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 御恩を必ず返す、か。でもこんな奥手なのに、そんな事を息巻いて大丈夫だろうか。いや以前、突如として、時雨のためにクッキーを作ろうと、私まで巻きこんできたことがあったっけ。鏡花はどこへ猛進するか分かったものじゃない。だからこそ、ちょっと興味がある。


 しかし、余計なことを考えさせてしまっただろうか。鏡花はテスト中だというのに、頬杖を突いて物思いに耽っている。一問解く度に顔を上げているこの私が、見ていない間だけペンを動かしているのだとしたら、息が合い過ぎている。


 自分のせいかもしれないので、テストが終わるまでは話しかけないことにした。逆に、テストが終わったら、真っ先に帰り支度をしている鏡花の元に駆け寄った。


「島袋さーん、どうだった?私は、思ってたより難しくて焦ったよ。問題集の応用レベルの問題ばっかりで」

「んー……、そうなんだ……」


 鏡花は微かに頷くばかりであった。こういう気性なのはわかっているけど、もしものことを鑑みて、肩の力を抜くよう提言してみた。やっぱり、テストが終わるのを待たずに、早く話しかけて、楽にしてあげたほうが良かったかもしれない。


「島袋さん……、もしかして、この前の話を気にしてる……?」

「何のこと……?」

「御恩を返すってやつ。いやー、何かをあげたり、くれたり、よこしたりしなくて良いんだからね?気持ちだけで十分だよ」

「ん……そっか、私が何したって、嬉しくないよね……」


 そんな自虐的な回答が来るとは、私は尋常じゃない拗れ方をしているのだと悟った。時雨のためにクッキーを作った時、鏡花は分量の寸分のズレも許さず、こだわりにひたむきだった。鏡花はどこまでも意固地である。しかし今、鏡花の中にある深邃な世界は、崩落しつつある。


 私は出来心で鏡花の手を覆っていた。


「そんなことないよー。例えばぁーほら、街角で配ってるポケットティッシュを、ただ横流ししてくれるだけでもいいから。そんなに気負いすぎないで」


 まあ、こんな事を囁いても、やっぱり意固地な鏡花は、青菜に味の素みたくしおれたまま、私の手を振りほどいて家に帰っていった。


 鏡花の屈託とやらは、先日の目が据わったまま、壁に向かい合って倒れそうになっていたのとか、その日を境に噂が快哉を叫ぶものに変貌したりとか、そういう証拠から十中八九、時雨との関係が原因なんだろう。そして恐らく、それ故に自分を信じられなくなっている。さてどうしたものか。


 私も万能な人間ではない。鏡花を励まそうとしたって、上手くいかないかもしれない。結構悩んだけど、鏡花にまともに話しかけようとする人間は、多分私しかいない。鏡花も、相談できる相手がいたとしたら、それこそが時雨だっただろう。私は意を決した……まあ、鏡花がここ1か月でしてきた選択よりは、大したこと無いけど。


 私は鏡花の前の席を借りて、そこでお弁当を食べることにした。それにしても、鏡花のお弁当は野球部の間食ぐらいの量がある。私が前に座ると、鏡花の食指は急激に遅くなった。


「あぁ……、きっ気にせず食べて」

「ん、親が忙しいから……1週間分まとめてこの量」


 いくらお弁当でもそれは腐るだろうし、そもそもまだ月曜日なのに、三分の二が消し飛んでいる。うーん、たらふく食べる君がかわいいって、時雨にでも言われたから気にしてるのだろうか。それは少々穿った見方だったかもしれない。


 適当な雑談のテーマとして、何なら喜ぶかなーと、少ない鏡花に関する情報から分析していたら、向こうに先手を打たれた。


 今日、学校の前で配っていたポケットティッシュを突き出してきた。やっぱり戸惑いはするが、私は何となく前の人につられて、涼しい顔で受け流したので、ありがたく頂くことにした。


 名前通りポケットにしまうと、息もつかせぬ勢いで、鏡花は次の話題を振ってきた。なぞなぞをしようと言うのだが、当てるほうをやりたかったようで、出題されるのを首を長くして待っている。


 しかし私では、子供の頃に鬱陶しいほど出題された、ありきたりな問題しか浮かばない。語り継がれているわけだから、それだけよくできた問題なのである。仕方ないので、トイレに行くふりをして、明世に助けを求めてから戻ってきた。


「アガルタのカラスはなんと鳴く?」

「カルタカルタ」

「どうして即答……」

「んっ、間違ってた……?」

「問題が間違ってるよ」


 そんなこんなで、途中何度も気まずくなりつつも、私たちはめげずに昼休みを完遂した。少しぐらいは距離が縮まっただろうし、何より鏡花も、どういう感情がそうさせているのかは定かではないけど、また誰かに心を開きたいと思っていることが分かった。そうじゃなかったら、終始沈黙を貫いていただろうし。

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