義妹に婚約者を奪われ続けた私、これからは仕事に生きると誓ったのに、人嫌い竜王子の運命の番に選ばれてしまいました!?
花崎えみ
一章
第1話 運命の番? な、何のことだか分かりかねます! ①
やわらかな春の風に運ばれて、一枚の花弁が、まどろむ青年の頬をくすぐった。
……つい先ほどまで、幸せな夢にその身を委ねていたせいだろうか。青年は、甘く、そして愚かしい期待を抱きながら、そっと瞼を震わせーー。
ーー目覚めて直ぐ、居る筈もない少女を探した自分に、軽く絶望したのだった。
「は、何を馬鹿なことを……」
開け放たれた窓から差し込む眩い光が、いつもと変わらない退屈な日常の始まりを告げると共に、青年の意識を現実へと引き戻していく。
どうやら、仮眠を取ろうとしてそのまま朝まで眠っていたらしい。
それも、寝台ではなくソファの上で。
(道理で痛むはずだ……)
幾ら仕事が溜まっていたとはいえ、こんなところで寝るべきではなかった……と、青年はため息をこぼした。
(ーーそれにしても、死ぬまで秘めておくと誓った癖にあんな夢を見るとは……我ながら未練がましいことだ)
青年は自嘲気味に笑うと、ゆっくりと上体を起こした。
同時に、白銀の髪がさらりと揺れ、精巧な彫刻と見まがうほどに整った青年の顔に、僅かばかりの影を落とす。
青年は億劫そうに髪を掻きあげながら、思考を切り替えるべく今日の予定を頭に浮かべた。
(午後に会議が2つ、か。視察の幾つかはシャルロッテの力を借りるとして……問題は、溜まりに溜まった書類仕事だな)
連日、政を厭う父王が大半の仕事を青年とその妹姫に押し付けてくるせいで、2人の執務机には今や無数の書類が積み上げられている。
顔を合わせる度に青年と妹を『化け物』と罵り怯える母も、公務の殆どを放棄していた。
自分はともかく、幼い娘にまで仕事を任せて遊び暮らす彼らの方が、化け物ではないかと青年は思う。
(まあいい。今更しゃしゃり出てこられても、それはそれで面倒だ)
そこまで考えて、ふと、温かな風を肌に感じた。
次いで、新たな風に運ばれてきた真白の花弁に目を奪われる。
(ああ、綺麗だな……)
導かれるようにして窓辺に視線を向けると、青年が大切に世話をしている白百合が、そよそよと風に吹かれていた。
不思議なことに、我が国ーーフリティラリアの国土でのみ季節を問わず咲き誇るその花は、青年の愛しい少女を思い起こさせて、胸を苦しいほどに締め付ける。
青年は、思わず焦がれるようにその手を伸ばしーー。
「っ!?」
直後、宝石のようなアイスブルーの瞳が、『それ』を捉えて見開かれた。
ーーいつもと変わらない、退屈な日常が始まる筈だった。
それで良かった。
それで、良かったのに。
「……そう、か。遂に、この日が来たのか」
呟いた青年の手背には、次代の王を示す『痣』が、はっきりと刻まれていた。
しかし、青年は、喜ぶでもなく、その人間離れした美しい
(――俺の『番』……妻となる女性が、決まってしまった)
彼女に出会う以前の青年であれば、淡々とその『運命』を受け入れていただろう。
だが、青年は変わってしまった。身を焦がすような恋を知ってしまったが故に、その天命が煩わしく――恐ろしかった。
「……お前だったら、どんなに良いか。俺は、今でもお前だけをーー」
ーー愛しているんだ、リリアーナ。
青年――エドワード・ドラーク・フリティラリアは祈りにも近い呟きを残した後、手早く身支度を整え、己の側近を呼びつけた。
◇◇◇
「ーーはい?」
同刻。
少女は己を呼ぶ声が聞こえた気がして、ゆっくりと振り返った。
しかし、少女の視界に映ったのは、どこか忙しなく王宮の回廊を行き来している、使用人達の姿のみ。
少しその場で待ってみたが、少女――リリアーナに声をかけてくる者は居なかった。
(……気のせいだったのかしら?)
