第5話 婚約破棄されまして、侍女になりました ①

「バレた……」


 使用人に宛がわれた寮の一室で、リリアーナは呻き声を上げていた。


 意図せず有給休暇を消費することになったリリアーナは、重い足取りで寮へと帰った。王宮から徒歩10分の好立地のため、まだ日も沈んでいない。こんな真昼間から自室にいるなんて、何だか変な気分だった。

 

「いえ、まだバレていないかも……。うーん、いえ、バレたのかしら……」


 リリアーナはぶつぶつと呟きながら、倒れこむようにして寝台へと突っ伏した。ふかふかの布団に顔を埋め、ぎゅっと目を瞑る。


「だって、あの姫様よ? 何故か使用人の秘密という秘密をご存じで、笑顔で人を追い詰めることが得意なあの姫様に、嘘なんてつけっこなかったんだわ……!!」


 シャルロッテは基本優しいが、自分の敵には容赦がない。

 ……実は兄王子エドワードよりも恐ろしいかもしれない、と思っているのは内緒である。


 (っエドワード殿下……)


 途端、リリアーナはかあっと頬を赤らめた。そして、そんな自分が信じられず、足をばたつかせて羞恥に悶える。


 何だか、今日の自分はエドワードのことばかり考えている気がする。

 ……恐らく、いや、絶対にのせいだ。


 リリアーナは寝台の上をごろごろと寝転びながら、1人思考を巡らせた。

 

 (御触れを出したと言っていたけれど……。流石に、全国民を対象とした身体検査なんてしないわよね? そんなことをしていたらキリがないもの。王妃様の時は確か、痣が出現したその日に堂々と名乗り出たのだと聞くし……。言わなければバレない筈よ。心の声が読まれでもしない限り、きっと大丈夫……よね?)


 ――リリアーナは、そこそこ勘が鋭かった。

  

 言いようのない不安が、リリアーナを襲う。何故だか、彼らの掌の上で転がされているように思えてならない。

 


 ……本当に、自分はあの兄妹を欺くことができるのだろうか?



「……」

 

 ひとしきり悩んだ後、リリア―ナはむくりと起き上がった。

 自分に言い聞かせるように、強い声音で言う。



「何とかなるわ。――いいえ、何とかするの」




 ――リリアーナは、王妃に選ばれたことを安易に喜ぶ女性ではなかった。



 王妃。運命の番。呼び名は様々だが、この国の女性であれば誰もが憧れる王の正妃は、大いなる天の意思によって決められる。


 前触れはなく、ある日突然、次代の王とその妃に揃いの痣が浮かび上がるらしいということは、リリアーナも知っていた。


 そして、今現在、フリティラリア王国直系の王族は王とあの兄妹のみである。そのため、恐らくはエドワードが王に選ばれるだろうということも、なんとなくだが解っていた。


 ――でも。まさか。ただの侍女の私が、殿下の『運命の番』に選ばれるなんて、思わないじゃない……!?




 僅かに空が白み始めた頃――つまりは今朝のこと。


 王宮侍女のお仕着せに着替えようとしていたリリアーナは、自分が選ばれたことを知ってしまい、愕然とした。「どうやったらごまかせるかしら。い、いえ、そもそも、まだそうと決まったわけではないわよね。ちょっと独創的なだけの、ただの痣かもしれないし……!」と言いながらあたふたとしているうちに、いつの間にか遅刻寸前の時刻となってしまい、リリアーナは慌てて職場に向かったのだ。


 短い出勤時間の間に、リリアーナは「田舎貴族の出身で、更には不名誉な噂が付きまとっている私に、王妃なんて務まらないわ。それに、殿下には他に好きな方がいらっしゃるかもしれない。その方に申し訳ないわ。――よし、これは見なかったことにしましょう!!」などと考えて、謹んで辞退しようと心に決めた。



 ――普通の貴族令嬢であれば我先にと名乗り出ただろうに、当のリリアーナは、自分が選ばれたことを苦々しく思い、誰にも話さずに乗り切ろうとしてーー出だしから失敗した。多分。


 (っまだよ! まだ、殿下にはバレていない筈だもの……! 姫様にだって、多少怪しまれているだけ、よね……!?)


 そうだと言って欲しい、お願いだから。


 (そもそも、王妃って……王に何かあれば名代を務めなければならないのよね? 外交を任されることもあると聞くし……。王妃としての教育を受けてきたわけでもないのに、王と同等の権力なんて持ちたくないわ。私の発言一つで国が傾くかもしれないなんて、恐ろしすぎる。やったあ! 玉の輿! なんて、私は思えないわよ……!)



 ――そんな風に思い悩むリリアーナは、実は誰よりも王妃に相応しい素質を有しているのだが、当の本人は気づいていなかった。 

 加えて、リリアーナは自分が思っている以上に優秀なのだが……それを本人が自覚するのは、ずっと後のことである。



「……とりあえず、しわになる前に着替えないとね」


 リリアーナはそう言って、重い足を引きずり姿見の前まで歩いた。

 ブラウスのボタンをゆっくりと外していきーー鏡に映ったを見つめる。


「詰襟のブラウスのおかげで助かったわ。……次の休暇の時には、私服も買い直した方が良いわね」


 ブラウスの襟口から覗くのは、清廉な百合の花に竜の尾が絡みついた意匠が目を引く、緋色の痣。

 この国の民ならば誰もが知っている、王と対になる妃の証。


 ーー今朝突如として浮かび上がった、『運命の番』を示す証であった。



 ◇◆◇



 リリアーナ・グレンダールの人生は、ある日を境に変わってしまった。


 ――9年前。

 10歳になったリリアーナは、愛する両親を事故で亡くした。


 ……雨の日だった。

 両親を乗せた馬車が崖から転落したと知らせを受け、幼いリリアーナは暫く茫然と立ち尽くしてしまった。

 周りの大人達が何事かを言ってくるが、何が何だか分からず、ただ頷くことしかできない。

 大切に育てられた子爵令嬢であるリリアーナには、急に相続が、遺産が、と言われてもさっぱり意味が分からなかった。

 

 そして気づいた時には、平素疎遠だった叔父夫妻に、子爵家を乗っ取られてしまっていたのだ。


 

 リリアーナは叔父夫妻の養女となったが、その生活はお世辞にも楽しいものとは言えなかった。

 

 かねてより父を妬んでいたらしい叔父は、娘のリリアーナを虐げることに喜びを見出し、リリアーナに言葉の暴力を浴びせ続けた。

 そして、新たにできた妹……ハリエットは、兎に角リリアーナのものを欲しがった。断ると、義妹は小さな赤子のごとく泣き続け、暴れまわる。


 ――両親に愛され、真っ直ぐに育ったリリアーナは、どれだけ虐げられようと、その心は清らかなままだった。


 そんなに欲しいならばと、大切にしていたぬいぐるみを譲ってしまったほどに。


 ――でも。それがきっと、全ての始まりだったのだろう。


 ハリエットの我儘は年を重ねるごとにエスカレートしていき……。




 そして、リリアーナが15歳になった時。

 ハリエットは遂に、リリアーナの婚約者を奪い始める。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る