2-6

「きゃーっ、かっこいいーっ」


 刑部はわざとらしく甲高い声で、まあでも本当に褒めてくれた。


「先輩、うちわで扇がせていただきますね。風、入りまーす」


 篠瀬は七輪に空気を送るように、片手を添えながら優しい風を送ってくれる。ちなみに篠瀬は2年生である。


「おやっさん、水をお持しいやっさぁ」


 露崎は舌足らずにスポーツドリンクを差し出す。まあちょうど喉が渇いていたので、ありがたく受け取ることにした。


「そんなにじろじろ見られると、飲みにくいんだけど……」

「えぇー。飲んでる時の、喉が脈打つ感じが見たいんじゃん」

「それが狙いかよ……」

「それじゃあ、うちには鎖骨を見せてよ」


 篠瀬はそう言って、襟ぐりをまさぐり始めた。この人は冗談で止めてくれないので、野放しにしてはいけない。篠瀬の手からうちわを抜き取り、角?でやつの頭を小突いた。こんな感じで、いつでもどこでもどんな時代でも、篠瀬と露崎は変態である。そういうキャラクターなのである。


 まあそれはさておき、校庭中の視線を集めている気がする。あちらこちらから写真を撮られてるし。そんな騒ぐほど似合ってるのかなあ。


「おー、何だか懐かしい感じがしますね。普段より凛々しくなって、似合ってますよ」

「大村先生!ありがとうございます。この学校、昔はこういう事もやってたらしいですね。先生の頃もありました?」

「そうですねぇ、今思えば私も、こういうことを経験してたらって、大人になってから空騒ぎのありがたみが身に染みるものです」


 まあ、これだけの憧憬と羨望を集められる機会なんて、社会に出てからはそう無いだろうからなぁ。しみじみしていると、今度は露崎が私の腕に抱き着いてきた。


「しのせんぱーい、私たちを撮ってよー」

「えぇーっ、ずるいーっ、うちも入れてー!」


 篠瀬はすかさず反対の腕に抱き着いた。


「うーん、じゃあ大村先生に撮ってもらえば?ほら、洞窟ちゃんも」

「えっ!?いやいやいやいや、私なんかと、よっすーは釣り合わないよっ、あのよっすーだよ?きゃーっ、かっこよすぎますぅーっ」

「そう言いながら、擦り寄ってきてるじゃねーか」

「こう近くで見ると、かっこいいというより、いつも通りのかわいさだねっ」

「そりゃ、顔自体は変わってないからね……」


 ただでさえ高温多湿なのに、どうして密着して写真を撮ってるのだろうか。まあいいや、これは後で共有するとして、そろそろ出番である。気合い入れていきますか!その雰囲気を皆にお裾分けするために、アンニュイに水平線のその先を見つめているような表情に切り替えてみた。そうするだけで、校庭から音が消えていく……。


「よーしうちも準備万端っ。後で盛りまくって送るよ」

「雰囲気壊さないでよ!」



「おつかれさまー。すごいな、がすよってあんな声出るんだ」


 テントに戻って、熱を帯びた学ランを脱ぎ捨てていると、明世に笑われた。


「おかげさまで喉枯れた……。午後もあるってマジ?」

「やれやれって顔してるけど、自分で買って出たんでしょ。まーそうだなぁ、私が馬だったら背中差し出してる!」

「意味わからん」

「おー?とりあえずチョキタッチしよーー」


 明世はそう言って、チョキを掲げながら過ぎ去ろうとしたので、握り拳をかすめてあげた。振り返って見ると、明世は人差し指と中指に息を吹きかけたり、ちゃんと動くか何度も確かめたりしていた。


「よっっすぅーー!」

「うおわっ、あぐりぃっ!?どうしたどうした?」


 安栗はそれなりに身長があるのに、平気で背中に体重をかけてくる。同窓会で同じことされたら、骨折するかもしれない。


「いいね!よっすー最高だよ!人生で最高に輝いた瞬間じゃない!」

「そっそう。うん、ありがとう」

「うひゃーっ、口角上がっちゃってるじゃーん」

「褒められると誰でも嬉しくなるでしょ」

「あっそうだ、そうだよ、嬉しくなってるところ悪いけど伝言だよっ。放送の鑓水が実況変わってほしいってさ。私じゃ気の利いたこと言えないよぉーって、泣き言を抜かしてた」

「鑓水、そういうの向いてなさそうだもんね……。わかった、任せて」

「よっすーなら任されてくると思ったー。そいじゃっ、選抜リレーは期待してるよっ」


 体育祭が終わる頃には、声どころか精神も枯れ果ててそうだなぁ。と、幾度とあらゆる行事で思っているけど、結局いつも次の日になったら全部忘れて、友達とどんちゃん騒ぎしているような気がする。若いって、最高。


