第6話 婚約破棄されまして、侍女になりました ②

※修正しました




「――リリアーナ! この悪女め! 実の妹ではないからと、ハリエットを虐げているそうだな!」

「いえ、どちらかといえば、虐められているのは私の方かと」


 とあるガーデンパーティで婚約者に悪し様に罵られたリリアーナは、特に悲しむこともなく淡々と事実を述べた。

 

 すると、婚約者の腕の中で、ハリエットがわざとらしくすすり泣く。


「酷いわ、お姉様。どうしてそんな嘘をつくの?」


 続けて、「今朝だって、私を……!」と呟き、リリアーナから逃げるように目を逸らしたハリエットを見て、想像力豊かな婚約者は激昂した。


「っ見損なったぞ、リリアーナ! ーーお前との婚約は破棄させてもらうからな! そして僕は、愛するハリエットと結婚する……!」 

「ロバート様……!」


 突然の宣言に周囲が騒めく中、リリアーナは冷静に、寄り添う彼らをじっと見つめた。


「……それは、伯爵家の皆様の総意ですか? 義妹は私と違って、婿を迎えなければならないので、伯爵家のご嫡男であるロバート様が我が家に婿入りする形になるかと思いますが……」


 よろしいのですか? と問えば、婚約者と義妹はぎくりと肩を震わせた。


「わ、分かっている。ーーだが、両親は必ず説得してみせる! 僕は本気で、ハリエットを愛しているんだ!! だからーー!」

 

「ーーそうですか。分かりました、では頑張ってください」


 リリアーナがにっこりと微笑むと、婚約者は目を丸くした。


「え? い、いいのか? 本当に? 婚約破棄だぞ?」

「はい。詳しい手続きに関しましては、また後日話し合いましょう。ーーそれでは、私はこれで」


 軽く一礼し、会場を去るべく踵を返す。

 瞳の色と同じ菫色のドレスが、リリアーナの動きに合わせてふわりと舞った。


「待っ、待て、リリアーナ! まだ話は終わっていないぞ!」

「お姉様……!」


 背後から追い縋る声が聞こえてきたが、叔父に急ぎ事の次第を報告しなければならないし、第一、これ以上この会場に居ても迷惑なだけだ。


 リリアーナは振り返らずにすたすたと歩きーーふと、あることを思い出して立ち止まった。


「ーーあ、すみません。何点か言い忘れていました」

「な、何だ?」


 どこかそわそわした様子の婚約者に、リリアーナはゆったりとーーけれど、凛とした声音で言い放つ。


「ーーご当主様に、残念ですが今後はできそうにありません、とお伝えください。それと、今日で婚約は破棄されたも同然なので、次にお会いする時は家名か、もしくは『姉上』とでもお呼びくださいね。ーーでは、ごきげんよう」


「は……な、何を……ああ、待て! おい、リリアーーっグレンダール嬢!」


 待て、と言われても、もう話は終わったのだ。


 リリアーナは今度こそ振り返らずに、門の近くで待機させていた馬車に乗り込むと、さっさと会場を後にした。




 (ーーふう。まさか、婚約者まで奪われるとは思わなかったわ。ハリエットったら、いつの間にロバート様を引っかけたのかしら)

 

 馬車に揺られながら、そんなことを考える。


 叔父が勝手に決めた婚約なので、リリアーナは特別婚約者を愛していたわけではない。会うのもこれが数回目だ。


 だから、「私から彼を奪うなんて……!」とはちっとも思わなかったし、義妹との関係を認めてもらえるように頑張る、と言われれば、「はいそうですか、では頑張ってください。私はもう何も手伝いませんけど」と言う他なかった。


 つらつらと愛を語られても、正直「へえ〜」としか思わなかったので、我ながら乙女心は死んでいる。

 

 ――でもまあ、そんなに愛し合っているなら、私はさっさと身を引いた方が良いわよね。


 そう思って婚約破棄を受け入れたリリアーナだったが、ロバートがハリエットの婿になることが認められてしばらくして、義妹が放った一言に目を瞬いた。



「――もう飽きちゃった」



 驚くことに、ハリエットはリリアーナの元婚約者との婚約を、あっさりと破棄してしまったのだ。



 ――同じことを、ハリエットは3度繰り返した。



 これには流石のリリアーナも、義妹に対して怒りを覚えた。目が醒めたと言ってもいい。とにかく、リリアーナの中で何かの糸が切れた。


 (愛だとかなんだとか言って、結局はただの嫌がらせなんじゃない……!)


