第2話 運命の番? な、何のことだか分かりかねます! ②

「――リリアーナはもう聞いた? お兄様のこと」



 リリアーナにそう尋ねたのは、天使と見紛うほどに愛らしい幼い少女であった。


 名を、シャルロッテ・ドラーク・フリティラリア。

 フリティラリア王国第一王女として生を受けた、リリアーナの敬愛する主君である。


 主君の艶やかな白銀の髪を梳かしていたリリアーナは、手を止めて軽く一礼した。


「はい。先程、同僚より知らせを受けました。エドワード殿下に王の証が現れましたこと、心よりお喜び申し上げます」

「ありがとう。後でお兄様にも伝えておくわね」


 シャルロッテはそう言って、鏡台越しにリリアーナを優しく見つめた。

 兄王子と同じアイスブルーの瞳と目が合い、リリアーナの鼓動が僅かに跳ねる。


 ……まずい、と思った。

 このままでは、先ほどの二の舞になってしまう。


 リリアーナはこっそり深呼吸をし、騒ぎ出そうとする心を宥めた。

 次いで、誤魔化すように薄く微笑む。


 ーーしかし、幼いながらも聡明な主君は、リリアーナの一瞬の心の乱れを見逃してはくれなかった。


「まあ、リリアーナったら。そんなに緊張して、一体どうしたの? ーー


「ーーいえ、特には。少し、考え事をしていただけです」

「……そう?」


 シャルロッテの突き刺すような視線が痛い。

 何とか平静を装って答えたものの、その双眸に全てを見透かされているような心地がして、リリアーナは小さく震えた。 


 ――っ、落ち着くのよ、リリア―ナ。今はとにかく、仕事に集中しなくては……!


「そ、そんなことより! 今日は、いつもより華やかな髪型にしてみるのはいかがでしょうか? 午後には色々と挨拶回りもありますしーー何より、本日はフリティラリア王国一の晴れの日ですもの!」

「ええ、そうね。願っているわ。……まあ、何となく、大丈夫な気はしてきたけれど」

「えっ」

「ふふっ。何でもないわ、ただの独り言よ。ーーじゃあ、お願いしても良いかしら?」

「っ、はい、お任せください!」


 (だ、大丈夫って何が……? そもそも、何故姫様はそんな意味深な視線を私に向けてーーい、いえ、辞めましょう。多分これ、考えたら駄目なやつだわ……!!)


 リリアーナはシャルロッテの独り言については深く考えないことにして、そっと白銀の髪に指を通した。

 頭を切り替えて、シャルロッテに似合いそうな髪型を思案する。


 (……姫様は何でもお似合いになるから、逆に難しいわ。ここを編み込んでリボンをつけただけでも、王国、いえ、大陸一お可愛らしいでしょうし……)


 リリアーナは至って真剣にそんなことを考えつつ、薔薇を模した髪型ーーフルールヘアに挑戦することに決めた。


 以前他国の侍女仲間に教えてもらった工程を頭に浮かべて、リリアーナは、よし、と頷く。


 (まずは、軽く三つ編みにしてーー)


 ーーそうして、しばらく経った後。

 

「ーーまあ! すごいわ、リリアーナ! お花が咲いたみたいで、とっても素敵……!」


 シャルロッテは完成した髪型を見て、先程までの大人びた表情から一転、年相応の無邪気な笑みを浮かべ嬉しそうに声を上げた。


「お喜びいただけて良かったです」


「ふふ。ありがとう、リリアーナ! ーー大好きよ!」

「わっ!? 姫様!?」


 シャルロッテがくるりと振り返り、感極まった様子でリリアーナに抱きついた。

 ひし、と抱きついてくる姿に、思わず胸がきゅんとする。


 リリアーナは、「なんてお可愛らしいのかしら……!」と叫び出したくなる衝動を抑えながら、シャルロッテに言葉を返した。


「ありがとうございます、姫様。僭越ながら、私も同じ気持ちです。ーーですから、姫様が嫁がれる際には、どうか私も連れて行ってくださいね。どこまでもお供いたします!」


 すると、シャルロッテが弾かれたように顔を上げた。彼女にしては珍しく、焦燥の混じった声音で言う。


「ま、まあ! 嬉しいわ! 嬉しいけれど……! それ、お願いだからお兄様の前では言わないでちょうだいね……!」


「? はい、分かりました」

 

