知らない家族
――ギシッギシッ――
と自宅の一軒家の二階の廊下が軋む音で俺は、目を覚ました。
何故だろう?自宅に俺以外の人間がいる。今日は、親父もお袋も親戚の法事で朝から家を留守にしていて、向こうで一泊するから帰って来ないと言っていたのに。
寝ぼけぎみの頭でゆっくり考えてみる。
その間、――ギシッギシッ――と廊下の軋む音が存在を主張し続ける。
やはり、誰か、いる。
誰かが、俺の部屋の前の廊下を確かに歩いている。
扉一枚隔てた向こうに誰かが。
十年間、引きこもり生活を続けている俺以外に今、この家に誰がいるというのか。
俺は、音をなるべく立てないように、ベッドからひっそりと身を起こした。
俺の頭には、すでに〝侵入者〟という言葉が浮かんでいた。
〝不法侵入〟〝泥棒〟という言葉も。
俺の部屋の外に今、おそらく、泥棒がいる。
俺は、どうすべきか考えた。
汗ばみ、シャツを重く感じて、その重みの分だけ、思考がにぶっているような気がしてくる。
普段、身体中を走ることのない緊張感に唾を飲み込むのさえ、気を使う。
俺は、十年間、置きっぱなしにしてあったバドミントンのラケットを取り出して、強く握る。
これだけが頼りだ。
廊下の方へと、部屋の外に繋がる扉の方へと、じりじりとした足運びで近づいていく。
俺の下した決断は、〝戦闘〟だった。
泥棒に家の中の預金通帳などの財産をごっそり持っていかれたら、親に寄生している俺は、今のノーワーキング年中ホリデー生活を続けらなくなる。
働かなくては、いけなくなる。
それだけは、ごめんだ。
俺に働けと言うのは、ドラキュラに日光を浴びろと言うのと、同じだ。
今さら、社会になんて出られるものか。
日の当たる世界になんて。
ならば、何か盗られる前に俺自身が泥棒を撃退するしかないだろう。
俺は、ラケットを握った小刻みに震える手を落ち着かせようと深呼吸する。
大丈夫だ。俺は、引きこもる前は、中学二年生で夏の大会のバドミントン部の主将を務めた程の男だぞ。あの頃の自分を思い出せ。俺は、なんでもできるんだぜ無敵マンだった頃の強い自分を。今だって、俺は、強いさ。やってやる。やってやるさ。泥棒ぐらい俺一人でやっつけてやるさ。
でも、相手が複数人だったら?
という疑問が頭の中に浮かんだ時、すでに俺の身体は、思考とは、裏腹に動き出していた。
気づけば、廊下へと継る扉を開けていたのだ。
「あっ」と声を上げ、廊下にいた男と目が合う。
褐色の肌、細身だが、筋肉質でもある肉体、短髪、白の半袖のワイシャツに緑のチェックのズボンという恰好で年の頃で云うと、男は、俺よりも五、六歳は、若く見えた。
そして、男は、金属バットを握っていた。
対して、俺が握っているのは、バドミントンのラケット。
瞬間、俺は、 やられる! と思った。
ビクッと一歩、後退り、何事もなかったかのように、現実逃避し、自分の部屋へと戻ろうとした。
そこで、男に声をかけられる。
「兄ちゃん、久しぶり。まだ、家に引きこもってたの?」
男は、やけに親しげに俺に向かって、喋る。
しかし、俺は、目の前の男とは、まるで面識がなかった。
知らない男だった。
「誰だ、お前?」
と気づけば、恐怖に勝って、疑問が俺の口から出ていた。
「誰って、俺だよ。俺。弟のタケルだよ」
弟のタケル?弟のタケルは、確か、お袋曰く、二年前に甲子園常連の野球部のある高校に進学していて、今は、三年生でエースで四番打者を勤めていると云う。
十年間、引きこもって、トイレと風呂以外で自分の部屋から、出ることが、ほぼなかった。家族と交流らしい交流も持たず、まともに目も合わさなかった。一日三食の食事を部屋の前にトレーで置いていくお袋が、一日の出来事を扉越しに一方的に話すのを聞くだけだった俺は、タケルの今の成長した姿を知らない。
こいつが、あの小さかったころころとしたかわいいタケル?