リリアーナは、不思議そうに小首を傾げた。
次いで、彼女の淡い紫水晶の瞳が、不安そうに揺れる。
(みんな忙しそう……。やっぱり、『あれ』は本物なの……? っ落ち着くのよ、リリアーナ。まだそうと決まったわけではーー)
――と、そこへ。
回廊の奥から、小さな足音と共に、明るい声が響き渡った。
「リリアーナ〜! おはようーー!!」
「まあ、サラ! おはよう!」
リリアーナは笑みを浮かべ、同僚であり仲の良い友人でもある少女ーーサラに向けて手を振った。
サラは頷き、足早にリリア―ナの元へと駆け寄って来る。
リリアーナはつい、「廊下を走っては駄目よ」と言いかけたが、他の使用人も同じようにバタバタと歩いていた様を思い出し、口を閉ざした。
サラはリリアーナの傍まで来ると、興奮を隠せない声音で捲し立てる。
「――ねぇ、聞いて! 今朝! 遂に! ようやく! エドワード殿下に、『痣』が浮かび上がったらしいわよ……!」
「っ!?!?」
「やっと、我が国の王太子ーーつまりは未来の王が決まったわね! それに、未来の王妃様も! まあ、まだどなたに決まったかは分からないけれど……ついさっき、上の人達が『運命の番』に選ばれた女性は直ちに登城するよう、各地に御触れを出したらしいし、きっと直ぐにお会いできる筈よ! ううん、お会いできないと困るわ! ーーほら、うちの国って、だいたい立太子式と結婚式を同時にやるでしょ? 一日でも早く準備に取り掛からないと間に合わないもの!」
サラが矢継ぎ早に語る中、リリアーナはあまりの衝撃に、顔に微笑みを貼り付けたまま石像のように固まっていた。
しばしの硬直の後、どうにかサラに言葉を返す。
「そ、そうね。そういった準備も、私達王宮侍女の大切な仕事だものね。でも、けっ結婚式とか、そういう先のことよりも、まずは一国民として、エドワード殿下の立太子を祝福しなくては……!」
――この思いだけは、嘘ではない。
(嘘ではない、のだけれど……!!)
リリアーナは、新たな王の誕生と、竜に守られた国ーーフリティラリアの未来を心から祝す一方で、だらだらと嫌な汗が止まらなかった。
緊張のあまり、心臓がかつてないほどに早鐘を打っている。
「相変わらず、リリア―ナは真面目ねぇ。ーーあ、そうだ。ねぇ、貴女が殿下の『運命の番』に選ばれていたりしな……」
「――そんなわけないじゃない!!!」
「うわ、吃驚した。急に大きな声を出さないでよ。でも、そっか〜。リリア―ナも違ったのね」
「え、ええ。まあ、はい……。ごめんなさい……」
「? リリア―ナったら、そんなに申し訳なさそうに謝らなくてもいいのに。ーーふふ、それにしても、本当に素敵よねぇ。王の証と同時に、番……王妃となる女性にも痣が浮かび上がるなんて、まるでおとぎ話みたいじゃない? ああ、どうして選ばれたのが私ではないのかしら……!」
サラはリリアーナの複雑な胸中を察することはなく、恋に恋する乙女の表情を浮かべながら、うっとりと天を仰いだ。
「サラは、殿下の『運命の番』に選ばれたかったの?」
「勿論! エドワード殿下は、完璧な王子様だもの! 頭脳明晰、容姿端麗! 竜の末裔だからか、身体能力も抜群よね! ……まあ、ちょっと怖いというか、近寄りがたいところはあるけれど……最近は、以前よりも雰囲気が柔らかくなられたじゃない? きっと、妻になる女性には優しくするタイプだと思うのよね。そんな殿下の妃になれたら、最高の玉の輿よ!」
満面の笑みで拳を突き上げるサラを見て、リリアーナは小さく笑った。張りつめていた緊張の糸が僅かに解け、図らずも穏やかな声音で言う。
「ふふ、サラは面白いわね。――そうね。私も、殿下は素晴らしい方だと思うわ」
――そう告げたリリアーナの微笑みが、瞳が、雄弁に1つの事実を語っていて、サラは自身の髪と同じ栗色の瞳を丸くした。
もしかして、と震える声で呟く。
「リリアーナ……貴女まさか、殿下のことを本気でお慕いして……? だ、だからさっき、あんなに強く否定したのね……!?」
「え!? え、えっと、い、いえ、私は、その……!」
リリアーナは思ってもみないことを言われ、戸惑いの声を上げた。次いで、頬がじわじわと熱を帯びていく。
違う、と言いたいのに、上手く言葉が出てこなかった。
そんなリリアーナを見て、サラは申し訳なさそうに眉尻を下げた。
「ごめんなさい、リリアーナ。私ったら無神経だったわね。……貴女は姫様の侍女なのだから、殿下との関りも人一倍多かったのでしょう。あんなに麗しいお顔を間近で拝見していたら、本気で好きになってしまうのも無理はないわ。――貴方は素敵な女性よ、リリアーナ。私達は、少し運がなかっただけ」
ーーいつの間にか、リリアーナが『運命の番』のせいで失恋したことになっている。
(な、なんで!? どうしてそうなったの……!?)