 そしてどの行事でも例外なく、私はあらゆる方面から呼び出しが絶えない。ここまでやっているのだから、行事を取り仕切っているのはこの私、という風に威張って、自負してもいいと思う。。


 午後もやること山盛りなので、早めにお弁当を食べよう。教室へ戻ろうとしたら、校舎前の石畳で鏡花の後ろ姿が目に入った。さては、お腹が空いて早弁しようとしてるな?せっかくだし、一緒に食べるかー。


 鏡花も手放しで喜んでくれると思ったのだが、それとはまるで正反対な態度で断られ……逃げられた。今日は朝から鏡花と話してなかったけど、それが原因か?いや、一回も話さない日なんてざらにある。もしかして、鏡花って本番に弱い?とりあえず、逃げられたら追いかける。それは私の仕事だ。


 しばらくすると明世が鏡花を確保してきた。急いで教室に戻ると、ちょうど明世が両肩に手をのせて、鏡花を連行してきていた。


 一歩前に踏み出すだけで、この間の相対した時の倍は怯えてくれる。ただ緊張しているだけじゃないことは理解した。じゃあ一体、何が鏡花の心を蝕んでいるのだろうか。鏡花の陥りそうな思考……自分は縁佳の隣に並び立つ権利がないとか?何がきっかけかは重要じゃないからどうでもいい。そして、どうやら図星を指していたらしい。


 本当に、鏡花ってわかりやすい。あーでもでも、上品に余裕ぶった笑顔を欠かすわけにはいかない。鏡花の輝くつぶらな瞳を直視していると、油断してしまう。


「よっすーっ、やばいぃー、一大事ぃーっ」


 露崎が呼んでいる。鏡花には申し訳ないけど、明世に指摘されて、投げやり気味にハチマキを取りながら、そっちに向かった。でも露崎って、物事を針小棒大に告げる癖があるから、どうせ大したことない。そしてそのヒューリスティックは当たった。


「やばいやばい、あのなもち先輩にバトンを渡すことになっちゃった。やばいやばいどうしよう……」

「大丈夫だよ。だってなもちと足の速さ大差ないじゃん」

「先輩を付けろ、先輩を!」

「耳元で騒ぐな……」


 どうして私が露崎のご機嫌取りをしなきゃいけないのか、と恨み言を連ねるつもりは毛頭ないし、そもそも別に悪い気はしないけど、鏡花と比べたら優先順位が下なので、さっさと自分の教室に戻ることにした……。


「どしたー?」

「あっ、あーっ、露崎!頑張れ!なもちなんて抜かしちゃえ!」

「だから先輩を付けろ、先輩を!あと、同じチームだから!」


 心臓が止まるかと思った。なんてったって、私が今さっきまで巻いてたハチマキに、鏡花は己の鼻に近付けて、そこまでしたら目的は一つで……私は、とっさに露崎を大声で呼び止めていた。


「こっちが平島さんの。床に落ちたから拾っておいた」

「そういうこと……、あっありがとね。まあ、私はそういうの、あんまり気にしないけど」


 鏡花は、一家族がお花見に持っていくような重箱を机の上に広げ、一転して幸せそうな表情をしている。それはきっと、美味しいご飯が山盛りだから、だよね……。鏡花にそんな、上級の情緒を解する心意気があるなんて……。


 いやいや、鏡花は悲劇のヒロインだったじゃん。自分に正直だからこそ、愛のままに動いてしまう。それが破滅に繋がっていても、鏡花は意に介さない。……そうか、だからまだ、鏡花は時雨に夢を見ているはずだ。


 ていうか、私が3、4時間巻きっぱなしだったハチマキのにおいを嗅がれたぐらいで、何大げさなことを考えてるんだろう。露崎や篠瀬にやられたって何も思わないのに、何となく鏡花の行動には、重大な意図が正直に籠められているような気がしてしまう。


 とは言え、鏡花もそう単純な人間ではなくて、いざ肩を組むとなったら、最初の日みたいなぎこちなさが伴っていた。


「えっと……肩失礼します……」

「やっぱり、本当は緊張してるの?大丈夫、私が島袋さんの動きに合わせるから」

「ん……、そうじゃなくて、平島さんが好きなように動いて……」

「私がリードしたほうがいい?」

「うん……応援団長な平島さんを見て、そんな気がしてきた……。か、かっこよかったよっ、なんか憧れちゃうっ」


 鏡花は正直に言い切ると、いつも通り私の反応を探るようにゆっくり目を開けた。そして私は、いつも通りにそれに応える。


「そっか、言われて一番嬉しい言葉かも。頑張ろう、やるなら一着目指そう!」

「おっ、おー」


 さっきまで薄い雲に遮られていた太陽が、全力を取り戻した。鏡花を疑うなんて、私もどうかしていた。憧れって、なんと甘美な響きなのだろうか。

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