 ――人の婚約者を誑かし、飽きたと言って捨てる。

 ……そんなのは、人として最低の行為だ。


 元婚約者達も、少しだけ可哀そうではある。

 皆ハリエットのために、己の外聞をかなぐり捨ててでも、その愛を貫いたのに。


 (まあ、そもそも浮気をする方もする方だけれど。――はあ。それより、これからどうしようかしら……)


 ――社交界でのハリエットの評判は最悪だった。姉の婚約者を3度も奪ったのだから当然だろう。


 しかし、付随してリリアーナの評判も地に落ちている。何度も婚約者を奪われる姉の方にも何か問題があるのではないかと、誰かが噂し始めたせいだ。悪女の姉妹、なんて言葉を聞いた時には、リリアーナは頭を抱えた。


 次に舞い込む婚約話は、恐らく碌なものではない。


 それでも、あの子は奪うのだろう。リリアーナのものは全て。


 (――ハリエットはきっと、いつまでもこれを繰り返す。私に、貴族令嬢としての幸せな未来は来ない。……それなら)


 一瞬の迷いが生じたが、やがてリリアーナは覚悟を決める。

 

 (……それなら、私はこの家を出て自由になるわ!)


 この家には、亡くなった家族との思い出が詰まっている。本当は、離れたくない。

 

 ――でも、このままでは、いつか私の心が死んでしまう。

 

 優しい両親なら、きっと許してくれる。そう信じて、月明かりの綺麗なある日の夜に、リリアーナは人知れず家を抜け出したのだった。



 ◇◆◇ 



 ――馬車を何度も乗り継いで、やっとの思いで王都に辿り着いた時には、手持ちの路銀はつきかけていた。


 ドレスや数少ない宝飾品は全て売り払ってしまったので、いよいよ働き口を探すしかない、と怪しげな広告を片手に悲壮な覚悟を決めかけていたところで。


「宿屋の女将さんに、王宮侍女を勧められたのよね。ーー今思えば、本当に運がよかったわ」


 試験会場に現れた、明らかに訳ありのリリアーナを見て、侍女長は初め眉を顰めた。


 だが、リリアーナの実母が元王宮侍女だったことも幸いしたのだろう。

 なんとか無事採用試験に合格することができたリリアーナは、王宮の下級侍女として働き始めた。

  

 ーーしかし、現実はそう甘くはなかった。


 悪女だと噂されていたせいで、リリアーナはここでもいじめの対象となってしまったのだ。


 ……いじめと言っても、直接何かされたわけではない。

 陰口を叩かれたり、遠巻きにされたりといったーーいわゆる、精神的に痛めつけるものばかりだった。


 リリアーナは意外と図太いところがあるので、それらについては「まあ、仕方ないわね」と特段気にしないことにしていたが……『仕事を教えない、教えたとしても嘘の内容を』といういじめだけはどうしようもなかった。


 『廊下を拭くときは、水浸しの雑巾で』なんて言葉を、普通に信じてしまったリリアーナは、侍女長に小一時間怒られて唖然とした。


 すれ違った同僚たちに「常識的に考えたら、冗談だとわかるでしょう」と嘲笑された際には、情けなくて唇を噛み締めたものだ。


 ーー掃除も洗濯も、かつての自分には縁のないものだった。


 (未来の伯爵夫人として、最低限のマナーや教養は身につけてきたつもりだけれど……)


 しかし、それらはあくまでも花嫁修行の一環に過ぎない。

 王宮侍女にもそういった側面はあるが、いざ働くとなれば、リリアーナはあまりにも世間知らずで無力だった。

 

 そもそも、家長である叔父は労働は恥ずべき行為だと考えていたのだ。

 そのため、日に日に減っていく使用人たちに混じり、屋敷の掃除をしようと息巻いていたリリアーナを見て、叔父は激しく叱責した。


 ーーそんなことをして、傷でもついたらどうする。

 お前の価値は、その無駄に整った顔と、血筋だけだというのにーーと。


 更には、『次に同じことをしようとしたら、関わった使用人は全員解雇し、路頭に迷わせる』とまで言われてしまって、リリアーナは「私を高く売り飛ばすためだけにそんなことをするなんて……!」と内心憤った。