「嘘つけ。弟のタケルは、今、寮生活で家には、いないはずだ」
「三年は、夏で引退だから、帰って来たんだよ。俺んとこの野球部、今年、予選敗退で甲子園に行けなかったからさ」
「お前がタケル?本当にあのタケルなのか?」
男は、呆れた様子で「そうだよ」と答えたが、正直、俺には、判断がつかなかった。
十年間、まともに弟を見てこなかったのだ。
野球の強豪校に行ったぐらいで、こんなにもスマートなスポ男に肉体的成長を遂げられたら、記憶の中のタケルと身長も違うし、声も違うし、顔つきに至っては、あのころころとした面影がまるでないし、タケルだと信じろと言われても、そりゃ、無理がある。まるっきりの別人にしか見えない。
それでも、この男を100%、弟ではないとも言い切れない。自信が湧いて来ないのだ。
しかし、疑惑が消えるわけでもない。
この男が弟のフリをしている可能性もある。だが、この男が泥棒だとして、何故、弟のフリをする必要がある?
金属バットという圧倒的な武器を持っているのに。
そして、何故、弟の名前まで知っているんだ?
タケルと名乗るこの男は、本当にタケルなのだろうか。
「なんで、今日、日曜なのに家に兄ちゃんしかいないの?父ちゃんと母ちゃんは?」
「ああ、親戚の法事だとよ。帰る前に連絡、入れなかったのか?お前」
俺は、疑いの眼差しを向けたまま、タケルと名乗る男に調子を合わせて、答えた。
泥棒だとしたら、こちらが泥棒だと気づいている素振りを見せた途端、襲いかかってくるかもしれない。
「うん、だって、フツーに家にいるもんだと思ってたから、なんの連絡も入れなかったよ」
「そいつは、お前が悪いな」
「ハッハハ」 「ハハハハハッ」
俺は、弟かどうかも定かではない男と笑い合った。
「兄ちゃん、飯、まだァ?良かったら、俺が作るから、一緒に食おうよ」
「お前、飯なんて、自分で作れるようになったのかよ」
俺は、言いながら、血の気が引いていく思いだった。
「ああ、寮で飯炊き当番になった日とかには、作るよ」
男は、言いながら、俺に背中を向け、一階に降りる為に階段へと向かっていく。
「へー、あのガッコー、生徒に自分で飯なんか作らせんのか?寮費、ぼったくってんな」
「ハッハハ」
と何がおかしいのか、わからないが、笑ってる男の後ろにとりあえず、俺は、着いていく。
そして、ふいに
「お前、本当にタケルなのか?」
ともう一度、訊いた。
今なら、階段を降りている最中の今なら、後ろから突き落とせば、金属バットを持ってる奴にも勝てる。
男は、階段を降りながら、首を動かし、半分、顔を後ろのこちらに向けた。
その顔は、不気味に見える薄ら笑いを浮かべていた。
「こっちだって、本当に兄ちゃんが兄ちゃんかなんて、わからないよ。髪、伸ばしっぱなしだし、髭も生えてるしさ。もし、兄ちゃんが兄ちゃんじゃなかったら、今、ここで後ろから突き落とされる可能性もあるし、そう考えるとドキドキだね」
俺は、自分の考えが見透かされているのに、絶句し、返す言葉が出てこなかった。
何も言い返せず、やろうと思っていたことを実際にやるかどうかの判断も遅れて、気づけば、もう一階に着いていた。
俺の家は、二階からの階段を降りきると、すぐ前に玄関がある。
俺が階段を降りきったタイミングで、その玄関の扉が、突然に開いた。
「あー、疲れたぁ」
と言って、外から家の中に頭がバーコード禿げのおっさんが入って来て、その後ろから、太ったパンチパーマのおばはんが続いて入って来る。
どちらも俺の見ず知らずのおっさんとおばはんだった。
そのおっさんとおばはんに向かって、自称タケルは、声を上げて、
「父ちゃん!母ちゃん!」と言った。
俺は、完全にパニクった。知らない奴が、さらに俺の知らない二人を俺の父親母親だと言って、俺の家に笑顔で無断で迎え入れている。
いったい、これは、どういった状況なんだ?
何か、とてつもないことに、俺の平穏な日常が脅かされている。
つーか、こいつら、どうやって俺の家に入った?鍵でも持ってやがるのか?
