第2段:蛺蝶趁花

2-1

 私の机の上には今、鏡花のテスト結果だけが置かれている。しかし鏡花は、それを突き付けたっきり、無言のまま私の横に立っている。他人の成績を許可なく仄見てしまうような輩にはなり下がりたくないので、鏡花の顔を見上げた。それから、回遊するその瞳を追いかけた。


 うーん、何かを訴えたいのだろうか。意外と素朴に褒めたら、思いがけない側面を覗かせてくれたりするのかな。いやでも、心をこじ開けられるのは、鏡花もこりごりだろうし、でもでも称えてほしくないのに成績表を突き付けてくるか?周りが続々と教室を後にして、段々活気がなくなっていく中、私たちは延々と膠着していた。


「えーっと……、あっ昨日の夜、地震あったらしいけど気が付いた?」

「ん……?」

「あー気付いてないかー。私は飛び起きちゃったよー」

「ん……」


 めちゃくちゃどうでも良さそうにされた。再び鏡花の瞳は回遊を始めた。


「しかもその後、全然寝付けなくてさー。ついツイッターに張り付いちゃうんだよね。すっごい時間を無駄にした感じがするんだけど、辞められない……助けて」

「うん……」

「しかも深夜に限って飯テロが流れてくるからなー。理性が吹き飛びそう……」

「その話、詳しく」


 鏡花は机に両手を突いて、ちょっとだけ前のめりに迫ってきた。食べ物の話には食いついてくるんかい。どこまでも分かりやすい子だなぁ。まあ、面接を念頭に置いて美化するために、素直って言葉を贈っておこう。


 時雨と対峙した時も、鏡花は無言のまま、私の腕を必死に手繰り寄せていた。それでも私は構わないんだけど、鏡花がいつか困るかもしれないから、きちんと言っておこうと思った。軽い気持ちで、フィラーのつもりでも謝らなければ、無用な取り引きもないだろうし。


「島袋さん?頼みなら何でも承るけど、ちゃんと言葉にしてくれなきゃ伝わらないかも、鈍感だからさ」


 鏡花はすぐに表情を強張らせながら、声を震わせてお願いしてきた。


「あの……点数、私が勝ってたらご褒美ください……なんてねっ、意味わかんないよね、こんな私の戯言とか聞かなくていいから、ていうか忘れてっ!」

「うーん、残念だけど、それは叶わぬ夢かなぁー。合計点なら私のほうが20点上だから」

「いいって、いいから、善意の押し付けは禍々しいーいっ」


 慌てふためき溢れる照れ隠しが終わらない鏡花を横目に、私は自分のテスト結果をカバンから取り出して見比べた。しかしまあ、これだと私に勉強のことで泣きついてくることは無さそうか。


「とにかくっ、私の点数も順位も本名も、この紙の隅々まで見ていいからっ」

「あんまり嬉しくない……」

「ほら見て!探せば0~9まで全部あるよ!11進数ならどうかな、気になるよね!?」


 暴走状態の鏡花は、自分のテスト結果の紙を至近距離で見せつけ、私の視界を塞いだ。しかし今さらフォローされても、何事も一人で迷いに惑わされてそうな鏡花が、行動を起こしてまでご褒美を欲しがった理由は何なのか、気にせずにはいられない。


 まあどうせつまらないことに、おおかた時雨のせいだろう。少しでも努力した自分を慰めたかった……いや、単純に意固地だから、一度結んだ約束は、どんなゆがんだ形であれ、片付けたくなってしまったんじゃないかな。


 私には鏡花の性格が手に取るようにわかる。そりゃそうか、軽挙妄動に走って人を傷付ける、愚昧な時雨にさえ付け入られたのだから。おっと、年上は敬わないといけないんでしたね。


 そんなことより、とりあえず辛い気持ちを早く忘れられるように、鏡花を労ってあげよう。食べることが好きなのは、もうくどいぐらい理解したので、美味しいものでも奢ってあげようかな。


「何か今、食べたいものある?」

「えぇ……、ご褒美とかほんとにいらないって」

「いやー、単純に食べたいものだよ」

「だから……無いって……具体的には……」


 ということで、何だかんだ言って鏡花に手を引かれ、スイーツ食べ放題の店にやってきた。甘くて腹を満たせれば、メドヴニークでもパヴロヴァでもロズビラバンでも、何でも構わないという意味らしい。私がコーヒーを一口飲む間に、鏡花の皿からケーキが3つ消えている。


「うーん、季節限定が変わってなかった……」

「この店、前にも来たことあるの?」

「うんっ」

「それって、もしかして例の人と?」

「うん」

「えぇ、なんか嫌じゃないの……?」

「別腹だよ、別腹別腹……豚バラ?しょっぱいものも食べたくなってきた、パスタたのもー」


 食欲を前にすると、鏡花でさえ明世みたいになってしまうのか……。だけど、そんな人間の単純な性質のおかげで、鏡花は完全に息を吹き返した。


 それはそうと、どうやら点数が時雨より上だったらご褒美、という契約だったそうで、結局自分で代金を支払っていった。もちろん鏡花のことだから、もし奢ってあげると言っても、約束は約束だって意固地になっただろうし、果たして私は必要だったのだろうか……。


 まあいっか。私の隣に、確かに幸せを感じている人がいるのだから。鏡花の恍惚とした横顔を時折見ながら、勝利にも似た満足感で足湯を楽しみつつ帰宅した。

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