 ーー当時、少ない給金にも関わらず子爵家に残ってくれていたのは、他に行くあてもない、訳ありの者たちばかりだった。

 彼らを守るためにも、最低限の社交や婚約者の実家へちょっとした手伝いをしに行く以外は、自室に引きこもり刺繍や読書をして過ごすしか選択肢はなかったのだ。


(こうして振り返ってみても、あまりに馬鹿馬鹿しくて愚かな考えだわ。その『恥ずべき行為』で社会は成り立っているのに、どうしてそれが分からないのかしら。ーーそれに、ハリエットの浪費癖のせいで、あの家にはもうほとんどお金が残っていないのに……)


 ーーそんなわけで初めての労働に苦戦していたリリアーナだったが、ここで諦めないところが、彼女が皆から一目置かれる所以だった。


 仕事内容は、教えてくれないのである程度は見て覚えた。

 

 どうしても分からないところは、知っていそうな人に聞くことにしたが……やっぱり素直に教えてはくれない。


 ーーなので、相手が根負けするまで聞き続けることにしたのである。



「何度もすみません! 任された絨毯の件で、お聞きしたいことがあるのですが……!」

「はあっ、はあっ! ーーし、しつこい……!! いい加減諦めなさいよ……!!」

「嫌です! もうここまできたら、正しい洗い方を教えてくださるまで絶対に諦めません! ーーあと、結局『これ』はどうするのが正解なんですか!?」

「っ何なのよ、この子……! 諦めは悪いわ、地味に足は速いわで、見た目と全然違うんだけど……!」

「も、もう、無理……。これ以上は走れないわ……」


 王宮の庭で談笑していた先輩侍女に話しかけるとくすくすと笑いながら逃げられたので、取り敢えずそのまま追いかけてみた。

 すると、何故だか追いかけっこのようなものが始まったのだ。


 ーー現在、リリアーナ達は王宮の周りをぐるっと2周したところである。


「ーーああもう、分かったわよ! 教えてあげる! だから、水浸しの雑巾を持ったままこっちに来ないで!」

「! ほ、本当ですか!? っありがとうございます!!」

「ちょっ、待っ……! ーーっあんた、ちゃんと人の話聞いてた!? 嬉しいのか何なのかは知らないけど、そこで飛び跳ねるんじゃないわよ! っこの……っ! そんなことをしたら私たちまで濡れるでしょうが、このお馬鹿娘が!!」


「えっ?」


 ーー言われて初めて、リリアーナは自身のお仕着せがびしょ濡れであることに気がついた。


「あーあ、騙された! あんたのどこが『悪女』なのよ! ……まあ、見た目はそう見えないこともないけど、中身はただの世間知らずのお馬鹿じゃない!!」

「ば、馬鹿って2回も言いましたね……!」

「ふん、事実でしょ。まともな人間なら、あんな扱いを受けておいて、こんな厚かましい真似できるはずないもの。ーーほら、ぼさっとしてないで、さっさと行くわよ」


 手を差し伸べられて、リリアーナは首を傾げた。


「えっ、どこに……? ーーあっ、もしかして、噂に名高い拷問部屋ですか!?」


「ーー違うわよ!! 着替えを取りに行くの!! このままだと風邪を引くでしょう!! っ私の心配を返しなさいよ、このお馬鹿娘が!!」

「わあ、3回目」

「そもそも、拷問部屋って何よ!? 言っておくけど、そんな部屋王城うちにはないからね!!」

「そうなんですか? でも、ある先輩にそう言われて……はっ! もしかして、嘘だったんですか!?」

「気づくのが遅いのよ、このお馬鹿!」

「4回目!」


 こんなことを繰り返し、リリアーナは多少、いやかなり無理矢理ではあるが、着実に仕事を覚えていった。


 ーーちなみに、当時の先輩がたは、未だに雑巾を手に追いかけてくるリリアーナを夢に見ては、たまにうなされているらしい。

 