「どうしたの?ヒロユキ。青ざめた血色の悪い顔して。風邪でも引いた?」
知らないおばはんが、さも俺の母親のように心配した素振りを見せ、訊いてきた。
「お前ら、誰だよ?」
「「「は?」」」
知らない三人は、同時に困惑の色を顔に浮かべた。
「お前らは、いったい、誰だって、訊いてんだよ!」
三対一の状況だが、俺は、気づけば、声を荒げていた。
「誰って、お前の父親と母親。こっちは、弟のタケルじゃないか。大丈夫か?」
と俺の知らない頭の禿げたおっさんは、まるで本当の父親であるかのようにいっちょまえに心配してるかのような声音を使ってきた。
「嘘つけ!俺の親父は、そんなに頭、禿げてないし、お袋は、そんな太ってもいないぞ!」
「まぁ、お前が引きこもり始めてから、頭は、だいぶ禿げたけど……」
と知らないおっさんは、自らの頭をなでるようにさする。申し訳なさそうに肩を落として。
「私も確かに、ヒロユキが引きこもる前と比べたら、少し太ったかしら」
とあきらかなデブ体型のパンチパーマの知らないおばはんは、少し斜め上を見て、立ったまま、頬杖をつく。
「まぁまぁ、仕方がないよ。兄ちゃん、部屋の外に出て、俺達と面と向かい合うのは、久しぶりなんだし、十年間、家族がこうして、揃うことも、なかったわけだから。俺らの見た目が変わって、驚いちゃうのも、無理ないよ」
と自称弟の男が、知らないおっさんと知らないおばはんと俺の間に立ち、なだめるような口調を使う。
実に人を馬鹿にした態度だ。
俺は、負けじと、
「嘘をつけ。本当の親父とお袋は、親戚の法事に行っていて、今日一日、帰って来ないと俺の部屋の前で扉越しで言っていたぞ!それなのに、なんで俺の父親と母親なら、お前達は、ここにいる!?」
と問い詰めた。
「向こうで、地震があったとかで、止まってしまった新幹線が何台かあって、乗るはずの新幹線が運行中止になったから、引き返してきたんだよ」
と自称親父のハゲきったおっさんは、落ち着き払って、言う。まるで、台本を読んでるかのような口調だった。
「ちょっと待て」と言って、俺は、今にも、家の玄関マットに上がりそうな知らないおっさんと知らないおばはんを手で制し、「今、調べる」と言って、携帯を取り出す。
携帯で調べると確かに親父とお袋が行くと言っていた親戚の県行きの新幹線が運行中止になっていた。
よく見ると、自称親父と自称お袋は、喪服姿だ。ただの泥棒達が、そこまで手の込んだことをするだろうか。
ひょっとして、おかしいのは、こいつらではなく、俺の方で、この見ず知らずの他人に見える三人は、本当に俺の家族で、俺がそれを見分けられなくなってしまっただけなのだろうか。
だとしたら、俺は、相当にヤバい。
ただのヤバい奴だ。
いや、でも、ハゲデブを除いても、俺の頭の中にある親父とお袋の顔とこいつらは、だいぶ違うし、親父とお袋と比べ、若干、小柄だ。
それを指摘すると、知らないおっさんとおばはんは、
「歳とると、人間、縮むんだよ」
「私ら、昔と比べて、だいぶ、老け込んだからねぇ」
と答え、俺の前を通り過ぎ、家の中へと靴を脱ぎ、ずかずかと足を踏み入れていった。
俺にそれを止める、反抗する
男は、俺の肩をポンと叩き、
「さぁ、飯にしようぜ。兄ちゃん。久しぶりの一家団欒だ」
と言って、知らないおっさんとおばはんの行った方へと進んでいく。俺は、流れに逆らえず、そいつらの後ろに着いていき、知らない家族と食卓を囲むこととなった。
ダイニングテーブルに出された食事の内容は、和食然としていて、一汁、三菜、五品と栄養バランスに長けていて、今までのお袋の冷凍食品オンパレードの毎食とは、かけ離れ過ぎていて、違和感しかなかった。
知らない家族と知らない料理を前に、もくもくと食事を進めていくうち、新たな疑問が一つ浮かんできた。
こいつらは、いつから、俺の家族なのだろう――。
俺の引きこもっている間、こいつらは、いつ、俺の本物の家族と入れ替わったのか?
