第4話 え? バレた……わけないですよね? お、お願いだからそうだと言って!!

――そう告げたエドワードの、なんと嬉しそうなことか。

 

 途端、怒りとは別の感情が湧き上がってきて、シャルロッテは自然と笑みを浮かべた。


「ーーおめでとう、お兄様。っ本当に良かった……!」

 

 言いながら、目にじわりと涙が浮かぶ。


 (っもし、万が一にも違っていたら、天上に住まうとされる神様の元へ、殴り込みに行くところだったわ……!)


 ーー勿論、お兄様の背に乗って。


 ぽたぽたと涙をこぼしながらそんなことを考えていると、エドワードがすっと笑みを引っ込めた。


「おい、無茶を言うな」

「何よ、お兄様のケチ。竜体になれるのはお兄様だけなんだから、乗せてくれたって良いじゃない。大丈夫よ、殴るのは私がやるから」

「可愛い顔で何を言っているんだお前は……。ーーああ、こら。あまり擦るんじゃない。お前の美しい目に、傷でもついたらどうする」


 エドワードは懐から手巾を取り出し、シャルロッテの涙をそっと拭った。


「っお兄様……!」


 シャルロッテは何だか胸がいっぱいになってしまい、勢いよく兄に抱き着いた。

 エドワードは一瞬目を見開いたが、困ったように笑いながら、シャルロッテを優しく抱きとめてくれた。

 ――ちなみに、常人であれば骨が折れていたであろう力で抱き着いたが、涼し気にしているので流石である。


「ーーねぇ、お兄様。これで、お兄様はリリィをお嫁さんにできるのよね? ちゃんと、好きな人と結婚できるよのね……?」


 シャルロッテがそう問えば、エドワードがふわりと微笑んだ。


「ああ、そうだな」


 ーーこれで、何の憂いもなく……リリアーナを妻にできる。


 エドワードがそう呟いたのを耳にして、シャルロッテは歓喜のあまり再び涙ぐんだ。

 エドワードから体を離し、小さく拳を握る。


 (ーーこれで、あの死ぬまで思いは秘めるだの何だの言っていた情けないお兄様が、ようやく本気を出してくれるのね……!)


「おい」


 シャルロッテは兄の咎めるような視線を無視して、幸せな未来に想いを馳せた。


「ふふ、2人の結婚式が今から楽しみだわ……! リリィに似合う、素敵なウェディングドレスを仕立てないとね! あ、王妃教育も、本格的に始めた方が良いかしら? お兄様が即位されるのは数年後でしょうけど……あまり時間に余裕はないものね?」 


「……」


 ーーシャルロッテとエドワードの瞳の奥に、揃って仄暗い光が灯る。

 まるで獲物を見定めた獣のように瞳孔が開いているのは、2人の脳裏で、リリアーナが純白のドレスを纏って微笑んでいるためだ。 

 

 ……まだリリアーナの了承も得ていないのに、何とも困った兄妹である。


 やがて2人は向かい合う形でソファに腰掛けると、真剣な顔付きで話し合い始めた。



 ――勿論、愛しい少女を捕まえるために。



 ◇◇◇



「ーーリリアーナは、それなりに俺のことを意識している。だが、自分に王妃は務まらない、と考えているようだ。自分は『悪女』だとも言っていたな」


 シャルロッテは「まあ」と呟き、困った顔で兄を見つめた。


 (『悪女』だなんて。そんな風に思っている人は、この王宮にはもう殆どいないでしょうに……)


 それに、リリアーナは王妃の地位を望んでいないと言う。


 (無欲なのはリリィの美徳だけれど、今回に限っては困ったわね……)


 一刻も早くリリアーナを召し上げたいであろうエドワードにとっては、酷なことである。シャルロッテは、目の前の兄に憐憫の視線を向けた。

 

 しかし、エドワードはシャルロッテの視線を軽く受け流すと、優雅に足を組み直し、こう言った。


「……俺は事を急くつもりはない。あいつの意思に反し、無理やりその地位に縛り付けることはできるが……そんなことをしても、何の意味もないからな。リリアーナが俺を好きになるまで……覚悟ができるまで、俺は待つ」


「!」


 ――それは、兄なりの愛情なのだと感じた。


 エドワードが一言命じるだけで、直ぐにでもリリアーナを己の妃にすることができるのに、それをしないと言ったのだから。


 (お兄様ったら、人嫌いを拗らせて情緒が死んでいるかと思ったら、意外と健気なのね……)


「……シャルロッテ?」

「あらふふ、何でもありませんわ」


 やがて、シャルロッテは兄を応援する為に、とある作戦を提案した。

 エドワードが「いいのか?」とこちらを案ずるように問い返してきたが、シャルロッテは深く頷く。


 (二人には、幸せになって欲しいもの。……残念だけれど、リリィのドレス姿は少しの間だけお預けね)


 ――まずは、リリアーナの心を手に入れてから。


 シャルロッテは兄の考えに同意し、続けて他の問題についても脳裏で考えた。だが、それらは些末なものだ。


 身分や教養など、どうとでもなる。フリティラリア王国の長い歴史を紐解けば、貴族出身ではない『番』も数多く存在するのだ。近年高位貴族の令嬢が続いているだけであり、例えリリアーナが平民だったとしても、こちらは何も困らない。


 (……それに。リリィは自分では気づいていないけれど、とっても優秀なのよね。志も、能力も、十分王妃に向いているし――王宮の使用人からも人望がある。ふふ、流石は私のリリィね)


 ――でもまあ、そんなに気にしているのなら、明日『あれ』をあげようかしら。


 シャルロッテはそう考えてにっこりと微笑んだ後、エドワードに応援の言葉をかけた。


「――じゃあ、明日から頑張ってね、お兄様! 絶対に、リリィの心を射止めるのよ!」


 エドワードは「ああ」と頷いてから、口元に微笑を浮かべた。


「……ふ、この力に感謝したのは、久しぶりだな」


 エドワードの自嘲を聞いて、シャルロッテはハッと目を見開く。

 リリアーナが『運命の番』だと分かったのは兄の力のおかげだが、それは決して、吉報だけを告げるものではなく……エドワードを『人嫌い』にした原因であることを思い出す。


「……お兄様の力は、私の『遠見』よりも明確に、人の嫌な部分が見えてしまうものね」


 シャルロッテがそう言うと、エドワードはふっと遠くを見た。


「……そうだな。人の心は、総じて欲に塗れている。お前とアイゼン、そしてリリアーナ以外の『声』は、聞くに堪えない。まあ、随分と慣れてはきたが……」


「お兄様……」


 シャルロッテは、エドワードの心に刻まれた傷を思い、胸を痛めた。


 ――エドワードは一見、冷酷で、尊大で……弱い心など持ち得ない、完璧な存在に見えるだろう。

 だが、兄は、本当は……。


 ――ただの、孤独な青年なのに。誰も、それを知らない。知ろうともしない。皆、兄の地位や容姿しか見ておらず、兄の心に小さな傷をつけるだけ。


 (……人の心を読む、『読心』の力を持って産まれたお兄様。誰よりも孤独なお兄様を、どうか、リリィが愛してくれますように)



 ――リリィは、人嫌いの兄に救いの手を差し伸べてくれた、唯一の女性だから。



 エドワードは、妹の『声』を聞き、懐かしむようにそっと目を伏せた。

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