1-6

 私にできることは、強引にでも遂行する。鏡花には必ず、時雨と己の本性と向き合ってもらわなくてはならない。それがまずまず正しいことだと信じて。


「島袋さん、今日の放課後……」

「ふひっ!?……えーっと、うん、何だっけ」

「何だっけって……。放課後に、多々良時雨を生徒会室に呼び出すから。二人でじっくり話し合ってみて」


 鏡花は肩を叩かれると、飛び上がるように驚いた。背筋を伸ばして、前の人のうなじを数えていたから、てっきり話しかけてほしいのかと思った。


 それはともかく、時雨の名前を出しただけで、鏡花は目を泳がせて狼狽え始めた。


「あぁ、もー、大丈夫だってー」

「ん……、いいよ、会ってどうするの……」

「本当にいいの?」

「うん」

「ダメだよっ、もやもやしてるんでしょ。納得できないんでしょ。その気持ち、ちゃんとケリを付けないと」


 どうやら鏡花には、不利な時ほど、分かりやすく首を縦に振る癖があるらしい。私は鏡花の薄弱な意志を支えるために、何度でも背中を押してあげた。ここで逃がしたら、鏡花は変われない。これは鏡花にとって、最後のチャンスなんだから。


 一旦は私の正義が勝り、鏡花は私に引っ張られて、生徒会室まで来てくれた。約束通り生徒会室には、黒髪ロングの清楚で、とても鏡花をたぶらかしたようには見えない時雨が待っていた。まあ、その気怠そうな目つきで、一気に不信感が増したけど。


 他方、鏡花は唇を震わせて、目を伏せたまま、時雨の顔も見ようとしない。時雨とは十分に距離を置き、私の腕を手繰り寄せて、及び腰のまま数分が経過した。


 私の存在により、時雨は話しにくそうにしている。二人きりにしたほうが良いのかもしれないが、鏡花があっさり倒れてしまいそうなので、ここから動く気にもならない。そもそも、元から難儀な性格なのに、その上心に深い傷を負ったこの鏡花が、まともに時雨と会話できるとも考えられない。


「島袋さん、落ち着いて。一回ソファーに座ろうかー」


 私が沈黙を破っても、鏡花は頷きながら、私の腕をもっと強く手繰り寄せるばかりで、その場から動こうとしない。向こうもとことん話しにくそうに、自分の髪を指でくるくるしながら、早くこの場を終わらせようと、謝罪の言葉を口にしてきた。


「んとー、ごめんね?鏡花、こんなことになっちゃって。えーっと、私が悪かった。これはポジショントークとかじゃなくて事実だからっ。謗って罵ってくれて構わないよ」

「わかった……」


 鏡花は時雨の言葉に対して、適当に頷いた。こんな暗い空気は早く終わって、全部元通りになってほしいと、本気で願っているのだろう。


 一方、前を向くと、時雨が必死に苦笑いを食い止めてる……ように見えた。私には、時雨が真顔を維持しようと、一人で奮戦しているように思えたのである。どうせ反撃されない、根底にはそういう甘えがあるのだろう。


 鏡花の想いを踏みにじっているのに、そんな平気な面をされたら、私も腹が立ってきた。このままでは終わらせてやらない。どういう結末になるにせよ、こいつに絆された鏡花を、タブラ・ラーサに戻してあげないと。


「あの、見てくださいよこの顔。島袋さんはあなたのこと、本当に好きだったんですよ。なのに、それなのに、責任どころか大した言い訳もせず、一方的に突き放した。違いますか?」

「それは……、言い訳も何も、一身上の理由で付き合って、別れたんだし。全部私のせいなんだ。もちろん鏡花は悪くないよ。鏡花、これからは誰をも阿ることなく、自由に過ごしていいんだからね」

「そうやって、論点をずらすんですね」

「じゃあ何、こんなぎくしゃくしてでも、よりを戻せって言うの?それとも逆ギレを狙って、鏡花の想いを捻じ曲げようとしてる?」

「あなたはその、一身上な理由とやらを、島袋さんに告げたんですか?」

「えぇ……、どうしてそれを言わなきゃいけないの……?」

「そうやって、ずっと本当のことを隠しながら、軽薄な愛を囁いていたんでしょ。この期に及んで、まだ隠し通そうとするなんて……。大切な人に隠し事なんて、最低な所業です!」


 夢中で反駁していると、鏡花が私を流し目で見ながら、もっと強く腕を引っ張ってきた。本人も薄々は理解していると思うが、それでも未練の残る相手に向かって、少々言い過ぎたかもしれない。


 でも、鏡花もその場から逃げようとしない。必死に涙をこらえながら、自分の気持ちを整理するために、真実をしたたかに待ちわびている。どうしたら鏡花の知りたいことを聞き出せるか、次なる一手を考えていたら、心象とかかなぐり捨てた時雨が、大きなため息を吐きつつ、自分が鏡花を好きになった理由を、まくし立てるように話し始めた。


 要は、時雨が以前付き合っていた子と、鏡花が偶然にしてはあまりにそっくりだったので、もう一度やり直そうと血眼になっていたらしい。だけど、鏡花は元カノとは別人という至極当たり前の事実を前に、気が変わってしまった。それでも一抹の期待が残っていたせいで、私が通りがかった、あの最悪の別れに繋がった。


 言ってしまえばこいつは、本当に救いようがない。ぼかしているが、一番大切な人を自殺に追い込み、悪びれず全く同じ手法で、ガラス細工のように緻密で、儚く砕けやすい鏡花を囲い込んだ。無難に地獄で苦しめばいいと思う。


「さようなら鏡花、付き合ってくれてありがとう。そして、ごめんなさい」

「まっ待って、私は、代わりでもいいから……!」


 時雨は鏡花の横で立ち止まり、相手の未練をくすぐるような事を言い残し、生徒会室を後にした。最後まで時雨と顔を合わせようとしなかった鏡花だったけど、遠ざかる時雨の後ろ姿に向かって、引き留めようと声を捻り出していた。


 鏡花の想いが届くはずもなく、空回りする吐息だけが、生徒会室に揺曳している。そんな繊細なひと時がいつまでも続くはずがなく、次の瞬間には、鏡花はしゃがみ込んで、号泣していた。


 溜め込み続けた言葉にならない感情と、天の底が抜けたような量の涙が、指の隙間から溢れていく。無論、私は鏡花に寄り添った。目線を合わせて、鏡花の背中を何度もさすった。一人にするよりは、そっちのほうが安心できるはずだから。


「どうした、どうした!?」

「どうもしてない」

「えぇ……、そこで泣いてるのは、島袋さんだよね。何があったの……?」

「いいから、出ていきなーさいっ」

「プロトアクチニウムッ」


 ここで明世に乱入されると、鏡花もますます訳が分からなくなることだろう。しょうがないので手持ちの輪ゴムを、明世の額を目掛けて飛ばしてみた。それなりに痛かったのか、狙い通り退散していった。


 鏡花のお願いはこれで達成されたのか、鏡花は明日から新しい一歩を踏み出せるのか。もう少し傍に居座って、確かめたほうがいいかもしれない。……さすがに、頭を撫でるのはやりすぎかなぁ。

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