ひょっとして、俺は、部屋に引きこもっているせいで、何ヶ月も何年も気づかないまま、知らないこいつらと家族として、同じ屋根の下で暮らしていたのではないか。
それを思うと、ぞっとして、寒イボが身体中を巡って、全身の動きを止めた。
俺は、なんで、今、こいつらと食事なんてしているんだ、と自分自身に対する拒否反応がぞくぞくと沸いてくる。
箸を置き、もう一度、声を大きくして、言う。
「お前らは、誰だ?」と――。
「まだ、言ってらぁ」と自称弟――。
「誰って、あなたの家族でしょ」と自称お袋――。
「大丈夫か?一度、病院、行くか?」と自称親父――。
「あくまでそれで押し通す気だな、お前ら。俺をナメてやがるんだな」
俺の声は、震えていた。この状況に対する怒りなのか恐怖なのか、自分でもよくわからないが、ここで退くわけには、いかない。この状況を日常として、一度でも受け入れてしまったら、もう二度と元には、戻らない。
なんとか状況を変えなければ。不気味でいびつなわけのわからないこの三対一の不利な状況を。
そうだ。まず、この不気味な三人に俺の本当の家族ではないと認めさせることから、始めなければ。そうじゃないと警察を呼んでも、上手くごまかされて、俺一人が家族を家族じゃないと言う頭のおかしい奴扱いされて、それで事件性はないとか言って、警察は、平気で帰ってしまうだろう。
この状況を打破するには、こいつらに家族じゃないと白状させ、言質をとらなくては。
「お前らが、俺の本当の家族だっつうんならな。今すぐ、それを証明してみせろよ」
「証明って、いったい、どうしろっつうんだよ。家族は、家族だろ」
と呆れた口調で自称弟が言い、
「そうだ。家族は、家族だ」
と自称親父が続く。
家族は、家族でゴリ押しされて、ここで引いては、いけない。
「家族だっつうんなら、何か家族しか知らない思い出話の一つや二つあるはずだろ。お前ら、一つでも俺と家族だと証明できるエピソードが話せんのかよ」
俺にそう言われて、
「そうだなぁ」と自称親父は、考え込む。その場に沈黙が流れる。
そらみろ。言えやしない。お前らが、俺の家族なわけがない。
俺がそう思ったところで、自称親父が口を開く。
「そう言えば、昔、家族で奈良に旅行に行ったことが、あったな。そん時、お前は、小さくて、タケルは、まだ、生まれてなかった。小さいお前は、元気良く奈良公園の鹿を追っかけまわしてな。鹿が反撃してこないかとこっちは、冷や冷やしながら、見てたよ。でも、奈良公園の鹿は、人馴れしていて、凶暴なところが、一個もなくてな。最後には、お前のあげたソフトクリームをペロペロとなめていて、ホッとしたというか、ホッコリしたよ。いや、懐かしいなぁ」
自称親父は、本当にホッコリしているような表情で上を見上げる。
確かに、それは、俺も知っている家族のエピソードだ。幼い頃過ぎて、記憶にはないが、まだ小さかった俺が鹿にソフトクリームをあげている写真がアルバムに貼ってあるのを俺も見たことがある。
そうだ。アルバムだ。
「そんなのこの家の中にあるアルバムを見れば、家族じゃなくても、誰でも言える」
危ない。騙されるところだった。
「次!」
と俺は、自称弟に視線を向ける。
「え?俺?」
自称弟は、戸惑っていたが、自称親父よりは、早く閃いたらしく、
「家族しか知らないことだろ?家族しか知らない兄ちゃんのことつったら、兄ちゃんは、昔から、武藤敬司(プロレスラー)が好きだよな。特に2008年の武藤敬司は、神ってたって、何度も言ってただろ?これでいい?」
「そんなのこの家にある武藤敬司のグッズや俺のSNSアカウントを見たことのある奴なら、誰でもわかるし、知ってる。家族じゃなくてもな」
自称弟に関しては、秒で論破できた。
「次!」
と俺は、自称お袋に視線を向ける。
「あたし?あたしねぇ……うーん」
自称お袋は、少し悩んだあげく、
「すぐには、思いつかないわねぇ」
と言った。
「やっぱり!やっぱり、お前ら、俺の家族なんかじゃねぇだろ!」
「いい加減にしろよ。ヒロユキ」
と自称親父は、怒った表情と声音になる。
「そうだよ。母ちゃんがかわいそうだよ。腹痛めて、産んだ子に家族じゃないなんて、言われたらさぁ」