 リリアーナはシャルロッテの背を優しく撫でながら、何故殿下が関わってくるのかしら……? と不思議に思ったが、何となく尋ねることができず、この話題はそれきりとなった。

 


 ◇◇◇


 ――目の前では、幼い主君とその専属侍女が、仲睦まじく寄り添っている。

 何とも微笑ましい光景に、少し離れた場所から2人を見守っていた侍女や護衛騎士達は、みな自然と笑み零れた。


「ふふ、見て! 姫様があんなに安心しきった顔をなさるなんて、リリアーナの前だけじゃない? リリアーナも心なしか、主君というより、可愛い妹を見る目をしているし――」

「ああ。まるでーー」



 ――本物の姉妹のようだ、という言葉に、リリアーナの同僚達は全員、深く頷いて賛意を示した。



「リリアーナが殿下の番に選ばれていたらいいのにね。姫様とこんなに仲が良いのだし、殿下とも美男美女でお似合いだもの!」

「分かる~! あの子、自分では気づいていないけど、ものすごく美人だもんね! 儚げな見た目と違って、中身は割と面白いところもギャップがあって可愛いし、何よりめちゃくちゃ仕事ができるし……!! 普通に、王妃に向いているんじゃない!?」

「だが、朝のミーティングでは否定していたんだろ? わざわざ嘘をつく理由もないだろうし、リリアーナさんは違うんじゃないか?」

「あー……。そういえば、すごい勢いで自分は違うって叫んでいたわね」

「逆に必死過ぎて怪しかったけどね、あれ」

「でもまあ、結局は違うんでしょ。未来の王妃の座を、自分から蹴る女性なんて居るはずがないもの。――はあ、残念だわ。家のせいで苦労していたみたいだから、あの子には早く幸せを掴んで欲しかったのに……」

「まあ確かに。なんせ、妹とセットで、『悪女』なんて呼ばれていたもんな……」

「というか、あの噂って――」



 ――彼らがひそひそと噂する間にも、主従の会話は和やかに続いていた。



「折角だもの、リリアーナもおしゃれをしてみない? ――ほら。昔、貴女に髪飾りを渡したことがあったでしょう? 良かったら、あれをつけてみて欲しいのだけど、どうかしら?」

「ふふ。ありがとうございます、姫様。頂いた髪飾りは、私の大切な宝物です。ただ、今は職務中ですので……また後でつけてみますね」

「ええ、是非そうしてあげて。――きっと、お喜びになると思うから」


 シャルロッテはどこか楽しそうにそう言って、リリアーナのミルクティーブラウンの髪を撫でた。

 シニヨンから零れた髪が、シャルロッテの手の内で踊っている。


「よろ……? 髪飾りが……ですか?」

「ふふ。さあ、どうかし、ら――っ!?」


 シャルロッテはリリアーナの質問には答えず、近くの窓へと視線を向けて――小さく息を呑んだ。 

 数秒黙り込んだ後、こめかみを押さえやや呆れを滲ませた声音で呟く。


「嘘でしょう……。私に『それ』をやれって言うの……?」


 リリアーナがどうしたのかと尋ねるよりも前に、シャルロッテが口を開いた。


「――ごめんなさいね、みんな。急で申し訳ないのだけれど、今日は各々、別の部署を手伝いに行ってくれるかしら」


 シャルロッテはどこか投げやりにそう告げると、何故かリリアーナ以外の使用人を部屋から追い出し始めてしまった。

 リリアーナはつい、ぽかんと口を開けてその光景を眺めてしまったが、直ぐに我に返った。


 頭に疑問符を浮かべながらも、主君の奇行を止めなければと声を荒げる。


「いけません、姫様!! 王城だからといって、必ずしも安全とは限らないのですよ!? 御身に万が一のことがあればどうするのです! っせめて、護衛騎士だけでも呼び戻してください!!」

「問題ないわ。――普通の人間より、私の方が強いもの」


 (いやいやいや、そんなキメ顔で仰られても、問題大アリなんですが……!?)

