Step by Step

バックミンスターフラーレン

第1段:わびぬれば

1-1

 足の甲がひりひりする。目の前には黒くてひび割れた壁が立ちはだかり、遠くなっていく足音と私の呼吸を吸い込んでいく。


 私の腕から大切なものが成す術なく零れ落ちていった。あれだけ堅固に抱き着き、止まらない情を流し込んでも、彼女は憑りつかれたように反対側の壁を見つめ、幸せを台無しにする機会をうかがい続けていた。1か月の間、囁いてひしめき合ったこの想いが嘘であったかのように。


 信じられない、こんなのおかしい。そう言い返す間もなく、全身から力が抜けていく。今さっきまで彼女を抱きしめていた腕が、振り子のように零落した。骨抜きにされるとは、こういうことを指すんだろう。


 その場に立ち尽くしていると、残酷さが畳みかけてくる。角を曲がった先から、控えめな嗚咽が、別の人の声と共に、私の耳に漂着した。いつも閑静なこの旧校舎では、それくらいでもだいぶ目立つ。


 何となく、もう戻れないんだって、本能が勘付いてしまった。その時、私は見事に膝から崩れ落ちた。そんな惨めな姿も、私の影ぐらいしか目にしていない。人知れず、あまりにも物のように、無抵抗に落ちていく。


 しかし私は、あの人のように、膝を地面に強打しなくて済んだ。目線を斜め上に向けると、薄暗がりの中、何度かお目文字いたした事ぐらいはあるクラスメイトの顔が浮かび上がる。いや、一緒にクッキングしたこともあったっけ……。とにかく、私の体を支えてくれていた。


「いってて……。勢い余りに余ったあまり、壁に頭をぶつけちゃった。大丈夫?島袋さん。……おーい?」


 どこにでも生息している普通の少女、平島縁佳ひらしまよすがは片手で自分の頭をさすりながら、恐れも穢れも事情も知らぬ顔で、ごく当たり前に心配してきた。


 だけど、私にはその思いやりも痛かった。ここでなびいて身を預けたら、大切な人と私の想いに背くことになってしまう。縁佳の比較的頼りがいのある腕に、体重を掛けている場合じゃない。


 散々足を引っ張った次は、縁佳のことを断固として突き放し、近くの扉から校舎の外に出た。そして、彼女が今さっきそうしたように、振り返らず、訳も分からず、ただひたすら脚を前へ動かし続けた。


 いつまでも走っていられるわけもなく、息苦しさが人生における閉塞感を紛らわしてくれるわけもなく、途中から歩きに変わった。そう、いっぱい考え事をしながら、帰巣本能のままに無意識に歩き続けた。


 ちゃんと好きって言った。一度は仲直りもした。そもそも、私がこんな気持ちになったのは向こうのせいだ。不愛想で碌な受け答えのできない私に対して、執拗に話しかけて、遊びに誘って、それで、食べ物なんかで釣ってきたり、あとは公衆の面前でキスしてきたり、何があっても愛を貫くとか嘘を付きやがって、あっこれは試されてるんだ、前はクッキーで仲直りしたけど、次は何を作って献上しようかな、おっと、電線に止まったカラスが、夕焼けに照らされてる、上を見上げるのも久しぶりだな、カラスでさえパートナーがいるなんて……、私にして欲しいこととか、明日聞いてみようっ、私は必要なんだ、貰った愛は返さなきゃ、全部嘘だったなんて信じない、全部捨てたがってるなんて有り得ない。


 終わりなき観念奔逸により、私は正気を失っていた。家に着いてからというもの、靴を片足脱ぎ忘れるし、疲労により足が満足に上がらないせいで、そのまま階段の1段目に引っかかった。


 痛みで、一瞬だけ正気が垣間見える。そうか、私は約7 kmの道のりを歩いて、高校から帰ってきたのか……。よくもあの人の隣にいられたな。自分が馬鹿すぎて、自己嫌悪が幅を利かせた。しばらく立ち上がる気力も湧かなかった。

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