「っち、違うのよ、サラ! 私はそんな、殿下に特別は気持ちを抱いたりはしていなくて……!」
何故か憐憫の視線を向けられることになったリリアーナは、どうにかその恐ろしい誤解を解かなければと、必死に言い募ったのだが……。サラは訳知り顔で頷くばかりで、一向に聞く耳を持ってはくれない。
寧ろ、リリアーナが慌てふためく度に、サラの誤解は加速していったように思えた。
「うちの国以外なら、側妃とか愛人枠を狙う道もあるけれど……、フリティラリアだと難しいのよね。残念なことに、我が国の王族は一途なことで有名だもの。歴代の王なんて特に、番だけを寵愛して、一切他の女を寄せ付けなかったと聞くし――本当、珍しくて不思議な国よね」
「は!?」
「ーー大丈夫よ、リリアーナ。『運命の番』ほどの玉の輿は無理でも、他に金の卵はゴロゴロ転がっているから。貴女は美人だし、何より、優しくて良い子だから、直ぐに新しい恋を掴める筈よ! この際、辛い失恋は忘れてしまいましょう!!」
遂には色々な意味でとんでもないことを言い始めたので、リリアーナはちょっぴり、いやかなり泣きたくなった。王宮の回廊でなんてことを言うのか、この友人は。
(というか、一途なのは良いことでは……!?)
恐らくはリリアーナを励まそうとしてくれているのだろうが、そもそも自分は失恋なんてしていないし、新しい恋なんてお呼びではない。
しかし、リリアーナが何度そう訴えても、ちょっと思い込みの激しいところのある友人は、「無理しないで」と言ってバシバシと背中を叩いてきた。
「――じゃあ、私こっちだから。気持ちが切り替わったらいつでも言ってね。お詫びに、貴女にぴったりの素敵な男性を紹介してあげるから!」
「っ、ま、待って! お願いだから話を聞いて! 紹介なんて要らないし、そもそも、私は失恋なんてしていないのよ! ねぇ、ちょっと! サラってば……!!」
リリアーナの懇願も虚しく、サラは全て自分に任せろ、とばかりにパチンとウインクを寄越した後、自身の部署へと向かってしまった。
一人回廊に残されたリリアーナは、未だ冷めやらぬ頬を押さえて、わなわなと震えた。
(サラったら、どうしてあんな誤解を……!? わ、私が、殿下を好きだなんて……!)
つい昨日まで、主君の兄だとしか思っていなかった――いや、思おうとしていたその人が、脳裏をちらつく。
遠ざけようとすればするほど、頭の中は彼でいっぱいになってしまい……リリアーナは堪らず、心の内で悲鳴を上げた。
――こうなるのが嫌だったから、頑張って考えないようにしていたのに……!
『貴族令嬢としての幸せ』――即ち、幸せな結婚を諦めたリリアーナとて、『自分の夫となるべき人はあの人だ』と言われてしまえば、おのずと意識してしまう。
中でも、リリアーナの胸を甘く締め付けたのは――かつて見た、宝石のような輝きであった。
(〜っ! 駄目だったら!!)
リリアーナはハッと我に返り、慌てて己を窘めた。
自分に言い聞かせるように、心の内でぶつぶつと独りごちる。
(……まだ、大丈夫。――『これ』は、淡い憧れのようなものだから。身分も、教養も、覚悟だってない私に、あの方の妻は務まらないわ。それに、私は社交界でも評判の『悪女』だもの……)
リリアーナは、芽生えかけたそれにそっと蓋をして――無意識に自身の首筋を撫でた後、主君の元へと足を進めたのだった。
◇◇◇
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