 

 シャルロッテがさらりと護衛騎士泣かせの発言をした上に、一向に人を呼び戻す気配がないので、リリアーナは困り果てた。

 確かに竜の血を継ぐシャルロッテは常人よりも強いのだろうが、それでも心配なものは心配である。


 (姫様の身に危険が及ぶ前に、誰か護衛の方を呼んでこないと……! っでも、私が今この場を離れたら、姫様をおひとりにしてしまうわ……!!)


 ーーああ、今日は本当に、


 (誰か! 誰か居ないの……!?)


「!」

「……あら」


 ――リリアーナの必死の懇願が、天に届いたのだろうか。


 ガチャリと音がしたかと思うと、再び扉が開いて護衛騎士が戻ってきた。


 彼の纏う鎧が、歩く度に金属音を奏でる。


 長身のせいか、どこか威圧感を感じなくもないが、そんなことはどうだってよかった。大事なのは、シャルロッテを守ってくれる人が、少しでも側に居ること、ただそれだけである。


 リリアーナはホッと息を吐き、急いで騎士の元へと駆け寄った。

 

 ーー絶対に、この人を逃してはならない。


「ありがとうございます! お1人だけでも、居てくださるだけで心強いです……! ーーどうか、姫様をお守りください……!!」


 必死のあまり、声が震えた。

 護衛騎士はこくりと頷くと、リリアーナの頭を優しく撫でた。まるで、安心しろと言わんばかりに。


 リリアーナは部屋の隅へと移動した護衛騎士に向けて深々と頭を下げた後、シャルロッテに詰め寄った。


「姫様。絶対に、彼だけは追い出してはなりませんからね!? どれだけ姫様が強かろうと、そんなことは関係ありません!! 貴女は、この国の……いえ、大切な、私の主君です! っもし貴女に何かあったら、私は……!」

「リリアーナ……。ーーああ、もう! 私にこんな役回りをさせるなんて……本当、後で覚えていなさいよ……!」

「えっ?」


「……ああ、何でもないの。気にしないで」


「気にしないでと言われましても……」


 最後の方は上手く聞き取れなかったが、何となく、シャルロッテが苛立っていることはリリアーナにも分かった。


 そんな主君は珍しくて、リリアーナの顔面がサッと青褪める。


 (も、もしかして、言い過ぎてしまった……!? そうよね、幾ら専属侍女だからって、流石に不敬だったわよね……!?)


 リリアーナが謝罪の言葉を口にしようとしたその瞬間、シャルロッテが突然、すくっと立ち上がった。

 そして、無機質な笑みを浮かべながらこちらを見る。


「ひ、姫様……?」


 心なしか縦に開いている瞳孔が、王族の祖である竜を思わせて、リリアーナは本能的に後ずさった。


「――ねぇ、リリィ」

「は、はい!」


 ――シャルロッテは、2人きりの時にだけ、リリアーナをそう呼んだ。

 友好の証の筈なのに、何故だか嫌な予感がして、微かに声が震えてしまう。次いで、最悪の事態が頭をよぎった。


 (ま、ままままさか、クビ!? 待って、お願いだからそれだけはーー!!)


「申し訳ございません、姫様! どうかクビだけはご容赦くださーー」



「ーーいつまで、そうやって隠しているつもりなの? お兄様の番に選ばれたのは、貴女なんでしょう?」



 遮るようにして紡がれた言葉は、リリアーナの思考を停止させるには充分だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る