と自称弟が主張して、自称お袋の方を俺に見るように促す。
自称お袋は、涙ぐんでいた。
俺は、他人だと思っていても、何故だか心が痛んだ。
ありえないことだが、もしも、このおばはんが、本当に俺の母親だったとしたらと――。
「じゃあ、俺の母親だっつうんなら、塩むすび握ってみろよ」
「え?」
「塩むすび握って食わしてみろって、言ってんだよ!」
世の母親の作る料理の中で一番、個人差が出るのが、塩むすびだ。
塩加減、手についた水の配分、握ったおむすびの形、その全てにその母親独特の個性が出る。世の母親達の作る塩むすびの中で一つとして、同じものは、ない。
塩むすびの味は、一人一人の母親の数だけ存在する。
何より子供は、塩むすびを握る時につく手汗の成分で、自分を産んだ母親の塩むすびが一番、美味く感じるようにできている。
「塩むすび?仕方のない子ねぇ。まったく」
自称お袋は、泣くのをやめて、台所に立ち、炊飯器を開けた。
ボールに入った水で手を濡らし、塩つけ、べちゃべちゃと音を立て、塩むすびを握り始めた。
その音には、俺は、聞き覚えがあった。お袋が塩むすびを結ぶ時の音と全く同一のものに聞こえた。
嫌な予感がする。
「あいよ」と自称お袋の手から出され、目の前に置かれた塩むすびには、海苔など当然、巻かれてなどなく、水分が多すぎるべちゃべちゃの不細工な丸形状をしていた。
まさに運動会などがある度、出される弁当に入っていた我が家の塩むすびそのものだ。とりあえず、見た目は、合格と言っていい。
俺は、出された塩むすびを勢いよく頬張る。
口いっぱいに広がったそれは、お袋の味だった。
噛めば、噛むほど、ぐちゃぐちゃと水っぽくなり、肉親でなければ、不快に感じること間違いなしの食感。うすい塩味に水をたっぷり含んだやらかいご飯の甘味が合わさると、不思議と食感の不快さが和らいでいく。他の弁当のおかずに合わせれば、いつも通り、その薄味がちょうど良く、感じることだろう。
見た目、味共にお袋の塩むすびに違いなかった。
「お袋……お袋なのか?」
俺は、パンチパーマのデブなおばはんの方を見て、訊ねた。
「最初から、そう言ってるじゃない」
自称お袋は、呆れた感じを出しながら、少し嬉しそうにした。
お袋がこいつだとすると、なら、お袋と一緒にいるこのおっさんと若い男は、本当に親父とタケル?
俺は、愕然とした。
人の見た目が、たった10年見ないだけで、こんなにも変わってしまうものなのか、という思いと、自分は、自分の家族すらまともに見分けられなくなってしまったのか、という精神的ショックが一挙に押し寄せてくる。
その精神的ショックを抱え込んだせいで、俺は、食卓の椅子から立ち上がれなくなった。しばらく、動けなかった。
その間に知らない家族は、食事を済ませ、
「さっ、食事も済んだし、いつもの始めようか」
と親父かもしれないおっさんの先導でテレビのあるリビングへと移動し、「のんのんのんのんのん」と三人で大合唱し始めた。
振り返って見ると、三人は、俺の見たことのない黒塗りの観音開きの仏壇の前に正座し、数珠を巻き、手を合わせ、何かしらのお経を唱えていた。
「何、やってんだよ、お前ら」
俺は、自然と疑問が口をついて出た。
「何って、地球様にお祈りしているんだよ。我々が、こうして、存在していられるのも、全ては、地球様のおかげ。ヒロユキが今日、部屋から出てくれたのも、ぜ〜んぶ、こうやって、我々が地球様に毎日、お祈りしている御利益に違いない。だから、こうして、お経を唱えて、地球様にお礼を言ってるんだよ」
とハゲの後頭部をこちらに向けたまま、おっさんは、言った。
「やっぱり、お前ら、俺の家族じゃないないだろ!俺の家族が、そんな新興宗教にハマるわけがねぇ!」
俺がそう怒鳴っても、見知らぬ三人は、無視して、のんのんのんとお経をそのまま続けた。
俺は、言いようのない怒りで気が狂いそうだったが、どう行動していいかわからず、貧乏ゆすりをして、携帯でニュースを見た。一番簡単な現実逃避だ。
すると、何かの啓示でも受けたかのように、自然とあるニュースの画面の見出しで、目と指が止まる。
新興宗教団体ダーク・アース教団所属過激派テロリスト三人、逃亡中――。
