中編

『二週間前かな、急にTikTakが使えなくなったんだ。正確にはアプリ自体がなくなってたっていうべきなのかな。前日にあげたショートムービーの伸びを確認したくて開いたらスマホから消えてて、再ダウンロードしようとしたらストアからも消えてて、ネットで調べても原因が分からなくて……何がなんだかわからなかったよ』


 優希は教科書の記述を思い出していた、それは歴史上の一つのアプリにかけるには多すぎるほどの分量だった。

 曰く『このアプリに投稿している人間の99%はゴミである、クズである。学業を怠り淫らな行為に耽るカスどもの集まりである。これはもはや犯罪的である、いや、このアプリに投稿している人間は全て犯罪者である。善良な生徒諸君は決して使用してはならない』と書かれていた。

 教科書にしては随分と私情が入ってるように思えるし主観的だし長いけど、それも仕方がないだろう。

 

TikTak


 理由はわからないけどダメなんだろう、だってTikTakだから。

 犯罪的である事が犯罪者に繋がるわけが無いけどきっとそうなんだろう、だってTikTakだから。

 僕はそのアプリに触れたこともないし見たこともないけどんだからそうなんだろう、TikTakはゴミアプリだから。


『……調べても調べても正確な事情はわからなかった、ニュースも曖昧なことしか書いてなかったし、どのSNSの反応もバラけてた。でもひとつだけ全ての情報に共通点があったんだ。それはTikTakってアプリへの嫌悪。どいつもこいつもTikTakを蔑んで、有名TikTakrは【あんなアプリを使ってたなんて恥だ】なんて言い出す。中立でなければいけない報道機関ですらも同じだった』


 優希はまるで頭にモヤがかかってるかのような感覚を覚えた。

 たしかに画面の向こうの男が言っていることは奇妙だと理性は主張するが、それよりも圧倒的に強い本能が違和感を打ち消し強制的にこう言い出す、『この男の言ってることは支離滅裂だし、TikTakが嫌悪されるのは当たり前だ』と。

 タツキはそもそも違和感自体を抱いていないようだ。


『おかしいだろ?おかしいはずだ、僕はまともで、アイツらがおかしい……これはまだ始まりに過ぎなかった。だから僕はここで虚空に向かって話してる』


 ここにきて優希はようやくその疑問に辿り着く、そもそもこの男は何を伝えようとしているのだろう。


『……何がなんだかわからなかったけど、その日はとりあえず大学に行ったんだ。授業は半分右から左に流れていったけどね。それで午後はサークルに行った、友達と話すために。何が起こってるのか話し合って、僕がおかしくない事を証明するために。そこで、進藤由加子の様子が普段と違う事に気づいた』


 一呼吸置いて、目つきを鋭くして再び彼は言葉を紡ぐ。


『進藤由加子は僕の同級生の女子大生だ、暗い性格でTikTakってアプリを誰よりも嫌ってた。ヨウキャがなんとか、低学歴がどうとか、毎回嫌ってる理由は変わってたけどとにかく嫌ってた。だからサークル内では煙たがれてたんだ、ショートムービーをTikTakにあげてる僕らからしたら、僕らのムービーの視聴者を貶されてるに等しいからね』


 男の手は震えていた、拳を握りしめていた。


『だからさ、きっと喜んでるだろうなと思ったんだ。TikTakってアプリが消えたことに歓喜してると思ったんだ……予想は間違ってなかった。ただ、喜び方が異様だった。【私が消した】【神さまのおかげ】【選ばれたんだ】とにかく支離滅裂なことばかり言って進藤由加子はサークル仲間を殴ってた……サークルの部屋に入った僕はそれを止めようとして、異変に気づいた。みんな、笑ってたんだ。殴られても!蹴られても!みんな笑ってたんだ!喜んでたんだ!』


 タツキも、優希も、なぜ男は大きい声を出したのか理解できなかった。

 相手が自分を殴りたいと思って、その結果殴られる、そんなのいつもの日常だ。

 、何故か男は叫んでいた。


『……ごめん、声大きかったかな。ちょっと怒りが溢れでてきちゃって。でもとにかく今言った通りの事が起きたんだ。そう、のは進藤由香子だ」


 あたまに、モヤがかかっている。


『いきなりスケールがデカくなって混乱したかな?でも君もここかで逃げてきたんならわかるだろ?綺麗さっぱり消えたんだよマイナスが。相手が殴りたかったら殴られる、それは幸せな事らしい。相手のしたい事はなんでも受け入れるしそれを嫌がるという感情回路がない、それが奴らだ』


 男の言葉が届かない。

 単語として入っても、意味が理解できない。


『果てには、命という人間の一番大事なモノですらも彼らは差し出した。相手が人を殺したかったら、殺されてあげる。笑いながら死んでいく……イカれてる』


 人間が獲得した理性を、進藤由加子が人類に植え付けた本能が蹂躙していく。


『信じられないと思うけど、とっても馬鹿馬鹿しい話だけど、神は実在して、進藤由加子はそれに選ばれて、常識改変に似た力を手に入れたらしい。どっちかっていうと認識改変かな?……まぁどうでも良いかそこは。とにかく、こんな笑い話にもならないクソなエピソードで僕と君は追い詰められてる……クソッタレ』


 本能は許さない。

 タツキが、優希が、子供たちが改変を逃れた男の情報を受け入れる事を許さない。


『今はまだ知識としては存在してるけど、いずれマイナスの感情そのものの概念も人類の知識から消え去るかもしれない。もしかすると、僕が泣きそうなのを堪えて話してるこの表情すら、奴らが見たら嬉し泣きしかけてると思うのかもしれない……そもそも僕の表情がなんなのか、理解できないかもね。なにせサンプルが無くなっちゃうんだから……先週のジャンプ、仲間が死んだのに主人公が笑ってた。リアルだけじゃなくて、この世の全てからマイナスが消え去っていく。今現在も、それは進んでる』


 初めて血を見た幼児がそれをを血だと理解できないように、未来の奴らは初めて見る僕のマイナスを理解できないかもしれないと、男は語った。

 怒りすら知らず、その単語すらも忘却して、プラスだけで生きていくのかもしれないと、そうも語った。

 それを見て、本能に敗北した彼らは、感情の辻褄合わせを行った。


「優希、この話信じる?」


「さぁね、非現実的だ。超能力なんて存在しないよ。まぁでも、もし本当だったとしたら、由加子って人が居て良かったよ」


「そうだな、マイナスの感情は想像できないけど絶対そんなの要らないしな」


 思考が、感情が、進藤由加子が望んだ世界で生きる人間として再びチューニングされていく。

 マイナスの感情を覚える事は彼らにはできない。

 

『あぁ、でも』


 だがひとつだけ、進藤由加子のエゴがこの世には残されていた。


『アレに対する嫌悪だけはみんな抱えてる』


 コンプレックスが、僻みが、彼女にそれを嫌悪させた。

 世界の全てを同調させた。


『TikTakに対する人類の嫌悪だけが、この世に残された最後のマイナスだ』



 





 


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

妥協の末に僕が行った最大限幸福な自殺について 執事 @anonymouschildren

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