰もいなくなった。って、私のしおれた顔、縁佳以外に見られてたってことだよね!?それは恥ずかしい……とっとりあえず、お弁当を用意しようっ。そう思って振り返ると、床に2本のハチマキが落ちていることに気が付いた……。どっちだろう?

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