記事の内容を見ると、その過激派テロリスト三人は、新宿駅で爆破テロを犯した後、付近の家に忍び込み、その家の住人を皆殺しにし、その家の住人になりすますという手口を繰り返し、警察の目を掻い潜り、今も逃亡していると云う――。
その三人の指名手配写真の画像が記事と一緒に載っていた。
まさに、今、仏壇でお経を唱えている自称家族の三人だった。
「お前ら!俺の家族に何をした!」
俺は、激昂した。
「今度は、どうしたんだ?」とハゲ頭のおっさんが言い、三人がお経をやめて、振り返る。
「しらばっくれるのは、もう、やめろ!もう、全部、わかってんだからな!」
俺は、スマホの画面を三人に向けた。
それを見て、三人の目の色が変わる。
怪しく敵意のある目に――。
「落ち着けや、兄ちゃん」
若い男がバットを持って、近づいてくる。こいつは、俺に会ってから、ずっと金属バットを肌身離さず、持っている。
「俺をナメるな!俺は、バドミントン部主将だった男だ!」
怒りと混乱が同居する中、俺は、バドミントンのラケットを持ち、振り回して、三人に襲いかかった。
気づけば、辺りは、血だらけの惨状になっていた。俺が握っていたのは、バドミントンのラケットではなく、台所にあった包丁だった。
殺さなければ、こっちが殺されていたかもしれない。そう思って、殺した三人を改めて見ると、そこには、頭のハゲたおっさんも太ったパンチパーマのおばはんも褐色の肌の若い男もいなかった。
そこに転がっている死体は、確かに親父とお袋ところころとしたかわいげのある顔の弟のタケルだった。
なんだ、これは?ひょっとして、ずっとおかしかったのは、俺の方?
引きこもって、頭がおかしくなって、幻を見て、実の家族を今、俺は、殺してしまったのか?
「嘘だ!こんなの嘘だ!夢であってくれぇええええ!」
と発狂して、叫び声をあげた時、俺は、目を覚まし、ベッドから飛び上がった。
身体には、べったりと寝汗が付いている。場所は、自宅のいつも引きこもっている自分の部屋。
なんだ、全て夢だったのかと安心して、胸を撫で下ろす俺の耳に部屋の外からギシッギシッと廊下を踏み鳴らす音が聞こえてくる。
親父とお袋は、法事のはず……
いや、あれも夢だったのか?いったい、どっからが、夢なんだ?
俺は、恐る恐る部屋の扉を開け、廊下に出た。
すると、そこには、頭のセンターが禿げた落ち武者みたいな髪型をしたブリーフ一丁の白豚みたいな肥え太った男がいた。男は、手に金属バットを持っていた。
「おたく、どちらさん?」
という俺の問いかけに男は、
「タケルだよ」と答えた。
タケル?弟とは、もうだいぶ長い間、会っていないが、この白豚落ち武者がタケル?
見ると、男が履いている白ブリーフには、タケシと黒のマジックで書かれていた。
タケシって、誰?
俺が、そう思ったところで、カァン!という甲高い音が鳴る。
俺の視界は、明滅して、真っ暗になった。
目の前の白豚落ち武者の男が金属バットをフルスイングして、俺の頭を打ち抜いたのだ。
俺は、視界が真っ暗なまま、床に倒れゆく途中、どうか悪夢の続きであってくれと願った。
が、その願いは、叶わなかった。
追い打ちをかけ、容赦なく、謎の白豚落ち武者ブリーフ一丁男が倒れた俺を金属バットで殴打し続けたのだ。
翌日、何も知らないお袋が法事から帰って来て、いつものように、食事の乗ったトレーを俺の部屋の前に置いていく。
「ヒロユキ、今日は、あんたの好きなカレーよ。ここに置いてくからね〜」
「うぃ〜すっ」
お袋に部屋の中から、返事をしたのは、俺ではない。
「お父さん!大変!ヒロユキが今、返事を!」
部屋の外から階段を駆け降りるお袋の喜びの声が響く。
白豚の落ち武者のような男は、ブリーフ一丁でそれを聴きながら、俺の部屋の中でカレーを食べる。
「今日から、俺がここの息子だぷー」
引きこもっていた息子が、もう、この家には、おらず、他人と入れ替わったことを家族は、知らない。
あなた、見えてるんですよね? ホラー短編集 紙緋 紅紀 @efunonifu
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