 ちょっぴり申し訳ないが、お互い様ということで許して欲しいーーなんて考えて、リリアーナは小さく笑った。




 ーーやがて、月日は流れ。

 不思議なことに、リリアーナの存在が皆に受け入られ始めた頃には、何故だか立派な社畜ができあがっていた。


『グレンダールさん。今月の休暇申請ですが、貴女だけあまりにも少ないので、もう一度よく考えてから提出してください』

『え!? い、いえ、そんなことはありません! 月に4日もいただければ充分です!』

『……なるほど。分かりました。では、こちらで倍に増やしておくので、後で確認してください』

『えっ。お、お待ちください、侍女長様! 幾ら何でもそれは多過ぎます……!』

 

 ーー恐らくは、あまりにも頑張りすぎて、それが通常デフォルトになっているのだろう。

 もしくは、元から適性があったのかもしれない。


 (ーーなんて。そんなことを言ったら、また先輩に怒られてしまうわね。ーーでも、辛いこともたくさんあったけれど……叔父様の言いなりになって、ただの令嬢として生きていた時よりも、ずっとずっと楽しかったのは確かなのよ)


 そんなことを考えながら、自身の手をぼんやりと眺める。

 傷だらけの、労働者の手だ。

 だが、それが誇らしかった。


 虐げられ、物言わぬ人形のようだった過去の自分よりも、身を粉にして働く今の自分の方が、何倍も生き生きとしているのはーーきっと、気のせいではないだろう。


 

 ーーそうして、リリアーナが王宮侍女となってから、およそ1年後。

 何故かシャルロッテの専属侍女に大抜擢されて、現在に至る。


 それからの波乱といえば、一度叔父が連れ戻しに来たことくらいだ。

 だが、シャルロッテがそれはもう凄まじい剣幕で追い返してくれたので、実家には帰らずに済んだ。

 何故かエドワードも加勢してくれたらしいのだが、恐らくはシャルロッテが頼んでくれたのだろう。

 周りの先輩や同僚達も、リリアーナを守るために動いてくれた。


 ――そのことに、喜ぶ自分が確かにいて。


 いつの間にか、リリアーナの居場所は子爵家ではなく王宮になっていたのである。


 その事実に気づいてからは、第二の人生は仕事に生きる! と決意し、恋愛や結婚は綺麗さっぱり諦めた。


 ーーそう。諦めた、そのはずだったのに。

  

 (はあ……。神様? にも困ったものだわ。どうして、私なんかを殿下の妃に選んだのかしら)

 

 エドワードと番いたい女性は数多くいるだろうに、本当にーーどうして自分なのか。


 社交界の笑い者で、身分もそこそこ、教養やマナーだって、王妃になるには余りにも心許ない。

 そもそも、このまま仕事を続けたくて、今更大人しく家庭に入る気などサラサラない自分を選んだところで、エドワードを幸せにできるとは到底思えないのに。


 ーーどれだけ考えても答えは出ないが、リリアーナの心は既に決まっている。



「私は、これからも侍女として生きていくの。ーー王妃なんて、私には無理よ」


 ーー臣下としてならともかく、あの方の隣に並び立ち、国の未来を支えるには、何もかもが足りないのだから。


 リリアーナは鏡に映る自分と手を合わせ、諦念の混じる声音でそう呟いた。


 ーーすると、ふいに、かつてシャルロッテからもらった髪飾りが視界に映った。


 毎日出勤前に必ず眺めているそれを手に取り、リリアーナは何度目か分からない感嘆のため息をこぼした。


「何度見ても素敵だわ……。特に、真ん中の石がとってもきれい」

 

 ――白く小さな花が幾重にも重なっており、その中央には月長石のような美しい宝石が、まばゆいほどの輝きを放っている。誰がどう見ても、明らかにオーダーメイドの高級品だ。  


 リリアーナは、そっと髪飾りをつけてみた。鏡の中の自分が、はにかむように笑う。


 ーー何故だか胸がきゅっとしたが、その理由は分からなかった。




 それから時間が経ち。

 寝台の上で読書をしていたリリアーナは、小さくあくびをした。気づけば、窓の外は茜色に染まっている。


「今日は何だか疲れたわ。……早く寝て、明日からまた頑張りましょう」


 きっと明日には、いつもの日常が自分を待っている筈。


 リリアーナはそう信じて、目を閉じた。



 ――まさか、あんなことになるとは思いもよらずに。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

義妹に婚約者を奪われ続けた私、これからは仕事に生きると誓ったのに、人嫌い竜王子の運命の番に選ばれてしまいました!? 花崎えみ @hanasakiemi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