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 何か劇的な事象が起きたわけではないけれど、錯乱していた昨日から一晩経っただけで、自分が振られたんだってことを自覚し始めた。思考が段々まとまっていく。そうすると、ただ存在するだけで苦しくなる。


 昨日は、もう一度真意を確かめに行こうとか、それがダメなら最初からやり直そうとか、勇ましいことも考えていた。でも実態は、彼女を遠巻きに観測しただけで、私の脚も頭も使い物にならなくなる。一人は嫌だ、誰かが隣にいてほしい、そうなんだけど……。


「朝だし、なぞなぞしようぜーっ」

「いいけど、私が答えられなかったら、キウイは栄養豊富だから皮ごと食べるべきって、出会った人全てに宣伝して回る、変な人になってもらうから」

「えぇっ、この窮奇!饕餮!牛魔王!」


 でっかいリボンを身に着けた例の女が、今日も彼女の隣にいた。それで、私の大切な人に笑顔をもたらしている。そんな彼女にとってありふれた日常を、私は吹き抜けの上から、見習いスパイのように、鋭い眼差しで監視していた。


 あの女は、様子がおかしくなる前に、彼女と取っ組み合いをしていた人……。ここで湧き上がってくる感情が嫉妬なのかな。本当にどうしようもない。


 って、やばい、階段上ってくるっ。私は急いで自分の教室に駆け込んでいた。まあ、2年生の教室は1階下だから、ここに居てもエンカウントすることは無いんだけど、とんでもなく焦ってしまった。


 周囲の視線を受け止めながら、他学年の教室に赴き、昨日のことに目を瞑って、普通にこれまでのように話しかけるなんて、そんなことできるわけも無く、本当に眺めることしかできなかった。


 でも、こんなに思い詰めるぐらいには、未練が残っている。どうして、あんな奴に心を開いて、あまつさえ愛を呟いてしまったのだろうか。そのせいで、私は孤独を知ってしまった。……今は、そういう事にしておかないと気が済まない。


 元に戻ってほしい。あんな毎日が返ってくるのなら、私は何だってする。それだけを金科玉条にして、他の全てをかなぐり捨ててでも、私は……!


「あれ、島袋さん一人?じゃあ、先生とやりましょうか」


 そう、物心がついたころからずっと、誰かとまともに言葉を交わしたことが無い。せいぜい、家庭の事情で顔見知りな、2個上のお姉ちゃんぐらいである。一人なのはいつも通り、何なら付き合っていた頃だって、教室では一人だった。それでも、先生の気遣いが、周囲の視線が、今の私にとっては毒だった。


「一人ぼっちなんて、もう嫌だーっ」


 私は喉が枯れているのも忘れて、そんな感じのことを叫びながら、体育館の外へ、上履きのまま飛び出した。あーもう、学校の授業とかどうでもいい。社会に出たら役に立たないんだしっ。


 風に吹かれ、校庭の砂が高く舞い上がる。今の私はもう、雲の移ろう速さでも、孤雲と自分を重ねても満たされない。でも退屈も孤独も、慰めないと気が済まない。君子危うきに近寄らずを体現するかの如く、誰も探しにも来ない。私は思うままに、思い出に浸っていた。


 部活棟の裏を歩くと、あの濃密な香りが蘇ってくる。茶華道部の人が茶道室で紅茶を振舞ってくれた思い出。ちょうど、この場所の2階が茶道室だったっけ。あの時は淹れてくれた人が性に合わないというか、少し苦手意識があって、もう来たくないとか言っちゃったけど、喉元過ぎれば熱さを忘れるというように、やたら美化されて覚えている。


 そもそも、あの人と一緒なら、何も恐れることはない。もう一回、二人でここへ足を運び、美味しい紅茶を飲みたい……お茶菓子も欲しい……。


 その後も、学校の敷地を一周するように歩いた。途中で、出会いの場所である美術室を見上げたり、役目を終えた物たちの臨界点、人間にとっては、人知れず新しい春が始まる場所、かもしれないごみ捨て場で足を止めた。


 薄暗くてじめじめした、人気のない場所だけど、学校の中で二人きりになるには、ここしかなかったのである。私はここで、仲直りのクッキーを渡した。直前に感情が高ぶって落としてしまったので、粉微塵になってしまったけど、味は一緒だから問題ない。


 それより、ここで本音をぶつけ合い、色鮮やかな小鳥のキーホルダーを揺らして、背負っているベースで覆い隠しながらキスしたのが、初めて私たちの想いが重なった瞬間だと思う。そう言えば結局、あの人の演奏を生真面目に聞いてない。頼み込めば、私のためだけにやってくれそうだけど、それは弁えが無さすぎか……。


 改めてこの場所を見回してみると、何ともひどい環境だと思った。日光は校舎に遮られるし、蠅がたかっているわけではないけど、ごみは山積みだし、意外と校庭のほうから丸見えだし。


 でも、自然と涙が溢れてくる。こんな所で咲くことになっても、私は幸せだった。相手が多々良時雨でさえあれば、時雨なら何でも良かった。


 どうせこういうのは戻ってこない。泣くだけ足掻くだけ跪くだけ無駄なのは、いつの間にか常識になっていた。……諦めきれない。どうして急に、全部忘れてまっさらに戻れって、骨の髄まで揺さぶるぐらい声を荒げたの?


 何度も反省した。時雨を知らず知らずのうちに傷付けていないか、思い出を隅々まで精査した。傷付けてなくても、向こうが心変わりするような出来事……それなら知っている。数日前、時雨が友達に何かを吹き込まれているのを目撃した。あの時雨が、言いくるめられていた。じゃあその人を責める?そんな事をする勇気があるわけもなく……。


 結局、私は思い出の地に足を踏み入れても、途方もない一つの感情を爆発させ、しゃがみこんですすり泣くことしかできない。おまけに授業も投げ出したし、こんな体たらくな人間が、報われるわけないか……。


 涙が枯れるまで、思ったより時間がかかった。カラスもおうちに帰る頃か。私も早く戻ろう。明日はテストだし……おとといまで、死に物狂いで勉強を頑張っていたけど、いったい何のためだったのだろうか……。

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